空は夕日が沈み暗くなってきた。
窓から見えた活気ある商店街も今では人足も減り寂しいものになっていった。
時計を見づとも時刻を教えてくれる天然の時計に上坂も帰らなければと席を立ち会計を済ます。
居た時間に対してコーヒー二杯とケーキが一つと店側からすればコストパフォーマンスは悪いが、それでも羽沢は笑顔を絶やさない。
因みにコーヒー一杯とケーキは上原分だ。
「これをみんなに渡したらいいんだね」
おつりを渡した羽沢は数枚の紙をひらひらさせてからエプロンのポケットに紙をしまう。
「頼むぞ。それがなかったら入れないからな」
上坂が渡したのは文化祭の入場チケット。花咲川高校は元が女子校でナンパ目当てで来る不埒な輩多い。そのため安全面を兼ねてチケット制になっている。
チケットは特に枚数制限などはなく、必要な枚数を文化祭委員に言えば発行してもらえる。枚数制限がないとこから一応対策してますよ感が拭えない。
「えっ……私貰ってない」
上原の表情が空と同じ色ぐらい暗くなる。
「ひまりのチケットもあるに決まってるだろ」
鞄の中をあさり、ファイルに挟んであるチケットを上原に手渡す。
「後で渡そうと思ってたんだよ」
「そうなの? だったら言ってくれればいいのに、私だけ貰えないのかと思ったじゃない」
「俺がひまりの分を忘れる訳がないだろ? つぐ渡す物も渡したしそろそろ帰るよ。また参考にしたい事があったら来るからその時はよろしく」
「じゃあ私は文化祭できちんと参考になったかチェックしに行くね」
「それはちょっと厳しいなぁ。と、言いたいとこだけど、結構凄いのになりそうだから、楽しみにしていいよ」
今クラス一丸で文化祭に向けて頑張っている。衣装はいつも遅くまで残っていて、料理班のメニューも今では三品まで増えている。
これだけ頑張っているのだから絶対に良いものが出来るに決まっている。
「うん。楽しみにしてる」
「じゃあ、また」
羽沢に手を振り、上坂は店を出た。
「ねぇ」
「どうした?」
羽沢珈琲から出た上坂と上原の二人は家に帰る為に商店街を歩いていた。
「澪は文化祭でライブしないの?」
上原の問いに上坂は数回瞬きを入れ
「しまった! 文化祭準備のドタバタのせいですっかり忘れてた!」
「そんな大事な事忘れてたの⁉それじゃあ澪、ライブするの?」
上原はかなり興奮気味だった。
それもそのはず、上原は一度も上坂達の演奏を聴いた事がないからだ。
「するする。でも曲作りなんてなんにもできてない、どうしよ」
「澪が曲作るんだ」
「別に俺がって訳じゃないけど三人の仲じゃ俺が一番暇だし」
上坂もまた興奮している。だが上原の喜びが強い興奮とは違い焦りの色が強い。
文化祭まで後三週間、上坂はライブをするにしてもまだ何一つ準備をしていない。
「まだ文化祭まで時間はあるんでしょ? 澪なら大丈夫よ」
三週間で曲作りに練習となかなか無茶な挑戦ではあるが、好きな人からの応援はそんな無茶な難問を易問に変えてしまう力がある。
「そうだよな、まだ時間はあるよな。俺ならってところはともかく絶対間に合わすよ。ひまりに俺達の演奏聞いてもらいたいし」
「澪、大好き〜!」
「うわっ」
抱きつく上原を抱きしめ頭を優しく撫でた。
外が暗くなっているという事もあり多くの目はなかったがそれでも、商店街でお店を構えている人には見られていた。
恥ずかしさはもちろんあったが、上原を抱きしめることが出来る日常がひどく嬉しかった。
(ギリギリなスケジュールでも綾人と春夏には強制的にライブに出てもらおう。忘れていたあいつらも同罪だしな)
暗くなった空でもはっきり顔が見えるぐらい眩しい笑顔を浮かべる上原に、ライブが出来ませんでしたとは報告出来ない。
「えへへ」
「……」
抱き着くのに満足した上原は上坂から体を離した。
上原の顔は赤く、上坂も頬に熱を帯びていた。
最近無事に一カ月記念を過ぎ付き合い始めた二人には、まだスキンシップには抵抗がある。
「澪、今日何食べたい?」
「そうだなぁ……って?」
あまりの自然な会話に一瞬違和感が感じられなかった。
「どういう……」
「さっき言ったじゃん。澪の分のご飯も作るって」
「あれホントだったの?」
「ダメなの?」
「ダメじゃない。むしろ食べたい!」
上坂は目を光らせ上原の両手を握りしめる。上原も想像以上の反応に戸惑い何回も首を縦に振る。
