一旦屋敷へ戻るという咲夜と美鈴を見送り、藤花も早々に店じまいの支度を始めた。来年からは事業拡大と宣伝も兼ねて出張販売と行くか、と意気込んで店を閉じて、ふと考える。果たして来年の同じ時、自分はまだここにいるだろうか。
玄関を閉め、そのままの格好で表へ出ると、何となく人通りに法則性があった。その寺とやらは人里においてもそれなりの求心力を持っているらしい。藤花は人波に乗ることなく別の方角へ歩みを進め、同じく店じまい中と思われる鈴奈庵を覗き込んでいた。
「小鈴ちゃんおるー?」
「藤花さんいらっしゃい、出来てますよ!」
「おおきに!ごめんな、一番安いのでお願いしちゃって」
照れくさそうに頭をかき、藤花は勘定台に置かれた紙の束を見やった。
今度から行きつけの商店や酒屋に置いてもらおうと考えている煙草屋のチラシであった。何だかんだ言っても、活動資金を出してくれる後ろ盾がない以上、ある程度は稼がなければならない。「新製吸口付、舶来製続々入荷」や「戸外ひる寝にこの一服」などなど景気の良い文句が散りばめられたそれを小脇に抱えつつ、紙幣と本を小鈴へ手渡す。ついでにキャラメルも一粒。
「ほんなら、また本借りに来るわな」
「はーい。あっ、そうだ、藤花さんもこれから命蓮寺ですか?」
「みょう…ああ、ウチも後で顔出す予定やけど、小鈴ちゃんも来るん?」
「ええ、ここいらのお店は皆さん早じまいして出店の準備してましたねー」
小鈴も表に出しているものを片付けつつ、出かける準備のようだ。そういえば、そのうち美鈴たちも戻ってくるだろう。屋敷がどれほどの距離なのか知らないが、待たせるのはよろしくない。
「ええなあ、ほなら、あとで」
「はい!お疲れ様です」
*
日も落ち、人通りは普段よりぐっと少なくなっていた。カラスも祭りの夜は町中に用は無いと見えて、夕暮れの空に浮かぶ影は見当たらない。
「あら」
店の前に、人影ひとつ。よくよく見ると、壁にもたれて所在なさげに足をぶらつかせている美鈴だった。
「やばっ!」
束ねたチラシを抱えなおし、慌てて駆け出す。さっきの女給さんがいないが、もしかして先に向かってしまったのだろうか。
「めーりんはーん!」
「お」
藤花の呼びかけに気付いた彼女がこちらへ振り返り、その顔がぱっと明るくなった。嫌な顔一つせずに待っていてくれた事に感謝しつつ、不要なものは玄関先へ放り込み早速出発である。
「ほんまに申し訳ない!」
「いいんですよ!お仕事お疲れ様です」
先程までの味噌樽の重量が減ったせいか、心なしか美鈴の足取りが軽い。藤花も相手の遅れを埋め合わせたいと無意識のうちに歩みが早まる。
「美鈴はん、門番やって聞いてたけど大変やない?見たところすごい鍛えてるように見えるけど」
「ええ、まあ、体力勝負ですから!」
にっこりと笑ってみせるが体力というなら新聞配達や大工もそうである。しかし美鈴を見ていると、それとは違う何かを感じざるを得ない。わざわざ番人が必要な屋敷というのだから、賊か何かがしょっちゅう現れるのだろうか。
いつの間にやら駆け足になった二人を、子供舘が競争だーと叫んで追い抜いて行く。
「そ、そういえば」
「はいなんでしょう!」
「美鈴はん、屋台で好きなものって何!?」
「そうですねえ、ここ最近、チョコバナナっていうものが出てるんですよ!美味しいですよ」
「チョコとバナナかぁ……ここやと何処で採れるんやろ……じゃ、先に着いた方がそれオゴリな!」
「おっ、負けませんよー!」
「速っ」
駆け足が気づけば徒競走になり、御詫びに奢ればいいものを、そこはドケチな土性骨、勝った方がタダという虫のいい条件を出したのも束の間、美鈴の背中が見る見るうちに小さくなっていく。
「てか、寺どっち!?」
