六年前を覚えている   作:海のハンター

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18話 『文化祭は準備期間が一番楽しいのかも知れない』

 週が明け月曜日、気だるげな月曜日ではありえない程、教室の空気は温まっていた。

 今日から二週間強、毎日が騒がしくなる。

 バンッ、とクラスの委員長が黒板を手のひらで叩き注目を集める。注目を集めたりせずとも全員が前のめりになって名前しか書かれていない黒板に噛り付く。

 

 彼女の一言で祭りが始まる。

 

「A組の出し物はカフェで文化祭委員長は戸山さん、副委員長は山吹さんに決まりました」

 

 そう、文化祭である。

 

 

 

 

 

 と言うのが回想であり今は文化祭準備期間も折り返しに入った六月。

 放課後、クラス一丸となって作業をする中、上坂は一人冷房の効いた羽沢珈琲店で珈琲を飲んでいた。

 

「澪君もうすぐ文化祭なんでしょ。クラスの出し物のお手伝いしなくて大丈夫なの?」

 

 満を持して学ランから半袖もシャツに変わった上坂は羽沢珈琲店の看板娘の羽沢からおかわりのコーヒーを受取る。

 もともと女子高だったということもあり女子の夏服は白の薄手のセーラーと手が込んでいることが一目で分かり、半袖シャツの男子の夏服と比べ値段が五倍近く違う。安いに越したことはないのだがここまであからさまな差別は不満が溜まる、と言うのが多くの男子の意見だ。

 

「別に俺の仕事は学校じゃなくても出来るからいいんだよ」

 

 置かれたコーヒーを口に含みブラックの苦味とかすかな酸味を味わう。

 羽沢は花咲川の隣の高校、羽丘の生徒会に所属しており、文化祭のような学年全員を巻き込むビッグイベントには敏感で、それに加え羽丘では文化祭は九月と時期が違うため今後の参考までに気になっている。

 

「俺のクラス文化祭でカフェをするんだよ。だからその視察も兼ねて来たってわけ。別にさぼってるわけじゃないから」

 

 カフェの出し物をするまで色々大変だったと上坂は思い出す。1-Aのマスコット戸山香澄は文化祭委員長として一生懸命まとめようとしていたのだが、どうしてもマスコット色が強く本人も含め話がいろんな方向に脱線した。途中何度か戸山は話を戻そうと奮闘したのだが結果は同じになってしまい、どうなるのだろう、と一部の真面目な人間が思っていた時に出てきたのが文化祭副委員長山吹沙綾。彼女が介入してから話し合いは一瞬で終わり出し物は、『1-Aカフェ』になった。初めは山吹の実家『山吹ベーカリー』のパンの委託販売のようなものだったのだが、『カフェっていうなら料理もいるだろ』という相沢の一言で簡単ではあるが何品か料理のメニューも加えることになった。

 

「そうなんだ。でも澪君、ウチのことなら知り尽くしているんじゃない?」

 

「ゲホッゲホ……ゴホッ……」

 

 口の中に注いだコーヒーが喉ではなく気管を通り上坂は大きく咳き込む。

 

「べ、別にここが居心地が良いからとかそんなんじゃないからな!」

 

 さぼりではない。いざ自分がカフェを開くとなると見方が変わる、上坂はそう思っているのかもしれない。

 

「あはは、澪君、蘭ちゃんみたいなこと言って……澪君そのテーブルに広げている紙は?」

 

 羽沢は上坂が広げているいくつか束になっている書類に目がいく。

 

「あーこれは、出し物の進み具合をまとめる紙に備品の発注許可用紙、そしてこれがお金関係の書類」

 

「やっぱり澪君、賢いからそういう書類系の仕事なんだね」

 

 羽沢は上坂の仕事内容に納得したが、上坂は苦笑いを浮かべる。

 

「そういう訳じゃないんだよ……」

 

「何かあったの?」

 

