唸りをあげたとき、悠の胸中にあったのはこれ以上ない激情だった。
何に対して怒っているのかなんて言うまでもない。
彼は別に、彼女たちが傷付けられたコトが許せなかったのではない。
だってそうだろう。
出会ってからまだ数十分、下手をすれば一時間すら経っていないぐらいの付き合いだ。
先ほど知り合ったばかりの無関係だった人間同士。
彼と彼女たちの間柄は一言で表すとそうなる。
だというのに、目の前でボロボロにされたからといってここまで感情が高ぶるのか。
――否、彼はそこまで聖人君子ではない。
無関係な誰かを想って怒れるほどにできた人間とは違う。
それを素晴らしいコトだとは認識していても、そう振る舞えるような
「おォ――――おぉオぉォおァ――――!!」
故にその激情は真実彼だけのものだ。
神秘と一緒に沸騰していく身体中の血液。
渦巻く純エーテルは彼の叫びを祝福するように周囲を漂う。
……そう、誰かのために、なんて冗談じゃない。
彼が怒っている理由はただひとつ。
「あァぁああぁあぁアあッ!! あぁァあアぁあああ――――!!」
どうにもできないからと避けてきた。
勝ち目がないからと正面から戦わなかった。
圧倒的な実力差があるとこの目でたしかめた。
だから逃走の一択をとる。
正解だ、自分より強い者に挑むなど馬鹿のやるコト。
そんな当たり前に流されて、痛む頭を押さえつけて、一緒になって逃げていた。
それが気にくわない。
「あぁあぁあああぁああああ――――!!!!」
逃げるコトしかしなかった自分。
鎖に巻かれて見ているしかなかった自分。
足手まといになっている自分。
誰ひとり助けられなかった自分。
手も足も出ずに負けた自分。
そうして今の今まで、大人しくしていたらしくない自分。
自分、自分、自分――――
――そうだ、彼は、
「てめえェ――――ッ!!!!」
下半身にまとわりつく空色の光。
膝の下からこぼれていた赤色が急に止まった。
ぐちゃぐちゃと音を立てながら波打つ人肉。
それは治癒というにはあまりにも不気味で、常軌を逸した反応だった。
「――――――――」
純エーテルの性質はあくまで治癒の〝促進〟、そしてあらゆる病や毒に対する解毒作用。
この時代において男女問わず病気というものに頭を悩まされる心配はない。
適性さえあるのなら多少の怪我でも放っておけば無事完治する。
だがそれは、所詮ヒトの自然治癒を増幅させただけの効能だ。
多少の傷なら修復してしまえる自己再生の延長線。
そこそこ適性のある妃和たちであれば致命傷を受けても一命を取り留められるほど。
もっと高い彼女たちの
――ならば、アレはなんなのだろう。
『………………ばか、な』
妃和のぼやけた視界に、信じられない光景が映り込む。
止血やある程度の再生ならまだ分かる。
男であろうと女であろうと適性から得られるメリットは一緒だ。
それは悠自身が純エーテルを扱えるという時点で分かりきっていた。
だからこそ度し難い。
水気を含んだ音を立てて歪む両足。
回帰か、再構築か、あるいは蜥蜴の尻尾みたいに。
切断された足が、みるみるうちに元ヘ戻っていく。
「――あぁあッ!! もう限界だッ!! 止めてくれるなよぉ!! 止めてくれるんじゃあねえ!! 俺を――――、俺がッ――――そうだ! 俺はなァ!!」
完全に元通りになった足で悠が立ち上がる。
ジャラジャラと巻き付いた鎖がいまになって似合わず音をたてた。
そんなものを気にした様子すらない。
彼が瞳に捉えているのはここにおいてひとつのみ。
美鶴を切り落とした位置から動かず、悠を眺める羽虫一匹。
「俺はてめえがッ!! 気に入らねえぇぇええええッ!!!!」
荒れ地に絶叫が木霊する。
ビリビリと肌に伝わる大気の震え。
憤怒の形相で怪物を睨みつける悠。
そこに今まであった理性も恐怖も浮かびはしない。
……ゆったりとした動作で羽虫が振り返る。
キチキチと忙しなく口が動いた。
ソレらに発声器官は備えられていない。
故になにを言ったのかも、なにを伝えたいのかも理解不能。
相互関係は決定的に断絶している。
ならばこそ、悠と羽虫の睨み合いは正真正銘殴り合いだ。
「――来いよ!! 虫モドキィ!!」
挑発はゴングを鳴らすように。
悠の声に反応して羽虫が四枚の翼を広げる。
刹那の羽搏き。
ばさりと空を掻いた怪物が、神速の鎌を振り上げた。
その胸に、深く深く突き立てるように。
「――――ハ」
――だが。
だが、本当に、今度の今度こそ。
その鎌は
「ハハ――ハハハ――――」
高笑いをあげる少年の声。
