遠く、海のほうで光が輝いた。
鮮やかな落雷じみた閃光。
元に戻っていく深夜の風景。
夜は変わらず夜らしく、闇の暗さに包まれていく。
それだけで、美沙は此度の一件が終わったことを直感した。
「…………そうだ、悠は――――」
――――ずきん。
「…………ッ?」
慣れない音に首を傾げる。
はて、と彼女は胸中で疑問を抱いた。
怪物による襲撃はこれにて終幕。
危機が去ったいま、心配するコトはこの後をどうするかだ。
「……悠なんて知り合い、いたか……?」
そこで真っ先に出てきた
彼女と親しい間柄の人間に、そんな名前はいなかったと思う。
「……まぁ、いいか。問題は施設の立て直しだな。やれやれ……
ため息をつきながら美沙は所長服の上着を羽織った。
なんだかおかしな気分なのは、たぶん疲れているからだろう。
最近はあまり眠れていなかったのもある。
どうしてかは――――ちょっとよく分からないけれど。
疲労の蓄積だけは間違いないのだから、とりあえずどこかで休息を取らなくては。
◇◆◇
呆然と、波の彼方を見る。
離れた位置から此処まで聞こえる爆発音。
肌に伝わる微かな衝撃。
嫌な予感が先走って、妃和は思わず駆け出した。
「は――――――」
ズキン。
「――――――ッ」
頭蓋が割れるような痛み。
視界が真っ赤に染まる錯覚。
ぼんやりと、微かに開けた瞼で世界を認識する。
なんだか、おかしい。
「――――……っ」
でも、なにがおかしいのだろう。
そこがまったく分からなかった。
だって、そうだ。
――――
蒼火の雌鳥との戦闘後、近海から出現した嵐の巨人。
それを遠距離から自慢の火炎で撃ち抜いたのが先ほどのコト。
攻撃は見事的中し、弱点を貫かれた怪物はたった一撃で沈黙した。
疑いようもない、人類側の勝利だ。
「……ああ、そう、だろう……私の、勝ち、だが……」
――――なんだろう。
分からない。
胸から湧き上がる不安が消えてくれない。
羽虫との戦いでひとり生き残って、
樹木の天使を葵や甘根、聖剣使いの協力と共に討伐して、
何人もの犠牲を出しながらも今回の襲撃を乗り切ったのに。
なんだかそれが、まったく、実感が湧いてこない。
「……死体を、見ていないからだろうか……」
分からないけれど、たぶんそうだった。
嵐の巨人はたしかに倒したが、この距離だと目視が難しい。
爆発はしたが、生き延びている可能性はある。
だから安心できない。
不安がなくならない。
「……そうだな。確認は、大事だ」
瓦礫をよじ登って歩いていく。
最後に残った力を全部振り絞ったせいか、身体は異常に怠かった。
無事戦闘を乗り切ったと思えないほどボロボロだ。
それほどまで怪物たちとの戦いは熾烈なものだったということになる。
――けれど、勝つことができた。
彼女の火炎は向こうにとって余程相性の悪いものだったらしい。
二匹の怪物を打倒したのは間違いない偉業だ。
葵が生きていればなんて言っただろうか。
考えても詮無いコトではあるが。
ともあれ、あの収容所で兆角醒をモノにできたのは紛れもない幸運。
『……思えばどうしてあんなところに居たんだ、私。いや、タイミング的にちょうど良かったが……わざわざ顔を出す理由も――』
――――ズキン。
「――――ッ、今日は、頭痛が……酷い、な……?」
純エーテルの加護によって体調不良というものに馴染みのない現代人である。
それこそ頭痛やらなんやらというのは男たちが慢性的に抱えているものだ。
大怪我でもしない限り、そういうのはないと思っていたのだが。
「………………、」
考えても仕方ない。
とりあえずの目的は決まっていた。
妃和はひたすら足を動かしていく。
海岸まではおよそ十キロほど。
彼女の身体能力なら、無理をしなくても一時間程度で着く。
焦る必要はない。
わざわざ走る理由はない。
心臓がやけに脈打つワケも、不安に駆られるコトも。
ないハズなのに、なんでだろう。
足を一歩前に動かすたびに、言いようのない気持ちに襲われた。
「――――――、」
蒼火の雌鳥は消失した。
嵐の巨人もこの手で撃破した。
その記憶に間違いはない。
つい先ほどのコトだ。
そんな間近の出来事を忘れてしまうような彼女ではない。
しっかりその頭に焼き付いている。
空を飛んで蒼い影を撃ち落とした記憶が。
鉄潔角装を折られても戦った記憶が。
〝――――嗚呼、なんて無茶を、していたのか。私は〟
渇いた笑みを浮かべながら歩を進める妃和。
冗談のような気分も、次の瞬間には別のなにかに押し潰される。
分からない。
まったく分からない。
さっぱりだ。
けれど、直感じみた何かがあった。
この違和感を見逃してはいけないと思った。
他の誰でもない、彼女だけは気付かなくてはならない。
そんな、天啓のような感覚
「――――、――――」
草木をかき分けて前に進む。
急いでしまった分、すこし息があがっていた。
何度も何度も自分に言い聞かせたのに、結局は早足になっていたらしい。
……砂浜が見える。
押し寄せる波はわずかに高い。
爆発の影響だろう。
とりあえずここからなにか見えるだろうか、と彼女は一気に目を開けて。
「――――――――」
その中心。
如何にも不釣り合いな代物を見つけて、眉をしかめた。
「…………剣?」
一歩、足を踏み出す。
海辺の砂はじゃりじゃりと音をたてて沈んだ。
見れば朽ち果てたような剣だった。