「澪は……何か食べたい物とかってある?」
「う〜ん。食べたい物が沢山ありすぎて直ぐには出ないな」
ハンバーグにシチューにカレー食べたい物があり過ぎてまとまらない。
「じゃあどういうのがいい?」
「そうだな〜。強いて言えば手作り感が強いのが食べたい」
上坂は日頃から日頃からラーメンやハンバーガーとのようなジャンクな物ばかり食べていた事もあり、手料理に飢えている。
「手作り感か〜。じゃあ、肉じゃがなんてどお?」
上坂は首を大きく縦に振る。
彼氏に作ってあげたい料理代表の肉じゃがだが、上坂はもちろんそんなことは知らない。
空は暗くチラホラシャッターが下りている店もあるが、流石は日頃から活気のある商店街、シャッターが下りていない店の方がまだまだ多い。
「いらっしゃい。あれ? れーくんが来るなんて珍しいね」
精肉店に着くとクラスメイトの北沢はぐみが水色の夏用の制服姿で立っていた。
オレンジ色の短い髪に元気いっぱいの八重歯が似合う少女だ。
「珍しいって言うか、初めて来たし。それにしてもはぐみはここでバイトしてたんだな」
「澪の知り合い?」
「この子は北沢はぐみ。俺の同級生」
「私は上原ひまり。よろしくね」
「よろしくね。れーくん、この子が噂の彼女?」
「そう。この子が俺の彼女」
北沢に自慢げに上原を紹介していると服の裾が勢いよく引っ張られる。
「どうして私が彼女だって知ってるの?」
「春夏が喋ったんだよ」
「あの時は凄かったね」
「はぐみは関係ないからいいけど当事者としては結構きついんだぞ」
友達には首を絞められ、クラスの男子からは一週間無視され散々だった。
「なにがあったの?」
「なにがあったって……はぁ……」
元を辿れば上原が話したのだが、そこについて上坂は触れない。
「それでれーくん、何しに来たの?」
「何しにって、買い物に決まってるだろ? 今日はひまりが作ってくれるんだよ」
手作り料理の嬉しさに上坂は聞かれてもいない事を答える。
「なになに、れーくん今日彼女の手料理なの?」
「そうなんだよ~、はぐみ何かオススメってあるか?」
「オススメはコロッケだよ」
「精肉店なのにコロッケ売ってるの?」
「えっ……⁉」
北沢が信じられない物を見る目をしている
「何を言ってるの、お肉屋さんにはお肉も欠かせないけど、それと同じくらいコロッケも欠かせないんだよ!」
「そ、そうなんだ。知らなかった」
北沢の圧力に圧倒される。
「それにうちのコロッケはすごく、すごーく美味しいんだよ」
「そんなに美味しいんなら」
買い物の権限を持つ上原を見た。
上原も上坂の視線に気づき
「そうだね、今日はこれからご飯があるから明日にでも」
「じゃあ冷凍だね」
「それじゃあコロッケ二つとこの牛細切れ下さい」
北沢はコロッケと肉を袋に詰め、上原がお金を出そうとしたが、先に上坂が出した。
「別に私が出すのに」
「女の子にお金を払わす事は男にとって恥ずかしい事なんだよ」
上原は"もぅ"と一言いい上坂は財布からお金を取り出す。
「お待たせ。はい、コロッケと牛細ね。毎度あり。じゃぁまた明日バイバーイ」
「ああ、また明日」
北沢は上坂にお釣りと袋を渡した。
精肉店を出た上坂と上原はその後八百屋で野菜を買い、調味料や他の食材を買う為スーパーで買い物をした。
「まさか買えないとは」
「流石に私も未成年は買えない事なんて知らなかった」
スーパーを出た二人の肩は落ちていた。買い物袋からは肉や野菜は入っているがそれだけ。そもそも二人はスーパーの袋を持っていない。
買えなかったのは調理酒とみりん。調理酒はまだ名前に”酒”と入っており分かるが、しかしみりんもお酒である事は上坂はもちろん上原も知らなかった。
「どうする?」
「こうなったら、家から持ってくる。澪には最高の肉じゃが食べてもらいたいもん」
二人は上原の家へ向かった。
上坂は上原家の前で待っていた。
上原が足りない調理酒とみりんを取りに行っている為である。
家の中から何やら騒がしい声が聞こえるが、何を言ってるかまでは分からない。
ドアが勢いよく開き上原が真っ赤な顔をして出てきた。
「どうせお母さんに俺の家でご飯を作ってく。的な事を言ったらからかわれたんだろ」
「なんで分かるの⁉︎」
「それぐらい分かるよ、荷物重たいだろ? 持つよ」
