闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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第二部 人里④

 翌日から、藤花の職探しが始まった。

情報員時代に貯め込んだ貯蓄は敵の進駐までに遊び倒して使い果たすつもりで腹に括り付けていた為、当面の生活費は何とかなると思われたが、どうやら貨幣価値がとんでもない時代に合わせられているらしく、初任給が数十円という感覚の藤花にとって食事に数百円かかると知った時は目玉が飛び出した。

 幸い、外来人向けに畑を割り当てられたので朝早く起き出しては畑に向かう日々。昼に路傍の石に腰かけて煙草を吸っていれば、隣の農夫が握り飯を分けてくれたりしてそれなりの近所付き合いも構築できる。食い扶持を維持しなければ壁を舐める生活もやむなしと覚悟していたが……。

「やっぱ、ウチ農家向いてへん……!」

 諦めは早かった。軍と密接な関係がありながら買収されないようにと保障されていた、豊かさと自由な生活に味をしめた彼女に規則的な生活は合わないらしい。

大半の人間が、まず自分の食い扶持を確保するために農業か畜産業に就く幻想郷社会の中で、運良く藤花はその例外に入ることが出来た。

酪農家で終日バター製造機を回し続けるという、農業より彼女向きではなさそうな仕事を終えて帰宅した際、ある部屋の隅に覚えのない煙草が落ちていた。拾い上げて首を傾げた翌日、もう一度覗くとまた落ちている。銘柄はまちまちで、大半が知らないものだったが文字通り降って沸いた煙草の入手経路の確保により、彼女は就職ではなく起業するに至った。

思えば、外界から流入する物資を拾い集めて生活する者も少なからずいた。古道具なら香霖堂へ持ち込んでも良かったが、里の並びに彼女の興味を引く屋号があった。

「すず…な?」

趣のある書体で「鈴奈庵」と書かれた看板を見上げる藤花の横を、店から飛び出してきた子供の群れが駆け抜けていく。会話の様子から、紙芝居か読み聞かせでもしているのだろうか。店頭を覗く限り、貸本業が主なようだが、児童文学から藤花も興味をそそりそうな技術関係の専門書、果ては見たことのない禍々しい本が片隅にちらりと見えていたり、所々怪しい。

だが、奥に腰かけているのは、外したばかりの眼鏡を拭いている艶やかな彩りに身を包んだ少女である。藤花と目が合うと、ぺこりとお辞儀して戸口へ駆け寄ってきた。

「いらっしゃいませー!」

 元気な子だ。人懐こそうな顔と派手すぎない柄の服でいかにも柔和な雰囲気を漂わせている。

「おおきに、もうかっとる?」

「え、ええまあ…」

 少女の背後から微かに音楽が漏れ出でていた。鳴きつる方を見れば、勘定台の側にアサガオの喇叭も輝かしい蓄音器が一台。

「あー、文明の香りや……」

蓄音器で音楽鑑賞など幻想郷へ来て以来、いや、戦地でも長らく御目にかかっていない。何やら嬉しそうに目を細める藤花を前に、少女が首を傾げる。

「多分、初めましてですよね」

「せやね、ウチはこないだ森に出てきたばっかりで。…藤花って言います。よろしゅうね」

「小鈴って言います。本居小鈴。よろしくおねがいします!」

「成程、文字通り看板娘ってわけやね……」

「ささ、どーぞゆっくり見てって下さい」

 小鈴はにこやかに藤花を迎え入れる。藤花も思わず物珍しさから店内へ足を踏み入れた。

 珍しい事に、内装は彼女の想像していたものとさほど変わりは無かった。現状自由に使える資金の少ない彼女だが、本棚の一つに貼られた小さな紙に視線が注がれる。

 古書買取承ります。

「む……」

「どうかしました?」

 台の向こうで本を開いていた小鈴が顔を上げた。

「そういえば、良ければ引き取ってもらいたい本があるんやけど」

「どんなでしょう!」

 読書の間だけかけているらしい眼鏡を指で直しつつキリリとした顔つきになる。小さな店構えの割に所狭しと並ぶ本といい、里の人々というより店側も活字に飢えているのかもしれない。

「あの、これ……」

 藤花が雑嚢から取り出したのは掌大の冊子の山である。ひらがなは殆ど使用されておらず、見るものの購買意欲を掻き立てそうな天然色の装丁でもなかった。

「ちょっと専門的すぎるかもやけど……」

「あぁ、これですか」

「へ?」

 藤花の眉が片側だけ下がって困惑を形作る。よほどの軍事愛好家なのだろうか。

「近頃、この手の本を欲しがるお客さんがいて、覚えてたんですよ」

「あぁ、それで……」

 ちょっと安心した。こんな年端もいかない少女の間で歩兵対空行動が流行中なんて聞いたら、少女倶楽部の編集者が腰を抜かすだろう。

 一方で、軍の作成した冊子を集中的に買い求める客という存在が気になった。いつ出ていけるとも知れない幻想郷で、起こるかどうかも分からない戦争に備えるのも妙である。気付けば、少し考えると言って売却は諦める事にした。

