生きていて思い悩むこと。
胸につっかえていて苦しいこと。
いつまでも存在していた心の異物。
受け入れがたい己の歪み。
それがいまは、どうでもいいぐらいにかき消えている。
「――――――」
「はははッ! なんだ、なんだよてめえ! 本気でどうかしてるぞ!!」
頭はおかしなぐらいスッキリしていた。
靄がかっていた思考のノイズがすっかり晴れている。
おかげでなにをするにも時間がかからない。
火の鳥の肉体は葵そのものだ。
兆角醒さえ操るのなら、その身体能力だって殆どコピーしているようなもの。
まともに打ち合っては妃和が勝てる道理はないだろう。
――――それが本当に葵の技能で、彼女がまともだと定義した場合は。
「なァ、おい。見えてねえのか……!」
「…………、」
「腕がッ、千切れてんぞッ! 片っ方しかねぇ腕がよォ! それでどう剣を振るって――」
問答無用で蒼炎の鉄潔角装を返しながら刃を走らせる。
千切れている、というのは些か過剰表現だった。
せいぜい肉が裂けてぶらつく程度。
骨は露出ていないし動かそうと思えば動く。
身体機能として死んだとしても、純エーテルを回せば無理やり動かすことだって可能。
――そう、いまの妃和の素質はほぼ悠と同程度の域に有る。
無理やり上げられたモノではあるが、事ここに至っては有り難い祝福だ。
「正気じゃねぇな!! やっぱぶっ壊れてんだろ!!」
剣を交えながら神経を集中させる。
ただひたすらに葵の身体を視界へおさめる。
細かな差異、普段から見ていたからこそ分かるおかしな部分。
――――片方の目の色が違う。
悠の瞳だ。
強引に入れ替えているのだろう。
わずかばかりの炎を漏らしながら、忙しなく動く黒瞳の眼球。
なら、彼女たちが求めている一番大事な奪還対象は。
「…………そうか、そこか」
「あん?」
「いや、分かりやすくていいものだなと」
「んだよそりゃァ。おまえ、家族に情とかねえの? 別にいいけどよォ」
「おまえは家族じゃないだろう」
「この身体はてめえの親のモンじゃなかったかァ?」
「いまはそれより優先しなきゃならないコトがある」
赤火を薙ぐように放出する。
距離を取った怪物はわずかばかり後方へ。
妃和は得物を構え直しながらゆっくりと息を吐いた。
……肉体の損傷と兆角醒による影響。
それらを踏まえてどこまでなら使えるかを考える。
もとより人体は消耗品だ。
いずれ擦り切れて壊れる結末を早めているだけに過ぎない。
そう考えれば無理も無茶も安いもの。
目の前の怪物を相手するのに差し出して構わないものだ。
「――――なるほどねェ。こりゃあやべえ。がしかしちょうどいい。そんぐらいじゃなきゃこんな莫迦げた時代、生き残れねえよなァ」
スッと、火の鳥の手が虚空を掴むようあげられる。
「上出来だ。そろそろこっちからも行くぜ?」
〝 〟
言葉が発されるのと、妃和の視界がブレるのは同時だった。
二十メートルはあった距離が一瞬で縮んだ。
目で追えない。
なにが起きたのか理解する前に衝撃が飛んでくる。
――――めしゃり、と。
腹を中心にくの字へ折れ曲がっていく身体。
偶然下を向いた視界でようやく気付いた。
……立っている場所が違う。
怪物が跳び退いた場所から数メートル先。
向こうが動いたのは間違いないが、同時にこちらもその気が無いのに動いている。
つまり、
〝――――引っ張られた、のか――――〟
蹴り抜かれて吹き飛ぶ身体。
千切れるように掠れていく意識。
ブチブチと鳴る嫌な音は己の腹部からだ。
背骨はボッキリ逝っている。
内臓も何個か潰れてしまって感覚がない。