上坂は上原が家を出てから背負っていた少し大きめのリュックに手を掛けようとした。
「大丈夫。澪にはいっぱい持って貰ってるし、これくらい自分で持つよ」
上原は上坂が伸ばした手をひらりと避ける。
上坂も上原の思わぬ反応に黙って引き下がった。
二人は上坂の家に着き、上坂は鍵穴に鍵を刺して回しドアを開けた。
「澪の家久しぶり」
玄関に入っただけなのに既に上原は興奮して持っている袋がガシャガシャと音を鳴らしている。
「何もないけどゆっくりしてよ。って言ってもあまりゆっくりは出来ないか」
本来であればゆっくりしていって欲しかったが、今からご飯を作る上に夜が遅いという事もありあまりゆっくりは出来ないだろう。
リビングに入り上原は部屋中を見渡した。
「変わってないね」
「まぁそうだろうな。最近帰ってきたし」
上原は久しぶりの上坂家に懐かしさを感じ、目的である台所へ向かった。
上坂はテーブルから料理をしている上原を見ていた。
手際の良さから料理慣れしている事が分かる。
「なんかこうして見ると新婚みたいだよな」
何も考えずに思った事だけを口に出してしまった。
上坂の言葉に反応して上原は握っていた包丁がピタリと止まる。
すると沈黙した空気に文字どおり水をさすかのようにジャガイモを茹でていた鍋から水が溢れ出し、上原は慌てて火を止めジャガイモをザルにあげた。
「もう、変なこと言わないでよ」
「悪かったって」
顔を赤くし持っていたおたまを上坂に向けた。
上原は調理に戻るが、先程の言葉が気になるのだろう、上坂をチラチラ見てあまり料理に集中出来ていない。
「澪、ちょっと悪けど、料理に集中出来ないからあまり見ないで欲しいんだけど」
「……分かった」
リビングから追放された上坂は頑張る彼女に対し時間を弄ぶのもなんだと思い、風呂場の掃除に行った。
家庭科スキルが極端に低い上坂でも掃除は出来る。
小さい頃からより良い環境でピアノを練習する為こまめに掃除をしていたからである。なのでシャワーから突然水が出てびしょびしょになったり、風呂場で滑ってこけるというようなベタな展開はない。
なんなくお風呂掃除を終えた上坂はリビングに戻ると上原が料理を盛り付けていた。
「お帰り、今出来たところ」
上坂はせめてもと思い食器の準備をする。
上坂が食器の準備をする間にも上原は次々と料理を並べる。ご飯に肉じゃが、味噌汁にほうれん草のお浸しと和のメニューだ。
上坂は信じられない光景に思わず目頭を押さえた。
「どうしたの、嫌いなものでも入ってた?」
「いや、違うんだ。家でちゃんとしたご飯を食べれるなんていつ振りだろうって考えてたら涙が出てきて」
「もぅ、大げさだな〜」
上原は冗談だと思っているが、冗談ではない。上坂は四月にこちらに帰ってきてからまともな食事をとっておらず実に約二ヶ月振りである。
上原は目の前で料理を待たされソワソワしている上坂を見て
「じゃあ、食べよっか」
手を合わせ、いただきますをして箸をつけた。
上原の料理は凄く美味しかった。いつも食べるようなジャンクな味ではなく、口に入れただけでその人の愛情が分かる優しい味だった。
この日以来上坂は、愛情というスパイスを信じるようになった。
「美味しかった。また作ってくれるか?」
本当は毎日でも食べたかったが流石に毎日来てもらう訳にはいかない。
「勿論。明日の朝だって美味しいの作ってあげる」
「いやいや、明日の朝も来てもらうなんて流石に悪いよ」
今日も遅く、明日も朝から食事を作ってもらうなんてそれは恋人というより家政婦だ。
「大丈夫。今日泊まっていくから」
一瞬言葉が出なかった。
「……泊まるにしても、着替えとか学校の準備とかあるだろ?」
上坂はあえてここで泊まる事を否定せず泊まる準備ができていない事を理由に帰らそうとした。
「着替えも学校の準備もあるよ。ほら」
ぱんぱんに詰まったリュックの中からパジャマと教科書を取り出した。
「リュックを持たせたくない理由ってそういう事か」
あのぱんぱんに詰まったリュックを上坂が持たせると多分泊まることがバレ阻止されると上原は思ったのだろう。
「後、お母さんにもちゃんと言ってるから大丈夫」
上原は頭の良い上坂を出し抜けた事が嬉しく胸を張った。
「……分かったよ」
これは仕方がない。
上坂はそう自分に言い聞かせた。
こうして今宵彼女とのお泊まり会が始まる。