 上坂は苦笑いを超え、自嘲気味な笑顔を浮かべた。

 

「要するにリストラだよ」

 

 

 

 

 

 一週間ほど前に遡る。

 

「じゃあ衣装班は私のとこ、料理班はさーやのとこに別れて下さい」

 

 戸山の一言でクラスが二手に別れた。

 

「澪くん、衣装の方なんだ。これから一緒に頑張ろうね」

 

「よろしく……」

 

 当然料理のできない上坂は衣装班になる。

 

「まずはね、ここのラインをなみ縫いで縫っていって……」

 

 委員長という仕事を任されていた戸山はいつも以上に張り切っていた。

 戸山によるエプロンの作り方の説明が終わったと同時に他の衣装班が一斉に取り組み始めた。

 

 上坂は困った。針を刺しても布はくっつかない。どうしたものかと針と布を交互に見る。

 

 料理が出来ないから裁縫は出来るとは限らない。

 上坂が以前住んでいた街の学校では家庭科は必修ではなく、上坂はもちろん受けていない。それは中学校だけでなく小学校も同じことだ。つまり上坂は今人生初めての裁縫にチャレンジしている。

 

「澪くん分からないの? さっきから針と睨めっこして」

 

 戸山が背中から顔を覗かせる。

 戸山は作り方が分からないクラスメイトがいたら直ぐに教えにいけるように見回っていた。

 

「あー……、どういう訳か縫っても布がくっつかないないんだよ。ほら」

 

 上坂は針で布を通しくっつかないって事を見せた。

 

「くっつくわけないよ。だってその針、糸ついてないんだもん」

 

「じゃあどうやって糸をつけるんだ? テープか何かで付けるのか?」

 

「テープ? そんなの必要ないよ。こうやって……糸を湿らせてここの小さい穴に糸を入れるの。それで先を止めたら……ほら、糸が針から外れないでしょ」

 

 戸山は糸先を舐めて針の穴に糸を通し、針を使って糸先を結ぶ。

 

「慣れてるんだな」

 

「こないだの家庭科でやったじゃん」

 

「いや、俺家庭科取ってないし」

 

 花咲川高校の選択授業は家庭科と書道と情報処理であり上坂は情報処理を選択している。家庭科の授業は女子の人気が高く一見女の子目的の男子が集まりそうに思えるのだがソーイングセットやエプロンと色々持ち物や手間がかかることから男子の人気はない。だから男子は決まって書道か情報処理を選択する。おかげで上坂の受けている情報処理は珍しく男子の比率の方が高い。

 

「そういえば、渡辺って選択家庭科だったよな?」

 

 先日の一件以降上坂は渡辺が気になる。周りには彼の姿はない。

 

「そうだよ。一也くんってすごいんだよ。この間のナップザックの課題だって、早く終わったからって五つも作ってたんだよー。兄弟いっぱいいるのかなあ。あーあ、一也くんがいたら百人力だったのにな~。どうして料理班に行っちゃったんだろ。あっちにはさーやがいるのに」

 

 残念そうにため息を吐く。戸山は自分が頼りがないことを自覚しているようだ。

 

「へぇー、あいつってそんなにすごいんだ。それに料理もできるって俺とは正反対だな」

 

 関西弁以外個性のない少年だと思っていたが、上坂が知らないだけで家庭科の達人という立派な個性を持っていた。

 

「糸の付けかたは分かったよありがとう。もう大丈夫」

 

「また分からない事があったらいつでもいってね」

 

 手を振り戸山は見回りへと戻った。

 

 上坂は作業に戻り、針の穴に糸を通した。

 しかしこれがなかなか難しく穴に通そうとすると、穴の手前で曲がってしまう。

 

「しっかしこれ難しいな。香澄はよくこんな事簡単に出来るよな」

 

 ぶつぶつ言いながら糸を針の穴に通す。

 

「はぁはぁ、やっと通った」

 

