もし、碇ゲンドウが少しだけ器用で、用意周到な男だったら。 作:煮魚( )
第4使徒戦、第二次直上決戦終了後。
パイロット回収に向かった車内。
音声記録なし。
本部へ帰還。
同車内。
「どうして、私の命令を無視したの?」
「エヴァの感覚が……遠くなって……」
「作戦行動が不能なレベルの数値異常は認められていないわ」
「……すいません」
「あなたの作戦責任者は私でしょ?」
「はい……」
「あなたには私の命令に従う義務があるの、分かるわね」
「はい……」
「今後、こう言うことの無いように」
「はい……」
「……仕事なのよ、これは」
「……はい」
「あんた、またハイハイハイハイって……!! 本当に分かってんでしょうねぇ!?」
「申し訳……ありません……ッ」
「…………」
「くっ……う……」
「……ごめんなさい。言いすぎたわ」
「…………」
「……夜、何か埋め合わせはするから」
「…………」
「いいわね」
「…………」
後部ハッチ解錠。
降車しようとした初号機パイロット、転倒、失神。
NERV本部医療室へ搬送。
迷走神経性失神と診断される。
[精神汚染診断・状況記録1]より抜粋。
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すこし寒い。
体が冷えているから、布団が暖まらない。
こんな感じなのかな。
死ぬってどんな感じなんだろう。
黒く、深く、底のない。
自分のこころ。
明日が無いって……いいな。
もう苦しいのは嫌だ。
そう、いつだって死にたいのに……
傷つかなくて……済むんだ。
もう殴られないし、怖いことはない。
死ねばいいのに。
死ぬのが怖い。
役に立つ事すら、できないのに?
なんでいるの?
なんでいるの?
なんでいるの?
お前なんか、死ねばいい。
役立たず。
なぜ、そうしない?
矛盾。
何もない。
死にたいのに、怖い。
何もない。
臆病なんだ。
何もない。
なぜ、息をしている?
ナニモナイノニ。
苦しいだけなのに。
ナンノタメニ。
「涙……もう、でないや」
あの時超えられなかった壁が、ゆっくりと溶けるのを感じていた。
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「先に申し上げておきますと、これだけでは、正確な診断は難しいのです。精神的な問題を1日で理解するのは、容易ではありません」
「かまいません」
「やはり……無気力症候群、あるいは、大うつ病性障害の可能性が高いと思われます」
「無気力症候群……」
「ええ、彼は、日常的に極度のストレス状態にあった事が伺えます。家庭問題や、いじめ等……原因は分かりませんが、少なくとも数日は安静にしていた方が良いでしょう」
「治るんでしょうか」
「これまで通りの生活を強いられ、何のケアも無ければ、悪化し続ける可能性が高いでしょう。しかし、ストレスの原因を特定し、適切なケアをすれば、悪化する事はない。としか……言えませんね」
「…………」
「14歳なんです。人格の整形期にあるのですから、影響は出てしまうかと」
「……ありがとうございます。学校へ提出する診断書は、私の執務室へお願いします」
「了解しました」
「それで、初号機パイロットはどちらに?」
「精神科1号室に入院していますよ」
「ありがとうございます」
医務室を後にする葛城ミサト。
その内心では、碇司令の執務室での一幕を噛み締めていた。
『葛城一尉、ご苦労だった』
手を組む碇司令。
『ありがとうございます』
『ところで、プラグに異物を入れたそうだな』
冬月副司令が怪訝な表情をしている。
『申し訳ありませんでした。人命優先のため、勝手をしました。処分は如何様にも』
『それはいいが、パイロットのメンテナンスを担当すると言ったのは……葛城一尉、君だぞ』
『……はい』
『精神汚染の診断結果は確認したかね』
『していません』
『うつ病……だそうだぞ、パイロットは』
『…………』
『我々は、君に一任している。その責任は果たせ』
最近変わった、色の濃いサングラスは碇司令の表情を映さない。
『はい』
『以上だ』
『はい。失礼します』
碇ゲンドウ、父親その人が何を考えるかは分からない。
彼の父親なのに。とは思う。
だが、父親を知らないから、碇ゲンドウの在り方を否定するのは躊躇われた。
廊下の空気が生ぬるく感じる。
うつ病……学校でいじめでもあったのだろうか。
いや、言い訳はしない。家に置いているにも関わらず、シンジから距離を取っていたのは自分だ。
距離が遠すぎたのかもしれない。
だが、その近づき方がまるで分からない。
(お互いに傷つかない距離を見つけ出す……子供なのは、私か)
防壁が崩れて、中身の肉塊が見えているような、嫌な不快感が胸に現れるのを、葛城ミサトは感じていた。
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「……碇君」
いつからだろう。
いつも通り制服を着ている綾波は、いつのまにか、ベッドの脇の椅子に腰掛けて、こちらを見ていた。
「顔色、悪そうね」
変わらない、赤い瞳。
「……そうだね」
その顔を、見れない。
視界は天井を映していた。
拒絶の様子が少しでもあったら、嫌だから……
「…………」
「…………」
「今回の平均シンクロ率、68%」
「…………?」
「碇君のシンクロ率。乗ったとき、何か違った?」
思い出す、エヴァの中。
朧げに浮かんでくる感覚を、うまく言葉にできない。
「乗ったとき……エヴァから、綾波の匂いがしたんだ」
なにを言ってるんだろう。
