<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する   作:そらからり

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53 ナイト・メア・ナイト・バトル 9

■彼女が羊飼いに至るまで

 

 自身が羊飼いの一族に生まれたことは、もうどうしようもなく逃れられないものだった。

 他の生き方があったわけではない。

 示されたことも、抗おうとしたこともない。

 ただそうするのが当たり前であったし、一族全員が受け入れていた。

 

 私の一族が、一般に言う羊飼いと違うと気づいたのは、もう後戻りできない状況になった時だった。

 

「――ッ!! ――ァッ!!」

「離して! 食べられちゃう! ねえ!? 何で誰も、誰も助けてくれないの!?」

「やめろ、馬鹿! お前もああ成りたいのか!」

 

 目の前で弟がヒツジに食べられていた。

 私は必死に手を伸ばそうとするも、一族の大人がそれを掴み力任せに降ろさせる。

 生まれたばかりの、ようやく目が開いたねと昨日母と笑いあったばかりなのに。

 可愛い弟が。

 これからどんどん大きくなっていくはずの弟が。

 私の大事な弟が、少しずつ小さくなっていく。

 

 やがてプツンと糸が切れたように、弟は動かなくなった。

 少し前から呻き声も聞こえなくなり、大人たちは顔を伏せていた。

 それは哀しみからではない。

 ヒツジ達の前であるからだ。

 

 日本には客を神と呼ぶことがあるらしい。

 それだけ大事にしている証拠なのだとか。

 

 私達の一族はヒツジを大事にしていた。

 それこそ神様のように。

 

 いつからだろう、その教えが歪に曲がっていったのは。

 ヒツジのやることなすことが全て。

 ヒツジを第一に考えろ。

 ヒツジの行動を妨げるな。

 やっていいことは、ただ一つだけ。

 道を間違えたなら犬という媒介を使って導いて差し上げる。

 

 私達はただの羊飼いではない。

 ヒツジに飼われる羊飼いであった。

 

 だからヒツジが興味本位に、それこそ草を食むが如く赤子に歯を突き立てようと、ヒツジ様がされることだからと大人たちは止められない。

 赤子はまた産めばいい。

 だけど、大事な売り物であるヒツジ様は何物にも代えがたいのだ。

 

 私はそう刷り込まれてきた。

 何代にも渡って一族がそうされてきたように。

 

 10歳になる頃に父が溺れ死んだ。

 川に落ちたヒツジを助けようとしたのだとか。

 呑気に水を飲もうとし、足を滑らせたヒツジはあっという間に流されていった。

 まだ洗脳されきっていない私は心の奥底でざまあみろと罵っていたが、次の瞬間、父は川に飛び込んだ。

 そして、ヒツジを背負い川岸にまで辿り着くとヒツジを岸辺に下ろした。

 力尽きた父はそのまま川の中に倒れ込み、しばらく沈んでいた。

 

 私は動けなかった。

 先程まで溺れていたヒツジは身を振るい体毛から水を落とす。

 振るいながらもじっと私を見つめていた。

 何をしている、早くこっちに来て身体を拭けと言われているようだった。

 ヒツジに、川に近づくことは出来ず、私は溺れ死ぬ父を見ることしか出来ずにいた。

 

 一族の中で父はヒツジを守った英雄として扱われた。

 弟はヒツジの供物として捧げられた。

 本当にヒツジ1匹の命は人間1人の命よりも重いのかと疑うのは私だけだった。

 一族の中で最も若い弟は数年前に食い殺され、洗脳が進んでいないのは私だけだった。

 だが、一族に逆らうことはできない。

 もし父は、弟はヒツジに殺されたのだと反論しようものならば、私もヒツジに殺されてしまうと確信していたからだ。

 

 私は唯一の拠り所であった母に泣きついた。

 母は、

 

「……これで、顔を拭きなさい」

 

 ヒツジの体毛で作られた布を渡した。

 チクチクと肌触りは最悪だった。

 ……こんなもののために。

 

 翌日、顔は真っ赤になっていた。

 発疹が出来ていたのだ。

 私の身体はとことんヒツジと反りが合わないらしい。

 

「弟は殺されて、父さんはヒツジのために死んで、私達は何のために生きてるの!?」

 

 そう、母に静かに訴える。

 一族の他に聞かれてはならぬ言葉。

 

 母だけに訴え、母だけは受け止めてくれた。

 

「……耐えて。あと数年だけ……あなたが成人するまでは。成人し、他の世界を知った時、あなたには選択肢が生まれる。その時こそ、この呪われし一族からあなたは解放されるわ」