 三分ほど糸と格闘しやっとのおもいで勝利したが糸を針に通せた時点ではまだスタートラインにすら立てていない。

 

「香澄は針の周りに糸をグルグルさせていたよな……痛っ!」

 

 糸先を結ぼうと針に糸を回し付けると誤って針に指を刺す。左手を見ると人差し指から血が流れ手が赤くなっていた。

 

「上坂くん大丈夫?」

 

「大丈夫、こんなの時間が経ったら止まるって」

 

 心配する牛込に大丈夫である事を見せるために血が流れている左手を軽く振るが、上坂の左手は針で刺した割にしては多くの血が指から流れていた。

 

「私、絆創膏持ってるよ」

 

 慌てる牛込の姿を見て近づいた花園から絆創膏を受け取る。

 

「ありがとう。それにしても絆創膏なんて持ってきてるんだな、助かったけど」

 

「ギター練習する時に指切る事多いからいつも絆創膏と消毒は持ち歩いてるの」

 

 上坂は受け取った絆創膏のシールを剥がす。

 

「せめて消毒しなくちゃ!」

 

 大きい声を出す牛込の圧力に圧倒された上坂は、されるがままに傷口を消毒液で洗浄し血をティッシュで拭き取ってもらい、絆創膏まで丁寧に貼ってもらった。

 

「……ありがとう」

 

 子供のようにされるがままに絆創膏を貼ってもらった上坂の顔は恥ずかしさで少し赤くなっていた。牛込もそんな上坂の顔に反射するように赤くなり黙って本来いた自分の場所に帰っていった。

 

「りみ、行っちゃった」

 

 花園が牛込の背中を見て呟く。

 

 戸山、牛込、花園と迷惑をかけてばかりの上坂は、これ以上の迷惑はかけれないと気を取り直して作業に戻る。

 無事玉止めを成功させた上坂は布に針を通す。

 

 ザクッ

 

「……おたえ」

 

「どうしたの?」

 

「悪いけど、もう一枚絆創膏くれないか?」

 

 今度は布を押さえていた左手から血が流れていた。

 

「……悪い」

 

 絆創膏と消毒液を受け取り、血が流れていた左指に貼る。一回目の怪我からものの数秒で二回目をやってしまい恥ずかしさのあまり顔が上がらない。

 

「上坂がまた怪我をしてもいいようにここでするよ」

 

 花園は上坂の正面に座りチクチクと布を縫い付けエプロンを作っていく。

 

「怪我する前提かよ」

 

「でも、そうでしょ?」

 

「…………」

 

 上坂は言い返すことができなかった。

 

 それから上坂は作業を続け分からない所があったら花園に聞きエプロンを作っていく。

 初めてのことで苦労する事も沢山あったが上坂はエプロンを完成させる事が出来た。

 

「香澄、出来たぞ!」

 

 文化祭委員長である戸山に完成したエプロンを手渡す。

 戸山はまじまじとエプロンを見てにっこり笑った。

 

「澪くん出来たんだ。頑張ったね」

 

 子供にするようなほめ方ではあるが、今の上坂にはすごく嬉しかった。

 

「でも香澄、上坂はもうエプロン作りは辞めた方がいいかも」

 

「おたえどうして? 澪くんちゃんとエプロン作れてるよ」

 

 戸山が持っているエプロンは、縫い目も真っすぐではなく綺麗とはとても言えないがそれでも合格ギリギリラインのできだ。

 

「香澄これを見て」

 

「ちょっ、おたえ」

 

 上坂は隠した腕を花園に掴まれ戸山の前へと引っ張り出される

 

「どうしたのその手! すごい怪我」

 

 上坂の手には絆創膏が初めの二枚じゃ収まらずきれいにすべての指に一枚ずつ貼られていた。

 

「名誉の負傷ってやつ」

 

「違うよ。ただ針が刺さっただけ」

 

「……そうなんだ」

 

