「そんな攻撃は無駄でしてよッ!!」
背後から迫る木の槍を有理紗が捩り砕く。
なおも荒れ地を走る第三部隊メンバーおよび悠の足は止まらない。
距離はすでに二百メートルを超え、背後の羽虫も姿を小さくしていた。
それでも攻撃は伸びてくる。
障害物、遮蔽物のない赤土の荒野では直進する腕を邪魔するものがないからだ。
地中に潜るのも一つの手だがそんな暇はないし、なによりそんなコトをしてもアレが見逃してくれるとは到底思えない。
結果、彼女らに残された逃走手段はただひたすらに走るコトだけ。
今まで支えてきてくれた自分の足だけが唯一の生きる希望だった。
「――もう三百ぐらいカナ? 結構離れたねー……それでも腕が飛んでくるのかあ、流石は我らが天敵〝羽虫〟ちゃん」
「褒めてる場合ですのッ!? このままだとジリ貧ですわよ隊長ッ!!」
「そうなんだよねえ、でもどうしようもないじゃない、コレ」
「
再度背後で弾ける木片。
部隊の面々はそれぞれ必死で動くのが今できる最大限。
引き摺られるがままの悠は意識を薄れさせながらも思考を回すので手一杯だ。
状況把握は冷静に、けれど心の底で渦巻くものは冷やさずに。
彼にとって理性とは後付けで、本能こそが本心に近いもの。
ので、
「――――来る、ぞォッ!!」
その予兆に真っ先に気づけたのは、偏に後方を注視していたからだろう。
バサリと広げられる純白の翼。
木製の腕は縮んで人間大の長さにまで戻っていた。
あの武器はあくまで遠距離武装、伸びるにも限度があると見るべきだ。
ならば、射程外に出ていった獲物をどうやって捉えるのか。
簡単だ、至極真っ当な圧倒的弱者を刈り取るための狩りの基本。
――こちらの得物が届かないのなら、確実に届く位置まで迫れば良い。
「有理紗!!」
「分かってますわ!!」
美鶴と有理紗のふたりが足を止めて後ろを向くのと、それが羽搏くのは同時だった。
ぐっと溜められた一瞬の隙、関節を軋ませたわずかな間。
この荒れ地において異質なほど白い羽が、空を掻くように稼働する。
――――直後。
十数秒かけて稼いだ彼我の距離は、あっという間に零へと回帰した。
羽音は一秒にも満たない。
大気を震わせた飛行は音を越えて。
気付いたときには、すでに影は目前へと――
〝速ッ――――!?〟
羽虫の左腕が振り上げられる。
右腕とは異なる、しなるように歪んだシルエット。
肘から指先にかけて人体らしい部分はひとつもない。
蟷螂を思わせる捕獲肢。
けれどもそれはより鋭く、獲物を捕らえるのではなく斬り殺すために洗練された形だ。
――近付くのも一瞬ならば、振り下ろすのもまた一瞬。
上から下へ。
凶器はこれ以上ない単純さを持って、有理紗の肩口目掛け走った。
「――――――――」
……痺れるような熱さ。
鮮血が制服を濡らしていく。
脳からの電気信号がブツリと途絶えてしまった錯覚。
気分はコンセントに刺さっていたコードを急に抜かれた電化製品だ。
右肩から肋骨あたりまでバッサリと。
少女の身体はまるで豆腐でも切るように、あっさりと別れてしまって。
「――――、ぇ…………」
ぐらりと傾いていく身体。
彼女自慢の金髪は赤黒く染まって、左手はぷらぷらと宙に揺れる。
霞む碧色の瞳孔と、蝉の頭をした羽虫の
どう考えても致命傷、どう見ても取り返しの付かない傷を負って。
有理紗はそのまま、右手をふらりと動かした。
「――――ゼロ距離ィ、ですわねぇッ!!」
機械が軋む。
神秘の鋼鉄が唸りを上げる。
回転、螺旋、すなわち捩れ斬り。
羽虫の表皮に突き刺さった彼女の武器が、空気を巻き込んで動き出す――
「だらッしゃぁぁぁああああああああああ!!!!」
とても淑女らしくない雄叫びをあげながら、有理紗がドリルを突き上げる。
胸を穿った純エーテルの一撃は木の腕を砕いたモノと同じだ。
木製の表皮は容易く、ボロボロと崩れるように砕かれていく。
――それが、まったく同じ硬さで出来ていれば。
〝――あれ。おかしいですわね。なんか、まったく、貫けませんコトよ?〟
ガリガリと空転し始める自慢の
不思議に思った瞬間にまたもやバッチリと瞳が合う。
表情はないのに硬質な羽虫の顔がニタリと笑った気がした。
……まさか、とは思うけれど。