「その、こういうの買いに来るのんって、やっぱりウチみたいな人なん?」

「うーん、狐の子だったりするんですけど、どうも誰かのおつかいみたいなんですよね」

 ますます謎めいてきた。狐の子供が貸本屋に遊びに来るのもそうだが、わざわざ代わりを立てて軍事関連の、それも雑誌でもない作戦指導用の冊子を買い集めるのは蒐集家でもするまい。

「…………足の悪い、蒐集家かな?」

 不思議そうな顔をする小鈴をすっとぼけてかわしつつ、その日は鈴奈庵を後にした。

帰路につく藤花の目は、博麗神社の帰りの石段で里を見つめていた時と同じだった。

   *

 

藤花が夕暮れの通りを歩き切り、今のねぐら、二笑亭の前で足を止めた。通りに面した玄関は半分をこじんまりとした煙草屋に改装中であり、引き戸を半分潰して無理やり店舗を収めた。今のところ、店であることを示す標識は張り紙による「煙草屋開店豫定」というものだけなので、そのうち看板も作る予定だ。どうやら建築技術にも一定の制限が加えられているらしく、人里どこを見ても全体ベトンで固めた鉄筋ビルヂングなど見当たらない。まるで聖書の逸話のようだ、と内心苦笑しながら見聞を取り止め、懐から煙草を取り出し燐寸を擦った。

大工連中も、円紙幣と煙草で快く工事を引き受けてくれた。あとは経営が軌道に乗れば。

「……やろか」

 霊夢の助力が望めない以上、藤花は無謀とも思える考えを巡らせていた。

 独力での脱出。

 日中、鈴奈庵で耳にした軍事書籍の大量購入もそうだが、近頃の幻想郷はどこかきな臭いらしい。山の天狗が軍備を近代化させ、これまでほとんど見られなかった銃器の氾濫がそれに拍車をかけた。何やら河童が武器弾薬に興味を示し、幻想郷での戦闘に特化した改良を施したのがきっかけだと小鈴は語っていた。すかさず全身緑で嘴を備え、甲羅を背負って頭に皿を載せた小柄な妖怪を想像したが、小鈴の談では皿ではなく作業帽を被り、甲羅ではなく巨大な背嚢を背負いからくりに通じているらしい。それってただの職工ちゃうんと聞いたが、実際珍妙な道具を試作してはどこかで使用してみたり、資金調達の為に市に出てきたりしているらしい。

「……やっぱ胡瓜やんな」

 藤花は、唇を焼かんばかりに短くなった煙草を捨て、家に駆けこんだ。

 胡瓜に関しては調達は容易だった。栽培している農家はいくらでもあったし、こちとら元は忍び込むのが専門である。農家の警戒など、七十六号の試験に比べたら可愛いものだ。

「幼稚園の、お遊戯やないねんから……」

 夜半の畑の真ん中でゆっくりと身を起こすと、手元を動かしやすいよう擬装網を緩め鋏を取り出す。手に持ったそれを一回転させて決めてみる。

「照れちゃうぜ……」

 いや、照れている場合ではない。手早く仕事を終えると、陽動に放っておいた野兎が農家の連中を騒がせている間に退散した。

 翌日から早くも野菜泥棒が人里中で話題となった。胡瓜を重点で盗むとさすがに河童の関与が疑われ報復を受けかねないし、頻繁に里を離れる彼女が捜査線上に浮かぶ恐れもあった為、他の野菜もまんべんなく収穫し、そちらの戦果は藤花の食卓に彩りを添えた。

 ある日などは"仕事"中に突然空が光ったかと思うと翌朝の新聞に「怪異!野菜泥棒の正体見たり!」と写真が掲載されたりした。しかし、帝国陸軍仕込みの身体擬装を施した藤花の全身は写っておらず、毛むくじゃらの何かが畑に現れては食っていくという内容にされていて、しかも"いえてぃ"という謎の名前まで付けられている。顔も知らない"いえてぃ"氏が罪をかぶる事を胸中で詫びながら、河童の工業力に依存する作戦方針は放棄せざるを得なかった。

 新聞は明らかに妖怪の手によって発行されていたし、擬装網は人目を騙すことは出来ても体温や匂いまでは誤魔化せない。仮に妖怪が生気を察知するなどしていたら対策の施しようがなかった。

「も、もうちょっと勉強しよ」

 一人で考えても頭が煮えてしまいそうだ。何より、郷に長く住む人物とつながりを構築しておきながらそれを利用しない手は無い。兎角、森での体験が心の痛手となっていた彼女にとって妖怪の研究が後手に回るのは致し方ない。明日から開店準備と里の見物に集中しようと頷き、その夜は床についた。

 

   *

 