「まっすぐ僕を見てくれる……あたたかい……ような……」
軽蔑されたかな。
冷えた感覚が、足元から遡る。
「ぁ……私も」
「……?」
聞いたことの無い声の抑揚に、視線を天井から引き剥がした。
綾波の瞳が揺れている。
「…………」
長い、長い逡巡の後、口を開く。
「私も、碇君といると、あたたかくなる」
「どうして……?」
その言葉が、ゆっくりと脳に染みて。
ゆっくりと、だが、確実に、壁の溶けたところに、滴ってゆく。
冷え切った体が、暖かくなる。
涙が、溢れる。
「なぜ、泣くの」
そんな声に、答えられない。
壁が決壊して、乾いた畑を潤す小川のような、晴れた秋の日に降る夕立のような、暖かい濁流が心に流れ込んでいる。
その勢いのまま、涙になって外に出ていっているよう。
大粒の涙が、頬を伝う。
「……分からないよ」
やっと、それだけ絞り出した。
きっと、数分、そうしていた。
やっと収まってきた涙を拭って、じっと僕を見つめる綾波を見ると、嬉しくて、変な顔になってしまうのが、自分でも分かる。
だけど、今は何も抑えたくなかった。
「綾波。僕はたぶん、その、すごく……嬉しいんだ。綾波が、暖かい気持ちになるのが……」
「…………」
「どうしてだろう……それだけで、生きてて……いいのかなって……暖かい気持ちになるんだ……」
「…………」
「……気持ち悪い、かな」
「いいえ。私も嬉しい……と思うもの」
「同じ……なの、碇君と……」
「…………」
「だから、うれしい……」
綾波は、泣いていた。
表情を変えずに、涙が流れている。
「これは、涙……?」
「綾波……」
「嬉しくても……涙が出るのね」
「うん、そう……みたい」
少し呆然としていた。
綾波も、同じなんだ。
そう思うと、どうしようもなく暖かい気持ちになる。
綾波は何度か涙を拭うと、もう落ち着いたらしかった。
「碇君……」
その頬は、すこし紅に染まっていて……
「まだ、ついてる」
「え?」
綾波は、腰を浮かすと、右手を僕の左目に近づけると、目尻のあたりを拭う。
左手も僕の頬に添えているから、まるで、この体勢は……
心臓が加速して、顔が真っ赤になるのが分かる。
綾波の表情も、微かに微笑んでいて、心なしか、高揚しているように見えて──
ばさり。
何か、書類が落ちる音がした。
「う……ウソ……」
綾波が振り返り、視界が開けたそこに立っていたのは……
「んみっ、ミッ、ミサトさん!?」
「お疲れ様です」
お辞儀をする綾波。
「レ……レイ……その、あなた……」
わなわなと、幽霊でも見るように綾波を見るミサトさん。
明らかに、見られてる……! その羞恥で、熱が出そうなほど血がのぼる。
「ご、誤解です!!!!」
「……そ、そうよね。そんな筈ないわよね」
「…………?」
「レイは、どうしてここに?」
「碇君のこと、知りたかったので」
「あ、あっ、あ、綾波!?」
「な……」
口をあんぐりと開けて、活動を停止したミサトさんを数秒見ていたが、
「失礼します」
お辞儀をして、
「じゃ、碇君、またね」
そう言い残して去っていった。
「あ…………」
挨拶、出来なかった……。
嵐のような展開に、半ば呆然としながらそう思っていると、再起動に成功したミサトさんが、バツが悪そうにベッドの脇に立っていた。
「まさか、レイに先を越されるとはね……」
「み、ミサトさんは、ダメです!!」
危機感を感じて、布団を掴むと胸まで引き寄せて距離をとる。
「し、しないわよ!」
「ほんとですか……? なんか、目が本気でしたよ……」
「それは、あのレイが……って、いいの。そんな事は!」
ミサトさんは、思考の海から決意したように顔を上げると、僕をジッと見据えた。
「な、なんですか……?」
「シンジ君、ごめんなさい」
「へ……?」
ミサトさんが、腰を折って謝っている。
どうして?
「私、自分勝手に引き取って、部屋を片付けて貰ったりして、都合よく上官面して……。家族としては、最低だわ」
「い、いや、いいんですよ。片付けとか、当番ですし……ミサトさんは、保護者じゃないですか。怒るのも、当たり前というか……」
「それは違うわ」
ミサトさんは、目を、逸らさない。
「違う……?」
「私は、家族になるつもりで引き取ったのよ。保護者じゃダメなの。覚悟が……足りていなかったわ」
「ミサト、さん……」
そこまで……。
また、涙腺が緩んでいく。
今日は泣いてばかりだ。
「ごめんなさい、シンジくん……」
頭が、暖かいものに包まれる。
ミサトさんの体は、少しお酒臭かった。
涙は、数分のうちに、枯れてしまった。
「今日、ハンバーグ食べたいです」
解放されるや、ミサトさんにそう宣言した。
「いいわよぉ、シンちゃんの頼みだもんね〜」
「シ、シンちゃん……」
「あら、ダメ?」
「い、いや、いいですよ、ちょっと、恥ずかしいだけで……」
「や〜ん、シンちゃん可愛い〜!!」
「ミ、ミサトさん!?」
またもや押し付けられたそれに、今度は顔が真っ赤になるのが分かった。
「や、やめてください!」
「あ〜ら、急に恥ずかしくなったの?」
「違います! こういうのは、時と場合というか、なんというか……」
「ウソね」
「うっ……恥ずかしいのは、そりゃ、そうじゃないですか! 干してる下着を見られても大丈夫な、ミサトとは違うんです!」
「に、にゃにぉ〜!?」
暫く言い合いは続いたが、それはずっと、暖かいままだった。
家に帰っても、そうだった。
僕の、家が、そこにあった。
パンドラの箱は、開いていた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
挨拶が、交わされる。
次回 「守りたいもの」