「そう、簡単にィ――済んで、たまるかよォ」
「――――――」
ぎちぎちと、闇が裂けていく。
空間がこじ開けられる。
抵抗の手段なんてなかった。
完全に
なのに、どうして、よもや、これは――――
「ハルカ……」
「まだだ、まだァ……まだ、終わっちゃ、いねぇぞ……てめえ……!!」
鈍色に染まった指先と爪。
刃で編まれたように破れた皮膚。
辛うじてヒトガタを保った身体は、しかしもう手遅れだ。
彼に挽回の策はない。
この場において結仁を引き摺り下ろすコトは不可能である。
どう足掻いても、どんな手を使っても。
ただその圧倒的な力量差を前に、蹂躙されるだけ。
「やっぱり、そうだ……! ああッ、分かっちゃ、いたがなァ……!! てめえッ! てめえはッ!! そうだッ!! てめえは俺のッ、敵だァッ!!」
夜空が割れた。
空間の裂け目から空色の光が覗く。
「――――紺埜、結仁ィ!!!!」
神秘を纏う異形の影。
見送ったはずの彼がその場に舞い戻る。
限界寸前のところで聖剣化に抗ったのはその怒り故か。
流崎悠という存在を甘く見てはいけない。
この領域に手をかけた時点でその規模は人のモノを越えている。
「――――嗚呼。ハルカ、おまえはどこまでも――――」
「タダじゃ済まねえ! タダでは終わんねえ!! そのためなら、多少の無茶も無謀も無理も存分にやってやらァ!!」
――――それはさながら名前の如く。
射出された光は一直線に。
夜の闇を切り裂いて、流星みたいに空を奔った。
彼の手に得物はない。
空色の粒子は勢いだけを増して虚空へ消え去る。
当然だ、どちらにもすでに用はなかった。
握りしめた拳は硬く。
食い縛った歯は折れんばかりに。
見つめる相手は真っ直ぐ真正面。
ただひたすらに。
ただそれだけのために。
――――拳を、振り抜く。
「ごッ!?」
綺麗な顔だった。
整った容姿だった。
美人のものだ。
殴るなんて以ての外。
そもそも美醜に関係なく女性に顔はアウトもアウトだろう。
以前のとき、
――関係ない。
どうでもいい。
男も女も一切合切判断には含まれなかった。
なにせいま、目の前にいるのは人でなしだ。
顔面を殴るのに、心はひとつも痛まない。
「約束ッ、したんでなァ!! あいつらの分までって!! だからこれはまず、俺の分だッ!! でもってェ!!」
「が――――ッ!?」
容赦なく撃ち抜かれる頬骨。
掬い上げるようにして砕かれる顎。
一発一発、常軌を逸した威力で拳は放たれる。
その頭蓋すら、陥没させるほどに。
「ひとつじゃ、終わらせねえぞッ!! てめえ結仁ッ!! 俺はッ!! 俺はァ!!」
「――――――――ッ」
思い返す。
強引に記録を漁る。
樹木の天使。/枯木美智留。
蒼火の雌鳥。/夏鳥慧深。
嵐の巨人。/
空の海月。/
氷の十字架。/
どれも、彼の記録に存在する少女たちだ。
なんの変哲もない、
探せばどこにでもいそうな、特別性のない、
けれども、そこにしか居なかったひとつの命。
代わりの効かないただひとりの人間だった。
それを、コレは、悉く打ち壊してくれやがって。
「俺はてめえのコトを!! てめえが死ぬまで許さねえ!!」
「――――あ、ははッ。いいぞ、許すな。ずっと、ずっと、覚えていてくれ。ハルカ」
「減らず口をォ!!!!」
「叩くさ。……私は、ただ。おまえがいれば、それでいいから。だから、何度、でも」
くり返すように身体が固まる。
魂が内側へと仕舞い込まれて、意識がぼうっと溶けだした。
振り抜いた拳は届かない。
けれど、まだだ。
まだ足りない。
まだ全然気持ちは晴れていない。
こんなものじゃない。
この程度で終わってたまるか。
どうなろうと、どんなコトになっても。
いくら時間がかかったとしても。
「――――――結仁ィ!!!!」
揺らぐ意識を叩き起こす。
必死で固まる口を動かせば、なんとか言葉が発せられた。
こちらを見る彼女の瞳は――――変わらず、気色悪い気持ちを宿していたが。
そんなコトよりも、言っておかなければならないコトがある。
そうだ、文句のひとつでも吐かなければ。
それが喩え意味のない行為だとしても、たしかな殺意を敵意を込めて。
「いまに見てろォ!! てめえをもう一発ぶん殴りに来る!! 何年かかっても!! 必ず!! 絶対にだッ!! 俺がてめえを叩きのめすッ!!」
いつかきっと、現実にする。
「それまではせいぜいふんぞり返ってるこったァ!! 首を洗って待っていやがれ!! 次に会ったときがてめえの破滅だよ!! 潔く死ね!! もうおまえの恋が叶うコトはねえと思え!! 叶うはずがねえだろォ!! てめえが人を殺した瞬間からァ!!」
「……いいや、叶えてみせるさ。きっと。諦めない。おまえが私を諦めなかったように。私もずっと、この心を持ち続ける」
「あァそうかよ!! じゃあ言ってやる!! 俺が好きなのはてめえじゃねえ!! 俺が恋をしてるのはおまえじゃねえ!! 俺が愛してんのはあんたじゃねえ!! 俺にとって一番心を傾けてんのは――――」
一番大事なのは。
誰かなんて、今更の話だ。
「妃和だァ!!」
「――――――――――ふふっ」
虚空へ消えるひとつの命。
空の向こう、神秘の領域に届いた存在は元在る時空へと戻った。
生き物としての形をなくして、地上へと降り注いだ。
「…………照れ隠しなぞしなくていい。まったくおまえは、いつまで経っても子供だ」
結仁は笑う。
変わらず微笑む。
その意識、人格、性質はとっくの昔に歪んでしまった。
もう元には戻らない。
なにせ彼女が彼に惚れた時点で、それは致命的なバグのようなもの。
取り返しがつかないというのなら、こんな風になる前から手遅れだった。
「一体なにがいけないんだろうな。
かつての少女の面影は、すでに数えるほどしかない。
「だが、それもまたあいつらしい。ハルカはハルカだ。大丈夫、安心しろ。そういうところも含めておまえを愛そう。私の惚れた男なのだ。簡単に手に入ってはつまらんというコトなんだろう? ふふふっ、楽しみだ。再会の約束をした。ずっと待っていよう。だからいつか――迎えに来てくれよ? 私の王子様」
空の向こうで女神は踊る。
二千十年代から百年続く九番目の時代。
男と非処女を嫌う歪な世界。
純潔の星はまだ終わらない。
これからも――――彼を待ち続ける限り。
新たな時代が来るのは、ずっと先の話だろう。