闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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第二部 人里③

「巫女さん居てはるの、ここ?」

 藤花は目を瞬かせた。そういえば世界は隔絶しているが、里は整然とした景観が形作られているし何かしらの統治機関、規範となるものがなければ人間社会の維持は不可能だろう。

巫女と言っていたが、里で民間信仰めいた道具や儀式を見かけたことも無いということは神社か。内地じゃ猫も杓子も国粋で神祇院の仕事など今更無いと思っていたが、思いのほか頑張っているじゃないか。

「やっぱり、結界とかそういう感じなん?」

「そうそう、まずはそこからだ」

 長くなるけど、と前置きしたうえで霖之助は幻想郷と呼ばれる土地の起こりから現在の形に落ち着くまでの歴史を要約してみせ、神や妖怪、妖精に至るまでが人と共に暮らしている様子から生まれる特殊な社会構造とそれ以外、山に潜む獣の危険についてまで語ってくれた。特務機関仕込みの藤花の聞きかじった知識に基づく質問にも丁寧に答え、逆に明治とそう変わらぬ暮らしをする農民が大半を占める人里に突如現れた都会育ちの藤花の生い立ちに興味を示して逆に質問攻めになる程であった。

戦も終わり、異なる世界へ来たとあっても藤花は頑なに言葉を濁し、拷問を伴わないとあればとことんしらばっくれた。彼女が暮らした内地の様子や社会的関心の高かった出来事については詳細に話し、何とかそちらへ話題を持って行くよう努める。

「そこで、霖之助はん。巫女はんてのは、こう、話の分かるというか、そういう感じなんでっしゃろか」

「うーん、本当にこればかりは向こう次第だなぁ。人によっては頭下げたり物を積んだりして頼み込んでいたようだけど……」

 もしかして超現金な巫女なのだろうか。というか神主はどうした。誰も頑なに神主という言葉を出さないが、もしかして何かあるのか。何か触れてはいけない話題のような気がして、藤花はその事については沈黙を守った。詮索好きな犬はいつか棒で叩かれる。

「うんうん、分かりました。とりあえず喜捨の心で以て接してみよかな……離れるとなっても、しばらく置いてくれた土地の恩もあるしなあ」

 腕を組み、藤花は頷いた。最初の一日に比べたら大分と態度が軟化したので霖之助も落ち着いたのだろう。神社の場所は知っているかと訊ねるので、遠目に見た大鳥居について藤花が言及すると、そこだ、と首肯した。

「おおきに!すぐにとはいかんと思うし、その時はまた挨拶に来まっさ!」

 藤花は明るい笑顔で立ち上がり、相手の返事もそこそこに店を後にした。

 

   *

 

 店を出て十歩、早くも藤花はスキップの姿勢のまま固まっていた。

 帰る術を知っているらしい情報も得た。神社の位置も分かった。が、鳥居も思い切り緑の中に建っていたような気もする。彼女にしてみれば一体の森は全て同じに見えた。

 一時間後、里を離れる藤花は、長い布の包みと肩掛け式の鞄を携えていた。現世とどれほど差があるというのだろう。天頂を過ぎた陽光が柔らかく木立から降り注ぐ獣道を歩きながら彼女は考えた。空には太陽も昇るし月も出ていた。被(ガス)甲(マスク)越しに風が吹き抜ける。そういえばあの時の森に比べると湿度も低いし、妙な幻覚も見ない。空気が安全だからか、それとも吸収缶がしっかり働いているからだろうか。いずれにしてもあの日の苦しみが相当堪えていた彼女は一定時間毎に被甲の気密を確かめ、偽装を解いた小銃を油断なく構えながら斜面を進んだ。誰かに会わなかったのは奇跡と言っていい。鳥居が見えたあたりで殺生の道具を振りかざすのも悪いと思い、慌てて仕舞い込んだ。最後は息苦しさと疲労との戦いだったが、遂に彼女は「博麗神社」の文字を読み取れる位置にまで到達した。

「おぉ、ここが……!」

鳥居の手前で立ち止まり、深呼吸……は意味が無い。

と、藤花はそこで初めて境内の人影に気が付く。

「えぇ、あれは……?」

 相手は呼吸器を保護するものを身に着けていないようなので、ゆっくりと被甲を外してみる。妙な湿気も臭いも無い。ここの空気は安全なようだ。一礼の後、何でも無いような事の幸せを噛み締めた顔で再度、人影の方に向き直る。

