<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
■【深海王】デメンタリー・ノッツ
デメンタリーの脳内では1つの言葉が何度も反復し再生されていた。
『神殿を任せました。そして……グラスコードを……お願いします』
その言葉故に、神殿を守ることとグラスコードを守ることは直結しているのだと思っていた。
だが、それはあくまでデメンタリーの憶測である。
あの時、デメンタリーとソーキューに海底神殿を託した巫女は瀕死であった。
目の焦点は合っていないように感じたし、デメンタリーをデメンタリーと認識して話していたのか分からない。
『お願いします』
この言葉は何をしてほしいと願ったのか。
巫女は神殿を愛していた。
すでに機能を失い、ただの建築物となっていた神殿を、海底に沈み誰も訪れることのない神殿をそれでも愛していた。
だが、グラスコードに対して巫女が何かを言っていた記憶はない。
語らないどころか、あえて避けている節もあった。
それはグラスコードを守りたかったからか。
「いや……むしろ……」
すぐに確かめなければならないと、デメンタリーは急ぎ神殿へと戻る。
【深海王】のスキルを使い、海中に溶けるように移動していく。
途中モンスターと出くわしてもモンスターはデメンタリーに意識が向くことは無い。
今のデメンタリーは海水そのもの。
海水にいちいち意識を向ける海中モンスターなどいない。
「……あの男……クリアントの言っていることが本当だとすれば」
グラスコードの生命と神殿には何の繋がりもないというクリアントの言葉。
それはこれまでのデメンタリーの行動を否定する言葉である。
しかし、その言葉に否と即座に答えるほどの材料があるわけでもない。
むしろこれからの未来、神殿を守ることにグラスコードが関係ないならば、デメンタリーの負担は大きく減るだろう。
神殿の環境維持とグラスコードの警護。特にグラスコードが死なないよう助けるのは、他プレイヤーに気づかれないようにしなければならない。
【深海王】の力があるとはいえ、その両方をこなす一年は、デメンタリーを大きく疲弊させていた。クリアントの言葉に縋り、楽になってしまおうと希望を見出してしまう程には。
「……やはりいるのか」
神殿周囲に【グラスコード】が揺らいでいる。
それらは神殿近くの〈マスター〉らに排除されているが、数が違いすぎる。
「……」
デメンタリーはしばし悩んだ後。
フナユーレイでなく、【深海王】の力で海流を操ると、遠くへと【グラスコード】を流した。
神殿周囲全ての【グラスコード】を流し去ったデメンタリーは驚く〈マスター〉を無視し、神殿内へと入る。
「……騒がしいな」
神殿に滞在する者の中で最も声が大きいのは海賊達――〈海蛇楽園〉というクラン。
だが、彼らは今、グラスコード戦で大きく消耗してしまったために補充に忙しい。
奪うどころではなくなるほどに、彼ら自身らが奪われてしまった。
いくら彼らが強くとも、そもそも海底に滞在する者のほとんどが上級〈マスター〉達である。むしろ、海賊たちの弱体化を知れば報復しようとする者も現れるかもしれない。
「これは奴等のことではないな」
右へ左へ。
忙しく動く〈マスター〉達。
その中の数人はデメンタリーの姿を見ると、声をかけようとしてくる。
だが、デメンタリーの向かわなければならない場所はすでに決まっている。
彼らに構っている暇はない。
「あのデメンタリーさん」
「悪いが今はどいてくれ」
「うわっと!? ……?」
海流を操作し、やや乱暴に振り払う。
デメンタリーに近寄ってきた〈マスター〉はそれに首を傾げていたが、先に進むデメンタリーは振り返らない。
そして、転職用のクリスタルが置かれている部屋に辿り着く。
そこは本来は祭壇があった場所。
クリスタルは祭壇に置かれていた。
「……?」
クリスタルを見て少しの違和感を覚える。
だが、それよりも今は、クリスタルの下の祭壇の台座である。
「あの人はよくここにいた。何かを残すなら、ここに……」
台座を調べるも、しかし何も見つからない。
やはりデメンタリーの思い違いだったのか。
巫女の言葉はそれ以上の意味は無くそのまま受け取って、デメンタリーは今後も同じようにこの世界でグラスコードと神殿を守らなければいけないのだろうか。
そう、諦めようとした時であった。
「……待てよ」
巫女はデメンタリーの能力を知っていた。
教えたはずもないのに何故か能力を言い当てることがあったのを思い出した。
現在、神殿内の水圧はデメンタリーにより下げられている。
もし巫女がデメンタリー以外に知られないように仕掛けを残していたのだとすれば……。
「フナユーレイ」
祭壇周囲の水圧を戻す。
変化はない。
「……ならば」
再度フナユーレイの能力で、今度は水圧を高めた。
クリスタルが軋む。