〝身体のほうが硬かったりしますの? あ、でも伸縮性を考えたら一理あ――〟
ベギィ、と人体から響いてはいけない音が鳴る。
ブツブツとなにか大事な
蹴られた、と認識したのはその数秒後だ。
内臓から背骨までを叩き潰した脚撃は有理紗の身体を〝く〟の字に曲げ、遙か彼方へと吹き飛ばした。
「――ナイス奮闘、有理紗」
が、その隙を逃すほど彼女たちも甘くはない。
声はすでに羽虫の
ソレが有理紗の対処へ意識を向けている隙に、美鶴は自身の鉄潔角装を顕現させて突き刺した。
全長およそ三メートル、持ち手だけで五十センチはあるかという大槍。
硬い胴体ではなく、あくまで壊せる腕に限って砕きながら。
彼女は勢いのまま力を込めて、引っ付いたゴミを払うように大槍を振り回す。
「ぶっ飛んじゃいなよ、このクソ虫――――!!」
移動の速度、攻撃の威力、基本的な性能がヒトより高い羽虫だが、その質量は二十キロにも満たないほど軽い。
異様な身体構造の弊害だ。
抜け殻のように中に何も持たない羽虫は、外皮と翼だけで出来た生き物である。
骨も、肉も、水も、脳みそや血の一滴すら存在しない木の皮の化け物。
それを砲丸投げの要領で放り投げるのは容易い。
「そらぁーーーい!!!!」
びゅっ、と風を切りながら槍と共に飛んでいく羽虫。
それが遠く離れたのを確認して、美鶴はパチンと指を鳴らした。
……物質として安定していた大槍が粒子に解けていく。
純エーテルからつくるのも人の手なら、それを戻すのもまた意思のままに。
勢いだけを残して槍は消え、羽虫は最早見えないぐらい後方へ。
「――よし! 有理紗は! 大丈夫!?」
「隊長ォ! アイツそっち飛んでった!!」
「わかった! 一先ず私が拾っとくから! 竜乎と柚葉たちはこのまま走って!」
「了解です! 流崎さんも気張ってくださいッ!!」
「ぉ、ごがッ――、あがごがッ!? ぉおッ――――!?」
「大丈夫か……流崎……!」
〝大丈夫じゃねェ!!〟
思わず叫びたい悠だったが、この状態で口を開くと舌を噛みそうだった。
大人しくぐっと黙りこむ。
状況は依然として危機一髪、絶体絶命と言って良い。
とくにマトモな戦闘ができると約束されていない悠は致命的。
逃げの一手は正解ではないが、他に比べるとマシな策だ。
……先ほどの一瞬の攻防を脳裡でくり返す。
足を止めてきちんと視認していた有理紗ですら反応が遅れた超スピード。
骨肉を別け隔てなく切断する左手の鎌。
おまけに
……なるほど、どうして。
アレが人間を殺せたのか、異様に想像がつきやすい。
『だがよ、あんなのが化け物だと? 古い人類を滅ぼしただと? 美沙から聞いた話とはスケールがまるで違うぜ。少なくとも、アレ一匹どうにもできないほど二十一世紀の人間は貧弱だったのかよ?』
なにかが引っ掛かる、と悠は眉間にシワを寄せる。
たしかに強い。
アレは生身でヒトが戦っていいものじゃない。
それは見ていただけの悠にだって伝わってきた。
けれど人間の武器とは知恵と道具だ。
素手では勝ち目のない相手にも銃火器や毒をもってすれば殺してしまえる。
『……まあいい。そんなのは頭の良い奴に任しときゃ勝手に推理でもしてくれる。問題はいまだ。一発目といい
――ずきん、と鈍痛が頭に走る。
誰も声をあげていないのに、
〝…………うる、せえ……!〟
何かしらを訴える、天啓じみた無音の声。
人間の声帯では絶対に発せられないその音が、短く脳裏に響いていく。
「――――ッ、オ、イ!!」
「ッ、なんですか! 流崎さん!!」
「おまえッ、ユズハ……とか、言ったな!」
「ええ! そうですが!?」
「手ェ離せ! どうも、あっちが狙ってんのはッ、……俺らしい!」
「はッ!? いや、なおさらできるワケないじゃないですか!?」
「なんでだよッ!!」
「男の人って貴重なんですよ!? それを死なせたらとか――ッ、いやウチが死ぬのも怖いですけど! もっと怖いでしょう男の人見殺しにするなんて!?」
「――――――ッ、そう、かよ……ッ、ちくしょうッ……!」
……ああ、なんだろう。
とても正論なハズなのに。
普段の彼からすれば理解できるような事のハズなのに。
どうして。
――どうしてこんなにも、我慢できないモノがある?
