もし、碇ゲンドウが少しだけ器用で、用意周到な男だったら。 作:煮魚( )
NERV本部、発令所。
赤城リツコによる技術課の招集。
MAGIにおける第127次〝定期検診〟の実行が指示されていた。
「流石マヤ。早いわね」
テスト仕様書に併記されたチェック項目へ一つづつ報告を受けた数値やコメントを書記している赤城リツコは、マヤが行う作業を横目に、そう呟いた。
テストログから人格によるブラッシュアップに問題が無いか検証する作業は、柔軟な対応が求められ、並のプログラマーでは数日かかるだろう。
「それはもう。先輩の直伝ですから」
そう言うマヤは数時間にして既に作業の殆どを終えて、佳境とも言える演算処理に関する分野へ入り込んでいる。
「あ、そこ。A8の方が早いわよ。ちょっと貸して?」
そうして手元のキーパッドに接続を貰うと、何かを手早く入力する。
もちろん、マヤも持てる限りの知識からあらゆるショートカットを駆使して居たが、一見して分野外のそれをあっさり適用させてしまう赤城リツコによって、唐突に作業が加速した。
「さすが先輩……」
感嘆するマヤの後方で、リフトに乗り、発令所へ現れたのは葛城ミサトだった。
「どお? MAGIの診察は終わった?」
明るく振る舞っているが、次のオートパイロットに関する実験では〝プラグスーツなし〟……MAGIの間接補助制御のみでのシンクロによるハーモニクスデータの採取が目的と聞いて、定期検診の前倒しを企画したのは彼女である。
「大体ね。約束通り、今日のテストには間に合わせたわよ」
事もなげに言ってみせるが、赤城リツコの尽力なくしてはこの脅威的なスピードで終わらせる事は出来なかっただろう。
「さっすがリツコ。同じものが3つもあって大変なのに」
なんとはなしにキーパッドや書類、ケーブルの散乱するテーブルに置かれたコーヒーを手にしたが、
「冷めてるわよ。それ」
そう声が掛かる時には、既に勢いよく口に含んだ後だった。
「んぐっ……」
苦々しい顔をする。
「…………」
しかし、特に反応を返す事はない。
葛城ミサトも、今ばかりはそれに冗談を言うほど図々しくできる立場では無かった。
〝MAGIシステム。再起動後、3機とも自己診断モードに入りました〟
その報告に、最後となる自分の作業が正常に終了した事を察したマヤは、全体放送で応じた。
〝第127次定期検診、異常なし〟
それは作業の終了を意味し、一息吐き出すと、ゆっくりとマイクを手に取る。
〝了解。お疲れ様。みんな、テスト開始まで休んで頂戴〟
◇
NERV本部、女子トイレ。
「異常なし、か……」
動き回っていた赤城リツコは、次の一仕事に向け、眠気覚ましに顔を洗っていた。
カフェインは覚醒作用があるが、故に脳のエネルギーを余分に消費する特性がある。特に、高度に理論的な思考が求められる仕事中には過剰な摂取を控えていたのだ。
前倒しの定期検診など、最たるものであった。
「母さんは今日も元気なのに、私はただ歳をとるだけなのかしらね……」
流石に疲れの浮かぶ己の顔に、そう独りごちる。
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「えーっ、また脱ぐのぉ!?」
仕切りの向こうで、アスカが叫ぶ。
「そうです。ここから先は超クリーンルームですから。シャワーを浴びて下着を変えるだけでは済まないわよ」
今日のオートパイロット実験。別室に案内された他は、さっきまではシンクロ実験と変わらなかったけど……プラグスーツが用意されていなかった。
そして、超クリーンルーム……
「なーんでオートパイロットの実験で、ハタガになんなきゃいけないのよ……」
それに内心で頷く。関わりがよく分からない。
裸でプラグに入るのは、何か言い知れない恐怖があった。
