<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
絶対に要らない(要る)
■【高位薬剤師】バウム喰変
幼少時は活動的で活発的で快活であった。
野を駆け、山を登り、川を渡り、崖を下る。
野生児のように遊びまわった。
楽しかったし刺激的な毎日だった。
大人はそんな自身を笑って肯定し、元気であると喜んだ。
それでも、決して触れてはならないものというのは子供ながらの本能で悟った。
毒草、害虫、猛獣、化学物質……挙げればキリのない、命に関わる危険なもの。
授業で習うまでもない。
親に教わるまでもない。
見て危険だと分かるものは分かる。
見ても分からないものは、近寄らずして避ける。
7歳、8歳、9歳……とそんな毎日を過ごしていた。
だけどふと気づいたのだ。
誰も後ろを付いて来ていない。
10歳になった時。
自身と対等に駆け巡る者は皆無となっていた。
「……はは。おかしいな」
一昨年まではたくさんいたのに。
去年まではそこそこいたのに。
昨日までは1人だけいたのに。
もう誰も付いて来ない。
大地の果てに、高山の頂に、大河の向こうに、断崖の真下に。
彼の後ろにも、横にも、ましてや前にも。
肩を並べて歩く友はいなくなっていた。
「……まあ、いいか」
それでも、彼は良しとした。
遊び場はたくさんある。
遊び相手はいないが、遊ぶ場所ならたくさんあるのだ。
「今日は……森に行くか」
森は多くの生き物がいる。
動物は数少ない、彼と共に地を駆けることのできる良き隣人だ。
果実を探してみてもいい。
花の香りを嗅いでもいい。
見たことの無い形の樹木を探してもいい。
自由だ。
やれることはたくさんある。
だから彼は、1人で森に出た。
強くなったと勘違いして。
縛り付けられる者などいやしないと傲慢になって。
誰も助けてくれることの無い、無人の森へ這入ってしまった。
「……熊か何かが爪を研いだ痕か」
鋭く深い爪痕が大樹に刻まれていた。
今にも折れそうな程深く傷ついた大樹を撫で、考える。
森を出るべきか、それとも用心はしたまま森に留まるか。
悩んだ末に、彼なりに熟考を重ねた末に、後者を選ぶ。
森に慣れているわけではない。
むしろ、久しぶりといっていい。
だが、多くの友人が彼の後を追えなかった――友人よりも優れているのだから友人程に警戒はしなくても良さそうだと思った彼は、友人であれば選ぶべき選択肢を捨ててしまう。
「冬も近い。蓄えるために餌を探しているんだろう」
既に肌寒い時期だ。
多くの生き物が冬を越す準備に入る。
彼の住む村も、資材をかき集めていた。
そうだ、と彼は思いつく。
せっかくだから土産を持ち帰ろう。
薪になりそうな木でもいい。
干し肉になりそうな動物でもいい。
兎に角、何かを持って帰ろう。
そうすれば、友人はまた彼の後ろに付いてくるかもしれない。
彼にとっては安全な道でも友人にとっては危険であるならば、より安全な道を先導してもいい。
毒草も害虫も猛獣も化学物質も、全て避けて通れば、危険地帯を全て避ければ、きっと友人も安心して歩くことが出来るだろう。
「うん、そうしよう」
幸いにも、彼は10歳にしては体格に恵まれている。
村の大人顔負けの膂力も持ち合わせている。
熊の爪とぎで折れかけていた大樹をへし折ると、それを担ぐ。
ついでに果実の生っている樹木を蹴り、果実を落とすとそれらを袋に詰めて背負う。
後は肉があれば良かった。
騒めく森を歩き、探す。
「ウサギ、リス……鳥でもいいか」
樹上を見上げ、空を仰ぎ、獲物を探す。
だが、こちらは不幸なことにか、一向に見つからない。
見つからないからムキになって、探し続ける。
「……熊に怯えたか?」
であれば、付近にまだ大型の肉食獣が潜んでいるかもしれない。
それは不味い。
彼はまだ熊と戦えるような力も技術も足りていない。
それは大人のやることだ。
「……仕方ない。帰る、か――」
宙に浮いた。
そんな錯覚をした。
一瞬の浮遊感。
後に落下。
まるで意識を手放したかと思う程、景色が一変する。
豊かな緑から、黒と茶の混じった景色へと。
それが、地面に空いた穴の中であると分かったのは数瞬後であった。
担いでいた大樹は落ちた拍子にばらけている。
破片が右手を割いたのか、血が流れている。上手く力が入らない。
