<Infinite Dendrogram> 王は今日ものんびりと自殺する 作:そらからり
■〈洛陽創世会〉について
次なる世界であれば幸福になれる。
この世界はそのための礎に過ぎない。
だいたいが、そんなところを教義にしているこの宗教であるが、当然ながら教祖の思いつきに過ぎない。
教祖自身がそんなことなど信じておらず、金の為に、金を集めるがためだけに興した会である。
教祖にあった才能は、その嘘を信じ込ませるだけの声だ。
いわゆる、1/fゆらぎと呼ばれる彼の声質は、聴くものの精神を落ち着かせる。
それこそ、精神的に落ち着いていない者ほど効果的であり、そこにするりと入り込んだのが教義であった。
彼が言うのだったら。
彼の言葉であるのなら。
なんの確証も無い、真偽のほどなど確かめようもない嘘は、教祖の思惑以上に広がり、そして多くの人間を虜にし、取り込んだ。
救われなかった者がいないわけではない。
自殺を未遂に終わらせた。
辛うじて社会にしがみ付くことができた。
身体を売らずに済んだ。
自身の疾患と付き合う道を選べた。
それはたしかに問題を先送りにしただけかもしれない。
結局、次の世界があるからこそ、今の世界を頑張ろうという気持ちになっただけだ。
教祖が信じていない教義は信者の中だけで広がり、――そして教祖自身の言葉で終わった。
◇◆
「嘘、なんですよ。嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘――私が信じたものは、しがみ付いたものは作り話だった。私を笑っていたんでしょう? 嘘を信じ込む私を、馬鹿な奴と、思ったんでしょう?」
「そんなことは――」
「そうに決まっている! だって、私が、そう自分を思ってしまったんだから!」
日常的に他人を信用していない。
人の言葉には裏表がある。
人間は愚かであることを前提につくられている。
そして何よりも。
“磔刑”のリアルは難病のために身体が不自由――本人に自覚がないが聴覚すらも健常者よりも落ちており、デンドロ世界ではエンブリオで聴覚を封じる時もある。
教祖の声が他者よりも届いていないのだ。
ほんの少しばかりは浸透したかもしれない。
だが、盲目的にとまではいかなかった。
それでも信じずにはいられなかったのは、結局のところ彼女自身が救いを求めていたから。
こんなどうしようもない身体を、世界を、諦めたかった。
だが諦めようにも自分の手で終わらせることはできない。
その自由すらも与えられていない。
嘆く“磔刑”の肉体が地に伏す。
「……時間切れ」
そう呟いた彼女の言葉でワン・フー・ウーは彼女の必殺スキルの効果が切れたことを察した。
ワン・フー・ウーとの戦いで使うと思われていた必殺スキルも、もはや使うことが出来ない。
そうするだけの余力が無い。
「……私を殺して」
彼女の言葉はこちらの世界でのことか、それとも――
「甘えるな。“磔刑”……世界が地獄みたいにみえたか」
ワン・フー・ウーは彼女を振り払う。
濡れた瞳を、縋るような視線を、伸ばされた手を、その全てを、拒絶する。
「……」
「僕はお前を殺しに来たわけじゃない。倒しに、言い負かしに来た。病気がなんだ。不幸がなんだ。自分だけが不幸せだと嘆く時間があったら他人を見ろ。お前だけが地獄に浸かっているわけじゃない――」
ああ、何のことかと思ったら説教か。
“磔刑”はこれまで幾度も聞いた言葉に、所詮は目の前の人間もその程度かと更に陰鬱な気持ちとなる。
少しは気を許したつもりだった。
同年代の少年の気持ちを知りたかった。
だけど、こんなことなら、知り合いになんてなるんじゃなかった。
「――そう、何度も言われたんだろう。僕も、さっきまではそのつもりだった。そんな有り触れた言葉をお前にぶつけようとした」
「……?」
きっと、“磔刑”を真の意味で救うなんてことは出来ない。
それは諦めろとクリアントは言っていた。
