「――ようやくだな」
戦場に於いてなお酷く落ち着いた声。
感情の色を落とした音は、けれどたしかな優しさに満ちていた。
その少女には右腕がない。
ごうごうと燃え上がる赤炎のなかで、身を焦がしながら彼を庇うように立つ。
まだ暴力的で済んでいる蒼炎と鬩ぎ合う。
彼が一度木っ端微塵に吹き飛ばしてくれたお陰だろう。
いまの出力ならば、彼女の力でも対抗することができた。
「ああ、ようやく、おまえに返せる」
貸しばかりがついていた。
守られてばかりいた。
そこに何か思わなかった彼女ではない。
だからこそ、その力は素直に喜ぶべきもの。
こんな時代に於いて、純エーテルを扱える才能を持って生まれたコトを。
「今度は――――私の番だ」
鉄潔角装を振り抜く。
左手に握られた一本の剣。
ギラリと煌めいた剣閃は、たったそれだけで蒼い火をかき消した。
そこに、
『――――――』
邪魔にならないよう隠れる、
怪我人と一緒に急いで逃げる、
怪物を睨んで立ち上がる、
生きている人の姿を見た。
彼ら彼女らはまだ死んでいない。
蒼炎の爆撃を喰らい、死の淵を彷徨いながらも命を繋いだ。
それは奇跡ではなく、彼女が起こした必然の現象。
「私がおまえのために、戦う番だ」
自身を体現する兆角醒。
どこかで消えたいという思い。
誰かを救いたいという願い。
忘れられないあの日の記憶。
彼女のなかで一番強い輝きは、すべてを失った火の海の中だった。
故にこそ、放たれる赤炎は世界を燃やす。
彼女自身を燃やす。
同時に
すなわち彼女を除いた全人類への生命力の譲渡。
およびそれに当てはまらない万物の焼却能力。
人を救い、己を殺し、怪物を滅ぼす赤紅の劫火。
「――総員、動ける者は怪我人を運び出せッ!! 巴嬢の火があれば躊躇するな! 積極的に触れろ! まだ息があるのなら誰ひとりとして見捨てるなッ!!」
「了解ッ! てかこれすごいですね本気で! 労災とか出ます!?」
「んなモンあるわけねえだろッ! さっさと逃げるぞバカ!」
「と、というかあの子ひとりで大丈夫!? いやさっきまで流崎くんひとりだったんだけども!」
「あたし達じゃ足手まといも良いところでしょう! 戦闘部隊でもないのに!」
全速力で遠ざかっていく人の足音。
それを背後に聞きながら妃和は眼前の敵へと視線を固定する。
腐っても空の果てに辿り着いた恩恵か。
実力差のほどは戦う前から手に取るように分かった。
蒼い火の特性。
怪物としての素体の強さ。
多種多様な攻撃手段。
そしてなにより、悠から抜き取った紛い物の兆角醒。
「――――――……、」
その強さを目の当たりにしていた妃和には痛いほど分かる。
単純だからこそ搦め手は効かない。
出力の無限上昇は自身ですら抑えきれない力だ。
それが敵に回ったときの、なんと厄介な事か。
「巴嬢! 君は――――」
「時間は稼ぎます。……早く、逃げてください」
「…………、悠は、どうする」
「頼みます。彼は。――――ちゃんと、連れて行ってあげてください」
「……そうか、分かった。こちらも
視線を切って、最後の生き残りである美沙が悠を抱えながら走り去っていく。
恨み言も愚痴もなにも、すでに彼には届かない。
腕の中で眠る心臓のない死体。
うつ伏せに――それこそ前のめりに倒れた身体はピクリとも反応しなかった。
脈はない。
鼓動もない。
純エーテルの輝きだって喪失している。
それが完全に死んでいるのを理解して、妃和は鉄潔角装を握り直した。
「……敵討ちとはいかないだろうな。きっと。私では貴様を倒すことは無理そうだ」
純粋な力量差を冷静に判断する。
本気を出して正面からぶつかり合えば結果は目に見えている。
むしろそこで天秤をひっくり返せるのは正真正銘一部の人間だけだ。
戦闘部隊の誇る人類最高戦力か。
世界の理から外れた時代遅れな剣士たちか。
はたまたすべてを越える可能性を秘めた少年か。
そのどれでもない妃和には、どうすることもできはしまい。
「だがな、好機はつくれる。希望を繋げる。可能性を残せる。これはそのための戦いだ」
失くしたものは戻らない。
死んだ人間が生き返るなんてコトはない。
それはこの宇宙を支配する絶対の
死者蘇生なんてものは摂理を壊す奇跡の中の奇跡だ。
だから。
彼女がしたコトはそれより劣る低俗な奇跡。
生命力を譲渡する火。
その焔に巻かれれば死にかけていても命が繋がる。
それを死体に浴びせた。
これ以上ないぐらい、至近距離で、彼へ命を注ぎ込んだ。
余程の重傷か時間が経ちすぎていなければそれで一時的に目を覚ます。
だが彼は起き上がらなかった。
理由はふたつ。
ひとつは損傷の度合いが彼女の能力では補えきれなかったこと。
もうひとつは注ぎ込んだとしてもずっと溢れてしまうこと。
胸の穴は塞がっていない。
いくら生命力を注ぎ足してもどうしようもない欠陥があれば無意味だ。
――――けれど。
少年の身体を包んだ赤い火は、たしかに命を巡らせた。
死体は辛うじて死に体へ。
生きているとは到底言えないが、なんとか魂はその場に留まった。
目は覚めない、息もしない。起き上がるワケもない。
生き物らしい動作のすべてはできないが、それでも彼はギリギリのところで命を灯した。
「すまないが、少々付き合ってもらおうか。――後を追わせるワケには、いかないんだ」
『――――――――』
その言葉が伝わったのかどうか。
蒼炎の怪物が翼を広げる。
渦巻く焔がとてつもない熱量を撒き散らした。
ともすれば離れた位置でも皮膚が焼けるほどの熱さ。
それが、徐々にあがっていくという絶望感。
「……ああ、本当に。おまえは凄い奴なんだな、悠」
鉄潔角装を構える。
赤炎を奔らせる。
刹那の合間に初手は放たれた。
飛来する蒼い火球。
雨霰のように降り注ぐ絶死の弾丸。
――それを、刃の一振りで彼女は防いでみせる。
深紅の焔を、宙に舞わせて。
「一先ず
片腕のハンデなんてなんのその。
以前までの彼女とは見えている景色、掴めている情報、使えるモノが違う。
加えて、蜘蛛の糸じみた結果ながらも悠の命を繋いだという大業。
空の向こうで歓喜した一角の女神は迷いなく彼女の力を後押しした。
命を削り誰かを助け、自身諸共溶け堕ちる。
この場に於いてすべてが赤い火に燃え焼かれるもの。
ならばこそ、あるのは純粋な殺意のみ。
「覚悟しろ、化け物」
身体を焦がしながら少女は笑う。
不思議な感覚だが、いまはなによりそれで良い。
負けられない。
負ける気がしない。
――――いま。
救済と壊滅の焔が、瓦礫の大地を駆け抜けていく。