純潔の星   作:4kibou

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1/『その男、獰猛につき』⑥

 

 

 

 それはゴールの見えないマラソンで、

 果てしない距離を走る持久走で、

 おまけに、一定の速度を出し続けなければいけない拷問だった。

 

 終わる未来がまったく見えない。

 けれど同時に終わってしまう結末は何度でも体感してしまう。

 

 ……そう、いつかは。

 

 いつかは追いつかれて、あの怪物の食い物になるのだと――

 

「ふざけてんじゃ、ねぇぞ……!」

 

 後方を見遣る悠の視界には相も変わらず敵の姿がある。

 右腕を粉砕された木製の羽虫。

 純白の翼を広げて迫り来る脅威は、たかだか腕を落とされた程度で片付かない。

 

「――妃和ィ! もうそろそろ自分で走れそうかァ!?」

「ッ、ああ! なんとか!」

「頼むぜマジで! あたしもてめえも大事な戦力なんだからよォ!!」

「わかってる……! せーので下ろしてくれ! いくぞ、せー」

「のォ!!」

「まッ、速――――!?」

 

 と、急な動きに体勢を崩しかけた妃和の手を悠が掴んだ。

 

「しっかりしろヒヨリぃ!! あァ!? ヒヨリで良かったよな名前!?」

「あ、ああ! 大丈夫だ! ぜんぜん!!」

「顔が赤ぇが!?」

「すまない! 咄嗟のコトで気が動転している! なんだか胸が高鳴ってるんだが!」

「それはしらねえ!」

「そうか!」

 

 竜乎の背中から降りて走りだす妃和。

 傷はまだ完全に癒えないものの、どうにか運動に支障はないレベルまで回復した。

 万全の状態とは言えないが、これでなんとか二人は手が空く。

 

 ……その際にあったアレコレはとりあえず緊急事態につき置いておくとして。

 

「ともかくだ! あたしと妃和でアレを――」

 

 対処する、と言いかけて竜乎はふと背後に視線を向けた。

 

「――――あ?」

 

 ぐるぐる回っている頭と足が急に空回り出す。

 ぽかんと穴が開いたような思考の白紙。

 

 影も形もない。

 

 先ほどまで空を切って飛んでいた羽虫の姿が、綺麗さっぱり後方から消えている。

 

 〝イヤ、待て〟

 

 そんなことはない、そんなハズがない。

 逃げきったか、もしくは振り切った。

 そんな都合の良いコトがあるだろうか。

 

 ――――ありえない。

 

 この非常時、こんな危機的状況でそんな甘い未来が見られるのはよほど頭がお花畑だ。

 砂糖かなにかでも詰め込んでいなければ出てこない幸せな夢。

 

『……羽音。そうだ、消えてねェよな、飛んでる音ッ! ってことはよォ――!』

 

 聴覚に従って反射的に空を見上げる。

 

 薄汚れて黄ばんだ景色。

 太陽も翳って雲も汚れて、あまりにも醜いその中に。

 

 ――ひとつ、不自然に漂う影を視認した。

 

「ヤベえぞ〝上〟だァッ!!」

「はぇ!? うそまじぃ!? いや、そ――――」

 

 首をまわした美鶴の声が、息を呑むように途切れる。

 

 目に映ったのはこれ以上ないほど分かりやすい姿の変化だ。

 追いついても意味がないとアレらなりに学習したのだろう。

 

 二枚だった翼は四枚へ。

 

 さらに飛行速度をあげて、羽虫は地上の獲物へと狙いを定めた。

 

――散開ッ!! 全員飛び散って! ハリー! まずい! あれマズイ!」

「無理だ隊長ッ! 間に合わない!!」

「いいから動け妃和ィ! どのみち近くだとモロに巻き込まれるぞォ!!」

「流崎さんちょっと強く引っ張りますね!? いいですね!?」

「オウ来いやぁぼごがッ、がァ――――!?」

「いたい……いたいですわ……もうむりですわ……」

 

 風の起こりは刹那の間に。

 薄い大気を四本の(つめ)でかき分けて、羽虫は空中で加速した。

 滑るように、流れるように。

 

 ――枯れ木色の星が、白い尾を引いて墜ちてくる。

 

「――――――――!!」

 

 それは落雷のような衝撃だった。

 あるいは本当に隕石が墜ちてきたみたいな。

 

 水飛沫のごとく巻き上がる砂煙。

 その下の硬い岩盤まで届かせて土砂が跳ねる。

 

 形成されたクレーターの大きさは目視でも直径百メートルはくだらない。

 