 赤い服。最初はそう言った印象だった。目を点にして藤花の方を眺めている。固まっている相手の様子から察するに、掃除か何かの片づけをしていたところのようだ。

 それよりも藤花の気を惹いたのは服装だった。質の悪いゼラチン封入ガラス越しでは良く見えなかったが、袴ではない。というか腋が、わきが出ている。髪をまとめているのも巨大なリボンであり、藤花程の年頃の女性であれを身に付けるものもいまい。しかも腋が見えている。

 あまりにも藤花の表情が大きく変化した為か、相手の少女があからさまに警戒している。いけない、これから神頼みというか、頼みごとをしに来ているというのに関係者の機嫌を損ねては今後に差支えてしまう。少女が口を開こうとした刹那、藤花は包みを背負い直し、被甲を仕舞い込んで足早に社殿のへ向かった。

 取り出したのは山ほどの軍票。

 背後で箒か何かを取り落す音が聞こえた。きっと金持ちに見えたことだろう。軍票の価値は大日本帝国が保証する、が、果たして幻想郷でそれが通じるかは未知数だ。しかも団子屋では、数日前から大量に見かけるようになり、額面通りの価値はもう無いと言われた代物だ。腹立たしさから屋根からばら撒こうとしたが思い直して止めたのが昨晩。

「無事、帰られますよう……」

 数枚引っ掴んで賽銭箱へ入れる。そして二拍。

「…………」

 周囲は無音だ。少女は機嫌を直さなかったのだろうか。もしかしたら足りないのかもしれない。しかし、巫女とやらはどこにいるのか……。

「これは、大江大尉どのの分……」

 もう一掴み放り込む。

「これは、関曹長の分……」

「…………ッ」

 息をのむ音が聞こえた。景気づけにもう少し。

「これは……荒木はんの分………これは、大久保はんの分……これは、左文字少尉どのの分……」

後半はそもそも死んでない人間も含まれていたが、言われて出すより初めから大目に見せておいた方が受けは良い事を、長年の宣撫工作で心得ていた。

何気ない様子でチラと後ろを伺うと、少女の瞳が一瞬、航空兵の動体視力試験めいて通貨記号が渦巻いているように見えたが、すぐに顔を振ってこちらにおずおずと近づいてきた。早い所、巫女さんとやらの元へ案内してもらおう。

「あんた……何者?」

 思いのほか友好的ではない反応で思わず足元が滑りそうになった。まったくここの巫女は教育がなっていない、と思いつつも表面上笑顔を取り繕う。

「あ、あのな…あのですね、実は、古道具屋のにいさんの紹介で、巫女はんにお会いしたくて来たんですけど……お話しできます?」

「あ?私に?」

 今度は、藤花の目が点になった。

   *

 

 藤花は、目の前の謎めいた装束の少女をまじまじと見つめた。

 年は高めに見積もっても、藤花よりも少し低い位か。警戒しているせいか目つきはやや鋭く、何がそうさせたのか目の下に隈まで作っていた。

 巫女と言い張るには昭和モダン期を過ごした藤花でさえ見慣れぬ恰好ではあったが、霖之助も変人がいる等とは一言も言っていなかった。そうは言っても狩衣めいた袖括りの意匠は和装の趣を添えるには十分であったし、この土地で信仰やその周辺環境も独自に発展する事もあるだろう。あまり変な顔をするのも好印象とは言えなさそうなので、努めて平静を装う。

「えーと…あんたが巫女はん?」

「他に誰がいるのよ」

 お言葉ではあったが他に人も見当たらない。この時間帯まで一人でせっせと手入れをしていると思えば、広さや里から離れている立地でもこの状態が維持されている事は何となく納得できた。藤花は、ひとまず目の前の少女が話に聞いていた博麗の巫女であると結論付ける。片手で残りの軍票を全部賽銭箱に放り込み、一連の作業を終えると改めて一礼した。

「突然で申し訳ないんやけど……」

「ま、まあ、ここじゃなんだから、お御籤でも引いてく?」

「おおきに!」

 そう言って少女は奥を指さした。先程の喜捨の心得が通じたのだろうか。名も知れない人里の群集の一人に過ぎない藤花は知る由も無かったが、ある種の奇跡だった。金の力と言い換えても良かったが、後日賽銭箱を検めた巫女はどういう顔をするだろうか。

