<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
■【深潜水士】クリアント
「……ワンプ、行くぞ」
「はい、先輩」
ワンプがメイデン型からテリトリー型となり、クリアントは臨戦態勢となる。
上級職である【深潜水士】へと転職したばかりであるが、フィリップの操るノーチラス号での戦闘が何度かあったためレベルはいくつか上がっていた。
安全圏から何発か魚雷を撃っただけであるため、上昇値は少ない。
しかし、レベルカンストした【潜水士】がサブジョブにあるため、両者を合わせて水中での動きはこれまでになく良い。
「……弱者を嬲る趣味は無い。違いは見せると言ったが、【深海王】のスキルは使わないでおこう」
「それはありがたいことで。だが、その余裕はいつまで続くかね」
マッドラップスの鎧を装着し、デメンタリーへと向け水を蹴る。
元々【呪術師】であった時も、スキル無しでの【潜水士】並みには動けていたクリアントだ。
水泳系スキルを遺憾なく発揮したクリアントの動きは並みの水中モンスターであれば軽く凌駕する。
「どれだけアンタが強いか知らないがな、俺の毒は――」
が、クリアントの動きはそこで止まる。
水が重く感じた。
掻こうども、蹴ろうども、進めない。
「えっ――」
そして、クリアントの視界はそこで一度途切れた。
「――ッ!?」
再び視界が晴れた時、クリアントの位置は大きくずれていた。
デメンタリーから遠く、100mほどの位置である。
「……一体」
「……先輩。今、一度死にましたよ」
「は?」
何をされたのか、本当に分からない。
近づいただけで殺されたとは、能力の憶測すら立たない。
超級職の力は使わないと言った。
ならばこれはエンブリオの能力……。
その時、【グラスコード】の群れが先ほどまでの戦闘音を聞き取りおびき寄せられたのか、デメンタリー目掛けて食らいつこうとする。
だが、それらもすぐに死ぬ。
ぺしゃんこに、潰される。
「……もう一度だ」
新たな肉体になったことで解かれたスキルを再発動し、クリアントは動く。
……いや、実は予想はしていた。
【深海王】という名前。
【フナユーレイ】というエンブリオ。
ただ水を出し入れするだけのエンブリオで何が出来るかと、最初は笑い飛ばそうとしたが、よくよく考えてみればその力は恐ろしいものとなる。
「先輩……?」
水圧耐性のスキルを重点的に発動する。
そしてデメンタリーへと接近し――再び距離は離される。
クリアントの死によって。
「……分かった」
デメンタリー……その力は広域殲滅型だ。
制圧型ですらない。
容赦なく、周囲を殲滅してしまう力を持つ〈マスター〉である。
「……ふう」
溜息をつく。
つくしかないのだ。
それしか出来ることは無い。
クリアントには、遠くからデメンタリーを見ることしか出来ない。
「ワンプ。駄目だ。俺達は勝てない」
「……え!?」
まさか出るはずの無い諦めの言葉を聞き、ワンプは驚く。
マッドラップスと戦った時でさえ出なかった言葉だ。
グラスコードの力を知った時も勝利に懐疑的になったが、諦めとも少し違っていた。
だが、今回は明確に、戦っても勝てないと明言する。
「……まず、俺達はデメンタリーに近づけない。近づけば死ぬ。ここまでは分かるな?」
「はい。それはデメンタリーさんが何かしらの攻撃を先輩にしているからですよね?」
「攻撃……とも少し違うな。どちらかと言えば結界に近いものだ。奴を含め、あの周囲は一時的に水圧が高められている」
恐らく、エンブリオにテリトリー、あるいはその上のワールド型が含まれているのだろうとクリアントは推測する。
効力が一定範囲内――空間に及ぼす能力だ。
「フィリップが言っていただろう。空間や物体に効果のある能力であると」
「言っていましたね。だから水はノーチラス号から排水出来ないと」
「同じだ。フナユーレイの水は、一定空間からの排水が出来なくなるのだろうな」
「……どういうことです?」
空間内とは。
そもそも、すでに周囲には海水が満ち溢れているではないか。