 現実離れした光景に視覚情報が脳の処理能力を凌駕した。

 光には及ばないでも優に音を置き去りにできる速さ。

 

 上空いくらという高さから放たれた人間大の弾丸は当然のように地形を歪めていく。

 

「――――――――」

 

 荒れ地にできた砂の窪み。

 深さは中心でも十五メートルほど。

 

 外に広がる斜面はなだらかで、そこまで急でもない様子だ。

 逃れようと思えば、決して上れない高さではない。

 

 問題があるとすれば、その蟻地獄を形成したのがあの化け物であるというコト。

 

 煙が晴れる。

 クレーターのど真ん中、一番深い最奥にゆらりと蠢く姿を視た。

 

 ――ああ、なんて、勝ち誇った――

 

「――――全員、生きてる……!?」

「流崎さん大丈夫ですか!?」

「心配すんな! 平気だこのぐらい!」

「げほっ、えほっ! クソッ……! なんだァこれ……!?」

「……どうも、向こうの狙い通りらしいな……!」

「うん! よし! とりあえず確に――有理紗? 待って有理紗は!?」

 

 立ち上がって周囲を見渡す美鶴。

 先ほどの衝撃で彼女たちの位置は盛大に離れている。

 

 己から見て北西側に妃和、そこから数メートルほど離れて竜乎。

 いっぽうの悠と柚葉はその反対だ。

 全員で綺麗に三角形を描く形である。

 

 ……そう、何処を探しても、最後のひとりが見当たらない。

 

「オイオイざけんなよあのエセお嬢様ッ!! 生きとかねえと承知しねえ!!」

「外に飛ばされていればいいが……ッ、最悪、ここの下敷きになっている可能性も」

「ちょッ、怖いコト言わないでください妃和先輩ィ!」

「ヒトの心配も結構だがそれどころじゃねえ! このままだとッ」

 

 言うが早いか、中央に佇む羽虫の鎌が揺れる。

 

 ……そう、逃げられないワケではない。

 

 全力で走れば、あるいは協力すれば、なんらかの手法や道具を使えば。

 もしかしたらと頭につくが、このクレーターから生きて脱出するコト自体は可能だ。

 千尋の谷に落とされたのでもあるまいし、物理的に無理な話ではない。

 

 だが、実際はどうだろう。

 

 この蟻地獄を支配するのは四枚羽の怪物。

 走って逃げようにも追いつかれるのは難なく想像できた。

 容易に背中を見せれば刺されるのは道理である。

 

 つまるところ、そこに残っていた全員が落ちてしまっている現状は。

 

「ッ!!」

 

 はじけ飛ぶ荒野の瓦礫。

 今度は残像さえ見えない。

 

 直視できる光景はさながら線のように。

 四枚の翼を余すことなく使い切って、羽虫が最速のままに接近する。

 

『――――なろぉ……!』

 

 秒速十万キロにおよぶ神速。

 

 見てから反応したのでは遅すぎる急襲は、認識した時点で終わっているに等しい。

 必死で腰をあげる悠の動きですら(おそ)すぎた。

 

 鎌が擡げられる。

 それを、

 

「ごォアッ――――!?」

 

 強引に引き寄せられた首輪の締め付けが、すんでの所で回避を成立させる。

 

 ぐるんぐるんと回りはじめる視界。

 頭が千切れるのではというほどの衝撃が思考を真っ白に染め上げた。

 

 咄嗟の判断は彼だけのものではない。

 リードを引っ張っていた柚葉の気転だ。

 

 べしゃあ、と若干のデジャビュを感じつつ悠は顔から地面にダイブする。

 

「ッ、悪ぃ! 手間取らせ――」

 

 た、と続く言葉が虚空に消える。

 振り向きながら開いた口は塞がらない。

 目を見開いた影響で、思わず瞳孔がぐわんと揺れた。

 

 一瞬、ほんのたった一秒間。

 

 毒でも飲んだみたいに、舌が痺れてしまって。

 

「――――――ぁ」

 

 吐息のように洩れた高い声。

 土気色になりかけた少女の顔。

 

 その左手には悠の首輪につながったリードが握られている。

 彼女(ゆずは)が引いたのは間違いない、正真正銘命を救われた。

 

 ――どこかから血が降っている。

 

 くるくると回る風車みたいに。

 不格好に飛ぶブーメランみたいに。

 

 黒い制服の裾ごと切り落とされた柚葉の右腕が、宙を舞ってぼとりと落ちる。

 

「――――――――…………」

 

