もし、碇ゲンドウが少しだけ器用で、用意周到な男だったら。 作:煮魚( )
コンフォート17、葛城家
AM7:42
朝食後。
「えっ……その、本部は……?」
「だいじょぶよ〜、1日くらい」
澄ました顔でビールを煽るミサトさん。
もはやその肝機能に驚く事はないが、朝も夜もビール漬けなのは、流石に体に悪いと思う。
もっとも、毎回思うだけで言いはしないけど……。
「進路相談って言われても……話すこと、無いんだけどな……」
「だから来なくていいっての?」
片眉を上げて見せるミサトさん。
しかし、それは図星だった。
何もないのに、来るだけ時間の無駄だと思っていたのだ。
「そもそも、人類が滅びるかもしれない時に、将来のことなんて聞かれても……」
「その未来を担うあなたが、そんな事でどうするのよ……」
そう言われても、無いものは無い。
ミサトさんは困り顔で、しかし真面目な声音で続けた。
「明日はあるのよ、誰にだって。エヴァーを降りた、あなたにもね」
……考えた事もなかった。
エヴァを降りた自分。
エヴァを降りた綾波。
その後なんて……。
「今からしっかり、考えなさい」
「……はい」
降って沸いた難題に、思わず唸る。
〝ピン、ポーン〟
「はーい、あら? わざわざありがとう。少し待っててね」
ミサトさんがインターフォンに対応した。
きっと、トウジとケンスケだろう。
二人が毎朝のようにミサトさんの事を口にするので『そんなに会いたいなら、来ればいいじゃないか』と言ったものの、まさか毎朝来るとは考えもしなかった。
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっさい。昼には、行くからー」
「分かった」
玄関を開けると、二人が待ち構えていた。
「「おはよう!!碇クン!!」」
「お……おは」
「「では、行ってまいります!! ミサトさん!!」」
「…………」
練習でもしたのか、二人は息ぴったりに玄関へ半身押し入ると、リビングへ声をかける。
「いってらっしゃい、気をつけてねー」
「「はい……」」
恍惚の表情で固まる二人に、呆れて片手で顔を覆った。
「早く行こうよ……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おはよう。鈴原。昨日の放課後は、一体どこにいたのかしら?」
「おはようさん。なんや、委員長。そないしょーもない事聞いてどないすんのや」
「どうもこうもないわよ! 当番でしょ! 昨日は!!」
ほとんど変わらない朝の風景。
「おはよう、碇君」
「綾波、おはよう」
変わった所もある。
「今日、行けないから」
綾波は僕より後に来て、声をかけてから席に着く事が多くなった。
「分かった」
僕が頷くのを見ると、自分の席へ向かう綾波。
きっと、昼休みの事だ。
昼休みになると、屋上の給水塔の裏にふらりと現れて、隣に腰掛ける。
何か話したり、これは大丈夫だからと弁当のおかずを催促する時もある。
本来、静かで景色がいいから食べていたその場所は、いつの間にか二人で過ごす場所になっていた。
『死なせないわ』
耳元で言われた事を、思い出す。
お互いを守りたいという想い。
それは確かに、二人の距離を縮めている。
まだ、互いに何も話していないのに。
『知らない方がいい事も、世の中には沢山あると思うな』
その通りだと、思う。
ただ、知らずに踏み込むには、深すぎる闇があるような気がするんだ。
エヴァを降りた綾波。
守り守られる必要のない綾波。
彼女とどう接するべきか、分からない。
エヴァから降りたら、死んでしまうような……そんな考えすらよぎる。
このどうしようもない不安は、闇を払わないと……消えないだろう。
父さん……何を隠しているんだ?
