闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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第三部 紅魔館へ The red gate keeper①

 里外での勤務を希望する人材が殆ど無かったと見えて、藤花が紅魔館方面を希望した事は幾分かの驚きをもって迎えられた。

 彼女自身、紅魔館への興味が尽きなかったという理由もある。また、一方で森に出入りする理由も欲していたのだ。

電話や郵便の整備されていない事もあって、里に買い出しに来ていた咲夜をとっ捕まえて来訪と美鈴の出迎えの約束を取り付けると、早速準備に取り掛かった。

 美鈴も安全な道を案内してくれるそうだが、用心に越した事はない。久しぶりに短銃を取り出すと、使い慣れた南部弾と一九式を選択し雑嚢の奥へ押し込んだ。店には「臨時休業」の張り紙を出しておき、行動に支障は起こらないはずだ。

 

   *

 

 金曜(少なくとも彼女はそう理解している)の午後、約束通り美鈴が二笑亭の戸を叩いた。包みを背負い、鞄を携えて藤花が出迎える。

「すごい荷物ですね。まるで夜逃げみたい……」

「警防団本部が制服とか書類とかドッサリ寄越してん……まさかこんなになるとは思えへんかったわ…」

「お持ちしましょうか?お嬢様からは一応お客様としてお招きするよう言われてますし……」

 ありがたい申し出だったが、美鈴は既に背負子に酒やら調味料の壜を大量に結わえつけており、片手の買い物鞄も膨れ上がっている。それでも涼しい顔をしているのだから大したものだったが、藤花は苦笑して辞退した。手ぶらで行くのもなんだからと山ほどの野菜(流石にお嬢様に煙草を教えるわけにもいくまい)が入っているし、鞄も火器ごと預けるわけにいくまい。

 二笑亭を離れて二区画も行かないうちに、見覚えのある制服姿の警防員とすれ違った。誰が規定したのか、紅魔分団の幹部と位置づけられた美鈴と藤花へ敬礼していく。

「なんか懐かしいな……」

「すごいですよね、あの人たちが歩くようになってから早速スリや泥棒の被害が減少したそうですよ」

 美鈴が感心した様子で、真面目そうな二人連れの警防員を振り返った。藤花としては警察権の無い警防団しか記憶に無かったので、どことなく違和感もあるが、風景としてはなんだか馴染み深い。

「でもこっちにもピストル強盗とか出るんやってね。さすがに丸腰で相手さすんのも可哀相やけど……」

 藤花は考え込み、本日最初の煙草に火を点けた。紫煙を滑らかに流す秋風が顔に心地良い。美鈴が、お互い仕事が増えちゃいそうですねえと苦笑した。

「紅魔館のあたりって、こういう町があるん?」

「いえ、湖の周りって人間はほとんど住んでいないんですよ。ただ屋敷が求人を出してる事もあって門番志望の人とか、庭仕事でもいいからって人達がテント張って暮らしてる事がありますね……」

 人里の貧民窟程ではないようだが、そういった集団は幻想郷にあっても存在するらしい。

「大丈夫かなァ、ウチら……」

「ま、まあ見た目はちょっとやさぐれてるかもですが、皆さん紅魔館で働きたいと言ってきた人たちばかりですから悪さはしませんよ!」

「成程なー……」

 そんな会話をしている内に、人里の外環までやって来た。先程まで往来で賑わっていた通りも、ここまで来ると人影もまばらだ。香霖堂に足を延ばしてみたが、不在なのか店は開いていなかった。

 森へ目を向ければ確かに、里を離れ森へ通じる道は続いている。しかしヒトが一旦里を離れてしまえば妖怪、幻獣の襲撃を含む様々な脅威に曝され、命の保証は無い。

「まるで収容所やな……」

「どうしました?」

「ううん、何でも……」

 藤花は、やり場のない感情と、眼前の親切な先達へ向ける視線の落差に戸惑いつつ、道を急いだ。

   *

 

「あれ、美鈴はん」

「はい」

「館って森の向こうやないの?」

 香霖堂を訪ねた後、てっきり森へ入るものと思い被甲を引っ張り出そうとしていた藤花が怪訝な声を上げた。前を歩く美鈴は森ではなく人里へ戻るような道を選んで歩いている。

「咲夜さんからの言付けで、警防団に使う車を確認してくるように言われてるんですよ」

「へ、車?」

 たしかに命蓮寺の縁日でも偉い人連中が車両をどうとか言っていたが、まさかここで消防車を量産し始めたとも思えない。

 人里の縁に沿って歩いていると、家々が途切れ、田畑で視界が開けた。路傍に「警防団車両基地」の立て看板が真新しい木材の香りと共に出来ており、矢印の先に柵で囲われた土地が見えている。

