純潔の星   作:4kibou

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15『幕間:紺埜結仁⑤』

 

 

 

 

 ――拳を握り締める。

 

 歯を食い縛る。

 こぼれそうになる何かを、必死で押さえつける。

 

 いまはそれが精一杯だった。

 

 

「――――ッ、――――」

 

 

 ぼやけた視界。

 回らなくなる思考。

 

 なんだかやけに気分が悪い。

 耳に付く水音が酷く朧気だ。

 

 それがなんなのか理解して、余計に強く自分を保つ。

 

 

「――――――――!!」

 

 

 ああ、けれど。

 

 もうダメだ。

 こんなのはダメだ。

 

 襲われた。

 襲われた。

 襲われた。

 

 私の純潔を奪われた。

 

 

 

 ――――それがどういうコトなのか、この男は分かっていない。

 

 

 

 いいや、誰も理解できるはずがない。

 

 なにせ私は紺埜結仁だ。

 人でなしの化け物だ。

 

 他の誰かがとき解いて良いような代物じゃない。

 

 

〝だ、めだ〟

 

 

 ぐっと、強く。

 

 骨ごと潰さんばかりに拳を握り締める。

 

 

 〝だめだ。やめろ。いけない。これはいけない。もうむりだ。これいじょうは〟

 

 

 どくん、と心臓が跳ねた。

 

 奥歯をさらに噛み締める。

 

 

「――――――――ぇ、ぉ」

「はぁッ……はァッ……」

「ぃ……、ぇ………………」

 

 

 頼む。

 

 どうか、どうか。

 

 気が済んだのならはやく行ってくれ。

 私を捨ててさっさととんずらこいてくれ。

 

 この生に執着はない。

 

 どうせ二度目の命だ。

 

 私の処女を奪ったコトなんてどうでもいい。

 私の身体をめちゃくちゃにしてくれたコトなんてどうでもいい。

 

 だから、ただ。

 嗚呼、ただ、いまは。

 

 胸の奥から溢れんばかりの、この――――

 

 

 〝――――にげろ。すぐに。やめてくれ。いやだ。わたしは、ひとだ。にんげんなのだ。こんな。こんな――――〟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――この獣性(しょうね)が、押さえきれなくなる前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝だれかをころしたくなんて、ない――――〟

 

 

 

「ふ、ふふっ、あははははっ」

 

 

 男が笑う。

 気分が悪い。

 

 信じられない。

 

 なにを笑っているのだろう。

 そんな暇があるのならはやく走れ。

 この場から去ってくれ。

 

 でないと私は堪えられない。

 押さえきれない。

 

 純潔でなくなったいま、胸の内にある獣性に蓋をする術はなくなった。

 

 最悪だ。

 ぜんぶ台無しだ。

 

 必死でつくりあげた積み木を一気にバラされたような感覚。

 

 ……結局私は、そういう生き方をしていたというワケだ。

 

 気が付けば人でなしの考え方をしている。

 獣の価値観で物事を捉えている。

 ひとつ皮を剥いでみれば、当たり前のように自分を襲った男を殺そうとする人格がある。

 

 ふざけるな。

 

 理性で本能と衝動を否定する。

 

 人を殺すのはいけないことだ。

 殺人は犯罪だ。

 たとえ相手が悪人であっても、同じ命を奪うのは悪いコトだ。

 

 だったらそれはできない。

 いくら憎くても嫌いでも、生きている人間を死なせるコトはできない。

 

 ――殺してしまえと囁く声が聞こえても。

 ――死んでしまえと呪う声が聞こえても。

 

 理性(ワタシ)はまだ、健在だ。

 

 私は人だ。

 紺埜結仁だ。

 

 それを見失っては、ならない――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 震える夜は長かった。

 

 苦しいのは身体のコトじゃない。

 悲しいのは心の問題じゃない。

 

 誰かにとっての当たり前は私にとっての特別だ。

 

 だから、犯されたこと自体はそこまで引き摺っているワケでもなかった。

 

