<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
■【深潜水士】クリアント
ノーチラス号から放たれる10発の魚雷が【グラスコード】10匹を撃破していく。
「命中!」
「あの一発一発が俺の全力以上か……」
【グラスコード】を殲滅するのに一度も死ぬ必要は無い。
狙いを定めて、砲台から弾を放つだけでいい。
「でも流石に数が多すぎますよー」
平均して10~12匹ほどの群れがあちらこちらを回遊している。
それらを一々探して戦闘を行っているわけではない。
むしろ、戦闘を回避して本体へと辿り着きたいのだが【グラスコード】の数が多すぎる。
これまでに倒した数は100匹を超えたはずだが、減る気配はない。
「倒した先から新たに生み出されているようだね」
亜竜級に相当するモンスター100匹以上の撃破。
【グラスコード】は【千貶万花 グラスゴード】の分体とはいえ、経験値は相当のものだろう。
「……でも本体は近い……はず」
「自信はあまり無さそうだな。ノーチラス号には探知機能は付いていないのか?」
クリアントはフィリップには何かしらの探知能力があると確信していた。
それはクリアントとフィリップの初邂逅時。
広大な海の中から、上空から落下してきたクリアントを正確に発見して救助してみせたのだ。
運良く……などではなく、何かしらのスキルを使ったのだろう。
「あるにはあるのだけれど……グラスコード本体を見つけるものではないのだよね」
「ふむ……まあ、【グラスコード】の数が段々増えてきているからこの先であることは間違い無さそうだが」
「こんな時、断られてしまったとはいえデメンタリーがいればとは思うよ。彼ならこの状況さえも突破出来ただろうに」
「そうなのか?」
「ああ。何せ彼の超級職は――」
ぽちゃん、と艦内で滴の垂れる音がした。
最初はワンプが飲んでいる混在汁ミックスジュースを零したのかと思った。
だが、その滴は床を侵食していく。
……浸水していく。
「……クリアント」
「なあフィリップ、浸水していないか?」
フィリップの表情は硬い。
まるで【千貶万花 グラスゴード】よりも厄介な敵が現れたかのような顔をしている。
「排水は出来そうか? いや……まずは浸水箇所を探さないといけないか」
何度か【グラスコード】に噛みつかれているせいだろう。
クリアントはそう思い、ノーチラス号艦内を見渡す。
だが、床を見ようと天井を見ようと壁を見ようと。
どこにも穴は空いていない。
「この深海で穴なんて空いてたら床が濡れる程度じゃ済まないですよー。水圧で一気に浸水してきちゃいます」
「あ、そうか。だったらなぜ……」
「……デメンタリーだ!」
フィリップは兄の名を叫ぶ。
決して喜ばしい叫び方ではない。
「……まさか私を邪魔しに来るとは。無駄だとは思うが……《強制排水》!」
床の一部がプロペラ状に変形していく。
ノーチラス号の内部から急速に空気や水が排出されていく。
「うおっとと……」
「きゃー先輩―」
「しがみついてもいいが、顔を手で覆うのはやめてくれ」
しかしながら、床に落ちていったワンプの混在汁以外の、どこからか浸水してきた水は一滴たりともノーチラス号から排水されない。
「やはり……実際に目の当たりにするとこれほどか。この速度は警告のつもりなのか……」
苦々しくフィリップは床に溜まっていく水を見る。
「クリアント。悪いが少しばかり予定を変更せざるを得ないようだね」
「それはいったい……」
「デメンタリーをまずは倒さないと、ここから先には進ませてもらえないようだ」
「デメンタリーが? 一体なぜ」
「私をグラスコードに挑ませたくないようだね。だから、フナユーレイの力を使った」
フナユーレイ……船幽霊。
それは海上に現れるとされる亡霊。
手に持った柄杓で海水を掬い、船を沈めるとされている。
デメンタリーのエンブリオである【死海怨霊 フナユーレイ】のモチーフとなった伝承だ。
「フナユーレイは空間、あるいは物体に対して水を吐き出すことが出来るエンブリオだ」
「……それだけか?」
確かに、膨大な量の水を一度に排出されれば、その勢いでダメージは与えらえるかもしれない。
だがここは海中。
すでに周囲には水が溢れている。
