絶え間なく脳髄を揺らす、金槌で打たれたような頭痛。
開いた毛穴に溶岩を流しこまれたみたいな刺激が全身を襲う。
手足の痺れは最早慣れたものだ。
うっすらと残った感覚だけで、彼は立って剣を握る。
口の中に広がる鉄の味。
どくどくと不規則に脈動する心臓に活を入れて前を見た。
――標的は、視認可能らしい。
ならばなにも問題ないだろう。
平時なら顔をしかめる不調も、平時でなかろうと膝をつきそうになる激痛もなんのその。
悠はただひたすらに気合いと根性だけで、正面に佇む影を見据える。
「――――――ハ」
喜色に歪んだ表情はなかなか直らない。
筋肉の動きと感情の動きがまるで合わないままだ。
けれどいまはそれで良かった。
おかげで、余計なコトを考えなくて済む。
「――――――、」
羽虫が翼を広げる。
相対する悠も
両者の動きはほぼ同時に。
音を抜いて翔け出したのは、枯れ木色の白い残像。
両腕を粉砕されてなお、それは人間を殺さんと飛びかかり、
「ひひ」
予想より半分も早く、その顔と対面した。
「ははははははッ!!」
硬い外皮が削られる。
切り裂かずとも深く刻まれた剣閃。
この場に於いて明確な決定打を持つのはたったの一人しかいない。
「んだよオイ!! ビビってんじゃ、ねェ――――ッ!!」
これ以上踏み込むのは愚策だ。
そう悟ったのか、羽虫が翼を反転させて後ろへ飛ぶ。
――――それに。
「逃げんなァ!!」
それに、追いつく人影がある。
前述のとおり羽虫の飛行速度は音を越えている。
数値にしておよそ秒速十万キロ。
雷にも近い神速を人間サイズで出すことのできる脅威は、真実彼らにとって触れられぬ流星のような天敵だ。
ならば、どうしてこの男はそれに追いついている――?
「どうしたぁ!? 驚くコトじゃあねえだろぉ!!」
振り下ろされる斬撃を砕けた鎌が防ぐ。
推進力の合わさった重みが
――そう、推進力。
ただ力押しに打ち込むだけではない。
目を凝らせば。
悠の背後から、バーナーのように噴射される空色の純エーテルが――
「てめえが態々
言いながら、悠は剣に渾身の力を込める。
彼がしているのは簡単なコトだ。
指や手から打ち出していた活性化状態の純エーテル。
建物の壁とか装甲車の部品ぐらいなら壊してしまえるそれを、背中から放出させることで自らの足りない機動力を補ったに過ぎない。
直線軌道が限界ではあるし、なにより一時的なモノではあるが、その時ばかりは彼も羽虫と同じ領域に身を置く生命体になる。
無論、身体の負担については度外視だ。
内蔵が何個潰れようと意識を失おうと、純エーテルが溢れる限り肉体は再生されるのだから。
「らあぁぁあああ――――――ッ!!」
わずかに残された鎌に罅が広がる。
ここに来て両者の力関係は完全にひっくり返った。
悠は上、羽虫は下だ。
弱肉強食が自然の摂理。
逆転した天秤は、そう簡単に戻せるものでもない。
「ハハハハハ!! ああ気分が悪い! 最悪だな! 吐きそうでドキドキすらぁ!!」
反面、胸にはこれまでの鬱々としたモノを吹き飛ばす色が溢れている。
ボロボロと崩れていく己の身体も、
ブチブチと千切れていくどこかの大事な
いまこの瞬間においては全部が快感のフレーバーだ。
収容所で精液を搾り取られた時でもこんなモノは感じなかった。
命の使い道。
生きるというコト。
死なないというコト。
その本質に触れる。
「――あぁ!? どこへ行く!! 虫モドキィ!!」
さらに逃走を謀る羽虫に向かって悠は叫ぶ。
意識は背中のなにもない空間へ。
攻撃に転用していた神秘の粒子を加工せずに解き放つ。
爆発する青の閃光。
羽虫の飛行から学んだ純エーテルのスラスター。
「てめえが四枚ならこっちは
六つの噴射口から空色のエネルギーを放出しながら悠が追随する。
ゴキゴキと骨の砕ける音。
脳からの電気信号が一瞬、バツンと断たれた。
心臓が止まる。
血液が逆流する。
内臓が幾つか潰れたようだ。
バラバラになった肋骨が肺に刺さって息ができない。
『――――――――――』
かかる負荷は当然のものだ。
ヒトの身のままにヒトを越えた出力を出せば、いくら治癒があるとはいえ壊れる。
痛覚とは生命の危険信号だ。
命ある限り、その活動が失われる可能性は存在する。
それは異様なまでの回復力を見せた悠でさえ例外ではない。
全身をくまなく消滅させられるか、あるいは治癒が間に合わないほどの傷を負えば死んでしまえるだろう。
『――――――ッ!!』
そんなのは分かっている。
理解した上で彼は無理を押し通すと決めた。
……そうだ、間違ってはならない。
一体なにが怖くてなにが嫌なのか。
そこは誰にも触らせない、個人の不可侵領域。
『――――ぁ――――あ――――!!』
死ぬのが怖いのか。
違う。
もとより身勝手に生きようとしている愚か者だ。
施設を抜けだした瞬間から、彼は無意識のうちに生命の終わりを予感していた。
痛いのが嫌なのか。
それも違う。
たしかに腹が立つぐらい思考のノイズになるが、それは大きな問題ではない。
