<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
■【自殺王】クリアント
「……とはいえ、まだワンは休憩中か」
予告通りならばそろそろ休憩から戻ってくる頃合いだろうが、それでも現実時間とでは余りに差があり過ぎるため、少しのロスでもこちらでは大幅な後れとなる。
プシュケーからはワンと話をしてほしいと言われているが、まだ夜明けまでは時間もあるし、他の面々からでも良いだろう。
陣営の中を歩き回っていると、意気揚々と(目を爛々と)地図に書き込むフィリップの姿があった。
イベント〈ウェルカム〉は縮小されているだけでほぼほぼレジェンダリアと地形は変わらない。
クリアントはまだ見ていないが、建造物さえも模倣されているという。
ならば、フィリップのように地図をみて地形を把握して戦いを有利に運ぶのも有用なのだろう。
「……ああ、君か」
「ワンプちゃんもいますよ!」
そうだね、とフィリップはワンプの言葉に薄く笑む。
その表情には、彼女にしては珍しく疲れが浮かんでいた。
「随分と……疲れているようだな」
本日の戦果としてはフィリップの獲得ポイントはそこまで多くなかったはずだ。
移動手段に長けているにしては、という意味においてであればむしろ少なすぎた。
「うん。流石にね、あちこちに興味が沸きすぎた」
地図を置くと、身体を伸ばす。
あちこちからパきポキと音が鳴り、その後に少しだけ楽そうな顔になる。
「遊撃、とチームには振り分けられていたけどね。私は主に敵情視察をしていた」
フィリップはクリアントに地図をみせる。
そこには乱雑に、しかしポイントポイントに見やすく書かれた名前がある。
恐らくは〈マスター〉の名なのだろう。
名の上に線で塗りつぶされているのは死亡したためか。
「いやはや……在野の強者とはよく言ったものだ。探せば幾らでも出てくるものだね。そして、彼らを倒した者もまた強者。ほら、特にこの線で消されている彼女……トライフルという〈マスター〉なのだけどね。“非暴力”という二つ名が付けられているのだけれど、なんと一切の戦闘行為を禁止にするというデバフをばら撒くみたいだ。しかも広範囲だから遠距離から狙い撃ちも難しい」
「……?」
どこかでみたような戦い方をする〈マスター〉にクリアントは首を傾げる。
「戦闘禁止……つまりは彼女を攻撃できなくなる。どうやら戦闘禁止にのみエンブリオも力を振っているみたいだからそのデバフも強力みたいでね。恐らくだけど、相応に強力な状態異常無効化のスキルを持っていないと太刀打ちできない」
だが、その名も今や消されている。
「そんな彼女とて死んでいる。つまりは倒された。超遠距離から撃ち抜かれたのか、あるいはスキル無効化に成功したのか。はは、想像の域を出ないけどね」
まさか自殺に巻き込まれたとは想像できるわけがない。
――メェ
羊が鳴いた。
「このドクロは……」
名の横には幾種かのマークが付けられている。
〇や△といったもので、その内訳はクリアントには分からなかったが、一つだけハッキリと脅威であることを示すものがあった。
「そこには近づかないほうがいい」
そう、フィリップは断言した。
あの知的好奇心だけで動く彼女が、だ。
「それはいずれも〈超級〉。私のような探索者、クャントルスカみたいな回復に長けた者とは違う。戦闘に特化した〈超級〉……私とて逃走に全力を注がなければその場で死んでいただろう」
「フィリップさんが逃げるだなんて、それこそ異常事態では?」
「私だってまだまだ調べたいこと、知りたいことがあるさ。大きな宝があると知っていれば寄り道をしないこともある。それに彼らは初日は動く気配が無かったからね。どうせなら明日、本格的にその力を振るう時に前線で見物させてもらうさ」
「ふうん……ん?」
