キンコーン、とインターフォンの甲高い鐘の音に近い電子音が鳴り響く。手に持っていたコーヒーカップを勢いよく傾けた上坂は、慌てて玄関のドアを開けた。
「相変わらず早いな」
インターフォンから確認しなくても分かる。
さらりとした桃色の髪に、愛嬌のある大きな瞳、
ドアを開ければベースケースを背負った上原が待っていた。
「だって今日は澪との合同練習でしょ」
楽しみだったのか上原の話す速度はいつもより速い。
「違う。今日はRoseliaとの合同練習だ」
今日はニ回目の合同練習。
相手はAfterglowとRoseliaのニ組だ。
上坂は家の鍵を掛ける。
「でも澪達がコーチしてくれるんでしょ?」
上坂とドアの隙間から上原は覗き込み嬉しさが滲み出るような笑顔を向ける。
「そ、そうだな。まりなさんに頼まれた以上しっかり達のコーチはするけど、今日のメンバーあまり言うことないんだよなー」
上坂はその笑顔に顔が熱くなり振り返り颯爽と歩き出し、平然を装う為会話を続けた。
「えへへへへ、そう?」
隣に並んで歩いている上原は褒められて顔が赤くなっても笑顔途切れたりしなかった。
上原の笑顔はどんなに濃いコーヒーよりも眠気を忘れさせる。
二人はCiRCLEに着き、受付にいる月島に軽く挨拶をした。
月島は上坂と上原を見て、ふーん、ほーん、と納得した後でマシンガンの様に息継ぎ無しに質問を投げつけた。
上原は丁寧に答えようとしていたが、キリがないと判断した上坂が腕を引きスタジオまで引っ張って行った。
スタジオのドアを開ければ相沢が楽器のセッティングをしていた。
前回の反省と言うか今日の合同練習にパスパレがいない為渡辺は来ていない。
相沢は持ち上げたアンプを下ろし一息ついた所で上坂に気付いた。
「チッ、見せつけやがってこのリア充が」
本当に嫌な物でも見るかの様な目だ。
「何ですか? 俺がせっせと働いてる中、澪は彼女とデートですか? 良いご身分ですね〜、その幸せを俺にも分けて下さいよ」
相沢はアンプの上に腰を下ろして膝を組み、更に組んだ膝の上で頬杖を突く。言ったセリフとポーズがマッチしてか小物臭が漂っていた。
「綾人くんってあんなんだったっけ?」
「綾人ってあんな奴だろ?」
上坂の知っている相沢は女の子の前では調子が良く、カップルを見れば『リア充爆死しろ』と言うどこにでもいる普通の高校生だ。
上原がうだうだとものを言う相沢を知らないのも無理はない。上原は女子で周りも基本は女子ばかり、必然的に上原に会う時の相沢はネジが一、二本緩んだ状態の相沢だ。
「練習を見てくれている時の綾人くんはもうちょっとかっこいいんだけどなー」
彼女が別の男をかっこいいと言う事は多少妬くところもあるのだが、今の相沢を見て嫉妬の気持ちは微塵もなく寧ろ慰めの言葉に聞こえる。
「アレは蘭には見せられないな」
「だよねー」
美竹の顔を思い浮かべ呟いた。
相沢を若干哀れむ様に見ていると、ギィ、と弱々しくドアが開いた。
入って来たのが美竹であれば相沢を隠さなければいけないのだが、入って来たのは四季と渡辺だ。
「はよーっす」
「おはよう」
二人はパスパレがいない所為かテンションが少し低い。
相沢を見て何も言わずに素通りした二人は黙々と準備を始めた。
「澪、お前あの二人を見てみろよ。仲良く野郎同士で来てるじゃねえか。お前も見習って爆死しろ」
「…………」
「…………」
上坂と上原は相沢の脂の乗った舌に言い返す事すら出来なかった。
「なぁ澪? どうしてお前に彼女が出来て、俺には出来ねえんだ? 俺、自分で言うのも何だが、そこそこ顔はいいと思うんだよ」
相沢の顔は決して悪くはない。良いか、悪いかで聞かれれば良い。
ただ内面のバカさや、周りに四季春夏と言うモデル顔負けのイケメンがいる所為か、どうしても女子の視線は四季の方を向く。
「なぁ、黙ってないで教えてくれよ」
今の相沢に事実を話すと友情が傾きかけない。
「(めんどくさい……)」
結局、美竹が来て相沢を殴りつけるまで長々と愚痴を聞かされ続けた。