出不精が災いして命蓮寺への道を知らずに競争を提案した我が身を呪った。結局、美鈴が折り返して迎えに来てくれるまで町内をさ迷い歩く羽目になったという。
「やっぱり、煙草やめよかな……」
*
人々の履物が立てるパタパタと小気味よい足音と喧騒、道の両脇から漂う匂いは少し湿った地面に投げかけられる暖色の明かりと相まって何とも雅である。
「んー、クニを思い出すなァ……」
感慨深げに腕組みしつつ人ごみを進む藤花の横で、美鈴が新商品チョコバナナを頬張っている。カカオとかバナナとかどこから収穫しているのか大変に気になるが、それゆえに競合他社の存在しない独占事業として成り立つのだろう。存外に腹に貯まるバナナに、鈍い輝きを放つ魅惑の甘味であるチョコをたっぷりとかけたそれを、美鈴は惜しげもなく齧り付いていく。
「うぅぅ……うまい!」テーレッテレー
かわいいなこの子。
素朴な感想を抱きつつ、夕食を摂っていない事から来る軽い体調不良や腹部に生じる空虚な感覚、すなわち空腹をどう始末するかについて藤花も考え始めていた。
「そういえば、美鈴はんは咲夜はんとこ戻らなくてええのん?」
「お嬢様たちが型抜きに夢中らしくて、しばらく動かないみたいなんですよ」
「なるほどなあ」
と、そこへ金属に何かの弾ける小気味よい音が響いた。思わず身構える藤花と対照的に「おや」と音のした方を見やる美鈴。そちらには、周囲の屋台とは字体や雰囲気が明らかに浮いている一角があった。
『飯綱銃砲火薬店』とだけある。詳細は張り紙で見られるようだ。
「何やろ、あれ……」
「あそこですか、里にできた銃砲店みたいです」
「じゅ、え?何、テッポウ売ってんの」
藤花が目の前の現実ではなく、美鈴の言葉へ振り返る。
「け、境内で殺生の道具売ってんの……?」
「いえ、今日は違うようですね」
しかし、出し物は極限まで戯画化された射的のようだった。丁度上手い具合に的を射ぬいた少年に、ぬいぐるみ等が手渡されている。しかし、張り紙の一角に気になる文言があった。子供と大人の景品が異なるようだ。
“大人 当店割引券ほか豪華景品進呈 ”
「割引券か……」
藤花は、ここ数週間練りに練っている腹案について思い返していた。
*
彼女は、独自の方法で幻想郷からの脱出を計画していた。ここでの生活に慣れるほど、人々に愛着を抱くほど過去の亡霊は彼女に付きまとった。確実に精神を削ってゆく彼ら/彼女らの顔を振り払う為にも、一度通り抜けた壁(少なくとも彼女はそう理解していた)を再び突き破ろうというのだ。飛び出す先が日本か満洲かは分からない。しかし同じ世界へ戻らない事には。
二笑亭の部屋の一つを計画用の一室と位置づけ、来客の類は決してそこへは通さなかった。武器弾薬は油紙に包んで保管し、作戦計画は怯むことなく一から考えた。
しかし、それもすぐに行き詰まる。原因が何かは分からないが、作戦計画書に大量の虫食いが発生し、使い物にならなくなるのだ。紙を替えても結果は同じく、薬を焚いても変わらないのには彼女も参ってしまった。
他の本や煙草の包み紙は無事だったので、これも人里を遠巻きに支配管理する妖怪の仕業かと頭を抱え、現在に至る。
*
「さっきは負けたけど、こっちなら負けへんかなーと、思ったり、思わなかったり……」
「なんですって、いいでしょう!受けて立ちますよ!」
なんだか騙しているようで申し訳なさもあったが、競技そのものには美鈴も興味を示してくれたので早速代金を払い、銃を手に取る。
「んー?」
コルク式なら藤花も覚えがあったが、どうやら空気銃らしい。美鈴は里でも有名なのか早速男たちが群がって構えから操作まで手取り足取り教えをうけていたが、藤花はというととんと気配がない。
「神様仏様有坂様……どーか当たりますよーに……ッ!」