 と言ってもどこか私室や荘厳な間まで上げてもらう訳ではなく、あくまで外陣に入れっぱなしのお茶が一杯出てくるのみである。当然、藤花はそれが奇跡に近い一杯と知る由も無く「おかまいなく」の一言で受け流した。

 そこでようやく藤花は巫女の名を知った。そして、霊夢と名乗った巫女がやはりこの神社を管理している事、遠回しな表現で推し図るしかなかったが、彼女が少なからずこの幻想郷の存続に関わっているらしい事も知る。

 無論これ幸いとばかりに態度を豹変させる事も無く、引き続き霊夢の緊張をほぐす為に、何気ない会話は続ける。それも一方的にしゃべるのでもなく、相手が一言二言返せるよう話題を選べば、自然とやりとりが続き打ち解けたように錯覚させられる事を藤花は心得ていた。

「それじゃあ、貴女外来人だったわけね」

「そう呼ばれとるみたいやね」

「もしかして」

 霊夢の手が、湯呑みを持ち上げかけて止まった。本題に入る。

「さっきのは、元居た世界に返してっていう御願い?」

緊張した面持ちで、藤花が頷く。

「そうなんです」

「あー、残念だけど応えられないわ」

「なして!?」

藤花の目が見開かれた。完全に今いける雰囲気やったやん、と口には出すまい。あの霊夢が若干申し訳なさそうにしているところを見ると、藤花の大量お賽銭作戦は成功していたようだ。

「近頃多いのよね。キリが無いの」

「ま、前がつっかえてるって事……?」

「そんなとこね」

 上手い事を言う、とばかりに笑顔になった霊夢に内心ムッとする藤花だったが、よくよく訳を聞いてみる。

「外来人異変というやつね、いい年した爺さん婆さんから生意気な子供まで続々と。皆がみんな帰りたいっていうわけではないけど」

「そうなんや……」

「一人送り返すうちに里に四人五人と増えてるの。たまったもんじゃ……ていう話をするのもこれで何回目かしらって感じ」

 そもそも送り返すという行為を明細に知る事のない藤花にこれ以上の陳情は不可能だった。もう少し度胸があれば包みを解き、小銃を突き付けて今すぐにでもやれと脅す事も出来たかもしれない。しかし妖怪の類が日常に存在する幻想郷で一人生活する霊夢がどれほどの人物かも知らないし、それが彼女を慎重にさせた。後日その判断が正しかったと知る事になるだろう。

「……分かりました」

「飲み込みが早いのね。まあ、そっちの方が助かるのだけど」

「…………………」

 突然の来訪を詫び、藤花はすっくと立ち上がった。包みを携え、静かに社殿を後にする。

 神社を出る時、霊夢が何か言っていたような気がしたが、藤花は鮮やかな紅を帯び始めた空にそびえる鳥居の影の下で一礼すると、石段を下って行った。

 この石段からは、麓の風景が良く見える。家々では夕食の支度が始まっているらしく、所々から煙が白っぽい筋となって立ち昇っていた。

「ええとこではあるけど……」

 妖怪たちを存続させるための信仰を蓄積させる場所、そのように理解していた。人口と面積はジリ貧すれすれの境界で均衡がとられているらしく、大半が農民としてせっせと働き、生活している。幕政下や現代日本と異なるのは租税の類が無い事くらいだろうか。

しかし、藤花の心情は「帰りたい」の一言に尽きた。その理由は、家の押入れ、火器の類と分けられ堅く封印されたもう一つの包みにある。眠りに落ちた彼女の寝顔は安らかとは言えない。託された遺品や遺髪。情報員の仕事から非正規戦の手伝いをさせられるようになってから、死にゆく者たちの顔を幾人も見てきた。皆、たとえ戦塵に塗れ異国の地で朽ち果てる運命だとしても、生きた証の欠片だけでも帰ることが出来れば、と彼女の小さな背中に思いを託したのだった。

藤花自身は帰っても家族は既に亡く、戦死者の意思に突き動かされる様はある意味空っぽの器と言えた。そんな彼女が絶望を覚えれば、こんな里に魅入られるのもある意味道理と言える。しかし、彼らを日本に帰って下ろしてやらぬ限り、どこかへ消え去ってしまう事は彼女自身が許せなかった。

藤花は、いつしか立ち止まり夕暮れの夏風の吹き抜ける坂道で苦々しい顔つきのまま景色を見下ろしている自分に気づいた。

 


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