刀身はガタガタで刃としての体を成していない。
鍔は外れたのか無かった。
柄には襤褸切れじみた赤色のマフラーがはためいている。
「どうして、こんなところに――――」
気になって、彼女はそれを砂浜から引き抜いた。
あっさりと、なんの抵抗もなく。
まるで吸い込まれるように。
〝え?〟
「 」
瞬間、
妃和の脳は、一瞬でスパークした。
「――――あ、ぁあ?」
頭の中に情報が流れ込んでくる。
絶えず音と共に映像が走る。
「あぁ、ああぁぁあああ、ああぁぁぁあぁああぁああ」
痛い。
頭が痛い。
思わず手でおさえながら蹲る。
それでも剣は離さない。
離してはならない。
物事の道理を無視してそう確信する。
常識ではなく、知識ではなく。
魂が、これを手放すなと叫んでいる。
「ぁ、ぅ――――あぁああ――――あァ――――っ」
痛い、痛い、痛い。
頭が割れそうだ。
自我が狂いそうだ。
耐えられない。
もう嫌だ。
なんだこれは。
なにを見せられている。
分からない、分からない、分からない。
これは――――
「あ…………」
――――これは、大事な。
とっても大切な、ものだ。
「あ、あぁ……あぁあっ! う、ぅあっ――ああぁぁあああっ!!」
『大丈夫だ。ゆっくりな。無理すんなよ。心配しなくても、俺は逃げねえよ。いやァ、逃げることすらできねえんだが』
誰かがいたこと。
誰かが成し遂げたこと。
誰かの生きていたこと。
誰かと共に歩んできたこと。
忘れていた。
信じられない。
頭の片隅にも残っていなかった。
恐ろしい。
ふざけている。
馬鹿げている。
こんなにも拭いがたいと思ったものなのに、
こんなにも失うのが嫌だと思っていたものなのに、
――――つい先ほどまでの彼女は、完全に、流崎悠のコトを覚えていなかった。
それが、とても――泣きたくなるほど、怖くて。
「は――――るか…………」
『おうとも。なァ、俺の言った通りだろ。すぐに会えたじゃねえか』
「はる、か、はるか、悠、悠っ、悠! 悠ッ!!」
『何回呼ぶんだよ。聞こえてんだろ? なぁ、妃和』
「――――ふ、ぅ……ッ、ぅあ、あぁっ……! あぁああぁ……っ」
『……こんなんになっちまったのは、ちょっと癪だが』
「――――――――ッ」
流れ込んできたのは彼女のモノだけではない。
今までの彼の記憶が同調するように叩きこまれた。
妃和はすべて知っている。
彼がどうやって生きてきたのか。
なにを考えていたのか。
空の向こうで――――
「あれ、が…………ッ」
『あぁ。アイツが』
「あんな、のが…………ッ、ふざけて、いるのか、こ――――」
〝
衝動的に名前を呼ぼうとして、喉が引き攣った。
「――――――ァ…………」
声がでない。
たった五文字の名前を出せない。
思わず首に手をやった。
当然、なにもなかったけれど。
『無駄だとも。やめたほうがいい、巴妃和。おまえはこれにて聖剣使いだ。ルールは絶対厳守。破ることは許さない。いまのおまえなら、無意識のうちに理解できるだろう?』
「――――――――――、」
曰く、それらは秘密を語ってはならない。
曰く、その得物の成り立ちを明かしてはならない。
曰く、集団に属してはならない。
曰く、その者たち同士で争ってはいけない。
曰く、空の向こうで見たコトを口にしてはいけない。
『ハルカを頼んだぞ? 無論、すこし貸してやるだけだが。くれぐれも扱いは間違えぬように。私の夫だ。大切にしろよ。でなければ魂の一欠片すら残さず消してやるからな』
それは、なんて。
なんて傲慢な、文句だろう。
彼女は分かっている。
アレが悠と懇意にしている関係ではないことも。
アレに悠が心底怒り狂って罵倒をしたことも。
アレによって、彼がこんな形に貶められた結末も。
全部、分かってしまった。
「――――ふざ、けるな……!」
『……妃和』
「こんなッ……こんな、コトが! あって、堪るか……! 悠ッ、悠はッ!! 母さんは! 私たちは!!」
『ああ、そうだな。分かってる。そうだとも。俺も同感だ』
「――――なんのために、命を懸けていたんだ……ッ!!」
あまりにも愚かな現実。
知りたくはなかった世界の真実。
本当にふざけている。
だって、もう、こんなコトを知ってしまったら。
――まともにこの時代を生きていくなんて不可能だ。
「――――――――ッ」
はじめてだった。
誰かを殺したいと、心の底から願ったのは。
けれどももう遅い。
この剣で切りたいものができた。
先ほどまではなにひとつ無かったのに。
……ああ、でも。
それができない。
空の向こうに繋がる道は途絶えて消えている。
彼の分だけ用意されて、彼女には一切案内すらされなかったのだ。
上の世界へと辿り着く方法は、すでにない。
「――――――――――ッ!!」
これ以上ないほど、あの存在に。
怒りをぶつけたくて。
叩き切りたくて。
自分の信念なんてどうでもよくなるほど――
――殺したいほど、憎いのに。
それだけが、叶わない。
……なんて無様。
ああ、そうだとも。
こんな現実。
こんな世界は――――
ぜんぶアレの、薄汚いおもちゃ箱だ――――
◇◆◇
◇◆◇
「――――というワケで、貴方は今日から戦闘部隊の一員として働いてもらいます。ここまではいいかしら」
「うん。まあ、大体」
「…………まぁいいわ。とりあえず、自己紹介からいきましょうか。私は
「佑麻」
「僕の名前は、文月佑麻っていうんだ」