最近、手紙の真実には、裏があるような気がしてならない。父さんは、ただ僕の父親として、NERVに居るわけじゃないんだ……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昼休み後。
解体される第5使徒と、続々と保護者が到着する様を、なんとはなしに眺めていた。
すると、赤いフェラーリが若干速度超過をしつつ駐車場に侵入して、ドリフトを披露しながら停車する。
乱暴な運転……。
心当たる人物は一人しかいない。
余りに目立つ登場に、思わずため息をついた。
「おぉー!! いらっしゃったで!!」
横にトウジがつくと、大声でそう喧伝するから、クラス中の男子が窓枠に張り付いた。
「ちょっ、ええ……」
横から生えてきたケンスケなんかはカメラを構えているし。
「「おぉ〜」」
車からミサトさんが出てくると、至るところから色めき立った声が聞こえる。
「あれが碇の保護者!?」
「なに、碇ってあんな美人に保護されてんの!?」
そんな声すら聞こえてきて……。
「トウジ……ケンスケ……」
まぁ、これだけ入れあげていたら、噂くらいするか……。
ため息が腹からついて出た。
「あぁ〜、ミサトさんはやっぱりええなぁ」
恍惚の表情で見守るトウジ。
「うん、うん」
頷くケンスケ。器用にも、撮りながらピースをミサトさんに返していた。
「あれでNERVの作戦部長やいうのがまた凄い!」
「凄いかなぁ」
思い出されるのは、朝夕2回の飲酒。
それで務まる仕事というのが本当に凄いのか、疑問が残る。
「……えがったなぁ、ケンスケ。シンジがお子様で……」
「ま、敵じゃないのは確かだね」
お子様、かぁ。
一緒に住んでいないからそんな事が言えるんだよ……。
「あぁ、あんな人が彼女やったらなぁ」
「……学生と付き合うのかな」
思わず呟いた事に、ガクッと肩を落とすトウジ。
「言うな、碇……」
ケンスケも、何か悲しそうな目をしていた。
「……なんか、ごめん」
「そうや、まだ分からんやろ! 諦めたらそこで試合終了やで!」
「そうだよ。そういう碇は、暮らしてて何も思わないのか?」
「そりゃ、お風呂上がりだらしないのとか、恥ずかしいとは思うけど……」
「けど?」
「作戦部長でもあるし、普段は……なんだろう……家族にお姉さんが居たらこんな感じかなって、雰囲気だし……」
「ますます羨ましいよ……」
「そやなぁ……」
「えぇ……」
絶対に伝わっていない。いい例えはないかと頭を巡らせて……
「そうだ。多分、トウジから見た、洞木さんみたいな感じだよ」
「委員長ぉ?」
「うん」
「どうゆうこっちゃ……そりゃ……」
「僕も、そう思ってる」
「……なんちゅーか、センセの気持ちも、少しは分かる気がするわ」
神妙な顔で考え込むトウジ。
カメラを下ろすと、ケンスケはため息をついた。
「俺に言わせれば、碇にはロマンがないよ」
「ロマン……?」
「想像するだけ、夢を持つだけならタダだろ〜? 夢がないって言ってんだよー」
「うーん……」
確かに、それはそうかもしれない……。
しかし結局、進路相談までにそれは思い付かなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第28放置區域(旧東京都心)、上空。
AM11:18
要人2名、葛城ミサト、赤城リツコ輸送中VTOL機(UN-0876-32)
機内。
「ここがかつて、大都会と呼ばれていた花の都とはね……」
葛城ミサトが見下ろす地平には、海の一部と化したビル群が続いていた。
「着いたわよ」
赤城リツコは、タブレットをチェックしながらそう伝える。
「何も、こんな所でやらなくてもいいのに」
そこでは、廃墟の一部を埋め立て、大海の中に白い施設がぽつんと建設されていた。
「その計画、戦自は絡んでるの?」
「いえ、介入は認められずよ」
「どうりで好きにやってる訳ね」
戦略自衛隊は旧兵器で使徒に対抗できない事を根に持ち、超法規的な保護下にあるNERVを毛嫌いしている、保守的、アナログな体質。