Afterglow、Roselia共に揃い練習が始まる。
合同練習は思っていた以上にスムーズに進んだ。
これもAfterglowとRoseliaの二バンドをよく知る相沢の存在が大きい。
パート別練習が始まるまで何度か美竹と湊が衝突する事があったが全て治めたり、事前に防いだりしていた。
「綾人、ここなんだけど」
「はいはい、ここわっと……」
「綾人ここの箇所、今の音さっきのよりさっきの音の方がいいかしら?」
「ちょっと待ってください、……はい、只今!」
パート別練習では相沢が美竹と湊の間をひたすら往復している。
パート別練習はボーカルとギターは相沢と渡辺、ベースが四季、そしてドラムとキーボードが上坂の担当となっている。
ギターを見ている渡辺は問題はなく、ベースを教えている四季は上原と今井に質問攻めをされパンク状態になっていた。
「澪、いつまでもボーッとしてないでさ、早く教えてくれよ」
練習風景を眺めている上坂を宇田川が呼びに来る。
「どうせ澪の事だひまりでも見てたんだろ? ってひまりじゃない?」
宇田川が上坂の視線を追うと先には相沢の姿があった。
「綾人なんか見てどうしたんだ?」
「綾人の奴、今日俺とひまりがここに来た時に『リア充が!』って怒ってたんだけどな……どう見ても綾人もリア充だよな」
美少女に頼られ『リア充ではない』と言い切るのなら切り刻まれて畑の肥やしにされても文句は言えない。
「まぁ、綾人もモテるからな」
学校では四季があるおかげでからっきしの相沢だが、CiRCLEでバイトをしているお陰もあり、外、正確にはガールズバンドには人気があると以前上原から聞いた。
「蘭には勝ってもらいたいもんだな」
「だな」
学校では大穴である相沢も場所が変われば競争率は高いらしい。
「ところで巴、さっき『綾人も』って言ってたけど春夏がモテるってどうして知ってるんだ? とうとう春夏の人気は学校の壁を超えてしまったのか?」
四季の人気は内面の残念さが露見するにつれ低下していったがそれでも月に一度は告白されるぐらいはモテている。
「確かに春夏もモテそうだけどアタシが言ってるのは澪の事だよ」
「俺が?」
「だってそうだろ?」
宇田川が軽く首を動かし上坂はその先を見る。
「…………あっ」
視線の先には羽沢がいた。
羽沢は目が合うとにこやかに手を振った。
「はは……」
乾いた笑い声が喉から漏れる。
親友の失恋話を話のネタに使える程の仲なのは確かなのだが宇田川の表情からは『さっさとやろうぜ』と書いてあった。
「それじゃあ、練習始めまーす」
ドラムパートとキーボードパートを集めた上坂は宣言する。
「やっと始まるぜ」
「巴ちゃん、ご苦労様」
上坂を連れてきた功労者を羽沢は労う。
「それでどう言った事をすれば良いのでしょうか?」
「うーん、そうだな〜」
白金の問いに上坂は考え込む。
「ハイハイハーイ、どうしたらお兄ちゃんみたいに上手になれるの? お兄ちゃんのドラム、ババーンってしてビカーンってして凄かった。まるで暗雲よりいでし……りんりーん!」
「暗雲よりいでし地を業火に包む黒き光の矢」
「そうそう、それそれ〜! 流石はりんりん」
中学生のあこはともかく、大人しい白金が偶に相沢と四季が言う様な言葉を使ったのは上坂にとって意外だった。
「巴、俺後半何て言ったか分かんないんだけど」
上坂は小さい声で話しかける。
「あこは可愛い妹だしアタシも分かってあげたいんだが、正直アタシにも分からないんだよ。でもあこがさっきみたいな事を言う時って黒っぽいオーラが見えてなんかかっこいいんだよなー。こう琴線が刺激されるっていうかさ」
逆輸入な感じではあるが似た感性を持つ二人はやはり姉妹なのだと改めて思った。
「それで澪」
「ん?」
「『ん?』じゃねぇよ。どうやって上手くなったんだ?」
「ああ、そうだったな」
緩んだ空気を切ると言うやらは気持ちを切り替える意味で上坂は両手を叩く。
「あこが言ってたまぁ上手くなったって言ったらおこがましいけど、取り敢えず理由は二つある」
