<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
■【畜産王】ムートン・ラム
ヒツジ達が死んでいく。
一帯に散布されたガスにより倒れ、肉を遺す。
それは、群れの崩壊だ。
ヒツジ達は逃げ惑うことすら出来ず、力尽きるのみ。
きっと彼らは何が起こったか理解できないだろう。
その力すら許されない。
「……」
ああ、私にはどうすることもできない。
どうしてやることもない。
ヒツジを助ける……そんな選択肢はまさか浮かばない。
川で溺れ沈んだ父。
運ばれた病に伏した母。
貪り食われた弟。
全員、ヒツジに関わったが故に死んでいった。
そんな私がヒツジを助けることなどない。
このガスは私自身には効果は無いようだ。
耐性の高さか、あるいはヒツジにのみ効果があるのか定かではない。
しかし羊飼いがヒツジを失ったのだ。
私に残されたものは一体何がある?
「ああ……」
肉片のみ残し、ヒツジの姿がみえなくなる。
残されたのはスライムと【動物王】レシーブ・キープ、そして……
「ヒツジを失った私は……もはや羊飼いですらない……か」
私は……今の私は……ただのムートン・ラム。
「――さて、どうですかねぇ」
だが、頭上から声が掛けられる。
私の言葉をレシーブは否定する。
「……?」
「私からすれば、そもそも貴女が羊飼いであったことから疑問なんですよ。やっていたのはヒツジを量産することだけ。多少は強化していたみたいですが、ただ放牧するだけなら、誰だって出来ます。【畜産王】なんでしたっけ? だったら牧場主の方がお似合いです」
「……そういう星の下に生まれたということさ」
「星の下? そんなもの、嫌ならとっとと辞めたらいいって話ですよ。先ほどから貴女、羊飼いの仕事を楽しそうにしているようには思えませんでしたけどね」
「……ッ! 君に何が分かる! 父が、母が、一族が! 私にそうあれと課したのだ! 羊飼いに生まれ、育ち、死ねと! だから私は――!」
「はは」
不意に返されたのは乾いた笑いだった。
思わず彼女の顔を凝視する。
分からない。
その表情が何を意味しているのか。
今までにみた、誰のどの感情をも似ても似つかない。
「ならこの世界から消えたらどうです? こんなところでヒツジと戯れてる場合じゃないですよね」
「……それは。もう……一族は死に絶え……私一人ではヒツジを飼えなくなったから……」
そういえば。
私は何故、この世界でも羊飼いを演じていた?
怨嗟?
未練?
ヒツジの為に?
一族の為に?
私の為に?
「だから私はもう一度この世界で羊飼いに――」
「自分で自分に強制しているだけですよね。一族が死んだ? だったら自分のせいですよ。今の貴女が、貴女を羊飼い擬きに仕立て上げているだけに過ぎません」
……。
ああ、そうだ。
私はまだ羊飼いとしての何かを一族から教わったわけではない。
ただ、ヒツジと共に生きる術を知っているだけだった。
その他は見様見真似。
ヒツジ様が好きに動くのを見ていることしか出来ないのだった。
「……羊飼いになったら、羊飼いを辞めようと思っていたんだ」
「まずは一般的な羊飼いから学んだ方がいいと思いますよ? 多分ですけど、貴女の一族って羊飼いとしては下の下だと思うんで」
「……手厳しいな」
実際その通りだろう。
牧羊犬も牧杖も無かった。
ただヒツジの行きたいままにさせていた。
そんな彼らは羊飼いに非ず。
やはり、ヒツジに飼われる一族だったのだ。
「では、ヒツジを失った貴女はリタイアでいいですね? ポイント、貰っていきます」
レシーブがスライムを私へと差し向ける。
私の細剣でどこまで対抗できるか……きっと難しいのだろう。
銃も、剣も、私はヒツジを武器として扱うためだけに習得したに過ぎないものを、生身の今で十全に扱えるはずがない。
私はムートン・ラム。
羊飼いの義務もなく。
【畜産王】の矜持も無く。
ただの……
「……ああ、そうか」
ふと、左手が目に入る。
ヒツジの形をした紋章。
何故、バロメッツをモチーフとしているのに花弁は紋章に入らなかったのだろう。
だが、その疑問はどうでもいい。
私にとってバロメッツは分身……ではない。
私の悪夢の結晶であり、同時に現実を否定するもの。
「私はもうヒツジに関わらなくていい人生を送れるのか」
これは選択肢の話だ。
現実世界ではヒツジを捨て去れる。
だからこそ、この世界ではヒツジに関われる。
「だってこれはゲームなのだから」
スライムが巨体を押し寄せる。
私は静かに一歩退く。
「……? まだ、抗う余力がありましたか」
「これでも〈超級〉の端くれ。その意地くらいはみせてみようと思ってね」
義務も矜持もない。
自由にやっていいんだ。
最初から、私は誰にも課せられてなどいなかったんだ。