その音は喜色に染まっている。
襲い来る激痛と不調の波にいま一度感情の秤が壊れた。
「ハハハハハ! ハハハハハ――――!!」
鎌を防いだのは少年の胸から生まれた刃だ。
身体に巻き付いた鎖を断ち切って、絶死の一撃を受け止めている。
――その光景に、悠の笑顔がより一層極まった。
狂い果てたような諧謔の笑み。
真正面から悉くの正義を叩き潰すに相応しい悪人顔の哄笑。
目と鼻の先にまで近付いた羽虫を直視して、彼は心底気分を上げた。
「ハハハハハハハハハハハハ――――ッ!!!!」
身体中から剣が飛び出す。
その本数は数え切れない。
胸を、足を、首を、腰を、腕を。
全身の至るところから血肉を裂いて、彼を縛ったモノを断ちながら現れる剣刃。
「アハハハハハハハハハハハ――――――――!!」
まるでガラスを割るみたいに砕ける羽虫の鎌。
罅ひとつ入らなかった超硬度の外皮に傷がつく。
飛び出した剣は銃弾のように。
びゅうと風を切りながら、隙だらけの羽虫へと飛来する――
「――ああそうかよ! そういうコトかよ!! なんつうモンだよオイ!!」
歯を剥き出して悠が動く。
その手をぶらりと宙にかざす。
剣弾に吹き飛ばされ、地面を転がる枯れ木の羽虫。
その身体に突き刺さった刃の数々が、一瞬にしてすべて消えた。
「ハハハハッ!! ああ良いぜぇ! やってやるよ!! そのためのモンだ! なあ、オイ!! そうだろぉが!!」
身体全体を汚した出血がたちまち止まる。
穴だらけだった悠は一秒と経たない間に無傷の肉体へと完治した。
それは不思議なことでもなんでもない。
彼にとっては当然のもので、この
純エーテルの寵愛は、どこまでも人の尊厳を踏みにじる。
「さぁいくぜぇ!! これがッ! 俺のォ!!」
神秘の粒子が集められる。
天に掲げた悠の手にはなにもない。
当然だ、そこに掴むのはこれから
気合いと気勢は十二分に。
彼は研ぎ澄ました感覚をもとに、純エーテルを手中におさめた。
「
――やり方はこの目で確認した。
できない道理はない。
彼は純エーテルの扱いに関して間違いなく並の人間を凌駕している。
――構造は一目で把握できた。
おそらくは生まれ持った適正値ゆえ。
どうすればそうなるのか、理論立てて説明が出来ずとも彼は実践できる。
鉄潔角装。
それは本来、才能のある少女たちが数年に及ぶ鍛錬の果てに会得する技術だ。
一朝一夕では成し得ない、純エーテルの扱いを極めた者だけの戦闘技能。
ひとつの到達点にして、怪物と戦うために必要な最低限のラインがそこになる。
その上で彼女たちには最奥と呼ばれる切り札があるのだが――そこはいまどうでもいい。
「ま、さか……流崎……ッ、おま、え……!?」
「――ぁ、あァ……ッ!? マジ、かよ……! 流崎、サン……!」
「ぇ、ぁ……ぅ……?」
「……あは、は……うそでしょお……信じ、らんないって……」
「おォぉオオおぉオおおオォおお――――ッ!!」
その仕組みは極めてシンプルだ。
自ら純エーテルを操作して、物質として変換しその場に固定させる。
材質はなんでもいい、なにしろ正体は空色の光。
鋼に見えようと木に見えようと本質はとんでもない神秘の塊だ。
だからこそ、その扱いはとんでもなく難しい。
物質として変換して固定するとは言うが、そんなイメージをそうそう確固たるものとしてやってのける人間は極少数だろう。
イメージができたとしても技能が合わさっていなければ当然無意味になる。
だからそれが、もしも。
もしも、いきなり出来たのならば。
「オ、ォオ、オオオ――――――」
そいつはきっと、凡人ではない。
けれども決して、天才とは言われない。
言ってはならない。
同種の規格を逸したものを、古くから人々はこう呼んできた。
埒外の存在。
同じでありながら理解の外にある異常者。
――――そう、自分たちと違う
「――――――らァッ!!」
銀閃が光を断つ。
ぎらりと揺れる神秘の刃。
彼の手に集束した空色の光は、一本の剣と成って此処に現れた。
あまりにも高い純エーテルの適正値が生み出した。
――――純潔の、怪物。
「さァ! 存分に殺り合おうぜぇ!!」
口の周りを赤黒く汚してそれは吼える。
毛髪はグシャグシャ、瞳孔はかっ開いたままに。
絶え間ない激痛と身体の不調に襲われながら、生死の狭間を彷徨って。
「
「「「「流崎(サン)(クン)(さん)――――!?」」」」
ここぞという場面で血反吐をまき散らした。
いや、本気で格好がつかない。
いまのはめちゃくちゃキマるハズだったのに。
負荷がしゅごい(なお