ままよ大胆、どうせ形は慣れ親しんだ槓桿式(ボルトアクション)である。ガシャガシャと勝手に操作して立射、目標敵散兵、距離……五メートルもない。標的は米国西部開拓時代のならず者を象った紙だ。
寒夜に霜が下りるが如く。
「いけッ」
結果、藤花の思惑は外れ、彼女の小銃の成績の悪さがあだとなったのか、あれこれと指南を受けた美鈴の呑み込みが早かったのか同点であった。
「おかしい……」
肩を落とす藤花の横で、美鈴ははしゃいでいる。
「すごい!本日の新記録だって!景品はブドウ酒か割引券だそうですよ」
成績はともかく、狙いだった割引券には届いたらしい。まあいいかとため息ひとつ、景品を受取りに行く。
「美鈴、こんなところにいたの」
二人を呼び止めたのは咲夜であった。用事をほっぽり出した形になってしまったが、そもそもが藤花の誘いであったので、美鈴の方はさほど怒られはしないようだ。が、これから帰るところらしい。
「ではでは、まだ日も低いですが、ごきげんよう」
「はい、ごきげんよう」
しかし、変わった挨拶だ。
「夜型の、お嬢様……?」
首を傾げたとき、一際高く彼女の腹が鳴った。
「とりあえず……何か食べよう…高いかき氷か、まずい焼きそばか……」
*
今夜の縁日も佳境というところで、屋台と雰囲気を異にする一角を見つけた。射的の時とは違って、いかにも役所的な天幕がある。どうやら里の自治組織か何かと、企業の出展らしい。
「新聞……そういえば新聞取ろうかなあ」
あのような街並みだが印刷業はそこそこ栄えているのだろうか。あれって結構技術が要るらしいが。
そして。
「え、けいぼ、う、だん……?なに、警防団あんの、ここ」
藤花の見る先には、確かに「人里警防団 準備室」と掲げられていた。
*
時間にして三十秒程、藤花は看板の前で考え込んでいた。
「警防団までこんなとこに流入してるん……?」
この地の特性を考えると、警防団という組織そのものが現世で不要とされたか、忘れ去られていると考えるしかあるまい。それはすなわち、日本の民間組織に至るまで変革が要求されたという事だろう。米軍は本州へ上陸しただろうか。ソ連は満洲、樺太へ侵攻してきた。どこまで行った?朝鮮?北海道?彼女の首筋を、冷たいものが流れる。
「そこのお姉さん!」
「はい」
すかさず振り返る。おそらくおばさんと言われていたら微動だにしなかっただろう。
「今しがた、新聞の購読、考えていましたね!?」
「エッ、ああ……そういえば」
そうだ、現世であっても一つの駒に過ぎなかった彼女が大局を憂いても事態は好転しない。
と、眼前に紙片が突き出された。購読を勧めるチラシのようだ。大きな字で文句が謳われている。
「目に見えて ズンと効く! 溌剌とした農工、お子達の教育に まずは文々。新聞を購読せられよ」
そういえば、と藤花は一人思い出していた。河童へ持参しようと野菜を失敬して回った時、「いえてぃ」と名付けて報道していたのがこの新聞だ。霖之助の家で彼女の後頭部を直撃したのも……。
「せやね……お願いしようかしら。えーと」
「あや、申し遅れました!わたくし本日こちらで文々。新聞の広報に出展させて頂いております射命丸 文と申します。ささ、こちらにご記入どうぞ」
お辞儀し名刺を出し藤花を案内し坐らせて申込用紙と万年筆を素早く取り出す。物凄い勢いで案内され、契約内容もよく分からないままに署名してしまった。まあ煙草屋の経営もこのところ順調だし新聞くらい自前で取っておいて損は無い。
「射命丸はん、新聞やねんけど」
「何でしょうか?」
「ここ一年分くらい、縮刷版とかあったりします……?」
「うーん、探してみますよ。よければこっちの最新の号外も持ってって下さいね」