 戸山が上坂の手を見て心配そうな目をする。

 上坂は迷惑をかけないように努力をしたが、結果戸山の顔を曇らせてしまった。

 

「……香澄、俺衣装班じゃなくて料理班の方にいどうしていいか?」

 

 戸山も花園も何も言わない。

 上坂の手の怪我を見て難しいと思ったのだろう。

 

 こうして上坂は衣装班をクビになった。

 

 

 

 上坂は料理班のいる家庭科室へと向かった。

 

 料理は得意ではない。

 それは上坂の私生活を見ていたら一目瞭然。

 だけど血まみれになった裁縫に比べたら料理の方が出来ると思い料理班へ移動した。

 

 家庭科室では料理班が、カフェに出すパン以外の料理を考えている。

 

 扉を開けた上坂は、もっと料理班は包丁で食材を切ったり、フライパンで炒めたりともっとワイワイ楽しんでいるものだと思っていた。

 いや、楽しんでいた。しかし楽しみ方のベクトルが違う。

 みんなが一か所に集まり興奮する様子はスポーツ観戦のそれに似ている。

 

「なぁ。何集まってるんだ?」

 

 吸い込まれるように人だかりに交じる上坂は金髪が目印の四季の隣に並ぶ。

 

「あれ? 澪お前、こっちだったっけ?」

 

「衣装班がクビになったから、こっちに来ま……した」

 

「お前、何してるんだよ」

 

 学校の文化祭の準備でクビになるという事は相当な事で、これだけで四季は上坂の裁縫スキルの低さが分かる。

 

「俺のクビ事情はいいだろ。それよりこの集まりはなんなんだよ?」

 

「あれを見てみろよ」

 

 人だかりの中心には男子が二人。

 一人は赤い髪の相沢綾人。もう一人は青い髪の渡辺一也。

 二人が同時に溶いた卵をフライパンに注ぐ。

 

「とりあえずオムライスを作ることになったんだけどな、綾人が半熟のオムライス、渡辺が薄焼き卵のオムライスともめてな、今どっちを作るか実際に作って勝負してるんだぜ」

 

「なんだよ勝負って……アホな綾人はともかく、俺の中の渡辺のイメージがどんどん崩れていく」

 

 誰だ渡辺を無個性だと言った奴は……って俺か、と上坂は心の中でつっこんだ。

 

 上坂が頭を抱えていると歓声が響き渡った。決着がついたらしい。

 

「こんなオムライス出されたら引き分けでも納得やわ」

 

「まさか引き分けとわな。一也すげーよお前」

 

「相沢、自分もすごかったで」

 

「二人のオムライスほんとにすごかった。こんなのどちらかなんて私には選べないよ」

 

 赤頭と青頭のがっしりと握手をする謎の友情劇も審査員長山吹の感動の一言で幕を閉じた。

 

 

 

「どうした、こっちに来て。衣装作りクビにでもなったのか?」

 

「なんで分かるんだよ!」

 

「そりゃぁ、その絆創膏まみれの指を見たらわかるだろ」

 

 上坂は慌てて手を背中に隠す。

 

「はぁ……どうしたらそんな指になるんだよ」

 

 相沢は上坂の指を見てため息を吐く。

 言い返すことが出来ず乾いた笑みを浮かべているとポニーテールのエプロン少女が近づいてくる。

 

「澪、こっちに来たんだ」

 

「まぁ、料理は得意じゃないけど、裁縫よりは出来るかなって」

 

 上坂は山吹に衣装班をクビになったことだけを伝える。

 

「むこうでなにがあったかは知らないけど。私達が作るものは、綾人と渡辺がさっき作ってたオムライス。比較的簡単だから安心していいよ」

 

 何度か頷いた山吹は上坂の事情を深く言及しなかった。

 

「さっきの話を聞いた感じ澪不器用そうだし、取り敢えず技術の必要な卵じゃなくて材料を切って炒めるだけのチキンライスの方にしよっか。でも澪、料理をするときはビニール手袋しないとダメだよ。傷口に細菌が入っちゃうからね」