だから、喧嘩をしようとした。
でも、果たして“磔刑”を言い負かしたところで“磔刑”は何を得られるのだろう。
彼女が更に不幸になるだけじゃないのか。
「力が無いから。弱いから。だからお前はこの世界で縛られることで強さを得た。僕が強さを纏ったように、偽りの強さを得た。でも――そんなのはお前自身の強さじゃない」
「私に弱いままで……このままでいろと?」
「そうだ! ……いや、違うか。弱さを知って自分の強いところを見つけるんだ」
どうやって戦うか、もう決めていた。
必殺スキルを失った彼女に対して、今のワン・フー・ウーが全力で戦えばきっと良い勝負になるだろう。
勝つことも条件としては五分以上の可能性がある。
だからこそ、それでは駄目だ。
そんな状態で勝ったところで、強い人間が勝っただけになる。
「必殺スキル発動――」
ワン・フー・ウーは持てる限りの装備を纏う。
いずれもが妹妹との鍛錬の際に手に入れた、今のワン・フー・ウーが手に入れられる最上級の装備品。
「《因果流転悪行応報》」
必殺スキルでの強化率は最大。
その最大の一撃を、空に向かって放った。
「……何をして――」
「次だ! 《因果流転悪行応報》! 《因果流転悪行応報》! 《因果流転悪行応報》――」
何度も必殺スキルを発動し、何度も空へと放つ。
その度に、彼の装備した、纏った強さは剥がれ落ちていく。
「……これで、最後だ!」
残された、黒い装備すらも残さず必殺スキルの糧となる。
これでアイテムボックスに残された装備品はたったの5つ。
「何のつもりですか」
意味が分からないと、“磔刑”はワン・フー・ウーを睨む。
これが何かの攻撃の予兆かと、策の一つかと疑う。
「既に知っていると思うけど、僕のエンブリオはモンスターの力を纏うもの。今ので僕のステータスを直接上げる装備品は全部消えた」
「……!?」
それしか方法が無かった。
それしか方法を知らなかった。
強さに溺れていた自分を正しい道に引き戻してくれた小さな女の子。
彼女は自ら強さを捨てることで、それだけが強さではないことを教えてくれた。
ならば今度は自分の番だ。
弱さに溺れる彼女に強さを教える番だ。
そのためなら何も惜しくはない。
このアイテムボックスに残されたもの。
それら全てを使っても、安いものだ。
「僕は必殺スキルを使い、攻撃を全部外したんだ。……もう必殺スキルを使えるんだろう?」
継続戦闘時間に比例した超強化。
今のほんの短いやり取りすらも戦闘時間として計算されるのならば、“磔刑”の必殺スキルは復活しているはず。
「……あまり長い時間は使えませんが。それに、封印されていたのは両足だけですので」
彼女は自身の必殺スキル発動後のステータスを計算する。
両足のみの封印、そして短い戦闘時間のみの必殺スキル発動。
それでも、両足だけでも超強化されたステータスは、今のワン・フー・ウーを大きく凌ぐ。
強化率を下げれば長い時間での戦闘も可能だろう。
なによりも装備品を失った彼では、上回るものが何一つない。
「それなら良い。装備品を全部失った。今の僕はこれ以上はステータスを強くできない。でも、それでも僕はお前と戦える」
「見たところ特典武具も所有していないあなたにこれ以上の打開策があるとは思えません」
「ああ、そうだ……確かに僕には特典武具が無い。きっと、これからもそう。UBMを倒せる器なんかじゃないだろう」
それでも、戦う力は無くなっても。
戦う術ならば――ある。
「だけど、器こそ満たせなかったけど、それでも僕は手に入れた。神の遺産が、ここにはある!」
ワン・フー・ウーはアイテムボックスに残された5つの装備品――全身骸骨鎧を、翁の面を、水晶を、目玉の形をしたアクセサリーを、頭蓋骨の兜を装備する。
『力が欲しいか』
『速さが欲しいか』
『知力が』
『幸運が』
『技が』
欲しいか。
目の前の少女に勝てるだけの力が欲しいかと、彼らは問う。