上坂は片腕を突き出し指を伸ばす。
「これは技術と言うよりは考え方、気持ちの持ちようなんだけど、まず一つ目、いい演奏を聴かせたい、と言う気持ちだ。そして二つ目、絶対に負けない、と言う気持ちを持って演奏する事だ」
「あれ? 澪君、言っている事が反対に聞こえるけど」
守備的な前者と攻撃的な後者、どちらも待ち合わせれるように見えるが気持ちを向ける相手が観客かライバル、外と内と考え方が対極にある。
「ああ、それは前者がピアノで後者がドラムの考え方だからだよ。ピアノの時は大切な人に最高の演奏を聴いてもらいたいって思ってた。ドラムは誰にも負けたくないって思って叩いた。だから二つあるんだ」
「どうしてそこまで考え方が一八○度変わったのですか?」
上坂の過去を知る三人とは違い白金は興味心で踏み込む。
「昔すれてた時期があってさ、そのせいかな」
「そうですか、嫌な事を聞いてしまいましたすみません」
「いいよいいよ、気にしないで下さい。昔ならともかく今は何ともないですから」
上坂が普通に昔話を出来るのも幼馴染や友達のおかげだ。
「それで澪の話は分かったけど正確には何をすればいいんだ?」
「前者なら聴かせたい誰かを思って演奏する。後者なら闘う相手を作ってひたすら演奏し合う。それを自分で決めて演奏する。それで細かい問題点はあったら見つけ次第指摘するよ」
指導者のプロである渡辺や教え方に定評のある相沢とは違い、素人の上坂にはこれが限界だった。
「だったらアタシは後者だな。あこも同じだろ? だったら一緒にやろうぜ」
「いいよー。お姉ちゃんが相手でもあこ負けないからねー!」
「いいぜ臨むところだ!」
宇田川姉妹は早る気持ちを抑えて早歩きでドラムへ向かう。
「その練習方はあくまで個人練習の時だけだからなー、間違っても音を合わせる時にはするなよー。音が合わなくなるぞー」
上坂は注意事項を促し残ったピアノ組に目を向ける。
「それで二人はどうする?」
「私は『聴かせたい演奏』かな。澪君がそうやって上手になったみたいに私も同じやり方で成長したい。私の目標は今も昔も澪君だから」
「わ、私もあこちゃんと一緒で負けたくありません。湊さんも、氷川さんも、今井さんも皆さん上を目指して頑張っています。だから私も似合わないながらも挑戦しようと思います」
「分かりました。だったら演奏相手は俺としませんか?」
「「えっ……!」」
白金だけではなく羽沢からも驚きの声が上がる。
「流石に他にも見なくちゃいけないのでずっとは出来ませんがそれでもよければ宜しくお願いします」
「いえ、こちらこそ宜しくお願いします」
白金は何度も頭を深く下げた。
話は終わりやっとの事練習が始まった。
これから一段と気を引き締め四人のスキルアップに努めなければならない。
「湊さん、いい加減にして下さい!」
「そういう美竹さんこそ何度言ったらわかるのかしら?」
もう何度目かの聞き慣れた声が聞こえた。
発生源は相沢が指導するボーカル組で、そこでは一触即発の空気が漂っていた。
スタジオにいる全員が手を止め二人とその間にある相沢を見る。
「湊さん、いつまで綾人に教わるつもりですか⁉︎あたしがなかなか教えてもらえないじゃないですか!」
「美竹さんは質問の回数が多いから私の時間が長くても結果的に時間的には同じぐらいだと思うのだけど」
高校生にしては低レベル、まるで小学生や幼稚園児レベルの言い合いだ。真ん中で両サイドから腕を引っ張られている相沢は口では文句を言いながらも満更でない表情をしている。
取り合いになる程慕われているにも関わらず『リア充爆死しろ!』と言うんだから笑える。
周りは誰も二人を止めない。
内容が内容な為、止めに行きづらいのだろう。
中には応援しだす人もいる。
上坂は大きなため息を吐く。
練習が始まった途端にこれだ、ため息も吐きたくなる。
取り敢えず真ん中の鼻の下を伸ばしたバカを一叩きすれば争いは終わるのだろうか、
そう考えた時には既に足は相沢を目指し進んでいた。