 

 料理に血が混じる、とストレートに言わない当たり山吹の優しさが分かる。

 

「それじゃあオムレツ組とチキンライス組に分かれたね。それじゃあ始めよっか。こっから先は自由。みんな、怪我をしない程度に楽しむこと。分かった?」

 

「「「は~~い」」」

 

 山吹の一言で料理班は散らばる。二手に分かれた料理班はここから各自小さなグループを作る。

 

「はる……」

 

 近くにい親友に声をかけようとするが、別の方向から腕が引っかけられる。

 

「上坂やるで、若宮もついてきい」

 

「ハイ、精一杯お供させていただきます」

 

「えっ? えっ?」

 

 訳も分からず上坂は渡辺に引きずられ、困惑した四季が親鳥を追いかける雛のように前をついてきた。

 

 

 

 流水で手を洗い終えた上坂の装備はいたって単純。つい先ほど作った不細工なエプロンにビニール手袋そしてこれから装備するであろう包丁。そんなRPGゲームの初期装備でもありえない格好をした上坂のパーティーは白髪ハーフモデル若宮、関西弁の家庭科の鬼渡辺、残念系イケメン代表四季の三人だ。

 とは言ってもこのパーティーの勇者は上坂ではない。

 

「…………以上がチキンライスの作り方や。言っても材料切って調味料と一緒に炒めるだけの超お手軽なやつや。生まれてこの方包丁握ったことない奴でも出来るやろ」

 

 渡辺の言い回しは毒がある。その相手は若宮でも四季でもない上坂のことだ。

 上坂は生まれて一度も包丁を持ったことがない。一人暮らしはジャムの乗った食パンかインスタント麺。家族と住んでいた前の街では掃除担当で触る機会はなかった。

 

「なあ、渡辺、どうして俺を誘ったんだ?」

 

 誘ってもらったことは嬉しいことだが、どうしても疑問は残る。

 先日の一件、許してはもらえたがだからと言って仲良くなったわけではない。むしろ嫌われているだろう。

 

「大した理由なんてあらへん。あいつにあんたのこと頼まれたんや」

 

 上坂達チキンライス班ともう一つの班オムライスの主役、卵班の中心にいる人物を見る。

 

「俺の事は相沢でも綾人でもない。シェフと呼べ!」

 

 相沢は菜箸を手のひらに叩きつけ、同時に卵班はノリが良く『シェフ』と叫ぶ。

 普段なら相沢の一、二本ネジの緩んだテンションについてくることはない。しかし文化祭という魔法が普段抑え込んでいる自制心を緩ます。

 

「あいつ……だれや? ……まあええ、要するに衣装作りはクビになるは、料理は作ったことないはの家庭スキルゼロの自分の面倒見たるってことや」

 

 言葉は一〇〇%毒で構成されているが、上坂に料理を教えてくれるということだ。

 

 毒一〇〇%の言葉にカチンとなるが飲み込む。事実ということもそうだが、争って周りのテンションを下げたくないというのが本音だ。

 

「それで、何をするんだ?」

 

「自分はまず、包丁の使い方を覚えるところからや」

 

 渡辺の指示で四季と若宮はそれぞれ作業に入る。

 

「左手また爪見えとるで」

 

 納得がいかない。

 

「なあ、どうして切るのは野菜のへたと頭ばっかりなんだよ」

 

 上坂の作業はいたって単純。人参、玉ねぎ、ピーマン。チキンライスに使う野菜のへたや頭を切って回すことだ。

 まだ四季と若宮、二人分ならまだよかったのかもしれない。終われば次のステップに自動的に上がれる。

 しかし渡辺はおせっかいなのか嫌がらせか分からないがすべての班から野菜を集め下準備の下準備を上坂にさせる。

 

