<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
■【魔法少女β】プシュケー・アーチ
息を吸って、吐く。
ただそれだけなのにどうしようもなく苦しく辛かった。
肺腑までもが屍化に侵されているせいなのであろう。
見た目の皮だけでなく中身までもが醜く転じ始めている。
その事実が耐えがたい苦痛であった。
それが、ふと消えた。
息を吸える。吐ける。
否、それだけではない。
醜く朽ちかけていた手足も、元の素肌に近いものへと戻っていた。
美しい、手足へと。
「これは……」
理由は簡単だ。
この現象の元凶……カズアキの力が失われたのだ。
流石に、主が消えても残り続ける類のスキルでは無かったらしい。
「やってくれましたわね。ナイスですわよ」
ジャミラへと称賛を送る。
本当に、本当によくやってくれた。
あともう少しでもタイミングが遅かったら……私は死んでいただろうから。
『フン……無駄足となってしまったか』
ドラグロットの尾が振り下ろされる。
先程までの朽ちていた脚では避けられなかった。
ましてやスウェーコンでの反撃も叶わなかっただろう。
だが、屍化が解けた今。
どちらも容易だ。
躱しざまに尾にスウェーコンを叩き込む。
切断こそ出来なかったが、深い裂傷を与えた。
……足りない。
「あら? これだけの被害を生み出しておいて、無駄だったとは。贅沢者ですわね」
海も大地も朽ちている。
魚の死骸は死後数日は経っているかのような臭いを放ち、大地に蠢く生物は羽虫を残してもういない。
それこそはドラグロットの生み出した状況。
対象の死後から計算した状態を作り出す能力。
「発酵食品は好みですけど……流石に腐った食べ物を食す趣味はありませんわ」
ドラグロットの尾は裂傷部分から膿のようなものを垂れ流す。
それは大地に落ちると、即座に腐臭を撒き散らす。
……毒ガスの類と見て良いだろう。
吸わない方が賢明だ。
「マスター」
「ええ。風魔法の準備を」
だが、気体であればある程度の指向性さえ支配してしまえば無効化する。
ゲンドゥルに風魔法で風向きを変化させ、膿から作られた気体を吸わないようにする。
『腐った食べ物、か。人の身が言うことはやはり凡庸だ。時を経たものは深みが違う。情報が増すのだ。決して減ることは無い……そこに在るのだからな』
「微生物に分解されて減っているではありませんか」
ドラグロットが爪を薙ぐ。
どうも、直接的な攻撃ばかりだとプシュケーは違和感を覚える。
確かに強い。
古代伝説級のUBMに相応しいステータスは、直撃すればそれだけで致命的。
触れたものが朽ちていくことを鑑みれば、それ以上に脅威。
防御力などあって無いようなものなのだから。
だからこそ、プシュケーは考えざるを得ない。
何か他に、隠しているものがあるのではないだろうかと。
「(隠し玉を使うタイミングを逸したと考えるのは……安楽すぎますわね)」
スウェーコンで爪を受け止める。
「スウェーコン!」
どころか、伸ばしたスウェーコンの増した破壊力は逆にドラグロットの右五爪のうち3つを砕いた。
「……は?」
驚いたのはプシュケーの方であった。
何故だ。
「何でこんなにあっけなく……」
何か、スキルの発動準備をしているのではないかと勘繰る程に、状況が好転的過ぎた。
こんなに弱いはずがない。
『……ッ』
だが、焦るドラグロットの表情は本物。
何かを隠している様子も、何かを企んでいる様子もない。
ただただ純粋な戦闘能力を発揮して、押されているだけだ。
『……人の身でそこまで戦うか』
ドラグロットは目を細める。
まるで感心しているかのような仕草。
それがプシュケーを苛立たせる。
「……! ドラグロット! 何かまだ奥の手があるのというのならば……」
スウェーコンをプシュケーの扱える際まで大きく伸ばす。
最大火力。
洞窟内でも、森林でも振り回せなかった長さは、ドラグロットが視界を開けさせてくれたこの大地であれば容易に扱える。
『奥の手か……』