翌日、店構えは不十分ながらも藤花の「高黍屋」は開店した。屋号は満洲を懐かしんで高粱にでもしようかと思ったが直球過ぎるので和名である。煙草なので「ほまれ」あたりにしようかという案もあったが、同名の店が既にあるらしく、そちらも諦めた。

店を開けてすぐ一人目の客が現れた。看板も用意できていない店だが、誰かの買う姿を見て一人、二人と店を覗いていくのでチラシも撒いていなかった藤花としては大助かりである。

消耗の速い割にまとまった数が入手しづらく、また被服に供する商品作物以外の栽培をほとんど行っていない幻想郷での煙草需要は意外とあった。団子屋の店先で一口のキセルを分け合って吸う様子を見かける事もあった。聞けば幻想郷で一番煙草需要のある天狗は自家生産で完全に賄っており、コネのある人間はどこからか調達してくるらしいが大っぴらに天狗が人里に卸してくれる事がまずないとの事。

藤花の方でもそれは苦労しており、割り当てられた畑を全て煙草用に切り替えても在庫を補完する手製煙草の生産が追い付かないのだ。刻み煙草は袋に入れて数百円で販売できるのだが、一方の紙巻き煙草に使う巻紙が圧倒的に足りなかった。おかげで流入煙草(藤花が勝手に命名した外界製煙草)は千円越えが珍しくなくなってしまった。ただ、藤花ですら馴染の薄い吸口(包装にはフィルターと書かれていた)付きの煙草は里の人間にも高級そうに見えるらしく、洋装の金持ちそうな客はそちらを買い求めた。

 

   *

 

 午後、藤花が買い置きしていた団子をぱくついていると、往来に再び見知った顔を見かけた。

「めーりんはん!」

「あら、お久しぶりです!」

 味噌か何かだろうか、巨大な樽を担いだまま笑顔で駆け寄ってきたのは美鈴だ。あれを担いで湖の方まで帰るというのだから、日ごろの鍛錬はどれほどのものか。

「お知り合いですか」

樽の陰になっていて見えなかったが、お連れの方がいたらしい。流し見が似つかわしそうな切れ長の目が、藤花を見つめていた。

「別嬪さんやなあ、めーりんはんのお友達?」

「あッ、いえ、なんというか、上司というか」

「紅魔館で従者の長を仰せつかっております、十六夜咲夜と申します」

 濃紺の女給服に透き通るような銀髪と、見た目に違わずどこか冷たさを感じる声だ。若干気圧されながらも、藤花はドーモ、と挨拶を返す。樽の陰でよく見えなかったが、その種のカフェーを思わせる丈の短いスカートから生えた脚が艶めかしい。しかし、その裏に隠された何かを藤花は察した。美鈴の格闘技といい、屋敷とは何物なのか。

「もしや、こちらの門番が何か粗相を……」

「いや!いや!」

 細見でありながら大した気圧であった。よくよく見れば藤花より年下に見えるというのに、あの美鈴がぎょっとして振り返り、藤花も彼女の為に慌てて訂正せざるを得ない。

「ウチあの、いわゆる外来人なんやけど、行き倒れかけたのを美鈴はんに助けてもろうて、御礼もせなあかんなと思うとった次第で…」

「なんと」

 咲夜の目が瞬いた。横で照れくさそうにしている美鈴をチラと見、小さくため息をついた。

「悪かったわね、今度おかずおまけするから許してちょうだい」

「やったーッ」

 どうやら帰りが遅いと小言の一つでも飛ばしたのかもしれない。屋敷の得体の知れなさに比べて、彼女らの関係は至って普通の友好的なもののように見えた。

「美鈴はん、今日も買い出しか何か?」

「はいー、お嬢様が縁日に遊びに行きたいとおっしゃってるので、今のうちにと」

 お嬢様!洋風の女給を従えている屋敷の事だ、バイオリニストみたいなモダンな雰囲気なのだろうか。古風な街並みと見慣れぬ道具に溢れた幻想郷にあって、鈴奈庵に次ぐ数少ない藤花が共感できる題材を見つけた事を軽く感動しつつ煙草に火を点ける。

「縁日か……」

「そろそろその季節ですよね!藤花さんは来て初めてじゃないですか?」

「せやね!」

 表向きは明るく頷いてみせたが、天を仰ぐ彼女の眼はどこか覇気が無い。こちらでは縁日でにぎわっている、すなわち本土ではもう秋口なのだ!鈴奈庵あたりを訪ねれば、その後の日本について知ることは出来るだろう。しかし戦友たちの遺志と生きた証をこの手で見止めなければ、彼女の戦争は終らない。今でも夢に見る。

 乾坤純和の奇跡とも言うべき幻想郷において、彼女は聾桟敷に置かれているも同然だった。生活基盤が整った今、行動を起こすしかない。

「なあ、美鈴はん、ウチもその縁日、ついてってもええ?」

 


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