「小さいものを切るのは危ないねんで。折角これ以上怪我が増えんようわざわざ他の班から材料かき集めた言うのに文句ばっか言って」

 

「流石にこれはやりすぎだろ……」

 

 テーブルには袋単位で置かれた野菜。いくらへたや頭を切り落とす作業だけだとしても終わりが見えない。

 子供お料理教室でも怪我が起こらないようにとここまで過保護になることはないだろう。

 

「さっきまで切り方も知らんかた奴が偉い自信やなあ~。……そんなゆうんやったら次いってみるか?」

 

 終わりの見えなかった野菜たちのへたと頭をあっという間に渡辺は切り終える。

 プロのような見えない包丁さばきではなく、丁寧で無駄のない包丁さばきだった。

 

「まず半分にしてスライス。そっからみじん切り。できるんやろ? やってみぃ」

 

 白いまな板の上には頭の落ちたピーマン。

 上坂は怪我をしないように丸めた左手をピーマンに乗せ、包丁の刃を入れる。

 

 後ろからは背中がピリピリするほどの高圧的な視線。ライブやコンクール、何かとステージに上がり人の視線を感じることの多かった上坂だがそのどれよりも緊張した。

 縦に割り終え、半分になったピーマンを丁寧にスライスしていく。難易度は小さくなるにつれ上がる。

 

 ザクッ、

 

「あっぶなー」

 

 半分を切り終えこれからが勝負と言う時だった。

 背中に何かがぶつかりその反動でピーマンが切れる。

 手は猫の手と丸めていて無事ではあったが、もし伸ばしていたら上坂の指は失っていたかもしれない。

 猫の手が大事だということを上坂は肌で感じた。

 体中の血が床に落ちたような錯覚を感じ右手で左手を包む。分かってはいるが指が繋がっているそのことに安堵した。

 

「大丈夫か!?」

 

「えっ! ……へっ?」

 

 真っ先に駆け付けたのは意外にも渡辺だった。

 

「手は切ってないみたいやな……」

 

 上坂の足元に血だまりが出来ていないことに安堵した渡辺は声のトーンが恐ろしく低くなった。

 

「まさかここにも問題児がおったとはなあ?」

 

 渡辺の威圧的な声の先には前を見ようとしているが焦点が合っていない四季の姿があった。

 

「自分のしたことの意味分かっとん? 一歩間違えれば友達の指、切り落としとってんで」

 

 四季は一回だけ頷く。

 態度がいけなかったのか、渡辺は目を鋭くし四季に迫る。

 家庭科室はなんとも言えない空気に包まれる。みなどうすればいいのか困惑していた。

 それは上坂も同じことで四季と渡辺どちらの見方をすれば分からなかった。

 

「まってくださいカズヤさん」

 

 皆が足を止める中、一番最初に動いたのは若宮だった。声は少し震えており、大きな瞳からも涙が浮かんでいた。

 

「私の……私のせいなんです」

 

 話はこうだった。若宮は顔だけは良い四季をモデルに誘った。初めこそノリ気と言うよりはいつもの軽口で承諾してしまった四季だが話が、どんどん本格的になり逃げだした先でぶつかり今に至るという話だ。

 

 無音が響く。

 取り合えず渡辺が止まったのだと安心し張りつめていた空気を抜く。

 

「そうか……だったら若宮、自分も同罪や」

 

「ハイ」

 

 若宮は覚悟を決めた真っすぐな目をしていた。

 

「お、おい……」

 

 非を自ら認め反省する相手に叱るなんておかしい。

 自分から非を認める、それだけでも十分な罰だろう。

 

「なんや上坂、そんなに若宮を怒るんがおかしいか? 悪いことしたやつを怒るんは当たり前のことやろ?」

 