 冷静に考えれば理解できる。

 中身がどうだろうと私だって見た目は人間。

 それなりに容姿が優れた十代の女子。

 

 気の狂ったような男が狙うにはちょうどよかったのだろう。

 

 ならばそこは悲しむべきではない。

 周りの人間、他の女の子が餌食にならなかっただけマシだ。

 

 壊れた心は戻らない。

 継ぎ接ぎだらけの精神で生きていくのは辛い。

 

 自分のような異常者が選ばれたのは僥倖だった。

 不幸中の幸いというべきである。

 

 ――――ただ。

 私にとって()()()というものが、とりわけ異質であっただけ。

 

 

 

「……結仁。お母さんよ。さっき、け――――」

「来るなぁ!!!!」

 

 

 

 気付けば部屋の中。

 固く閉じこもって形振り構わず必死に吼えた。

 

 ズキズキと頭が痛む。

 

 額が割れて砕け散りそうだ。

 

 ああ、まずい。

 これは本格的にまずい。

 

 この十数年で築き上げた私が悲鳴をあげている。

 まともに生きてきた私自身が壊れようとしている。

 

 それは外からの影響ではなく、内側からの作用。

 

 

 ――――かつての獣性(ワタシ)が、もう抑えるものはないと歯を見せて――――

 

 

 

「関わらないでくれ!!!! 話しかけないでぇ!! わ、私ッ、私は――――!!」

「――――――っ」

 

 

 

 生まれてはじめて母親に怒鳴った。

 生まれてはじめて父親を拒絶した。

 

 床と壁を掻き毟りながらひとり蹲る。

 

 痛い。

 痛い、痛い、痛い。

 

 頭が痛い。

 胸が痛い。

 心臓が痛い。

 身体が痛い。

 

 耳元で誰かの囁く声がする。

 

/コロせ。

 頭蓋に響く何者かの音を聞く。

 

/コロしてしまえ。

 まだ人の世を知らなかった、無垢で野蛮な私が目を覚ます。

 

/ヒトになにを思う? 我々は誇り高き一族だぞ。

 

 ましてや相手は己を襲った強姦魔。

 一体なにをどうして躊躇う必要があるのか。

 

 殺してしまえ、消してしまえ。

 

 命ひとつの価値は不変だ。

 我々と比べてヒトの生など取るに足らない。

 

 神秘にも触れられぬような劣等種がどうすれば我々より偉くなれる?

 

 

 

「――――――――――ッ!!!!」

 

 

 

 ああ、いやだ。

 そんなのはいやだ。

 

 そんな考えは持ちたくない。

 獣になんて戻りたくない。

 

 私は人だ、人間だ。

 

 人間として生を受けたひとつの命なのだ。

 

 過去がどうであれ今は今。

 愚かにも騙されて死んだ、荒々しい幻獣の私とは違う。

 

 私は人だ。

 

 私はヒトだ。

 

 

 

 ――――ああ、でも、()()って一体なんのことだっけ――――?

 

 

 

 

「――――――ぅうぁあぁあああああ!! あぁぁあぁあああッ!!!!」

 

 

 

 

 壁に頭を叩きつける。

 ガリガリと剥がれかけた爪であたりを掻き毟る。

 

 いやだ、いやだ、いやだ。

 やめて、お願いだ。たのむ、やめてくれ。

 

 奪わないでくれ。

 

 私から理性(マトモ)を奪わないでくれ。

 私から(りせい)を取らないでくれ。

 

 十何年と生きてきた。

 人として道を外れぬようにと頑張って生き抜いてきた。

 

 周りにはたくさんの人がいる。

 大切な相手がいっぱい溢れている。

 

 大切な流裂遙(だれか)が近くにいる。

 

 その全てを、どうでもいいと思うのか。

 愚かな劣等種、下等生物としてしか見なくなるのか。

 

 ありえない。

 

 それは死ぬこと以上に恐ろしい価値観の逆転、精神の変化だ。

 きっとそうなれば私はもう私ではない。

 まったく別の何者かに成り果てる。

 

 そんなのはいやだ。

 

