<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
■レジェンダリア西部 アラハルト採掘場
「兄者ぁぁぁ。なあ、兄者ぁぁぁ。もう俺ァ、腹が減って仕方ねえよ」
「……空腹は時に最高のスパイスと聞く。少しは我慢というものを知れ。それに、空腹加減で言うならば、俺の方が上だ」
「ああ、そっか。兄者はもう一月も食ってねえんだもんなぁ。すげえや、兄者は。俺なんか三日で辛抱ならずだ」
岩石地帯の上空を2つの蟲人が飛ぶ。
特徴的な飛行音は、蟲の羽音であり、それ自体は数千の蟲から構成されていた。
「……そうか、もう一月か。その半分かと思っていたが」
「兄者、もう食べに行こうぜ! 腹が減りすぎて頭が回ってねえんだよ!」
片割れを兄者と呼ぶ蟲人。
……否、彼らは人に非ず。
れっきとしたモンスター。
その中でも上位的存在であるUBMである。
片割れを兄者と呼ぶのは長い口吻が特徴の蟲人。
シルエットで分かりづらいが、やや丸みを帯びた体型をしている。
人血を主に餌とするUBM、【異類顕血 モストーン】。
直接の戦闘能力こそ低いが、広範囲で効率よく人間を殺すことのできるタイプの能力を持っている。
そして、彼女に兄者と呼ばれる蟲人。
顔面の半分以上を占める異様に発達した複眼が特徴。
彼の主食は死んだ人間の肉――特に、腐肉を好む。
無論、モストーンとの血縁関係は無い。
だが、似たような蟲の形態のUBM、そして餌が被らないためにこうしてペアで動くUBMである。
【無願執着 フライヤー】……そう呼ばれるこのUBMは生まれて一度も被弾を経験したことの無い純粋な個人戦闘型。
広域型と個人型。
この2種のUBMが向かう先はレジェンダリア最西部。
1人の〈マスター〉とそのエンブリオである少女が被願成就のため画策する地であった。
「ドラグロットの旦那は確実にこの先にいるんだよなぁ?」
「情報の精度が確かなら、な。その精度はお前次第、だろう?」
「そうだった、そうだった」
と、はしゃぐモストーン。
彼女の周囲には黒い靄が蠢いており、彼女の感情が上下するのに合わせるように大きさが変化する。
どうやら昂ると大きく、萎えた際には小さくなるようだ。
今は靄が大きくなっており、モストーンとフライヤーを地上から隠す程度の体積となっていた。
「こいつらに飯をたんまり与えればよぉ、もっともっと確実性が増すんだけどなぁ?」
チラリ、とモストーンはフライヤーに視線を流す。
強請る、と言えば可愛らしいものだが、その実質は脅迫に似た強請り。
フライヤーは既にモストーンの攻撃範囲に入っており、その範囲内において戦闘でも行えば無傷では済まない。
どころか、どちらかが死ぬだろう。
それは得策ではないし、複眼が捉える妹分もそこまで馬鹿ではないはずだ。
だが、彼女の配下は違う。
彼女の支配を離れ、本能のままに動けば、まず真っ先に己が狙われる。
「……はぁ」
本心から息を漏らすと、
「……下に人間の群れがいる。数にして12。1人たりとも逃がすな」
モストーンに許可を下した。
「あいよ!」
アラハルト採掘場に鉱山は存在しない。
採掘場と呼ばれる岩石地帯、その一帯から鉱石が発掘される。
深く掘れば掘るほど、価値のある鉱石が採れるため、採掘場の下には鉱山が眠っていると説を唱える者もいる。
さて、深く掘れば掘るほどとは言うが、それはどの程度の深度であるか。
答えは不明だ。
かつて己のエンブリオで地球で言うマントル程の距離を掘り進めた〈マスター〉がいた。
だが、その距離に到達しても尚、そこには変わらず土と石があるばかりであった。
それ以上進めば帰って来られなくなると判断した〈マスター〉は撤退を余儀なくされたが、その際に発掘出来た鉱石は市場にて億ですら温い金額で売られたと言う。
「さーて、掘れ掘れ。ここ掘れだっちゃ」
1人のティアンの男が掛け声と共にツルハシを振り下ろす。
ベテランの【炭鉱夫】である彼にとってアラハルト採掘場の何処で何が採れるかは文字通り手に取るように分かる。
本日必要なものは浅い層で賄えるため、大した装備も無く掘っていた。
「〈マスター〉の兄ちゃん。何だか天気が悪くなってきちまっただ。さっさと終わらせたいから手伝ってくれんか?」
上空の暗雲に気づいた男が護衛として雇った〈マスター〉に助力を求める。