 そのすぐ傍には、鎌を赤黒い液体で濡らした羽虫の姿が。

 

「ッ」

 

 反応は速かった。

 巻き付いた鎖も手錠もそのままに悠の身体が跳ねる。

 

 先ほどまでの牽引で現状の感覚は嫌というほど掴んだ。

 この重量では持続的なスピードを出せない。

 

 だからこその跳躍。

 今度は足元、踵から爪先にかけて空色の粒子を集中させる。

 

「――――んのボケェ!!」

 

 ガン、と羽虫の頭部が揺れた。

 

 勢いを乗せた渾身の回し蹴り。

 手応えは申し分ない。

 

 それは後退をさせずとも、コンマ五秒の隙を生む。

 

 

 

 

 

 

「――――は?」

 

 

 けれども。

 

 不思議とソレを蹴り上げた瞬間、悠は妙に軽い感触に襲われた。

 

 あまりにも前後関係がなくて整理が追いつかない。

 鎖は雁字搦めのままで、首輪はぎゅうぎゅう締めつけて、おまけに鉄枷もついたままだ。

 

 だというのに、感じているのはただ軽さだけ。

 

 ――ぼたぼたと、砂の大地を濡らす雫の音。

 

「なんッ――――」

 

 そこでようやく気付いた。

 先ほどまでついていた両足が、膝の下から綺麗さっぱりなくなっているのを。

 

「――――、ぁ、あぁ――あ―!

 

 一気に血の気が引いていく。

 

 足がない。

 走れない。

 つまるところが踏ん張れない。

 

 一体自分はいまどうやって跳んだのか。

 いや、跳ぶまではたしかにあったのに。

 

 ちゃんとこの両足の先に、付いていたハズなのに――

 

「流崎ッ!!」

「妃和ィ待てッ!」

 

 ぐるんと回転する枯れ木色の上半身。

 

 妃和と竜乎たちから羽虫までの距離は数値にして二十メートルそこそこ。

 左手の鎌は射程範囲外だ。

 

 ――キリキリと破損した右腕が持ち上げられる。

 

退()けェ! ぶちかますッ!!」

 

 竜乎が妃和より一歩前へ踏みだした瞬間、無数の枝が羽虫から伸びた。

 

 脆く崩れた腕はその先端に何十という棘を蓄えている。

 たとえ肩口までしかないとしても問題はない。

 

「お――――ぉおおぉおおッ!!」

 

 が、それにしたって所詮は一度破られた技。

 いくら怪物といえどそんな真似は彼女たちを嘗めきっている。

 

 故にその慢心ごと打ち砕くように。

 

 竜乎の手に現れた巨槌は、細い腕たちの進行を容易く防いだ。

 

「――――――はッ」

 

 鼻で笑いながら、竜乎はバラバラと折れて転がる木片の先へ目をこらす。

 

 注意を引きつけたのなら御の字。

 もしこちらに来るようであれば――対処のしようがないという点を除いて――期待以上の働き。

 

 果たしてどうか、と彼女はぐっと腰を落として、

 

「竜乎ッ!!」

 

 ――ふと。

 

 なぜか、遠く、

 

 妃和が名前を呼ぶ声を、他人事のように聞いていた。

 

 不格好に崩れていく身体。

 おかしなコトに中身がこぼれている。

 

 八割方、ぱっくりと脇腹を切断されて。

 

 ――――血液交じりの臓物が、触れてはいけない外気に――――

 

ァッ……!?

「竜乎! しっかり――」

 

 〝ヒトの心配も結構だがそれどころじゃねえ!〟

 

 駆け寄ろうとした妃和の足が止まる。

 咄嗟の判断から身体を止めたのは脳裏によぎった悠の言葉だ。

 

 なにかがあったと言えばあったに違いない。

 認識の外側から急に来たみたいに、突然倒れ臥した竜乎の姿。

 

 その意味を彼女は瞬時に察知した。

 

「ま……ッ、ぐ――――!?」

 

 直感的に鉄潔角装(えもの)を構えて歯を食い縛る。

 

 防御が成立したのはホントに偶然だった。

 交差するよう彼女の手に握られた双剣。

 

 受け止めた一撃はとてつもない重さと速さの代物だ。

 直撃は防いだのに妃和の首、薄皮一枚を切られている。

 

『なんッ――――なん、だ……!』

 

 羽の増加は見た目以上に大きな変化を伴った。

 二枚から四枚になっただけでもはや手も足もでない。

 

 戦闘部隊と言えど人間は人間、純エーテルの恩恵にも限度がある。

 

