「――――は、るか……?」
後ろからかけられた声にピタリと足が止まる。
見れば辛うじて立ち上がった妃和が、困惑するように彼を見ていた。
身体の具合はまだまだ酷い。
能力の負荷と怪我で体重を支えるのでさえ精一杯だ。
その証拠に足が震えている。
「おう」
「どこへ、行く気だ……?」
「……なんだ、アイツが見えねえのか。ならもうちょっと待ってな。すぐ終わるからよ」
「……っ、そうじゃ、なくて――」
震動する大地。
目を凝らせば遠く先に人型の竜巻が見えた。
夜なのに景色は鮮明だ。
火の鳥が灯した輝きとは違う光源。
すでに怪物が死んだいま、世界を覆っているのはまた別の輝きになる。
そう、それは。
――――流崎悠から溢れだした、高濃度の純エーテル。
「アレを、ひとりで相手にする気か……!?」
「当然だろ。もうマトモに戦えるのは此処に俺だけだ」
「休憩も挟まず、二体連続になるんだぞ……!!」
「心配すんな。一体だろうが二体だろうがぶち負かしてくらぁ」
「無茶だッ!! そんなの、
「――――おうとも。ありがとうな、妃和」
不意打ちじみた笑顔だった。
彼女は気付かない。
その真意に触れることすら叶わない。
悠にとっては願ってもない言葉。
極限の神秘がその
「な、にを……言ってるんだ……?」
「勝てるワケがないなら、勝つしかないな。ああそうだ。俺は捻くれてるからなぁ。どうにもそういうコトになるらしい」
「――――ッ、ワケが、分からん! とにかく、待て! 私も!! 私も一緒に――」
「そりゃあ、ダメだろ」
拒絶の言葉はとても優しい声音で囁かれる。
静かな空間にはそれがよく響いた。
音を伝って、鼓膜を震わせて。
心までしっかりと。
どこか呆れたような彼の表情まで含めて、ぐさりと突き刺さったような気分。
「何度も言わせんな。待っててくれ。俺、妃和に死んでほしくねえんだよ」
「わ、私なら大丈夫だ! もう、ほら! 立つコトだってできる!! 兆角醒はまだまだ使えるぞ! 私の炎を見ただろう!! 怪物相手には覿面なんだ! だから、私だって!」
「それこそ無茶だろうが。諸刃の剣だろ。使い所は考えねえとな。大事にしろよ。妃和のモンは妃和のコトだぜ? 俺が言えた義理でもねえけどよ……」
「でも、だって、悠っ」
「いいから。ああ、いいさ。いいって。いいんだ。妃和。そんなに、ならなくてもよ」
「――――――ッ」
……冷静にならなくても。
よく考えなくても分かる。
視界を埋め尽くす空色の光。
昼間のように明るい夜景。
怪物が死んでもその風景は変わらなかった。
簡単だ。
それを肩代わりできるぐらい、悠から洩れ出る純エーテルが増えている。
力として撒き散らしているのではない。
いまの彼はただ息をするだけで、
ただそこに立っているだけで無尽蔵の神秘を吐き出している。
そのすべてが活性化して輝いているのだ。
数十キロ先までの大気を覆い尽くして、闇を祓ってしまうぐらいに。
そんなコトは本来ありえない。
才能や素質以前にヒトとしての限界を超えている。
限界を超えれば
なのに耐えているのは――――
「――――――――」
――――……いいや、すでに。
耐えられない領域に入ってしまっているのか。
「そんな顔するなよ。今生の別れってワケでもないだろ?」
「…………ほんとう、か……?」
「もちろん。きっとな。いいやおそらく絶対に。……妃和しかいねえと思うぜ、俺は」
「なに、が……私、しか……?」
「そりゃあな……ま、細かい話はいまはいいや」
少年の背中に翼が生える。
神秘の粒子で出来た
大怪獣が羽でも広げたのか、と思うような巨大さだった。
視界の端から端まで、その空色が埋め尽くしている。