自分らよりも遥かに高いステータスを持つ彼らであれば地面を掘り起こすのは容易である。
だが、それをしなかったのは、そもそも【炭鉱夫】である男が言ったことだ。
「力加減ミスって鉱石が潰れるちゃ困ると言ったのはそっちだろ?」
「ああ、それは言ったな。確かにオイラは言った。だけどよ、そん時とは状況は違うんだ。雷雨に打たれるのと、石が駄目になるんは、オイラに取っちゃ前者のが嫌だね」
「……チッ」
舌打ちをしながら護衛の〈マスター〉はティアンからツルハシを受け取る。
依頼を受けた際に使い方はレクチャーされている。
が、その時にも熟練の技工士によくある指導が気に食わなかったのか、〈マスター〉は終始苛立っている様子であった。
「あー、違う。そうじゃねえ。そこは掘ったら駄目だ。何をしているんだ。ツルハシを使い潰すつもりか」
「……」
手元が滑ったふりをしてこのツルハシを男の頭に振り下ろしたらどれだけ気持ちがいいだろうか。
そんなことを考えながら〈マスター〉は無言で地面にツルハシを突き立てる。
やがて、目当ての鉱石が見えてきた頃、
「……随分と分厚い雲だな」
〈マスター〉は上空の雲を見上げる。
先程から風が吹くが、一向に流されてくれない。
随分と長い時間、留まっているように感じる。
「……ん?」
〈マスター〉の《危険察知》に反応がある。
その反応源は……暗雲からであった。
「おい、お前ら――」
急ぎ、近くにいた他のティアンや同様に彼らに護衛を依頼された〈マスター〉に声を掛けようとした時、
「――痛ッ」
首元に痛みが走った。
リアルでは山育ちの彼は吸血ヒルに噛まれた痛みを知っている。
だから、ソレに似た感覚を覚えた彼はすぐに痛みの発生地点を叩いた。
思わず叩いた手を見ると、そこにはまるで刃物で動脈を切ったかのような明らかに致命傷と思わしき勢いで血が溢れていた。
「……!?」
拭っても拭っても血は途切れない。
「――ッ、――ッ」
周囲に伝えようとし、首元の出血が、首に穴が空けられているからだと理解したのは、声を出そうとするたに空気が喉元から抜けていることに気づいてからだ。
手振りで伝えようとするも、状況を理解できない者達は呑気に手を振り返している。
どうやら、彼の機嫌が悪かったことを知っていた者は、治ったと勘違いしているようだ。
状況が既に致命的なまでに手遅れであると知ったのは、1人目の犠牲者が出た後であった。
首に穴を空けられた〈マスター〉が失血死する。
異変は直後であった。
死体が干物のように干からびる。
「……何が起こった――痛ッ」
「え――痛いッ!?」
あちこちで首元を抑えるティアンと〈マスター〉達。
例外なく、次の瞬間には首から出血が起こり始める。
「……ッ! これは……何者かの襲撃だ! 《危険察知》……雲……あの中にいるのか!」
免れた〈マスター〉が1人だけいた。
頭から足先まで溶接されたパワードスーツを装備しており、彼だけは首からの出血は無い。
全身に何かが当たる音がする。
だが、それらはスーツの装甲を破ることが出来ず、装着者である彼も意に介さずパワードスーツの性能を存分に発揮させ、足元からジェットを噴き出させる。
地上では出血し、干からびていくティアンを視界から外し、ひたすら元凶であろう暗雲を目指し飛ぶ。
「そいつは不味いな。俺と妹分はともかく、奴らはその風圧で死にかねん。足元の熱なんて、もってのほかだ」
「……ッ!?」
亜音速で上昇していく彼の隣から声が聞こえた。
ぴったりと、横づけされた影は一切のブレなく〈マスター〉の隣で飛んでいる。
まるで地上に隣立つように。
「まあ、仕方がない。死にかけて、その原因が分かっているなら対処するしかない。それは世の理だ。だからこそ、俺も倣って動くだけだ」
何をされたか分からなかった。
分かったのは、気づいた時にはパワードスーツごと肉体が四散し、地上に落ちていくことだけであった。
すぐにその断片も血液が失われ、干からびながら消えていく。
「容易い」
〈マスター〉の首だけを持ち上げ、やがて光へと消えていくのを確認した影――フライヤーは呟く。
「さぁ。腹は満たされただろう。我らの行く道はまだ先だ。満たされたならば働け。そして、次なる死肉を漁ろうぞ」
彼の言葉に同意するかのように黒い靄は蠢く。
まるで……否、それは紛うことなき小さな羽虫の群体であった。