「時間はただ流れているだけじゃないわ。エヴァのテクノロジーも進歩しているのよ。新しいデータは常に必要なの」
確かに……素肌でのシンクロは、新しいデータなんだろうな……
仕方なく諦めて、アナウンスを待った。
◇
洗浄を終えて、時間差で次の部屋へのゲートが上部へ消えると
「うわ!?」
曇りガラスみたいなプラスチック製のゲートで、肩から下、足首の上くらいまで隠されただけの、アスカと綾波が居た。
もちろん、あっちからこっちは丸見えな訳で……
前を隠すが、何の解決にもなって居ない。
真ん中のゲートが空いているし……たぶん、これは、入るまでは、何も進まない。
「み、見ないでよ!!」
熱が顔まで上るのが分かった。
「なっ、あ……み、見るわけ無いでしょ!!」
目を見開いて、顔を真っ赤にして……口を半開きにしていたアスカは、キッと瞳に光を宿すとそっぽを向いて歯を食いしばった。
それはいい。
良くないけど。もう色々、絶対に良くはないけど、今はいい。
「綾波!!」
「なに?」
「なにじゃないよ!」
「……?」
「見ないで……!」
じっとこちらを凝視して、首を傾げる綾波。もう、熱のあまり涙が出てきそうだった。
「兄妹なのに……?」
「僕は気になるよ! 綾波の裸だって、見ないようにするし……」
そもそも、ずっと同じ家で育っていたら、そうなるのかも知れないけど、自分にとって、綾波の体は充分に他人の存在だった。
「そう……」
そう言って、目を伏せる綾波。
走り出したい足を必死に抑えて、不恰好な体勢のままゲートになんとか入り込んだ。
漣立つ心は、最近の家と同じもの……それに関して明らかに気を使われていて、その度に父さんの言葉を思い出すように……
何か、分かっていないような気がする……
やっぱり、綾波は本当に根本的なところ……そこに、何か穴が空いているようにしか、思えない。僕は綾波で埋められて、綾波は僕で埋まらない。そう。決定的な理由が……
サードインパクトを起こそうとしている。
だけど綾波も、それを知っていてエヴァに乗って戦っている。その気持ちに嘘はない。
どうして違うんだろう……
『私、絶対に守るから』
あの時の、瞳。
…………
埋まらない。訳じゃない。
綾波にはそれしか無いのかもしれない。それが当然。だから……
どうしても足元がふわつくような、根底から湧き上がる愛おしさを感じながら、さっき言った事を少し後悔している。
綾波を、きっと傷つけた。
やっと分かった。綾波に、ほかの人は存在しない……その拒絶と許容の凄絶さを。
でも、世界はそう出来てはいない。綾波を否定しないといけない筈なのに、どうしても、悲しくなってしまう。
父さんに、父さんだからこそ、そう願っていたから……
話せない理由は分かる。
分かっていた。つもりだった。
まるで嘘のように、なんの気兼ねなく褒めるのは……分からない。
なんで今更なんだよ……父さん……
「うわっ。これ、動くの!?」
外部との接続ゲートが閉じて、動き出す部屋──ゴンドラに隣で驚くアスカを、何処か他人事のように感じていた。
そのアクリル板の向こうで曖昧になる肌色の奥には、きっと未だ知らない何かがある。
水風呂のように冷える指先を胸に抱いて、浮かんだ考えを見つめていた。
アスカは見抜いている。思い出さなくて、いいと言ってくれる……なのに……僕は……何故泣いていたのか、知らない。
まだ……未だに……何も知らないんだ。
それなのに……アスカは……
明るく、優しく微笑むその顔が、唐突に悲しくて、愛おしくて、暖かく……思えた。
何か返せているのか……返していたい。そうでありたい……
知らない欲望は、咎めようと思えなくて、熱いほどに温かくて……ゆっくりと……心の底から湧いていた……
父さんに……僕は何を返しただろう?
