<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する   作:そらからり

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202話 切り札

■【高位薬剤師】バウム喰変

 

 トラウマは人生において重荷である。

 失敗であれば良い。

 失敗は経験の糧となるのだから。

 

 だが、心傷(トラウマ)はただの枷だ。

 乗り越えたところでマイナスが正常に戻るだけ。

 何も学ばない。

 何も強くならない。

 

 学び強くなったらそれは失敗だ。

 トラウマ足り得ない。

 相応しくない。

 

 そして失敗とならないトラウマは非現実的であってはならない。

 日常の一端を切り出して、その上で原因となる何かがあるのだ。

 

「……」

 

 白い防毒面の下でバウムは息を吐く。

 額に汗を浮かべ、顔は緊張のあまり青白い。

 

 バウムの全身は白い。

 防毒面――ガスマスクだけでなく、全身の気密スーツまでもが。

 完全に外界とは遮断されており、スーツ内を循環する空気で彼の生存は許されている。

 

 何故そこまでするのか。

 別に彼の肉体が特別脆弱なわけではない。

 確かにバウムのジョブ構成は非戦闘系で埋まっており、ステータスはMPとDEXが極端に高くなっている。

 山中における彼の非力さはクリアントが超級職に就いた今、最弱だ。

 真正面から戦えば【パラポーラ】の1匹とも渡り合うことは出来ない。

 

 だが、彼は食事以外では決してこのマスクを外すことは無い。

 もっと言えば、街中での食事以外では素顔を晒すことも、生身の肉体を曝け出すことも無い。

 全身を包み込まずにはいられない。

 全身を守っていなければならない。

 

 それでも、戦う覚悟など無い。

 あの悍ましい光景を思い出さないために。

 トラウマを蘇らせないために。

 乗り越えるのではなく封印するために。

 バウムにマスクと気密スーツは必須なのだ。

 

 

 

 

「……良し。これくらいか」

 

 【パラポーラ】の死体の近くで屈み、バウムはソレに恐る恐る手を伸ばす。

 触りたくない。だが、触らざるを得ない。

 彼のエンブリオの源である左手の紋章はスーツ越しに光を放つ。

 紋章に刻まれた数は125。

 それはそのまま倍率となり、バウムの切り札の威力となる。

 

「だ……誰も来ないのか。もう少し待っていた方が……」

 

 彼は【パラポーラ】にも、その上位存在である神話級UBM【鋭弾蟻匆 シュヴァーゲル】にも通じ得る切り札を持っている。

 直接的な戦闘能力を持たないが故に、搦め手を使い倒す手段を持っている。

 だが、バウムは決してこの力を使うことに意欲的ではない。

 そもそも蜜の奪還など知ったことでは無かった。

 そもそもここまで生き延びられるとは思ってもみなかった。

 ただ死にたくなかった。

 あの過去の心傷風景が再度その身に刻まれることを何が何でも避けるために。

 ここまで来てしまったのだ。

 

「……ッ」

 

 だが、いくら待てど背後から聞こえるのは【パラポーラ】の足音のみ。

 聞こえるたびに身を震わせる。

 自然と足が前に出てしまう。

 先に待ち受けるのは【パラポーラ】どころではない、シュヴァーゲルというバウムなど歯牙にもかけないだろう化け物がいる。

 

 分かっている。

 まともにやり合えば勝てないことは。

 分かってはいるのだ。

 だが、背後の恐怖が正面の恐怖を覆い隠してしまう。

 

「あ……あ……」

 

 ふと振り返ってしまった。

 幾つもの赤く光る眼があった。

 数十匹の【パラポーラ】がそこにいた。

 互いに身を重ね蠢く。

 

「あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――」

 

 そこで一度バウムの意識は途絶える。

 余りの恐怖に、過去のトラウマに飲み込まれ。

 

 そして、再び意識が戻った時。

 彼の周囲には【パラポーラ】の死体が転がっていた。

 

「は……はは……」

 

 ソレが自身が作り上げた死体の山であることは容易に想像できた。

 どのようにやったのかも、何故やったのかも。

 

 だが、その間の意識だけは無い。

 トラウマを思い出さないために、追体験しないために、彼の脳が勝手に途絶えさせるのだ。

 

「やるしか……無いのかぁ……」

 

 トラウマは常に楽しい記憶と共にある。

 『甘味祭』を楽しもうとした矢先に。

 あるいはそれ以前の、幼少期のハイキングの頃のように。

 

 幸福であればあるほど不幸に見舞われた際の落下は著しい。

 バウムは二度知り、二度諦めた。

 もう楽しめる時ではなくなった。

 逃げることも叶わず、しかしこのまま【パラポーラ】に食い殺されることも出来ず。

 

 だからこそ進むしかない。

 地獄の窯が蓋を開けるように、自然とシュヴァーゲルの待ち受ける洞窟に足が運ぶ。

 不思議と道を僅かたりとも迷うことは無かった。

 【パラポーラ】が掘り進めた地中の穴は複雑に入り組んでいる。

 時折数匹の【パラポーラ】と会敵し、その度に意識を飛ばす。

 そうしてバウムは唯一人、蟻の巣穴の最奥に辿り着いた。

 

 

 

 

「……誰もいない」

 