横幅だけでも十キロ以上。
きっと、小さな島ぐらいなら簡単に覆ってしまえるだろう。
……格が違った。
存在規模も、出力も、なにもかも。
今までとは違いすぎて、戸惑うことしかできない。
彼は彼だ。
流崎悠だ。
そこは変わらない。
そこだけは変わらない。
そこ
――――彼我の距離は、どこまでも遠く感じた。
「それじゃあな。また会おうぜ妃和。遠くないうちに」
「はる、か――っ」
「だから、そんな顔すんなって。俺の勘はよく当たるんだ。きっと大丈夫だろうよ」
暴風が頬を撫でる。
次に瞼を開いたとき、すでに悠の姿は無かった。
……代わりに。
海岸線のほうを向いて飛んでいく空色の影がひとつ。
結局まともに見送れもしなかった。
ろくな言葉もかけてあげられなかった。
胸を占めるのは嫌な予感とそれをより強くする不安だけ。
さしもの彼女でもいまの彼を見れば一目で分かる。
いつもは強く鮮やかに映るはずのシルエットがいまは弱い。
儚くて、脆くて、すぐにでも消えそうだった。
だから。
もしもそうなら、どうにかしなくてはならないと。
妃和は直感的にそう思ってしまって。
「――――――ッ」
膝をついて歯を食い縛る。
握りしめた手は固く結ばれて胸の前にあった。
祈るように彼女は想う。
嗚呼、どうか、誰か、どこかに居るのなら。
ただ彼に、無事でいてほしいと。
強く、深く。
ひとりの人間として、誰でもない誰かのモノとして願う。
それが結果を左右したのかどうかは分からない。
彼女にとっては知る由もないし、彼にとってもどうでもいいコトだ。
けれども、ひとつだけ確かな事実は。
彼はいついかなる時だって、人の願いを背負って裏切る星の反逆者だ。
◇◆◇
どちらが上かというのは最初から分かりきっていた。
根本的に宿っている力の質が違いすぎる。
とてもじゃないが比べるのだって莫迦らしい。
――――本来なら、それは脅威だったのだろう。
火の鳥の出現に呼応するよう、日本近海に現れた嵐の巨人。
立て続けに本土を襲った怪物の侵攻は紛れもない窮地だ。
楽観視なんてできない絶望的な状況。
――――本来なら、それは多くの犠牲者を出したのだろう。
人の天敵と呼ばれているのは伊達ではない。
大自然の力を殺すために振りかざされる、なんてされてはいまの人類に対抗手段なんてほぼないのだ。
頼みの綱の
史上類を見ない大虐殺が起こっていたのは想像に難くない。
なにせ相手は人型の嵐。
竜巻、台風、旋風――なんであれ風害は原初からある災厄だ。
そんなものが形を持って人を殺しにくるのだから当然被害は増える。
でも、そうはならなかった。
相手が悪かった。
タイミングが致命的だった。
ちょうど彼が手の付けられなくなったところで、怪物の残骸は衝動のみで稼働した。
他と違って核となる
どうしようも、ないコトに。
『――――――――――』
「……ほんと、センスがねえよな。前の俺は。どうしたって結仁なんかを好きになっていたのかね」
ぽつりと独りごちる。
意味のない呟き。
目の前の相手にも、遠く離れた彼女にも届かない愚痴だ。
「――おまえもそう思うだろ、
呼び名はするりと口から出てきた。
記憶と記録が混濁している証拠だろう。
神秘が内側で溢れすぎて、ヒトの身体で保つ意識にも限界が来ている。
『――――――、――――――』
「……ああ、ダメだな。聞こえねえ。もう行っちまったのか。残念だ。おまえはとことん優しかったよな、千十瀬。だから、ちょっとは話すのもアリだと思ったが」
――消えているのなら、わざわざ時間を潰す義理もない。
「あばよ。もう伝わらねえだろうが、そんぐらいの言葉はかけてやらァ」