このような新兵器の開発が戦自に知れていれば、海のど真ん中に建物を立ててまで、計画が押し進められる事は無かっただろう。
〝祝 JA完成披露記念会〟
PM12:00
誇らしげに壇上へ掲げられた横断幕。
豪華絢爛な、パーティ会場もかくやというラフな形で行われた記念会で、しかしNERVの席に料理は一皿も無かった。
もちろん、給仕が周る事もない。
NERVに投下される巨額の資金を羨む団体は、戦略自衛隊だけではないのだ。
「本日はご多忙のところ、我が重化学工業共同体の実演会にお越しいただき、誠に、ありがとうございます」
拍手が鳴り止む。
「皆様には後ほど、管制室の方にて、公試運転をご覧頂きますが……ご質問のある方は、この場にてどうぞ」
1人、いい終わるや否や挙手をしている。
「はい」
「これは、御高名な赤城リツコ博士。お越しいただき光栄の至りです」
司会の張り付いた笑みは白々しい。
「質問を、よろしいでしょうか?」
「えぇ、遠慮なく、どうぞ」
「先程のご説明によりますと、内燃機関を内蔵とありますが」
「ええ、本機の大きな特徴です。連続150日間の作戦行動が保証されております」
「しかし、格闘戦を前提とした陸戦兵器にリアクターを内蔵する事は安全性の面から見てもリスクが大きすぎると思われますが」
「5分も動かない決戦兵器よりは、役に立つと思いますよ」
「遠隔操縦では緊急対処に問題を残します」
「パイロットに負担をかけ、精神汚染を起こすよりは、より人道的と考えます」
「……よしなさいよ、大人気ない」
真っ向から勝負するリツコに、葛城ミサトは諦めを含んだ声をかける。
「人的制御の問題もあります!」
しかし、赤城リツコは止まらない。
「制御不能に陥り、暴走を許す危険極まりない兵器よりは、安全だと思いますがね……制御できない兵器など、全くのナンセンスです。ヒステリーを起こした女性と同じですよ……手に、負えません」
捲し立てる司会者に、会場には笑いが起こり始めていた。
「そのためのパイロットとテクノロジーです」
「まさか……科学と人の心があの化け物を抑えるとでも? 本気ですか?」
「えぇ、もちろんですわ」
「人の心などという、曖昧なものに頼っているからNERVは先のような暴走を許すんですよ。その結果、国連は莫大な追加予算を迫られ某国では2万人を超える餓死者を出そうとしているんです。そのうえあれほど重要な事件にも関わらず、未だにその原因が不明とは……せめて、責任者としての責務は全うして欲しいもんですなぁ、良かったですねぇ〜NERVが超法規的に保護されていて。あなた方は、その責任を取らずにすみますから」
もはや、質疑応答では無かった。NERVの席は初めから、日々の鬱憤をぶつける為に用意されていたのだ。
現にこの会場にいる全ての企業、団体は、第3新東京市への進出に失敗していた。
「なんと仰られようと、NERVの主力兵器以外であの敵性体は倒せません!」
「ATフィールドですか? それも今では時間の問題に過ぎません。いつまでもNERVの時代ではありませんよ」
会場は、公式な場とは思えないほど私語や笑いが発生していた。
JA完成披露記念会館 NERV控え室。
「このッ、このッ、俗物どもがッ! どうせウチの利権にあぶれた連中の、腹いせでしょぉ〜!? はらたつわねぇ〜!! このッ、このッ」
葛城ミサトが蹴りつけるロッカーは歪み、既に原型を留めていない。
「よしなさいよ、大人気ない」
赤城リツコはJAに関する冊子を燃やしていた。
「自分を自慢し、褒めて貰いたがっている……大した男じゃないわ……」
2人ともフラストレーションは限界だった。
「でもなんでアイツらがATフィールドまで知ってんのよ!」
「……極秘情報がダダ漏れね」
「諜報部は何やってんのかしら」
JA管制室
PM14:00
室内
「これより、JAの起動テストを始めます。なんら、危険は伴いません。そちらの窓から安全にご覧下さい」
〝起動準備よし〟
「テスト開始」
〝バルブ、解放!〟
〝圧力、正常〟
〝冷却機の循環、異常なし〟
〝制御棒、全開へ〟
〝動力臨界点を突破〟
〝出力問題なし〟
「歩行開始!」
〝歩行、前進微速。右足前へ〟