 私は私のまま生きていたい。

 私のまま死んでいきたい。

 

 私のまま、遙の幸せを願っていたいのに。

 

 

 

 

「ああぁぁぁぁぁあうぅううぅううぅう――――…………!!!!」

 

 

 

 

 こわい。

 

 いやだ。

 

 たすけて。

 

 だめだ。

 

 まずい。

 

 あたまが、いたい。

 

 いたい、いたいよ。

 

 かなしいよ、くるしいよ。

 

 どうしてこんな。

 

 どうしてわたしが。

 

 おねがい。

 

 たすけて。

 

 たすけて、たすけて、たすけて――――

 

 

 

 

 

 

「はる――――――」

 

 

 

 

 

 

 ふと。

 

 耳を澄ましたとき、鼓膜を音が拾った。

 

 奇跡にも近い精神の落ち着き。

 一瞬でしかないそれを狂ったように手繰り寄せる。

 

 あれから何日たっただろう。

 

 分からない。

 

 血まみれの部屋を見て困惑する。

 

 手も足も爪もボロボロだ。

 皮膚には何度も引き裂いたような痕。

 

 額からは盛大に出血していた。

 まだ頭蓋骨が砕けていないのが奇跡だ。

 

 ……でも、どうして。

 いま、私は意識を、

 

「どうしてッ、だって! 遙くんは!」

「ッ、落ち着いて母さん。分かってる。そうだ。あの子は。でも」

「なんで、あの子たちがこんな目に遭わなきゃいけないの……! 結仁は部屋から出て来ないの! 遙くんはもうずっと、あの男を捕まえてから中央病院のベッドの上よ……!? なんで、なんで――――ッ」

 

「     」

 

 

 

 反射的だった。

 ドアを蹴破って外に出る。

 

 そのまま廊下を抜けて階段を駆け下りて、玄関まで一直線。

 

 

「きゃっ――――結仁!?」

「まッ……待ちなさい結仁! そんな状態じゃ!!」

 

 

 呼びかける両親の声を振り切る。

 

 止まれない。

 止まりたくない。

 

 歩道の雪は溶けていなかった。

 足の裏から容赦なく冷気が伝ってくる。

 

 冷たい。

 痛い。

 

 白雪を鮮血で汚しながら駆けていく。

 

 町の中は入り組んだ迷路みたいで最悪だった。

 信号が多い。

 人が多い。

 

 どちらも無視して走り続ける。

 

 途中、知らない誰かにぶつかったのが十五回。

 車にひかれかけたのが七回。

 

 関係ない。

 

 最短距離で家から病院までの間を走破する。

 

 人に気など配っていられない。

 そもそも他人なんて()()()()()()

 私にとって大事なのは、そんな有象無象じゃない。

 

 

 

 

 

 あれ、でも違うな。

 

 

 

 

 違うぞ、待て、違う。

 

 

 

 違う、違う! 違う!!

 

 大事なのは他の誰もだ。

 私以外の大切な人たちだ。

 

 それをどうでもいいなんて、一瞬でもなんで思えた――!?

 

 

 

 

「あ、あァッ、ぁぁあうぅ――――――」

 

 

 

 

 ずきん。

 

 頭が痛い。

 はちきれそうだ。

 思考が回らない。

 

 ただ走る。

 目的地に向かう。

 

 はるか。

 

 遙、そうだ、遙だ。

 

 遙、遙、遙、遙。

 

 遙が。

 

 遙が倒れて、病院で、男が、

 

 

 

 

 

 ――――私のせいで、彼が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――――」

 

 

「結……仁……?」

 

 

 どうやってきたのかは分からない。

 無意識のうちに私は私らしく動いたのか。

 

 病室のベッドの上。

 

 取り乱す私とは正反対に、落ち着いた様子の彼がいた。

 

 顔色は悪くない。

 声の調子もしわがれているというより生気に満ちあふれている。

 

 けれど、周りの機械はとてもそうとは思えないほどごちゃついていた。

 

 

「――――――」

 

 

 不思議と。

 それはおかしなコトだと、私は思った。

 