「修復中のところ悪いが、バロメッツよ……もう少しだけ無理をさせるぞ」
紋章からバロメッツ本体である一輪の花を模した羊生産工房が飛び出す。
〈超級〉に至った際に修復時間が短縮されたとはいえ、破壊されてから時間はそう経っていない。
花弁から幾つかの種子が飛び出すが、これは【畜産王】の補助があってのもの。
恐らく補助が無ければ生産自体もされなかっただろう。
だが、それでも種子は飛び出てくれた。
ヒツジへと瞬く間に成長を遂げてくれた。
ならば再度切ろう。
せめて目の前の相手くらいは、倒してみせよう。
「必殺スキル――」
「いやいや。ようやく毒ガスで全滅させたんですよ? そう易々と手札を切らせるわけないじゃないですか」
バロメッツが破壊される。
そして、気づけば私の胸に大きな穴が空いていた。
穴を塞ぐようにレシーブの右手が差し込まれている。
「――かふっ」
「吹っ切れた声。晴れた顔。何かするのは分かっていましたからね。必殺スキルの応酬をお望みであれば、先にこちらが切らせて貰っていました」
明らかにレシーブの動きは早くなっていた。
……ステータス強化の必殺スキル、か。
戦闘職である【動物王】と生産職である【畜産王】。
それだけじゃない……読み合いにおいてもレシーブ・キープは私を上回っていた。
見る間に私のHPは減っていき、遂には0となる。
「んー、せっかくの強化中ですし、このまま幾つかのクランを潰して回りますか。ああ、貴女のクランってどこら辺にあります? あっちですか、こっちですか? ヒツジが来ると事前に分かっていれば樹上、とかですかね。ステータス任せに背の高い樹木を何本か折ればいずれは――」
「……《羊の黙示録》《最期は晩餐》」
「――え?」
私のHPが0を割る。
それでも私の肉体は消えることはない。
「……必殺スキルがこうであると知っていたからね。動けずとも関係の無い《ラスト・コマンド》はそれなりに相性が良いのさ」
バロメッツが最後に遺したヒツジ達が一斉に嘶く。
それは怒号。
恨みを持つ彼らが、牙を剥く。
「だけど貴女も……」
「いいや! 今この時だけは、ヒツジは君を狙う!」
百にも満たないヒツジ達であるが、彼らは互いに重なり合い、連なり合い、土台となり、巨大なスライムを覆う。
そして同時に、残りがレシーブへと襲い掛かる……私には目もくれずに。
「ヒツジ達の原動力は怒り! ヘイト値により狙う対象は変わっていくのさ。君のスライムはヒツジ達を殺し、食べ尽くそうとしていた。既にヒツジは君達にしか怒りを向けていない!」
「……だけどせいぜい数匹程度、今の私の相手ではありませんよ!」
私を刺し貫くのとは逆の、左の手で襲い来るヒツジを薙ぎ払う。
それだけでヒツジは肉塊へと変わり、肉片を宙にばら撒く。
……私はレシーブ・キープをどう倒そうかと画策し、そして無理だと諦めていた。
何故ならば彼女は空を飛び、自身の手でヒツジを倒そうとしなかったから。
せっかく〈超級〉に至り、最終奥義を習得しても、レシーブの戦闘スタンスでは噛み合わない。
《最期は晩餐》はヒツジを倒した者にしか効果を発動しないのだから。
「終わりさ! 君はヒツジを倒した! ならば《最期は晩餐》が発動する!」
レシーブの手が肉片へと伸びる……よりも先に私の細剣が肉片を一つ奪い取る。
8つある肉片を全て一瞬で拾うのはステータスを大きく上昇させても難しいだろう。
取りこぼしが出るかもしれないし、私にとってはたった一つでも手に入れば問題はない。
先程から何十、何百と繰り返してきたおかげか、その動作は微塵も乱れることなく行えた。
「――いただきます」
感謝を込めて、それを口に運ぶ。
レシーブが倒し、レシーブが食べなければいけないはずのヒツジの肉を。
「待っ――」
「残念。君にとっては時間切れだ」
そして、肉片を咀嚼したところで、《ラスト・コマンド》の効果が切れる。
レシーブが死を回避する唯一の術を私は体内に入れたまま、光へと消えていく。
「では、また会えたらだ。【動物王】よ」
「どうやら子犬から成長したようですね。……シェパードさん」
私の視界は完全に閉ざされる。
見ることは叶わなかったが、すぐにレシーブも《最期は晩餐》により死を迎えることだろう。
満足だ。
実に満足だとも。
終わってみれば腹の満たされる戦いであった。
ここまで美味い羊肉を食べたのはいつ以来か。
……思い返せば、心の底から美味いと感じたことは無かったのかもしれない。
ヒツジを食べてもいい。食べなくてもいい。
ヒツジを飼ってもいい。飼わなくてもいい。
自由なのだ。
選択肢はあるのだ。
ならばこそ、私はこの、ゲーム世界でのみ羊飼いとなろう。
それでこそ、現実の私は自由の身となれる。
これにて夜戦終了となります
〈超級〉1人倒すのに犠牲多すぎるぜ