〝了解。歩行前進微速、右足前へ〟
瞬間、動き始める
「おぉ〜」
制御室には感嘆の声が広がった。
〝バランス正常〟
〝動力異常なし〟
「了解、引き続き左足前へ、ヨーソロー!」
かなりのスピードで歩行するJA
「へぇ〜、ちゃんと歩いてる。自慢するだけの事はあるようね」
葛城ミサトは、もっと稚拙な物を想像していた。右足と左足の指示さえ必要な、作業にすら使えない代物だと思っていたのだ。
「変です!」
「どうした?」
「リアクターの内圧が上昇していきます!」
「一時冷却水の温度も上昇中」
〝内圧上昇、2.5%、11.8%、16.5%……停止しません〟
「バルブ解放、減速剤を注入」
「ダメです! ポンプの出力が上がりません!!」
「いかん、動力閉鎖。緊急停止」
「緊急停止信号、発信を確認」
「受信されず!」
「無線回路も、不通です!」
「制御不能!!」
「そんな……バカな……」
尚も前進を続けるJA、その歩みは、管制室へ向かっていた。
パニックを起こし、騒然とする管制室。
そこへ巨大な白い鋼鉄の足が振り下ろされ、天井ごと数人を押し潰した。
そのままJAは横断してゆく……。
「作った人に似て、礼儀知らずなロボットねぇ〜」
赤城リツコを抱えて緊急退避し、全身煤まみれになった葛城ミサトは、破壊された天井からJAの後ろ姿を見ていた。
「各種値に異常発生!」
「制御棒、作動しません!」
「このままでは、炉心融解の危険もあります」
先程の司会でもあり、JAの責任者でもある時田シロウは、呆然とその報告を聞いていた。
「信じられん……JAには、あらゆるミスを想定し、全てに対処すべくプログラムは組まれているのに……このような事態は、ありえないはずだ……」
「だけど今、現に炉心融解の危機が迫っているのよ」
葛城ミサトは、時田シロウを睨みつける。
「こうなっては、自然に停止するのを待つしか方法は……」
「自動停止の確率は?」
「0.00002%、正に奇跡です」
「奇跡を待つより捨て身の努力よ!!」
そう言い切る葛城ミサトは、非公式にも数週間前に日本全国の発電所を直結せしめた人物。その言葉には何の陰りも無かった。
「停止手段を教えなさい」
「方法は全て試した」
「いいえ、まだ全てを白紙に戻す最後の手段が残っている筈よ。そのパスコードを教えなさい」
「全プログラムのデリートは最高機密、私の管轄外だ。口外の権限はない」
「だったら命令を貰いなさい! 今すぐ!!」
「私だ、第二東京の万田さんを頼む。そう、内務省長官だ」
そう始まった時田シロウの電話は、終わらなかった。
「では、吉澤さんの許可を取れば宜しいんですね? えぇ、えぇ、ウィッツ氏の承諾は得ておりますから。はい! はい、では……」
「たらい回しか……」
「今から命令書が届く! 対応は正式なものだ」
「間に合わないわ! 爆発してからじゃ、何もかも遅いのよ!!」
〝JAは厚木方面へ進行中〟
葛城ミサトの言う通り、このまま第3新東京市のある厚木方面へ向かうJAは、今や都市部を狙う核爆弾だった。
「時間がないわ。これより先は、私の独断で行動します。悪しからず」
時田シロウには、反対できなかった。
NERV控え室
室内
「日向くん? 厚木にナシ、付けといたからシンジ君と初号機をF装備でこっちに寄越して。そ、緊急事態」
葛城ミサトは、防護服を着込みながら、初号器出撃の段取りを進めていた。
「無駄よ、お辞めなさい葛城一尉。第一、どうやって止めるつもりなの」
「人間の手で、直接」
葛城ミサトは、既に覚悟した瞳だった。
再び、管制室。
「本気ですか?」
「ええ」
「しかし……内部は既に汚染物質が充満している……危険すぎる」
「上手くいけば、みんな助かります」
職員の1人が、コンピュータの一つを破壊した。
「ここの指揮信号が途切れると、ハッチは手動で開きますから──」
「バックパックから、侵入できます」
時田シロウはそれを見て、背を向けた。
「希望……それがプログラム消去の、パスワードだ」
「……ありがとう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数分後