台座が揺れ出す。
「……こちらが正解か」
そして、揺れ出した台座の隙間には1冊の本が挟まっていた。
手記のようだ。
そこには、巫女の字で、巫女の言葉が書かれていた。
手記の大半はデメンタリーも知っている内容であった。
巫女の半生が書かれている。
だが、グラスコードとの関わりはこの手記でようやく知ることが出来た。
「……そうだったのか」
巫女が何をしたのか。
グラスコードが何をしたのか。
そして、巫女がグラスコードをどうしたいのか。
ようやく、デメンタリーは理解することが出来た。
『きっと、これを読んでいる頃には私の人生は幕を下ろしているでしょう。ですので、貴方に託したいのです。貴方も海底に、そして神殿に導かれた者。かつて1つの街であった、この神殿を愛した者』
手記の最後にはデメンタリーへ向けた言葉が綴られていた。
『私は貴方に嘘を付きました。……いえ、私の言葉の多くは、きっと嘘だらけだったのでしょう。真実を誤魔化していたのかもしれません』
そこで一度筆を止めたような痕跡があった。
巫女はここで一度逡巡したのだろう。
『私は巫女などではありません。かつてグラスコードを止められなかった者。神を鎮められなかった者です。こうして空いたジョブを埋めるように巫女の真似事をやってはみましたが、叶うことはありませんでした』
そういえば、【巫女】は天地由来のジョブであったとデメンタリーは思い出す。
しかし、それにしては装束を着てはいなかった。
……まあ、男が巫女装束を着ているのも変なのであろうが。
男であれば神主であろうか、とデメンタリーは思い浮かべる。
脳内であるが、そちらはよく似合っていた。
『さて、グラスコードに対して何も出来なかった私ですが、君たちという希望を見つけることは出来ました。ソーキュー、デメンタリーという2人の希望を』
ここから先は筆を止めずに書いたようだ。
『お願いします。どうか、神殿を守ってください。出来ればこのまま残したいのです。そして、グラスコードのこともお願いします。いつか、奴はこの神殿を目指すでしょう。この神殿はグラスコードに力を注いでいた場所。神殿が復活したと知れば、再び目指すでしょう。どうか、奴を倒してください。それが私の最後の頼みです』
そこで手記は終わっていた。
最後まで頼み事ばかりで、デメンタリーとの思い出など全く書かれていなかった。
だが、それが巫女らしいとデメンタリーは思う。
神殿を愛していた。それだけ伝われば、あの巫女らしいと。
ふん、と鼻を鳴らしながらデメンタリーは笑う。
「くそっ! やっぱりダメか!」
と、その時であった。
クリスタルに近づいた〈マスター〉が叫ぶ。
「……どうした」
そういえば、先ほどから神殿内で何か起こっていたと思い出す。
「デメンタリーさんか。そういえばアンタが管理していたんだっけか」
デメンタリーの姿を見ると、その〈マスター〉は怒りを露わにする。
「どういうことだよ! さっきからクリスタルが使えないじゃねえか!」
「クリスタルが……?」
台座ばかり見ていたが、そういえばと改めて見てみる。
なるほど、普段に比べて光がない。
クリスタルが機能していない。
「俺はこれから上級職に就いてレベルを上げたいのに、どうなってんだ!」
掴みかかろうとする〈マスター〉を避けながらデメンタリーは考える。
「……ソーキューか。よく見れば神殿自体が機能していない」
神殿を灯す光すら消えている。
デメンタリーは【深海王】のスキルで気にならなかったが、光が無くなり周囲が見えなくなった〈マスター〉もいるようだ。
「これは……なるほど」
デメンタリーは頭上を見上げる。
そこには1つの球形が浮かんでいた。
「お前も読んだのだな」
球形越しにソーキューへと話しかける。
きっとこの言葉は伝わっていないだろう。
だが、何を言いたかったかは伝わるはず。
巫女から受け継いだ超級職があれば、ソーキューはデメンタリーの口の動きくらい分かるのだろうから。
「……行ってくる」
神殿の機能停止。
単純にソーキューがやったのだとすれば、また機能は再開されるだろう。
だからこれは一時的。
そしてそれはデメンタリーの1つの枷を外す。
「……フナユーレイ、解除」
神殿内を維持していた水圧管理が解除される。
それは一部の〈マスター〉にとっては致命的だ。
海底内において何の装備も無く放り出されたに等しいのだから。
たちまちに呼吸苦や水圧によって、耐性の無い者は死んでいく。
「……これで俺は万全に動ける」
神殿維持に割いていたリソースを戦闘に回すことが出来る。
グラスコードと戦うことも出来る。
手記を読み、戦う覚悟も理由も出来た。
「『お願いします』、か……。本当に紛らわしい……。だが、その遺志は今度こそ託されたぞ……ステルバさん」
デメンタリーは自身に神殿を託した巫女の名を呼ぶと、神殿を飛び出していった。