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NERV本部、模擬体実験ケイジ。
併設モニター室。
〝各パイロット、エントリー準備完了しました〟
室内と、全面ガラス張りの壁面の向こう、頭部と下肢のない……欠損部位と仮設神経組織信号ケーブルが融合したエヴァンゲリオン模擬体の格納される水槽にも全体放送が届いていた。
「テストスタート」
赤城リツコの指示により、室内の職員は慌ただしく操作を開始する。
〝テストスタートします。オートパイロット記憶開始〟
〝モニター(計測結果)異常なし〟
〝シミュレーションプラグ、挿入〟
〝システムを模擬体と接続します〟
「シミュレーションプラグ、MAGIの制御下に入りました」
今回の実験の操作主任となった伊吹マヤの報告。瞬間、膨大なログデータがメインモニターを兼用するガラス壁面に流れ始める。
プラグ深度等の制御をしつつ、既に受信した模擬体とオートパイロットからの反応データを、齟齬が無いか解析処理していた。
加えて、オートパイロットの仮想OSとして記憶作業の補助を行なっている。
「おー、早い早い。MAGI様々だわ〜。初実験の時、1週間も掛かったのが嘘のようね」
葛城ミサトは、技術部が綾波レイによる起動実験のデータ解析に1週間、躍起になっていたのを思い出していた。
その実、データの可視化には時間がかかっておらず、原因究明に時間を割いていたのだが、知る由もない。
「テストは3時間で終わる予定です」
故に末端の男性職員の報告は少々的外れだった。
「気分はどう?」
『何か、違うわ』
『うん。いつもと違う気がする……』
『感覚がおかしいのよ。右腕だけハッキリして、後はボヤけた感じ……』
想定内のチルドレンの返答に、赤城リツコはすぐに次の段階へ移行する判断を下す。
「レイ、右手を動かすイメージを描いてみて」
『はい』
本来であれば綾波レイのデータが好ましいが、自我の発達……鎮静剤を使用した心理反応抑制の効果が薄まっている現在のデータに一体いくらの信用があるのか……
最低限の感情が無ければ困るが、有ればいいという話でもない。
事に反抗心を持つようであれば……
水槽内でぎこちなく動く右手に、人ならざる過去の失敗作たちを思い出してしまう。
欠落の程度によっては、次の再稼働は無いのだから……だからこそ、今、実行可能な調整を考えなければならない。
が、崩壊こそシナリオならば、反抗は死を意味するだろう……それこそ、母のように。
「データ収集、順調です」
「……問題は無いようね。MAGIを通常に戻して」
最悪オートパイロットに〝悪影響〟が出る可能性があったが、接続後も仮想OSのログデータには特殊な動きをした様子はない。
補助を切り離し、本来の解析とプラグ内環境の測定、維持機能を作動させていた。
「ジレンマか……」
稼働状況を可視化し〝審議中〟と表記するMAGIシステムを見やり、頭痛がする。
悪影響の根源である筈のそれを、内部に組み込むのはやはり……正気の沙汰とは思えない。
オートパイロット一つにこれ程までに怯えている自分では、汎用性のある次世代コンピュータにそれを搭載するなんて考えすらしなかったに違いない。
「作った人間の性格が伺えるわね……」
しかし、正確で……母の息吹は確かに存在していた。
「何言ってんの〜。作ったのはアンタでしょ?」
大袈裟に驚いて見せる葛城ミサトに、呆れたような胡乱な目を寄越した。
「あなた……何も知らないのね」
「……リツコが私みたく、ベラベラと自分のこと話さないからでしょ」
膨れて見せるその様子に、すこし可笑しくなって目を背ける。
「……そうね」
笑えてくる。既に自分はゲームを降りているのに、一体なにを隠そうと言うのだろう。
どうせ道化師に過ぎないのなら……
「……私はシステムアップしただけ。基礎理論と本体を作ったのは……母さんよ」
諦観を滲ませて、呟くように吐き出した。その目元は、幾ばくか緩んでいる。