 上坂はただ茫然と眺める事しかできなかった。

 説教の内容は『刃物のある傍で走るな』と極々当たり前の話だ。そんな子供でも分かるようなことを真剣にそれでいて丁寧に二人に言い聞かせていた。

 母親が子供に叱りつけるように怒りながらも確かに相手のことを思う気持ちがあった。

 上坂は渡辺が友達のために本気で怒れることを知っている。上坂も大切な幼馴染や友達のために怒れるだろう。

 逆に上坂は幼馴染や友達を本気で怒ることが出来ない。この場に渡辺がいなければ、いいよ、の一言で許してしまうだろう。それが上坂と渡辺の違い。

 渡辺は友達のために友達を怒ることが出来る。そういう人だ。

 

「澪、ごめん」

 

「レイさん、すみませんでした」

 

 お叱りを終えた二人は上坂に頭を下げる。

 

「大丈夫、ビックリしただけだから。ほら、指もこの通りくっついているだろ、だからもう気にするなよ。まだ準備期間とはいえ折角の文化祭だ。楽しまないと損だろ?」

 

 四季と若宮、二人の顔に笑顔が戻り、二人はチキンライス作りに戻った。

 

「上坂、自分ちょっと甘ないか? 指が失なりかけたん他の誰でもない自分やろ?」

 

「別にいいんだよ。俺の指はこの通りくっついてるし」

 

 渡辺の真似をして怒る必要はない。怒ったところで渡辺のようにうまくはいかない。

 人には人の、上坂には上坂のやり方がある。

 

「それに俺のために必死に怒ってくれた奴もいたみたいだし、これ以上言う必要もないだろ」

 

 指が失いかけたことよりも上坂のために本気で怒ってくれたことが嬉しかった。

 

「急にへんな事ゆうなや。自分結構痛いこと言っとるって気づいとる?」

 

「痛いって酷いな。もうこの際、俺の指なんてどうでもいいだろ? 暗い話より明るく楽しい話をしないか?」

 

「……ほんと少し前の自分とは別人やな。……それで楽しい話ってなんや。悪いけど楽しい話なんて俺にはほとんどあらへんで」

 

 呆れているのか、返答も相槌とそれほど変わりがない。

 

「一也、お前の大好きなパスパレのことを教えてくれないか?」

 

 

 

「すまん山吹、俺がついておきながらこんなことになってしもうて」

 

 料理班最高責任者の山吹は両手を合わせ頭を下げる渡辺を見てはいない。

 

「一応聞くけど、これ、チキンライスだよね? 私の知ってるのとは違うんだけど、どうして黄色いの?」

 

 完成したチキンライスはトマトの赤ではなく、黄色だった。

 

「一也がいてこれかよ。澪、どうなったらこうなるんだよ」

 

 山吹の隣で相沢が呆れつつも必死に笑いを堪えていた。

 

「知らねえよ!」

 

「知らねえよ、じゃあらへん! 全部自分のせいやろ!」

 

「それで一也、何があったの?」

 

「山吹、聞いてや」

 

 渡辺は話した。

 塩と砂糖を間違えたなんて序の口で、炒めるだけのフライパンにはひたひたの油を用意したり、ちょっと目を離したすきに引き出しに入っていたカレー粉を入れたりと、渡辺は丁寧に話した。

 

「そっかー、この黄色はやっぱりカレー粉だったんだ……」

 

「口を酸っぱく知らないものは触ったらあかんってゆうたのに」

 

「それは大変だったね」

 

 話を聞いてるだけの山吹も疲れた顔をし、どうして知らないものを入れようとしたなんて聞く気力も勇気もない。

 

「もう無理や。こんなバケモンの相手なんかできひん。俺は降りる!」

 

「ちょっと待ってよ。一也が降りたら誰が……」

 

「そんなん山吹か相沢が教えたらええやろ!」

 

「私は……そのみんなを見ないといけないし……」

 

「俺はオムレツの指導があるし……」

 

「オムレツの指導やったら変わったる」

 

「いやだめだ。とろっとろのオムレツは俺しか教えることできねえ」

 