 きっと彼は寝ていなければならない。

 そうでなくとも起き上がれるはずがないのだろう。

 用意された設備からそのあたりの配慮が読み取れる。

 

 でも違った。

 

 彼はその身体を当たり前のように起こして、私と目を合わせた。

 それは、どういう原理なのだろう。

 

 

「どう、したの。結仁。なんでここに。いや、それより。君は――――」

「なんで」

 

 

 ぐしゃりと、

 しがみつくように病衣を掴む。

 

「……ごめん」

「なんで」

「許せなかった。怒ってたんだ。ほんとうにごめん。……君があんな目に遭ったって聞いたときから、冷静じゃいられなかった。だって、そうだろう。幼馴染みが酷い目に遭わされて、頭にこないワケがない」

「なんでっ」

「それだけ、大切だったんだ。結仁のコトが」

「――――――――っ」

 

 ああ、それは。

 それは、なんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

素晴らしいコトなのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――ぁ」

「…………? 結仁?」

 

 

 〝待て〟

 

 いいや待たない。

 待てるワケがない。

 

 そうか、ああそうか。

 

 なるほどそういうワケだ。

 

 答えが分かった。

 理解できた。

 

 理性と獣性。

 どちらの私から見てもこんなのは鮮明に映る。

 

 

 

 ――――唯ひとつを貫いて、すべてを注げる輝きを見た。

 

 

 

 知っている、分かっている。

 ずっとずっとそうだった。

 

 彼は私にどんな態度を取られても一緒にいてくれた。

 冷たくしても離れていっても、傍に居ようと必死で努力した。

 

 

 

 〝やめろ。違う。そうじゃない。それはだめだ。それこそだめだ〟

 

 

 

 なにがいけない。

 

 気持ちは同じだ。

 そうだろう、いい加減に認めればいい。

 

 私はどう思う?

 私はいまどんな感情だ?

 

 ――――単純なコト。

 

 

 

 〝ちが――――――〟

 

 

 

 彼に大切だと言われた。

 彼の想いを知った。

 彼と己の心が同じであると分かった。

 

 ならば気持ちはどうなのか。

 

 誤魔化しようもない。

 だっていま、自分の胸に訊けば簡単に分かる。

 

 そう、私は。

 私というモノは。

 

 

 

 

 

『流裂遙のコトが、これ以上なく好きなのだ』

 

 

 

 

 

 〝ぁ〟

 

 

 

 

 

 砕けていく硝子の意識。

 

 恋心を認めた瞬間、獣性はその感情を共にするモノとして射止めた。

 

 

 ――――ふわりと。

 

 

 痛みが引いていく。

 気持ち悪さがなくなっていく。

 

 一体なにをそこまで怖がっていたのだろう。

 つい一秒前までのことなのに、もうなにも分からない。

 

 清々しい気分だった。

 

 己の身体が穢されたのは誠に度し難く許しがたい、怒髪天を衝く行為だったが――そんな愚かを犯した男も彼によって誅された。

 

 なるほどと、理解する。

 そうか、そうなのだ。

 

 これこそが。

 

 この気持ちが。

 

 

「――――――嗚呼」

 

 

 彼に身を寄せる。

 胸がはずむ。

 

 これが恋。

 これが愛。

 

 ずっと勘違いをしていた。

 

 たかだか女子と近くなっただけでなぜ衝動が出てくるのか。

 自身の純潔で完全に制御できていたモノが溢れるハズはない。

 

 錯覚だ、真実は違う。

 

 今まで胸を貫いてきたのは、彼を憎んでのコトではなく。

 

 

 

 ――彼に好意を抱くが故に、近付く誰かに嫉妬していただけだ。

 

 

 

「ふ、ふふ、ふふふふふっ……」

「……結仁……?」

「私も、だ」

 

 

 くすりと、彼の眼前で微笑む。

 とびっきりの、表情で。

 

 

「私も、ようやく気付いた。私のなかでいちばん大事なのは、おまえだったよ」

「え――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――おまえが好きだ、()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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