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NERV本部 発令所。
「確認はしてるんだな」
青葉シゲルのモニターを覗き込み、真剣に問う。
「ええ、一応。3日前に搬入されたパーツです……ここ、ですね。変質しているのは」
モニターを拡大してみせる。
「87タンパク壁か……」
冬月はそう唸った。
「更に拡大すると、シミのような物があります。なんでしょうね……これ」
「侵食だろ? 温度と電導率が若干変化しています。無菌室の劣化は、良くあるんですよ〜最近」
実際の処理を担当する作戦部として、残業の原因でもあるそれに不満を漏らす日向マコト。
「工期が60日近く圧縮されてますから、また気泡が混ざっていたんでしょう。……杜撰ですよ、B棟の工事は」
司令部として、発注に問題がある訳では無い事を青葉シゲルは言外に言い訳していたが、冬月とてそんな事は分かっていた。
「そこは、使徒が現れてからの工事だからな……」
モニターから離れ、目頭を揉む。
「無理ないっすよ。皆んな疲れてますからねー」
とはいえ、間違いは間違い。
是正しなければならないし、問題はある。
「明日までに処理しておけ。碇が煩いからな」
統治者として正しく機能している男へ、半分は信頼しながら、半分は嫌っていた。
「了解」
上司とは一様にして、そんなものだろう。
そうして冬月は、作業を開始する青葉、日向共へ無表情な視線を落としている。
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「また水漏れ!?」
赤城リツコは、珍しくも仄かにヒステリーの影を滲ませる声音で振り返る。
「いえ、侵食だそうです。この上の、タンパク壁」
受話器を傍に持ったまま、しかし、伊吹マヤは冷静だった。
「参ったわね……テストに支障は?」
「今の所は、何も」
それを受けて判断を数秒思考するが、学習の中断が如何に影響を及ぼすか等、綾波レイの事象を反省するが故に余地は無い。
以上のリスクと上階の侵食がテストに影響する確率と、予定外の中断により学習失敗に次ぐ不具合を起こす確率を鑑みるに、答えは明白だった。
「では続けて。このテストはおいそれと中断する訳にはいかないわ」
「了解。シンクロ位置、正常」
そして、テストはいよいよ最終段階へ移行する。
〝プラグ深度変化なし〟
〝シミュレーションプラグ、模擬体経由でエヴァ本体と接続します〟
シミュレーションプラグ──それは、2機による情報共有、ひいては状態の再現機能を有しており、零号機には無人のそれが挿入されていた。
模擬体と零号機からの反応の差異などを集積し、修正する事により完全な制御を可能とする。
差異があるからこそ、重要かつ、避けて通れない採集でもある。
「エヴァ零号機、コンタクト確認」
〝ATフィールド、出力3ヨクトで発生します〟
瞬間。
ビーッ!! ビーッ!!
不釣り合いで間抜けな警報音が室内に反響した。
「どうしたの!?」
最もあり得ない。あり得てはいけない……実験中断を促す警報音に、赤城リツコは苛立ちと声を抑えられない。
〝シグマユニットAフロアにて、汚染警報発令〟
「第87タンパク壁が劣化。発熱しています!」
「第6パイプにも異常発生」
「タンパク壁の侵食部が増殖していきます。爆発的スピードです!」
腐食ではない。異常な速度の侵食。
雑菌が侵入し神経組織を犯している……?
否。
それにしても……早すぎる。
伊吹マヤの報告を最後に、モニターを確認せずともその脳は結論を保留し、一つの状況を弾き出した。
「……実験中止! 第6パイプを緊急閉鎖!」
「はいっ!」
全閉鎖と表記された、非常表示に囲まれたボタンを押し込む伊吹マヤ。
「60、30、38、閉鎖されました」
それを聞き、水槽内に接続されている第6パイプへ視線を戻す。
最悪の状況を想定しつつ、しかし、確定していない事象に必要以上の手段を講じるのを嫌い……その鉄皮を鋭く見つめていた。
次回「使徒、侵入。(後編)」