 少しばかり期待はあった。

 先に仲間の誰かが辿り着いているのではないかと。

 既にシュヴァーゲルを討伐した誰かが待っているのではないかと。

 

 だが現実は非情だ。

 地上程では無いが少なくない数の【パラポーラ】とシュヴァーゲル、明らかにネームド個体と思われしシュヴァーゲルよりも一回り小さな蟻、それにシュヴァーゲルの横に佇む女――

 

「……人間?」

 

 奪還隊のメンバーではない。

 《看破》は残念ながら低レベルであるため上手く発動せず、女の正体は分からない。

 

 だが、少なくとも見た目は人間であり、モンスターに捕らわれたようには見えない。

 

「ようこそ、ここまでいらしたのは貴方が初めてですよ」

 

 柔らかな笑みを浮かべ、女は口を開く。

 会話が成り立つ。

 その事実は同時に、彼の持つトラウマと同程度の悍ましさをバウムに与えた。

 

「何か褒美でも与えたいところですが、残念ながら寂しい場所です。貴方にあげられるのは死のみです」

「……ああ、そうだろうな。俺は死ぬ。この数もそうだが、そもそも強さが成り立っていない。そこらの雑魚モンスターさえ俺は勝てないのだから」

 

 今にも意識は飛びそうだ。

 心臓が爆発しそうな程に高鳴る。

 もしかするとこのまま強制的にログアウトさせられてしまうかもしれない。

 

「だが、それでも蟲共を殺すことくらいは出来る」

「あらあら、物騒ですね。現代の人間は随分と野蛮になりましたか」

「お前は……何者なんだ。人間なのか……?」

「ええ。そうですね。人間と、そう称しても差し支えは無いでしょう。今は神そのものと言ってもいいのでしょうけれど」

 

 妄言を豪語する頭のイカれた女と切り捨てることは出来ない。

 神話級UBMの隣にいるという時点で既に何かあるのだろう。

 

「……」

 

 息を整える。

 高性能のスーツ内に満ちる新鮮な空気が肺を満たす。

 今は落ち着けと胸を抑える。

 

 思い出せ。

 今だけはあえて思い出すべきだ。

 

 土の中。

 大量の昆虫。

 払っても払っても拭えない記憶。

 振り払う程にこびり付く小さな死骸。

 何故あんなところに落とし穴があったのか。

 何故あんなところに虫は棲みついていたのか。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ――

 ああ、全身を寒気が包み込み、脳を震わせる。

 

 だが、この冷たさが冷静を保たせる。

 感情を昂らせることなく、過去を振りほどかせようと現実を見据えさせる。

 

 

 そして、

 

「女。お前を殺す気は……いや、俺にお前を害する力は無い。だが! そこの虫共が街を襲うのであれば、人間の平和を脅かすのであれば! 俺はそれを許さない。これ以上俺のような心に傷を負った奴を生み出さないためにも。ここで道連れにさせてもらうぞ」

 

 左手の紋章が光る。

 光が収まった時、彼の手に握られていたのは小さなスプレー缶であった。

 

「《絶えよ我が風、滅するまで(パズズ)》!」

 

 そのスプレー缶の名はTYPE:カリキュレーター【魔熱風 パズズ】。

 能力特性は同種族の根絶。

 死体を取り込めば取り込むほど、その種に対する致死性を高めた風をスプレーから発射することが出来るようになる。

 いわば殺虫スプレーだ。

 

 これこそが奪還隊の切り札。

 道中で【パラポーラ】の死体を可能な限り取り込み、その上位存在であるシュヴァーゲルにまで致死性を届かせようという策だ。

 この段階でバウムの護衛が数名生き延びているのが望ましかったが、何故かシュヴァーゲルも他の【パラポーラ】も襲ってくることはない。

 

 ならば切り札は即座に切るべきだ。

 このまま長期戦となってもバウムに出来ることは無い。

 たとえ殺すことは出来ずとも、弱体化を図れれば、後に続く仲間の戦いが楽になるだろう。

 

「(きっと……この記憶は死ぬまでこびり付くのだろう)」

「……ッ!?」

 

 パズズの脅威性を感じ取ったのか。

 シュヴァーゲルよりも一回り小さな蟻――ネームド個体が慌てたようにバウムへと一瞬で距離を詰め、そして牙を剥く。

 

「(だけどまあ、それが俺なんだ。いつか埋もれて、それでも時折掘り起こされて、そうして何でもない人間の1人として――)」

 

 だが、既に覚悟を決めていたバウムの方が早かった。

 そもそも噴射するだけだ。指先一つで行える。

 

 150匹ほどの【パラポーラ】の死体から得た150倍の致死性を秘めた風。

 加えて【高位薬剤師】により薬効――殺傷力は高められている。

 

 ネームド個体がバウムの胴を分断すると同時に空間内にパズズの風が満ち……そして【パラポーラ】と彼らを操るUBMは倒れるのであった。

 

 

 【<UBM>――が討伐されま――】

 【MVPを選出します】

 【【バウム喰変】がMVPに選出――】

 【【バウム喰変】にMVP特典【鋳造生産 ――】を贈与します】




パズズ
バウムがいる周囲10mの範囲内だけ死体が光となって消える時間が遅くなります
ただしリソースなどで利用するのは彼以外はほぼ不可能
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