地図に記された名のほとんどがクリアントは初見だったが、一つだけ見知ったものがあった。
それはフィリップにとってこの世界では……いや現実世界でも最も縁の深い者。
そして、その名の横にはドクロマークがあった。
「おい……これは」
「気づいたか。ああ、君もよく知っているだろう。デメンタリー・ノッツ……私の兄だ。そのマークは……残念ながら書き間違いではない」
「……進化したのか。確か最後に会った時は第六と言っていたよな」
「私が〈超級〉になったと伝えたすぐ後だったかな。……案外、それこそ兄のエンブリオが進化したきっかけかもしれないね」
笑えない冗談を言いながら、その表情は浮かない。
同じ第六形態の時は性質上、敵わない相手であった。
上級職、第六形態のエンブリオを持つフィリップと超級職であり第六形態のエンブリオを持つデメンタリー。
今は両者ともに超級職、〈超級〉エンブリオ。
どちらが上かはぶつかるまで分からないだろう。
「もし……もしも、だ。彼がこのクランと戦うことになればその時は私が相手をしてもいいかな」
そして、その結果を最も知りたいのはフィリップ本人であった。
「……ああ。というよりも、アレを相手に出来るやつが少ない」
フナユーレイの恐ろしさはクリアントも身を以て知っている。
今のクリアントとて相手にすれば恐らく勝つには不意打ちから戦闘を運んでいかなければならないだろう。
まともに正面からぶつかっても、戦いになるのはキシリーか〈超級〉のいずれかくらいだろう。
ならば互いに手の内を知っているフィリップが適任といえる。
「どのみちイベントだ。勝っても負けても、明後日の俺達にそこまで影響はない。好きなだけ兄妹で遊んでくるといい」
――ベェベェ
羊たちが鳴いている。
「ありがとう。とはいえ、デメンタリーにばかり目を向けている場合ではない。他にも竜を操る男や“大魔女”と呼ばれる未知の〈超級〉が紛れている。どの系統の強さにしろ最低でも私程度には力があると思っていてほしい」
――メェメェ
――ベェベェ
――メェ
――メェ
――メェ
――メェ
羊が鳴く。
羊が、羊が羊が羊が羊が羊が――。
数多の羊たちがただ鳴いている。
「……? 羊か」
どこからか紛れ込んできたか、とクリアントは羊の一匹に視線を送る。
人間の集まる音か、あるいは食べ物の匂いにでも引き寄せられてしまったのだろう。
「ただの羊。気にすることは――」
「うん、どうやら無害のようだ、ね……ッ!? 違う! これは……敵襲!!!」
フィリップが突如叫ぶ。
同時にフィリップとクリアントを守るようにグラスコードが囲む。
クランメンバーたちも、その異様な光景に気づいたのだろう。
あちこちで武器を構える気配があった。
「なにがどうなってるんだ?」
そして、未だに状況が理解できない男が1人。
「先輩!? うそでしょ……」
主の呑気さに震えるエンブリオが1人。
「馬鹿! このイベント中に野良のモンスターは確認されていない! これまで私が見てきたのはガードナー系列か、あるいは作られたモンスターだけだ。くそ……この数に囲まれるまで気づけなかった私も迂闊だった……!」
「……ああ、なるほど。〈マスター〉が関わっているということか」
「しかもイベント中だぞ! 私達のクランに羊を生み出せる者はいない。レシーブがどこからか調達したならばまだいいけど、どちらにしろ羊を生み出した主が存在する。下手をすると既に敵の術中だぞ!」
グラスコードが羊に一匹に喰らいかかる。
凶悪な歯は無防備な羊の毛に突き立てられ、しかし弾かれた。
「……え」
フィリップも予想していなかったのだろう。
グラスコードが羊に、文字通り歯が立たない状況など。
――メェメェ
――ベェベェ
羊たちは鳴く。
何をすることなく。
ただ鳴き続け、歩き続ける。
まるで羊飼いの不在を表すかのように。