多くの痛み、多くの傷。
多くに溢れる死の感覚が、彼の
「――あぁはははッ!! 見えたぜてめえッ!!」
そう、彼は。
最初からそうだったように。
この命の使い道は徹頭徹尾己自身のため。
他人に回す余裕なんて許さない、と少年は嗤った。
まったく捻くれているにもほどがある。
バカでクズで救いようのない人間だ。
――――それでも。
「何度も言わせんなッ!! 逃がすかよぉ!!」
それでも、譲れない
「ハハハぁ――――!!」
バギン、と羽虫の頭を砕く一刀。
西瓜割りを彷彿とさせる唐竹割りが見事に刺さる。
「――――あァ!?」
けれどもそれは決定打になりえない。
中身のない羽虫は硬い外皮を歪めて笑う。
脳みそがあれば別だろうが、ソレらは正真正銘異形の怪物。
生物と同じカタチをしていても、構造はまったく違う化け物だ。
「てめえッ!! どこまでもぉ!!」
顔面を蹴り抜いて強引に刃を抜く。
神秘で出来た刀剣は多少雑に扱おうと刃こぼれ一つ起こさない。
そのまま悠は再度得物を構えようと――――、
「ッ、なんだぁ!?」
ギッと、木材の軋む音を聞いて固まる。
数メートル先には飛ばされた羽虫。
その右腕がわずかに掲げられていた。
手首に巻き付いているのは蔦のような細い木の腕。
槍として使えなくなってもまだ、その用途は残っているらしい。
「この――猪口才なァ!!」
両腕から剣刃を生成して拘束から逃れる。
鉄潔角装の応用だ。
物質として固定できるのなら、身体の内側から生やすことだって当然可能。
もっともめちゃくちゃ痛いし血はドバドバ出るので彼にしかできない反則技なのだが。
「いい加減にしろや虫モドキ!! いつまでも出張ってんじゃねぇッ!!」
純エーテルを噴かして距離を詰める。
今まで多くのヒトを殺戮してきた人類の天敵。
木々の羽虫。
枯れ木色の小さな脅威。
それがどうだ。
たったひとりの男を相手に、こうも蹂躙されるなど――
「縺ゅ≠縲√ワ繝ォ繧ォ縺上s――――」
羽虫の口が何事かと動く。
頭の中に疼くような音が聞こえる。
――関係ない。
もはや敵の首は目の前、これを取らずにいられようか。
悠は振りかぶった剣もそのままに、猛然と突っ込んだ。
「おぁぁああああああああ――――ッ!!」
断頭台の刃は鮮烈に。
羽虫の首が宙に舞う。
処刑人は澄んだ青の尾を引いて、勢いを余らせながら地面を滑った。
砂塵と一緒に純エーテルが撒き散らされていく。
「――――――――」
ピクピクと痙攣する枯れ木色の身体。
ふと、それが風に揺られてぐらりと傾いた。
「――――げぼぉッ!!」
堪えきれず悠の口から大量の血液がこぼれる。
己の身体のコトは己が一番熟知しているだろうが、いまはそんなコトすら分からない。
無理をしすぎだ、見える部分はおろか内側だってボロボロだ。
治るとはいえ治りきる前に壊していてはキリがない。
さしもの彼でもしばらくは呼吸をするのに手一杯だろう。
「えほっ、げほっ……お、げぇ……ぇえぇおごぉ……!」
ひゅーひゅーと情けなく息をする。
ともかく、これにて一旦脅威は去った。
頭と胴体を別たれた羽虫は、そのまま荒れ地に崩れ落ちて、
「――――――は、な……?」
掠れ掠れの声で悠が呟いた。
切られて頭をなくした身体。
その、人間でいう首の断面から花弁が散っている。
ぽふん、ぽふん、と。
紫色の花が。
「――――――――――!!」
大地が砕ける。
荒れ地に枝葉が浸食する。
もはや虫のカタチなんて残っていない。
それは根を張る植物のように、全身の枝葉を周囲へ伸ばした。
「ッ、て、めえ! ざけんなよぉ!!」
言いながら、迫り来る触手を切り払う悠。
純エーテルはまだまだ使えるが、流石に体力は限界を超えている。
おかげで何発か喰らった。
身体にぽっかりと穴が開く感触。
歯を砕かんばかりに噛みしめて痛みを押さえつける。
「――――――ッ」
焦るコトはない。
アレは変化したように見えただけで真実は自壊だ。
本来想定されていない、楔から解き放たれただけの力の暴走。
現に伸びる枝葉の威力は羽虫状態の時より落ちている。
厄介なのは単純な手数の多さと、
『圧巻だなぁ……おい……!』
見上げるほどに大きくなったその巨体。
「ちょッ――!? な、なにこれぇ!? あ痛ぁ!? 怪我ッ、やば! 死ぬ!?」
「隊、長ッ……! うる、せェ……! 元気ありあまってんじゃ、ねェか……!」
「ッ、流、崎……ッ! 流崎ッ、おまえ……ッ!!」
「――――ぇ、ぁ……ぅわ……なん、ですかコレ……ユメです……?」
「ハハッ……んだよあいつら。いや、しぶといな。っていうと言い方悪いか。根性据わってんな。流石によぉ」
荒野に一輪の花が咲く。
無数に伸びた木の触手を携えて。
「……あぁ、でも、そうだよ。
そうして彼は、笑いながら。
「――
ぽつりとひとりこぼす。
誰に言うでもなく洩れたその一言は、彼以外に届かぬまま空へ消えていった。
基本的に男の子はボロボロになればなるほど美味しい。最後まで足掻きながら死んだらサイコー。実を言うとそんなスタンスの本作です。