背中を強く打った。痛い。脚も痺れている。
「なに、が……」
ふと左手にぼとりという感触が落ちてきた。
ぼとりぼとりと、ソレは続く。
「……へ?」
気色の悪い感覚。
続けざまのその感覚に、見ずにはいられない。
否、見なければ、不気味さは収まらない。
だが、見てしまったことが始まりだ。
これから長く続く心の傷は、今まさに刻まれる。
長い体躯のミミズ。
無数の手足の百足。
人工色の強い芋虫。
その他にもその他にもその他にも。
蟲。蟲。蟲――
「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
叫ぶその口にも落ちてくる。
入り込んでくる。
ねじ込まれるわけではない。
狙われたわけではない。
ただ、大量であるが故に自然と入り込んでしまうのだ。
入り口という入り口に。
……傷口という傷口に。
「ひっ――」
右腕に激痛が走る。
蛆が沸いていた。
たった数秒、1分にもまだ満たないはずなのに。
元からそこにいたのか。
あるいは、降り注ぐ大量の蟲の中に混ざっていたのか。
「み、みぎうでが、ああ、めめ眼が、ぐぐぐぐぢにもばいりごんで――」
そこから先は言葉にならなかった。
身体中に侵入する蟲に、まるで自身が蟲と一体化してしまったかのように、そう錯覚させられる。
蟲の巣のように。
餌場のように。
苗床のように。
ただただ、気味悪く、気色悪く。
暴れればねちゃねちゃと蟲を潰す感触がある。
暴れれば傷口から深く入り込んでくる。
次第に暴れる力も無くなり、彼は気を失う。
ようやく、気を失うことが出来たのだ。
現実を見なくて済むようになったのだ。
後から教えられたことだが。
彼が担いだ樹木も、彼が背負った果実も、その全てに蟲がたかっていたらしい。
運悪く、蟲が好む樹木や果実であったらしい。
擬態が上手く、あるいは小さいが故に内部に入り込んでいるため、一見して気づかない。
寄生虫のように、気づいた時にはそこにいる手合い。
そして、彼が落ちた穴もまた、蟲の穴。
否、村の大人達が掘り、『蟲毒』に似た呪法を作り出すための穴であった。
森中の、森の外の、害虫も毒虫も、あらゆる蟲を集め放り込んだ忌みすべき穴。
何故そんなものが。
何故そんなことが。
もはや尋ねることも出来ない。
あの日から彼は家から出られない。
あの日から彼の右腕は動かない。
あの日から彼の左目は開かない。
あの日から彼の――心は癒えない。
ただ、蟲が怖い、と。
全て除去されたはずなのに、身体中を這う感触と、内部を巡る感覚に襲われる。
大きな体を丸め、かつての強椀は痩せ細り、ただ震えて過ごす毎日。
もう野を歩かない。
もう山を登らない
もう川を渡らない
もう崖を下らない。
蟲の出る場所全てが怖い。
家の中ですら、両親に頭を下げて毎日のように殺虫剤を振り撒いている。
そんな彼の転機となったのは、村の長が持ってきた1つの箱だった。
彼は笑顔で彼にソレを手渡す。
「上手くいった! お前のおかげだ! あの壺に、村で一番強いお前が入った! そして蟲は勝ったんだ! だからだ! だから、より強い呪法足りえた!」
分からない。
意味はちっとも理解出来ない。
だが、村長は嬉しそうだ。
だから、彼もまた、笑みを無理やり返すしかなかった。
……返さなければ、彼の居場所など無くなってしまうのだから。
もはや村にとってのお荷物。
それを自覚していた。
だが、それでも村の為に何か出来るというわけではない。
するための気力が沸かない。
「これは褒美だ。いや、新たなお前の仕事だ。あちらの世界でも私達の力が通じるか。試してくるんだ」
電気など通っていないと思っていた自宅にはいつの間にか灯りが点いていた。
どころか、村中が文明の利器に溢れていた。
何時からか。
自身が家に籠っていたから気づかなかったのか。
村長は笑う。
有無を言わさぬ笑顔であった。
村の住人達も笑っていた。
かつての友人もこちらを見ていた。
それが嘲りから出たのか、憐みから出たのか。
もはや視力の低下した彼の目では見分けることも出来ない。
「どうだ?」
「やって……みます」
分からない。
分かるのは、まだ自身に役目があるということだ。
役割があるのなら。
現実を見なくてもいいのなら。
また、歩き出せるのかもしれない。