「問題は、排出される水が物体に対して固定されるということなんだ。船に対して水を埋めていくという概念……というのかな。つまりは、一度排出された水はそこから移動させることが出来ない」
「……ノーチラス号内部からの排水が出来ないということか?」
「その通り」
今は微々たる量であるが、これは警告とフィリップは言っていた。
これ以上の速度で水を排出することも出来るのだろう。
「だけど、デメンタリーさんはどこにいるんです? こういうのって近くにいないと発揮できないタイプのエンブリオでしょう?」
「ああ。だからいるんだろう。私たちの目には見えないけどね。なあ、そうだろう! デメンタリー!」
フィリップの声はノーチラス号を突き抜け、海中にまで響く。
幸いなことに周囲の【グラスコード】は討伐済みであるため、寄ってくることは無い。
「……ああ。俺はここにいる」
まるで色彩を取り戻したかのように。
最初からそこに居たとばかりに、デメンタリーの姿が海中から浮き上がってくる。
その上には巨大な腕と柄杓の姿もあった。
「擬態能力か……」
「フナユーレイってそんな特性もあるんでしたっけ?」
「いいや。これは別だ。彼が準〈超級〉の中でも海中トップクラスとなった所以。フナユーレイを本当の意味で使いこなせるようになったとされる超級職……【
デメンタリーの真上にある腕が柄杓を振るう。
その中に入っている液体が周囲に振りまかれ――ノーチラス号内に浸水していた水量が一気に増す。
「……最後だ。これ以上は待たない。グラスコードは諦めろ。すでに戦いにならないという情報は渡したはずだ」
「いいや! デメンタリー、君の渡してくれたのは私たちが勝てるという情報さ! 私とクリアント、この2人であれば勝てるというね」
「……そうか」
フナユーレイの腕が振るわれる。
また、クリアントの腰の高さまで水は増えてきた。
先ほどよりもノーチラス号の高度は落ちてきているように思える。
「……今の出力からすると同時に2か所は出来ない。クリアント、君はこのままノーチラス号に乗ってグラスコードのところまで向かってくれ! 私はデメンタリーを倒した後に追いつく!」
「だが……」
「そうですよ! 先輩1人じゃ何もできません!」
「自動操縦にすればノーチラス号は【グラスコード】程度に遅れは取らない。本体まで辿りついてしまったら君の能力でどうにか生き延びてくれ。1回分の蘇生能力さえ残していればそれで私達の勝ちだ」
本当にそうだろうか。
超級職であるデメンタリーに対しフィリップを置いて、グラスコード本体にノーチラス号に乗ったクリアントが向かう。
これは正解なのか。
「……正解なんてのは無いのかもな」
この状況になった時点で詰みだったのかもしれない。
ただでさえ勝利への道筋が薄いところにデメンタリーという不確定要素。
勝率は一気に下がる。
だからこそ、
「俺が残ろう」
ハッチを開け、クリアントがワンプを連れて海中に出る。
「クリアント!?」
「俺よりもフィリップの方がノーチラス号の操縦に長けているだろ。スキル込みで長く生き延びるのはフィリップのはずだ。それに、ここにフィリップを残してデメンタリーはノーチラス号だけを沈めに……俺だけを殺しに来るかもしれない」
「それは君が残ったところで……」
「いや、違うな。デメンタリーは俺が残るなら確実にここに残る。そうだろう?」
「……ああ」
クリアントの問いにデメンタリーは静かに頷く。
「その通りだ。お前がいることでフィリップが勝利を確信しているならば、お前を殺すことでフィリップにグラスコードを諦めさせる」
フナユーレイの腕が柄杓を振るう。
その中の液体は柄杓に留まり、しかし中にある液体は先ほどよりも増していた。
「ノーチラス号内にある水は全て排出した。……これで俺の力はクリアント、お前だけに向けることが出来る」
「やってみろ。何度だって殺されてやろう。その上で立ち上がる」
「【深潜水士】になった先輩の力を見せてやりましょう!」
同じ超級職というのなら、その上にある【潜水王】が対等になっただろうが。
それでも、クリアントはフナユーレイの力は広域殲滅型であり、対個人としてはそこまでではないと考えていた。
「……潜水系か。ならば格の違いを見せてやろう。水に潜るだけのジョブが、深海に生きる【深海王】に勝てるはずが無いとな」