<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
■昔の話
それは昔話で語られるような、遠い昔の話である。
かつて、海辺に栄えた一つの村があった。
街と呼べるには民の数は少なく、そして建造物も住民の数と同じか少し少ないくらいであった。
だが、海近辺という特徴を生かし、漁業や、海からの来訪者を近くの山の幸で出迎えるなどをすることで他の街や国からも一定の観光地として人気があった。
その時代の村長が優秀で、かつ賢かったのだろう。
驕ることも無く、食料や金銭を一定量を貯蓄することで冬季や収穫量が少ない時期も乗り越えていた。
大型のモンスターが現れれば、油断なく近隣の村と共に討伐を行った。
村の住人は安心していた。飢えることなく毎日を暮らせるこの村の中で。
村の住人は安堵していた。自身らは有能な村長の下で優秀な村の民として生きるのだろうと。
村の住人は安眠していた。自身らはこの先も命の危険を覚えることは無いのだろうと。
村の住人は油断していた。人間の手では負えない敵を目の前にしたとき、いくら住人が団結しようと村々が団結しようと、蓄えも特産物も有能な村長も無意味であることを知らなかった。
「ふう……」
海から流れてくる潮風に吹かれながら、少女は荷を下ろす。
箱の中には山菜がこれでもかと詰められていた。
明日には海からの客がやってくる。
その歓迎の準備には村総出でかかりきりになる。
「村長、これどこに持ってけばいい?」
「ああ、そちらはクックさんの家にお願いします」
村一番の料理人の家に少女は山菜を運んでいく。
すでに下準備を始めていたのか、クックの家からは良い匂いがしていた。
明日の歓迎会が楽しみだ。
「お嬢ちゃん、これ味見してくれ」
クックが内緒でいくつかの料理を食べさせてくれた。
秘密だぜ、と言われたが、匂いに敏感な他の子供たちには気づかれてしまうかもしれない。
それを込みでクックは言っているのかもしれない。
子供好きの彼は、村の子供に自身の手料理を振舞うのが何よりの喜びらしく、むしろ歓迎会の前に子供らに味見と称して料理を上げているのかもしれない。
夜になり空を見上げる。
雲一つない星空。
何年も変わりない、空である。
「明日……かぁ」
来訪者の滞在は1日で、その翌日にはまたどこかへと旅立ってしまう。
ここへは休憩程度の滞在だ。
「こっそりと荷物に紛れても……駄目だよね」
少女は賢かった。
それが幾ばくも現実的では無いことを分かってしまう。
退屈な日常は、しかし貴重なもので。
危険な非日常は、決して歓迎すべきでないことを少女は知っている。
いっそのこと、取り返しのつかないくらいに非日常がこの村にやってくればいいのに。
そうすれば非日常は日常となる。
「……なんてね」
きっと、他の村では今年の冬を越すのもやっとだろう。
モンスターに襲われて犠牲者も少なくない数を出している村もあるはずだ。
自分は恵まれている。
恵まれているから……余計な考えをする余裕が出来てしまう。
「変わらない。変わらない。でもそれが……それで良いんだ」
少女は砂浜まで近づくと波を蹴る。
穏やかな波だ。
砂以外の何をも攫いはしない。
「あ、そうだ! この貝殻で……」
来訪者達に何かプレゼントをしよう。
そう思いついた少女は貝殻を集め始める。
夜とはいえ、星の光がある。
生まれた時からこの環境で生きてきたため夜目も効く。
少女は夢中になって貝殻を集めていく。
少女は気が付かない。
いくら賢くてもまだ幼い少女だ。
空に異常は無くとも。
海に異常はあれど。
全て波が流してしまう。
少女が海に背を向けた時であった。
何かが海中から這い上がる。
暗闇で見えないわけではない。
ズルズルと、砂を這いそれは少女に近づく。
「……?」
振り返ると何も見えない。
星空も、海も何もかも。
何故ならば……少女の顔の前にはソレの口があったのだ。
少女の顔にソレの息が吹きかけられる。唾液が飛ばされる。
「ひっ……」
後ずさろうとしたが無駄であった。
砂地に慣れた海辺の民も、モンスターには敵わない。
まずは頭部が体から失われる。
次に首から脊髄、次いで内臓を啜り出される。
ぐちゃぐちゃと、中身が減ってきたら最後に味わうように皮ごと全てがソレの口内に吸われていく。
食い残しも砂に吸われ、波が攫って行く。
いつしか波は高く上がっていた。
いくつもの、いくつものいくつものいくつものいくつもの腕が村に這い上がる。
有能な村長も、村一番の料理人も、豊かな村に生まれた幸運な村人も、旅人も。
みんな等しく呑み込んでいく。
腕が、ソレの持ち主が、全て平らげてしまう。
一晩が明け、海からの来訪者が村へと辿り着いた時、住人は1人として残ってはいなかった。
「……何が起こっているんだ」
まるで神隠しにでもあったかのよう。
決して、噂でも村を空にするような者では無かったし、何より彼らは客人を大切としていたはずだ。
船から降りた船員たちは村中を捜索する。
「……船長、これは」
その喰い跡を見て、船員は船長を呼ぶ。
砂浜には何かが這った跡。その形跡。
海にいるはずのモンスターがいないこと。
これらから船長は確信する。
「……グラスコードか」
グラスコード。そう名付けられたモンスターがいた。
普段は深海に潜むはずのモンスターだ。
だが、年に一度ほど海上に現れて船を襲い食らう。
船が無ければ海中モンスターを襲い食らう。
海にいない者にとっては害のないはずのモンスターであった。
「だが、なぜ……」
突如として生態系が変わったのか。
それとも、このモンスターも棲めないほどに海底には何かがいるのか……。
「いや、それはないな」
船長はすぐにその考えを否定する。
何がいたとしてもグラスコードを脅かすことなど出来ないのだから。
「しかし不味いな……陸の人間の味を知ってしまったか」
海に出る人間は、海のモンスターと闘える強さを持っている。
それだけの備えをして、ようやく海を渡れるのだ。
だが、陸は違う。
陸からの攻撃を備えても、海からの侵略者に対しての備えは低い。
ましてや、こうして海を渡ってくる人間の存在を知ってしまった者達は、海を渡ることが出来ると、海のモンスターはその程度の強さと誤認してしまっている。
「このままだと近辺の村は壊滅するぞ……」
「どうしますか? すぐに呼びかけて……」
海辺の村を襲えば容易に餌にありつける。
それも船を襲うよりも大量に。
そのことを知ってしまったグラスコードはこれまで以上に被害を増やすであろう。
「そうだな。……俺達だけならともかく、彼らでは手に負えない。せめて協力してグラスコードの撃退にあたらせよう」
こうして、歓迎されるべき来訪者達は近辺の村々に注意勧告を出していった。
休むはずが休息を取ることも無く。
「後は……巫女が何とかしてくれるはずだ」
ここにはいないその人物に一縷の望みを託して。
来訪者達は自国へと戻っていった。
彼らに出来ることはここまで。
彼らにもグラスコードは倒せない。
追い払うことは出来ても、腕の1本くらいは倒せても。
グラスコード自身を倒すことなど出来やしない。
せめて、せめて、巫女の力でグラスコードを鎮めて欲しい。
無茶かもしれないが。
無謀かもしれないが。
無駄かもしれないが。
人間には足掻くことしかできないのだ。