 

 一族が成人した時、羊飼いとして残るか、それとも街に移民し、ヒツジを取り扱う商人として生きるか。

 一応、名目だけは選ぶことが出来るらしい。

 その頃には一族の洗脳は済んでおり、羊飼いとして生きる以外の道は無くなるのだが、母は私に希望を託していた。

 

「あなたは一族の誰とも違う……まだヒツジ様に畏れではなく、恐れを抱いている。それはヒツジ様を神ではなく怪物として見ているから。だからあなたはきっとこの一族を抜けることだって――」

 

 きっと母は自身も連れ出して欲しかったのだと思う。

 母1人では抜け出せない一族の柵から、娘である私が引っ張り出すことで。

 そうなるように育てられてきたのだ。

 弟がヒツジに食べられた時も、父がヒツジのために溺れた時も。

 その近くには母がいたのだから。

 

 

 

 

 私が成人する一年前。

 母は病気で死んだ。

 流行り病であった。

 運び込んできたのは一族が飼うヒツジであった。

 

 私を除いた一族全員が感染し、私以外は全員死んだ。

 あれだけ大切にされてきたヒツジ達も、感染源として燃やされた。

 

 私だけが残された。

 

 一族からも、ヒツジからも、その宿命から抜け出すことが出来たのだろうか。

 ……否、まだだ。

 

 だって、私はまだ羊飼いに至っていないのだから。

 私が真に羊飼いとなった時こそ、私は羊飼いを自身の手で捨て去る。

 そうでなければ、自分で選ばなければ、私は運命に負けたままだ。

 

 だから私は羊飼いとして立ち上がることを決心した。

 私はヒツジの為に生きない。

 私はヒツジの為に死なない。

 

 だけれど私は羊飼いとして生きる。

 

 ヒツジを飼ってみせるのだ。

 

 

◇◆

 

 

■【畜産王】ムートン・ラム

 

「(そう、か……これこそが)」

 

 そのアナウンスが、自身がどのような変化を辿っているか気づかされる。

 何がきっかけであったのかさえも。

 

「(ヒツジの為に生きてきたわけではない……が、ヒツジに殺されかけること……。それこそが私が思う羊飼いの条件……)」

 

 思えば、一族から半端とはいえ洗脳を施されていたのだろう

 無意識に、ヒツジは安全であると、無害であると思い込んでいた。

 だけど、結局は神様だから恐ろしいものなのだ。

 ヒツジに襲われたら怖いのだ。

 

 全く、馬鹿げた話だ。

 羊飼いを止めるためには羊飼いに成らなければならない。

 だけどそのためにはヒツジ様に殺されなければならない。

 もはや呪い。

 母が言っていたことが正しい。

 

 だが、それもこの世界で漸く叶うことになる。

 殺された、ではなく殺されかけた……ダメージ量でいえばそもそも攻撃された程度に留まるところだが。

 先程感じた恐怖。

 無害であると信じ込んでいた大量のヒツジに殺されかけたことで、今は頭が冷静になった。

 自身が真に羊飼いとして至ったことで、羊飼いの本分が、力が、理解出来た。

 

「――最終スキル発動」

 

 それこそが至った証。

 第七形態【羊頭供肉 バロメッツ】が最終スキル。

 このスキルは必殺スキルに重ね掛けされるものであり、既に必殺スキルはヒツジに呑まれるうちに無意識に発動してしまっていた。

 

 今のヒツジの体毛は黒一色。

 凶暴化し、周囲の状況を確認し、敵を発見し次第攻撃を始めるだろう。

 ラムが無事であるのは、この最終スキルを発動したことで周囲のヒツジ達にラグが起きているから。

 時間が経過すれば、ラムもまた攻撃対象に戻る。

 

 黒きヒツジは此れまでに行われてきた所業に怒り狂い、その元凶に歯を剥く。

 

 だが、それも死ぬまでだ。

 

 所詮は家畜。

 羊飼いに飼われるヒツジに過ぎない。

 

 どこまでも愚かしい。そして疎ましい。

 家畜とは人間の益になることが本分だろうに。

 それを怠ってどうする。

 立場を覆してどうする。

 

 だからこその最終スキル。

 このスキルは、ヒツジを本来あるべき姿に返す力だ。

 

「――《最期は晩餐(ザ・バンケット)》」

 




トリガーがヒツジに襲われるとかいう羊飼い
まあよくあることでしょう
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