 目視が絶望的だというのに音すら頼りにならない超高速。

 許容範囲で言えばすでにオーバーだ。

 

「!!」

 

 羽虫が消える。

 重みがなくなる。

 

 ふらりと揺れた体を強引に立ち上がらせて、()()()()()()()()()()()()()

 

「――――? ぅ、あ…………

 

 百舌の速贄みたいに空中へ持ち上げられる妃和の肢体。

 背後から胸を貫いた枯れ木色の鎌は自分からでも見下ろせる位置にある。

 

 今更になって肉体がその事実を認識したらしい。

 

 急に覚えた息苦しさと、口の端から流れていく赤い液体。

 ごぶっ、と咳じみた吐血が断続的にくり返されていく。

 

「ぁ、ぅ……ッ、――――――」

 

 ぶん、と妃和の身体が無造作に放り投げられる。

 

 おかげで意識がぐらぐらと揺れはじめた。

 気絶する一歩手前のぼんやりした思考回路。

 

 それを、なんとか気力で凌ぐのが彼女にできる最大限だった。

 

「がッ――ぁ、……あ、ぁ……ッ」

 

 頭痛と、吐き気と、それ以上の激痛に苛まれて喘ぐ。

 幸いかどうか、投げ飛ばされたおかげで悠に近い。

 

 〝……ッ、なんとかして、流崎、だけでも〟

 

 そう思ってしまうのは、果たしてどういう心理か。

 

 なんだかよく分からないし、いまは分からなくてもいいだろう。

 なによりどうでもいいコトではあるのだし。

 

 ……それに、きっともう分かる事でもない。

 

「りゅ、う……ざ、き」

 

 返事はない。

 彼は両足を失った痛みに悶え、そのまま――

 

「――――ああッ、もう! こい、つ――――!!」

「ぁ…………」

 

 切羽詰まった美鶴の声に正気が戻った。

 ぺたぺたと手足を動かしてどうにか立ち上がろうとしてみせる。

 

 苦しい、辛い、今にも死んでしまいそうだ。

 

 〝――けれども、彼女(わたし)巴妃和(わたし)だから〟

 

 だから、やることは決まっていて。

 

「このッ、ああもう、――――ッ、虫ぃ野郎ぉ……!」

 

 妃和を含めた全員が何秒と保たなかった。

 辛うじて打ち合っている美鶴の実力は紛れもなく隊長(トップ)クラスだ。

 

 それでも次第に傷は増えていく。

 

 切り裂かれる制服。

 わずかながら飛び散っていく血液と肉片。

 

 体勢を崩したところへ容赦なく鎌が振り下ろされた。

 

 ――左脚が、根元から切り落とされる。

 

「――――――――――ッ!!」

 

 鮮血に塗れて崩れ落ちる最後の人影。

 

 これで全員。

 

 無傷な者も戦う体力が残っている猛者もすべて潰えた。

 余すところなくマトモな力を失った彼女たちには、もうどうすることもできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そう、()()()()には。

 

 

 

 

「…………ぇ」

 

 

 

 

 荒々しい吐息、水が沸騰するような音。

 洩れ出た声は異様なまでに低く、聞くものを圧倒する響きを孕んでいる。

 

 手は縛られ、身体には鎖が巻かれ、進み立ち上がるための両足ですら失った。

 

 その心に抵抗の意思は浮かばない。

 

 

「…………じゃ、ねぇ…………」

 

 

「りゅ……う……ざ、き……?」

 

 だというのに、少年(カレ)はどうか。

 

 ギラギラと燃えるような目付き。

 こんな機会は滅多にないとばかりに湧き上がる反発衝動。

 

 勝ち目がない、逃げるのが正解、挑んでも負けるだけ。

 

「…………んじゃ、ねえ…………!」

 

 だからどうした。

 

 そんなのは一体いつどこで誰が決めた。

 

 ――いいや、誰も。

 

 そう、誰もなにも、彼を抑えつけるコトなんてできはしない。

 正真正銘、(カレ)自身にですらそれは不可能だ。

 

 

 

「てめえぇええぇええ!! 調子ィくれてんじゃあねぇえええええええ!!!!」

 

 

 

 理性は不要だ。

 本能は上辺だけだ。

 

 必要なのはその感情。

 燃料になるのはその心。

 

 だからこそ、悠にとってコレは至極真っ当な道理に他ならない。

 

 それは荒れ地に響く咆哮と共に。

 

 溢れだした純エーテルの行方を、彼だけが掴むように知っていた。

 

 

 

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