文の差し出した号外には「人里 警防団創設」の文字が躍っている。周囲には「対妖怪戦力となるか」や、「里長私兵との批判も」といった話題を盛り立てるというか、けしかけるような切り口はこの新聞の特色なのだろうか。いずれにせよ、ここの警防団の情報なら何でも欲しい。
「おおきに!そいえばおたく……」
気付いてはいたが、気にしてはいなかった。相対しているこの文という少女の、襦袢姿かと思えばよくよく見ると背に生えたるは一対の翼。小ぶりな帽子かと思いきや、頭頂のそれは頭襟にしか見えない。いかん、目が合った。完全に翼をガン見していると気づかれている。ちょっと背中を見せて動かして見せるんじゃない。ちょっとかわいい…。いや、結構かわいいかもしれない。えーと、えーと。
「速いの?」
自分で何を言っているんだという気になってきた。
「勿論!執筆も配達もちょっぱやです!」
鼻高々というか、文字通り天狗だった。配達も、という事は香霖堂で後頭部に直撃してきたのは彼女が投擲したからだろうか。後々病気になったりしないか心配だ。
「情報はスピードですから!藤花さんといえば確か近頃話題の煙草屋さんですよね、今度人里の若き実業家たちってことで特集を組むので取材させて下さいね!」
「エッ、ああ……ウン」
手元の号外と、文の顔とを見比べる。今後の目的の関係上、あまり目立つことはしたくなかったのだが……。
取りもあえず文の元を離れ、警防団準備室と書かれた天幕を覗き込んでみた。公的な出店とは言えここも祭り気分のようで、おじさん連中が麦茶などを片手に談笑に興じていた。
「あら、藤花さん」
ひょっこりと顔を出したのは小鈴だ。手伝いか何かだろうか。
「藤花さんも警防団に?」
「えーと……まあそんなとこやね。ほら、ウチの商いって火種扱うてるようなもんやし」
「そうでしたか…」
それほどの覚悟を決めてきたわけでは無かったが、何となく加盟の意思を表明してしまった。それに対して、何故だか小鈴の顔は明るくない。それを見て藤花は首を傾げる。
「ウチ、何か悪い事言うてしもうたかな……」
「い、いえいえ!藤花さんじゃないんです。…これを見て下さい」
小鈴に引かれるまま、すれ違う顔見知り達に挨拶しながら奥に掲げられた一枚の板の前に立つと、何となく事情は察せられた。
「思ったより盛況やね」
人里警防団は、里の東西と周辺地域にそれぞれ分団が配置される予定らしい。いざというときの対応時間が短くて済み、かつ知り合いでまとまって加入するせいか里の内部は募集人員を殆ど達成しているようだった。
「お給料が出るとかお酒が出るとかいろんな噂が飛び交ったりして、若い人も結構参加する予定みたいなんです」
小鈴との会話に集中しながらも、かつての職業柄、あちこちに散らばる文字情報の収集と解析を藤花は怠っていなかった。天幕の片隅ではおじさん方がまだ何やら協議中であり、今は各分団で使用する消防車両、消防機材の調達をどうするか話し合っているようだ。そんな彼らの手元の書類に、当面の課題が書き出されており「銃器犯罪への対処、捜査」が連なっているのを見逃さなかった。
「銃火器、か……」
おおよそ出所は例の鉄砲屋だろうが、法律がない以上廃業しろとも言えないのだろう。一方で各家庭に武装させようものなら暴動ひとつでこんな規模の集落は一瞬で灰と化すだろう。戦争するには、里は狭すぎる。
「そうか……」
藤花は何かをひらめいたらしく、それっきり黙り込む。小鈴が不思議そうに振り返った。
「どうしました?」
「ううん、多少里から遠くても文句は言わへんよ、どっか空いてへんかなあ……あっ、ここでええよ」
彼女の指差す先には、「紅魔分団」の文字があり、その下に手書きで十六夜咲夜、紅美鈴の名前が手書きで加えられていた。