――――呼吸が、うまくできない。
「ッ――――――――」
「ハハハハハハハッ!! いいね! 即死しないか! 流石はユニの加護だ! そんじょそこらと耐久力も違ってくるか! だったらッ」
「えッ!? ちょ、なになに!?」
「めっちゃ吸い込まれ――吸い――ちがッ、引かれてる!?」
「総司令の能力だッ! あの野郎が使ってんのか!?」
「おおおおおお!? こ、これヤバいっスね! かなりピンチッス!」
「一先ず揃って嬲る!! 不公平はいけねえだろォ!?」
「よ、余計なお世話――――!?」
蒼炎を中心に展開される強大な引力。
抵抗は不可能に近い。
葵と違って制限を外した能力は劣化しても脅威的だ。
地に足をつけられていたのはたった数秒。
そこからは身体が真っ直ぐに敵の元ヘ向かっていく。
「けれどッ」
揃って鉄潔角装が引き抜かれる。
刃の切っ先を向ける方向は誰もが等しく。
引き寄せられるのならそれを逆手に取れば良い。
周囲一帯に引き下がっていた全員からの突貫だ。
このままいけば、向こうに回避の手段は無く――
「――――――はッ」
ぐにゃり、と三日月みたいに口が歪んだ。
その容姿からは普通考えられない表情。
――――直後、葵の身体が無数の火炎となって弾け飛ぶ。
〝あ――〟
標的はかき消えた。
目の前に攻撃するべき対象はいない。
引きつける力はまだ残っているようだ。
鮮血が散る。
それぞれが誰かの刃に刺し貫かれていく。
妃和の炎を纏っていたのが本当に幸いした。
生命力を灯すお陰で、傷を負っても重傷にまでは陥らない。
……十分、血反吐をまき散らすぐらいな怪我ではあるが。
「ご、ほッ……!?」
「なんッ、あァ……! あんの、化け物ォ……!」
「うちらのッ、総司令の顔で……なんていう……!」
「まずいッス……! やばいッスよ……! これ、手も足もでなッ……!」
「――――――――ッ」
上空で集まった蒼炎が再度人型をつくる。
熱量に変化はない。
大幅に力を使って削がれるなんて概念は向こうにない。
エネルギーに関していえば悠の兆角醒がある時点で論外だ。
スタミナ切れなんて狙おうにもどうすれば切れるのか、といったところ。
「――――次はてめえだな? 此処つくってんのはおまえだろ」
「……喋る怪物というのは初めてだな。興味深いが、ああ、貴様、ちょっと悪趣味が過ぎないか? 私でも引くぐらいなものだが」
「化け物相手になに言ってんだよ。趣味悪くて当然だろぉが。てめえら殺す装置だぞ?」
「それもそうだなッ」
生み出される水流の槍。
相手に効くのはすでに実証済み。
真樹の兆角醒は未だに無事稼働している。
その操作が崩れるコトはない。
故に、攻撃としての威力は十分残っていて、
「足りねえよッ!!」
「ぐッ――――!!」
顔を掴まれて地面に押しつけられる。
身体中の純エーテルが焼かれていく感覚と、実際の皮膚が爛れる感触。
現実も幻想も燃やす交ざり合った火炎。
「――――いまの間に全部落としたのか! 凄いなッ、流石に!!」
「んだよ褒めんなてめえ! ちょっと楽しくなっちまうだろ!?」
「そうか!! ではもう少し楽しませてみせようか!!」
「あァ!?」
――――直下から水流が噴出する。
真樹の身体だけを見事に避けて飛来する水刃。
こればっかりは避けきれない。
蒼炎が傷口からこぼれていく。
「やるなァオイ!! 褒美だボケェッ!!」
「ごッ――――!!」
ボールのように蹴り抜かれて吹き飛ぶ真樹。
この場に於いて絶対的なのはただひとつ。
燃え盛る蒼い火だけがただ揺らめいていく。