 今の光景を簡単に説明するならいらない子の押し付け合いだ。見れば誰でも分かる。

 しかしそういった事はさりげなくすることで堂々とすることではない。

 隠すそぶりを見せない当たり問題の大きさが嫌でも分かってしまう。

 

「なあ、この問題って俺が出て行ったら解決するよな」

 

 一度クビ宣告を受けている上坂には二回目のクビに抵抗なんてものはない。

 

「待って澪! このままだったら折角の文化祭なのにやる事無くなるじゃん」

 

 衣装班も料理班もクビになった上坂には山吹の言う通りすることは残されていない。

 

「何か……そうだ、本当なら文化祭委員の私とがする仕事なんだけど」

 

 山吹は鞄の中からいくつもの書類を取り出す。

 

「これ、お願い出来る? 香澄には私から言っておくから」

 

 上坂は三度目にしてとうとう天職を見つけた。

 

 

 

 

 

「そういう訳で、色々あって今の仕事になったわけ」

 

 長い話にも関わらず羽沢は苦い顔一つせず上坂の話を聞いた。

 

「なんだか壮絶だね」

 

「だけどさ、この書類の仕事は早いって褒められたんだよ」

 

 裁縫、料理と迷惑しかかけてこなかった上坂は褒められた事がようやく自分も協力してるという気になって嬉しかった。

 

「良かったね。でも、いま聞いた話だと澪君家庭科苦手なんだね」

 

「筆記はできるんけど、実技がな〜」

 

 筆記は知識さえあれば解けたから問題はなかった。しかし実技は知識があれば出来る物ではなく経験が必要だ。上坂は幼少から料理だけではなくスポーツもあまりしていない。

 それは、ピアノを弾くのに指を怪我したくないっていうのが理由だ。それはピアノを辞めてからも変わらない。だから包丁の様な刃物を扱う料理なんて、もってのほかだった。

 

「なぁつぐ、今度料理教えてくれよ。俺でもできそうな簡単なの知ってるだろ?」

 

 今まで料理なんて覚える必要ないと思っていた。しかし今回の件で迷惑をかけることが分かった。だから最低限で良い料理が出来るようになりたかった。

 

「えっ、えっと〜……」

 

 渡辺も相沢も山吹もそろって匙を投げたことだが、優しさで出来ている羽沢は教えてくれるだろうと上坂は思っていた。だが優しさ出来ている羽沢でさえ上坂に料理を教えることはお手上げらしい。

 

 カランカラン

 

 お店のドアが開く音がした。

 救いの鐘の音に羽沢は逃げる様にお客を迎える。

 

 入ってきたお客は桃色の髪の少女。

 

「つぐ〜、聞いてよ〜」

 

「ひまりちゃん、いらっしゃい」

 

 上原は空いている席に座ろうとしたが、上坂に気づき一度座ろうとした席を離れ上坂の向かいの席に座る。

 

「澪も来てたんだ。もぉ、来るなら言ってよー」

 

 羽沢が上原の前に水の入ったコップを置く。

 

「ねぇつぐ、澪と何話してたの?」

 

「実はね……」

 

 話を聞き終えた上原は上坂に視線を戻した。

 

「澪は料理が出来なくても大丈夫」

 

「何でだよ。出来るに越したことはないだろ?」

 

 料理が作れるようになれば生活の幅が広がる。それに今の不健康な生活から脱出できていい事しかない。

 

「澪が料理出来ない分、私が作ってあげるから!」

 

 テーブルから身を乗り出して息巻いていた。

 普通だったら料理を覚えたいという事を否定しない。だけど上原は否定する。

 

「話を聞いて……」

 

 話を聞いていたか?、と言い返そうとしたが上坂はその口を閉じ頭を掻く。

 

(まぁいいか、俺もひまりの手料理食べたいし)

 

 料理ができない事で彼女の手料理が食べれるなんて、料理が出来ないのも悪くない。

 

 上坂はそう思った。

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