ワンプの顔は疑問で埋まっている。
「水圧っていうのは水や水が物体に及ぼす力ってのは分かるな? 水が押す力みたいなものだ」
「はい。だから深海では上から押す水が多いから水圧が高いんですよね」
「そう。そして、デメンタリーはフナユーレイの力を使い、周囲にただでさえ満たされている水を増やした。逃げ場は無いが水だけが増えていく。そうするとどうなると思う?」
「……水圧が高まる?」
「ああ。疑似的に水圧を高めることが出来るのだろう。それは【深潜水士】で獲得した水圧耐性すら超えるほどにな」
フナユーレイの力で汲み上げた水は決して捨てられない。
クリアントの命が沈みきるまでは決して。
「さっき俺は全力の水圧耐性で近づいた。だが、それでも死んだ」
「つまり……接近戦では勝ち目がないってことですか」
近づけないのだ。
戦いようがない。
手の届かない場所で死ぬのなら、マッドラップスの力も働かない。
「せめて、【呪術師】のスキルが使えればまだ戦いようはあったがな……完全に裏目に出た」
潜水士系統のジョブと【呪術師】は相性が悪く、スキルはほとんど使えない。
〈カースド・エンド〉すら使えないのなら、マッドラップス戦の時のような死を前提にした戦いすら行えない。
「実力差が分かったか。なぜ殺したはずが生きているのか分からないが、ならば死ぬまで殺すだけだ」
遠く離れた場所から、さも目の前にいるかのような声が聞こえてくる。
「【深海王】の力は使わないと言ったが、これくらいは使わないと会話すら出来ないからな。全く、弱者を相手するにはこちらも苦労する」
「……デメンタリー」
「俺にとっては海中など地上と同じこと。完全水圧耐性によってフナユーレイで極限まで高めた水圧すら無効化。水に声を乗せて届けることとて出来る」
「……なんでもありだな、【深海王】」
「そうでもない。戦闘に使えるスキルがほとんど無いのだからな。深海を生きるためのスキルばかりだ」
そして、それらが見事にフナユーレイとシナジーしたのだろう。
ワンプの力で新たに肉体が創造されたのはデメンタリーから100m離れた距離。
つまり、100m離れればようやく安全圏ということ。
それより先は【深海王】以外は生きていけない高水圧の世界。
「……どうします? あれだけフィリップさんに啖呵きった手前、進むしかありませんけど」
「だよな……だけど実力では勝てない」
直接戦闘系で無いと思ったフナユーレイの能力。
戦い方によっては勝てるかもしれないと思ったが、それは大きな思い違いであった。
「俺を甘く見たな。分からなかったのか、神殿で俺がどれだけ恐れられていたのを。神殿での生存権を与えているだけではない。やろうと思えば、あの場の全員を一度に殺せるから、俺は畏怖されているのだ」
忘れていたわけではない。
海賊達も、フィリップも、デメンタリーと戦うことを避けていた。
だが、それは相性ゆえにだと思っていた。
海中に特化したエンブリオやジョブを持つからこそ、上位互換であろうデメンタリーに適わないのだと。
相手が誰であろうと発動するワンプの能力や、敵の防御能力を無視できるマッドラップスの鎧さえあれば、勝つ見込みはあるかもしれないと、そう勘違いしていた。
「近づけない。遠距離の攻撃手段も無い」
「だから勝てない……ですか」
「ああ。だが、勝てないからと言って諦めるわけにもいかない」
このまま退却してしまってはフィリップは1人でグラスコードに挑むことになる。
もしかしたら勝てるかもしれない。
だが、クリアントがいれば勝てたかもしれない戦いに負けたとなっては、それは申し訳が立たない。
「デメンタリー」
「……なんだ。大人しく殺される覚悟が出来たか」
「いいや? まあ、なんだ。アンタが俺をフィリップの下に近づけたくないのは分かった」
「……」
「だからさ、少し話さないか。別に、そのくらいの時間はあるだろう?」
力では勝てない。
だからクリアントは会話を試みる。
相手は話の通じないモンスターではない。
人間相手なのだから。