「なんだよ! 流崎サン狙って来てるってェ!?」
「それは不味いな……! にんじんをぶら下げて走ってるようなものだぞ……!」
「――そう、だろぉが! だから、よぉ!!」
「見捨てろってェ!? そんなン面白くねェだろォ!?」
「同感だ! 流崎は大事な男だろう! それをみすみす渡すわけにはいかないな!」
「――――――この、お人好し、どもが……ッ」
ギリ、と奥歯を噛んで後方を睨む悠。
どいつもこいつも馬鹿げたコトを言う。
口も甘ければ心構えだって甘すぎるだろう。
たかだかひとり、このまま縛ったまま放り捨てれば、もしくは無事に逃げきれるかもしれないというのにだ。
……だいたいなんだ、男だからなんだ。
悠にはその優位性、優先度が
世界中集めても数が少ない、いまの時代における種の継続には必要不可欠。
クローンも人工授精も精子をつくる技術もすべて消えてなくなった。
復元させようにも多くの問題がある。
人手がない、知識がない、時間が、設備が、資源が。
だからこそ残った男は後の繁栄のためにも生きていかなくてはならない。
そんなのは当たり前だ。
現代における常識だ。
誰も彼もがそうだと言って主張する、根源的な人類種としての総意。
そうであれ、そうあるべき、と押しつけられる傲慢な願い。
それが、
「――――――――――ッ!!!!」
――――それが、彼には気にくわない。
これ以上ないほど、無性に腹が立ってしょうがない。
捻くれている。
でもなければとんでもない大馬鹿者だ。
……言わずもがな。
彼は、
『……ッ! 二度あるコトは、三度あるってなぁ……おい……ッ!!』
空を裂くような羽搏きの音。
木々の羽音が荒れ地に木霊する。
なにか、なんて今更確認しようもない。
美鶴に放られた遙か後方から、消えたはずの影がとてつもないスピードでやって来た。
「ちょッ、マジかァ!? もうあたしらに追いつきやがったぞォあの虫野郎ッ!!」
「流石に速いなッ……隊長は、どこにいる!」
「あっちですあっち! いま有理紗先輩抱えてコッチに……!」
「――――――ッ」
どうする、と悠は引き摺られながら考える。
万全に動けるのは自分を含めて四人。
うち、人並み以上の活躍が期待できるのは悠を除いて三人だ。
その三人ともが自分以外の荷物を背負っている状態である。
戦いに専念してなお攻撃を防ぐのがギリギリ、足止めなんて以ての外、この少人数で倒そうというのは最早論外と言っていい。
〝――――どうする〟
羽虫は凄まじい速度で迫っている。
接触まではあと十秒、いや九秒をきった。
時間が足りない、考えていてもキリがない。
分かるのは欠けてしまった要因だけ。
そう、今度は誰も悠を守れないというコト。
このままでは他の誰かがどうこうという前に、己自身の命が危うくなっている。
〝――――
判断は迅速に。
行動は無駄なく素早く。
ブレる視界のなかで悠は躊躇なく首輪から手を離し、両手を強く握り絞めた。
ぐっと立てられる人差し指。
正面を向けて突き付けられた手のカタチはピストルのように。
歯を食い縛って、全身から神秘をかき集める。
『――――――ハ』
バキン、と脳の血管が破裂したみたいな頭痛。
先ほどの不思議な感覚とは違う明確な痛みに視界が眩む。
構わない。
いまはどんな不調を背負おうとも、この一撃に意識を集中させる――
『――――、――――!』
不規則に途切れていく脈拍。
鼓動はすでにリズム感を失ってしまった。
血液の循環は正常かどうかなんてもう分からない。
――身体が壊れていく。
明確なイメージであればまだマシだ。
これは実際に彼の肉体を襲っている不調に他ならない。
それでも生きているのは全身を駆け巡る空色の神秘がある故に。
純エーテルによって壊され、純エーテルによって治った身体が悲鳴をあげている。
『――、――!! ――――、――――!!!!』
あまりの痛みに理性が溶けた。