ドラグロットは考える仕草をした後、
『とうに使い切っておる』
そう、答えた。
「……え」
その答えがプシュケーの手を滑らせた。
ドラグロットを両断すべく振るわれたスウェーコンは、彼の鼻先を掠め、尾のみを切断する。
『……ぐ、ゥ』
苦しそうに呻く。
本当に、全力であったのだと、プシュケーは改めて実感した。
「……何時からですの」
『ん? その問いの意味が分からぬな』
「何時から、貴方はそこまで弱くなって……」
神話級に近い。
かつて神話級を下している。
そのような触れ込みであった。
口伝も噂も下馬評も、軒並み彼の実力を如実に表すのみ。
実際に会ったことのない者ですら、会えば倒せるなど言えなかった。
だからこそ、ここまで弱いことに納得出来ない。
こんなに弱かったならば……ドラグロットに倒された神話級までもが弱いということになる。
それだけは、嫌だった。
『……幾年であったか。大した昔ではない』
疲れた声だ。
老齢の、死にかけた声。
どこか覚えがあった。
『力が手に入ると過信した。故に少しばかり己が力の領分を超えたことも出来た。……だが、結局力は手に入らず、結果として振るった力の代償だけが残された』
「……」
『儂もまだまだ若いのだと、錯覚させられたよ。ある意味ではあ奴の策略であったかのかもしれぬな』
そう言ったドラグロットは先ほどよりも老け込んでいるように見えた。
あるいは、その手に入るはずであった力が手に入らなかった時からだったのかもしれない。
『……儂の力はもう理解していると思うが、経過だ。死の概念を与えると言っても良い。殺すのではなく、死んだ状態にする。死んでいるから腐敗する。その逆説的概念を与えることで相手を死に至らしめる』
「恐るべき力ですわ」
『だが……その力が及ばない者もおった。我が姉上がその代表であるな』
時空竜と血を連ねる存在……そのような噂もあったか。
太古の竜王というのも間違いでは無いらしい。
「他には……いませんでしたの? 貴方の、力が効かない存在は」
『居た。抵抗力の高い者はどうも通じぬ。そして、死という概念が存在しない相手にもな。だが……裏を返せばそれ以外には大抵通用したのだ。たとえ神話級の存在であろうとな』
ニタリ、と嗤った気がした。
死にかけの竜王が起死回生の一手を見つけたとばかりに。
『黄金の猿。ああ、あ奴は美しかった。我が力の一端にしたいと思った。貯め込んだ力を全てこの手にとな。そうすれば駆けあがれるのだと……儂も姉上達と同じ壇上に上がれるのだと確信した』
声を上げてドラグロットは嗤った。
まるで勝利を確信したとばかりに。
『名も聞けなかった黄金の猿。儂が手に入るはずであった力。そのために儂は斯様な年老いた姿へと成ってしまった』
ゆっくりと手を伸ばした。
欲した力へと。
かつて手に入れるはずであった力の源へと。
『そこにいたのだな……スウェーコン』
そうして、ドラグロットの手はスウェーコンへと触れる。
瞬間、黄金の光がスウェーコンから流れ込んだ。
『ハ、ハハ、ハハハハハハハハハ! 良い。良いぞ。これこそが求めた力だ! 黄金の力……我を更に押し上げる力だ!』
黄金はやがて濁った色に。
それらがドラグロットへと変換されていくのだと感じた。
『成った! 儂は成ったぞ! 神話級だ。儂こそが神。望む世界を自在に作り出すことのできる神なる存在だ』
銘は変わらない。
ただ、等級が上がっただけ。
だが、それだけが問題だ。
古代伝説級から神話級へと格が上がる。
力も能力も性質も。
その全てが此れまでとは大きく異なる。
『礼を言おう、人の子よ。よくぞ儂にその力を届けた』
心の奥底から言っているのだろう。
ドラグロットは先ほどまでの死に体であった声から、生命を溢れさせた声質へと成っていた。
「……ええ。別に構いませんことよ」
対するプシュケーは冷や汗をかきながら応える。
黄金の光を失ったスウェーコンを握りしめながら、
「……これで本当に良いんですわよね……スウェーコン」
自身の武器へと問いかけていた。