初号器輸送機内
「目標はJA、5分以内に炉心融解の危険があります。ですから、目標をこれ以上人口密集地に近づける訳にはいきません」
「日向くん?」
「はい」
「エヴァを切り離した後は速やかに離脱、安全高度まで上昇して」
「了解」
「シンジ君?」
「はい」
「目標と並走し、私を背後部に取り付けて。以後は目標を可能な限り堰き止めてね」
「……乗るんですか、ミサトさんが」
「そうよ」
ミサトさんは本気だ。
炉心融解、生き残るのは無理だろう。
「ミサトさん……」
しかも、自分はエヴァに乗っている。核爆発にも耐える各種装甲だと、説明は受けていた。
壁が、ないんだ。
ミサトさんには……。
声を掛けなければと思うのに、何も出てこない……。
「そんな顔しないで……やる事、やっておかないと、後味わるいでしょ?」
「分かりますよ。でも、帰ってきて下さい」
「…………」
「必ず帰ってきてよ、ミサトさん」
ミサトさんの手を握る。
それは、少し震えていた。
「……敵わないわね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「エヴァ投下位置!」
「ドッキングアウト!」
その声を聞いて、ロックを解放した。
「了解」
体験した事のない、体に受ける加速度と、滑るような地面に冷や汗を流しつつも、なんとか着地を成功させた。
人を手に載せるのも初めてで、右手の感覚に全神経が集中していた。潰してしまわないか、不安だ。
そのまま前方を走るJAに肉薄する。
「追いついた……!」
「あと4分もないわ、このまま乗りつけて!」
左手でバックパックを掴む。左手で力みながら、右手の力を抜くのは想像より難しかった。
「ぐっ……」
「構わないわ! やって!」
JAが完全に停止した訳ではないが、ミサトさんをハッチ上へ運ぶ。
が、飛び降りた瞬間、振動で転げ落ちる。
「ミサトさん!!」
そこから落ちれば、数十メートル下まで何もない。
防護服など意味がない。
右手に持ち替えて、左手で救助を……!
そう思っていたら、タラップの一つに捕まった。
「ふぅ……」
息が漏れる。
「気をつけて」
そう言うと、ミサトさんは真面目な顔で頷いた。
そのまま前方へ回り込むと、前進しようとするJAに組み付く。
が、JAのあらゆる穴から冷却剤らしいものが吹き出していた。
「急いで……ミサトさん……!」
数秒で、持っている機体からも熱が発せられ始めた。
「ミサトさんッ!!」
幻視する爆発。
何も出来ない歯痒さに、血を吐くようだった。
しかし、いきなり掌に感じる圧力が無くなったかと思えば、JAは膝をついた。
「ミサトさん……?」
無事、なんだろうか。
「大丈夫ですか? ミサトさん?」
「えぇ……ま、最低だけどね……」
「……良かった……本当に、良かった……」
ミサトさんは、生きていた。
『私と同じね』
出撃前の姿に、いつかの言葉が思い出される。あれは、本当にそうだったんだ……。
普段から、もっとミサトさんを知ろうとしていれば、違う方法があったかもしれないのに……。
「ミサトさん」
「……なに?」
「帰ったら、色々、聞かせて下さい」
「今回のこと?」
「他のことも」
「悪いけど、昔の事は……話さないわよ」
「…………」
僕には、方法が、無かった。
それはきっと、とても辛いことだから……。
「僕は……皆んなが生きていれば、いいんです。それが、僕の願う明日……だから……」
「…………」
「ミサトさんには……生きていて欲しい」
「分かってるわよ」
それは、芯の通った声で。
「分かってるわ」
自分に、言い聞かせるようだった。
それは、僕の願いは拒絶するようで……。
やはり聞けない何かが……ある。
クレバスのような冷たいそれに、触る勇気がない自分に、タールのような黒い感情が心の底に蔓延る。
だが、もうそれは底なしの沼ではない。
ただ溜まる、嫌な感情だった。
いつか綾波やミサトさんと、心から分り合いたい。
その為に、これを、超える。
今日じゃなくても、いつか。
必ず。
次回「アスカ、来日。」