悠の顔に浮かんだのはこれでもかというぐらいの笑みだ。
……ああ、それでいい。
その程度で薄れる意識が保てるなら、安すぎて幾らでも払ってしまえる。
「――――ハ」
羽虫の顔が見える。
飛行速度は衰えない。
右腕が千切れてもアレにはまだ左腕がある。
――3。
こちらとあちらの違いは継戦能力だ。
純エーテルによってある程度回復できるヒトとは違い、どうも羽虫は身体を治すコトができないらしい。
右腕は美鶴の槍に貫かれた状態そのまま。
なら気をつけるのは左腕の鎌だけだろう。
――2。
羽音が近付く。
腕が振り上げられる。
得物の範囲に入った。
もう逃げられない。
凶器が迫る。
――――1。
閃光が、弾けた。
「――――――ッ!!」
ガツン、とたしかな手応え。
収容所の壁をぶち抜いたときよりも高純度、高出力の純エーテル。
超活性化した状態で放たれた神秘の粒子は相応の破壊力を生む。
普通の木片ならば穴が開いて木っ端微塵。
空色の射撃は、羽虫の外皮をゴリゴリと削って――
『はァ!?』
――い、ない。
「なんッ――だ、そりゃ、あッ……!」
ごぷっ、と水気交じりの呼吸が起こる。
口の中に広がる今まで以上の鉄の味。
目と、耳と、鼻からも鮮血を垂れ流して。
――ああ、けれど。
削ることはできずとも、鎌ごとはじけたのは僥倖だった。
おかげで首の皮一枚、命は繋がってくれたらしい。
「ごッ、げぼっ、おぼぉ、おげぇええッ、ごばぁ――」
「わああああ流崎さーーーん!?」
「しっかりしろ流崎……ッ! だがよくやった! いまのは本気で危なかった!」
「悪ィ! あたしがしっかりしなくちゃなんねえってのによォ!!」
「ちょっとちょっとなんなの!? 男の子ってもしかして無茶が好きなのカナ!? 遠目からでもえげつない極太ビームだったケド!?」
「し、しにますぅ、しにますわぁ……きずぐちがじんじんしてますわあ……ぁふ……」
合流した美鶴と有理紗が各々口を挟む。
大怪我ではあるがなんとか生きているらしい。
もっとも戦闘が行えるかというのはまったく別の話。
いまだ美鶴の制服を濡らす出血を見る限り、復帰は絶望的といっていいだろう。
「しかし隊長ォ! あたしらこのまま走ってもキリがないぜ!」
「しょうがないでしょう出会っちゃったんだから! 真正面からぶつかりあってアレに勝てるようなら私たちも苦労しないからネ!?」
「せめて流崎をなんとかしないと……ッ、ここで死なせたら……!」
「――――だああああああもういい! 何回言うんだそんなコトぉ! 大体逃げてばっかりってのが気に喰わねえ!! 今からでもぶちのめすッ!!」
「無茶言わないでくださいよ!? というか流崎さん喋れるんですか!?」
「慣れたァ!!」
「慣れたんですか!?」
「ぃ……ぁ……ぃたぃ……いたい、ですわよ……ふぁふ……」
荒野を爆走する三人と抱えられるふたり、引き摺られるひとつの影。
命懸けの鬼ごっこはまだまだ終わる気配がない。
本部が気付いた以上ほかの部隊も動いているだろうが、もともとの出現ポイントからここまでだと距離がある。
もうしばらくは堪えないと援軍は望むべくもなかった。
「――――ッ、ああッ! しつけえぞてめえッ!!」
都合三度目の羽音が耳朶を震わせる。
先の一撃で羽虫が傷付いたような様子はない。
建物なら崩してしまえる悠の攻撃は、かすり傷ひとつ付けないまま
……認識を間違えていた。
アレを一匹。
たったの一匹どうにかできない、という事実がいまさら重くのしかかる。
なにせはじめから分かっていたコト。
目の前に迫るのは人類の天敵。
数多の兵器・反撃を受けてなお、大量の殺人を犯した災害のごとき生命体。
異形の怪物、そのひとつ――――〝羽虫〟。
ああ、今度こそ。
その脅威が、悠たちへと牙を剥く――
――縺?縺九i。
――縺ゅ≠、縺?縺九i、譌ゥ縺。
――譌ゥ縺乗擂縺ヲ。
――蜉ゥ縺代※、繝上Ν繧ォ縺上s――
これでもチュートリアル