「おっ」

 思わず藤花の足が早まる。この地へ来てなかなか耳にしていなかった排気音が轟轟と聞こえてくるのだ。

「あれは……!」

 彼女らの眼前に見えてきたのは、おそらく警防団立ち上げの為にかき集められたであろう車の数々だった。形も大きさも様々、一部は藤花も見たことも無い流線型の物もあったが、一台は古ぼけたフォードM68だった。本当に走る車達らしい。

「ようこんなに集めたもんやね!」

 興奮を抑えきれない様子ではしゃぐ藤花を、まるで子供を見守る親めいた笑顔で美鈴が観察していた。

 彼女らの目の前で試運転中だった一台が、女性にいいところを見せようとしたのか、一際高く空ぶかしを行う。

「あァー文化の音ォー!!」

 背後の美鈴は思わず「大丈夫かな」とこぼしたが、興奮冷めやらぬ藤花の耳には届かない。

 

「御嬢ちゃん方、何用だい」

 騒ぎを聞きつけた作業衣姿の男が一人、油を手拭いで落としながら近づいてくる。我に返った藤花の横で、美鈴がなにやら紙片を取り出していた。

「こっちの分団で使う車が用意できたと聞いてきたんですけど……」

「ああ、紅魔さんとこね。それはあっちだ」

 若い女性二人とあって、ごつごつとした男の当たりもなんだか柔らかい。案内されるまま、居並ぶ車の列を抜けていくと、あちこちの車に「竹林」や「命蓮寺」、「博麗」といった札がかけられている事に気付いた。どういった基準か分からないが、各分団に配備される車はてんでばらばららしい。やがて先頭を歩く男の足が止まった。

「これだな」

 指さす先に、群れから少し離れて鎮座する乗用車が一台。

「おおー」

 自分たちで使えると言われると、流石に藤花の後ろにいた美鈴も物珍しげに前から後ろから、車内を覗き込んだりしている。そのうち彼女は、物入れから手帳を取り出して何事か書き留めはじめた。

「あれ、美鈴はん何してはるん」

「あとで屋敷の図書館で調べるんですよ。本部の人が全然情報を寄越さないもんですから……」

「なるほどなあ」

 よし、と美鈴が満足したところで、二人は車両基地を後にした。聞けば各分団で資金を募って車両を調達しているとの事で、紅魔分団では少なくとも乗用車一台を配備する予定らしい。それで今日の見学と相成ったわけだった。

 鎮座していた車。名をレパードと言った。

   *

 

 湖が見えるまでの道のりは、女性にしては厳しい訓練を積まされた藤花にも辛いものだった。軍の装備程ではないにしても土産を山と背負い込み、おまけに呼吸は被甲で大いに阻害されている。小銃まで持つ必要が無かったのは不幸中の幸いというべきか。

肌にまとわりつく森の湿気が神経を逆なでしっぱなしであったが、視界が白くぼやけ始めた時は流石に足を止めて震える足を落ち着けようとせざるを得ない。美鈴が見かねて、背負子の荷物を揺らしながらひょこひょこと倒木を跨ぎ、駆け寄ってくる。

「だ、大丈夫ですか?」

「びっくりした……霧かぁ、これ」

「湖の方から立ち込めてるんです、もうすぐですよ。多少開けて呼吸も楽になります」

その言葉に勇気づけられたのか、再び足が歩行を開始する。それにしてもこの門番の、さして底も厚くない布靴で不安定な地形もものともせず定めた方角へ歩き続け、しかも大荷物を背負って保護具も付けないこの体力はどこから来るのだろうか。そういえば人かどうかも訪ねた事が無かったが、藤花自身の過去について語る機会が生じる事を恐れて取り止めにした。

「にしても美鈴はんすごいなあ、こんなん付けずに息は大丈夫なん?」

「これは、まあ鍛錬の賜物ですよ。教わったものですが、体調を崩さないちょっとしたコツがあるんです」

「な、成程……」

 木々の影が薄くなり、乳白色の靄が一層濃く視界を塗り込める。それが湖畔の開けた風景である事に気付いたのはかすかに聞こえてくる水音によってだった。この穏やかさで霧が晴れたなら風光明媚な土地に違いない。

「そろそろ日も暮れますし、何かと集まってきますから早いとこ館へ行ってしまいましょう。そろそろそのマスク、外しても大丈夫ですよ」

「お、おおきに……」

 思慮深い同行者の事であるし、一応信用したものの一度体験したあの感覚が体に染みついて、すぐには外せない。何かあったらその腕力で一緒に運んでくれと胸中で念じながら、ナムサンの掛け声も高らかに(丸腰に近い状況でそれをやった事について、彼女は後悔した)外してみる。

「大丈夫、かな……」

「では、行きましょうか」

「せやね」

 呼吸も会話も楽になれば、足取りも自然と軽くなる。湖がどれほどの規模か見当もつかなかったが、感覚にして数十分、見えましたよ、という美鈴の声に顔を上げてみれば、前方にぼんやりと目的地が姿を現していて。

「こわっ」

 すごい失礼な単語だったが、それが率直な感想だった。そもそもあんな森の側、人里離れた山の麓という立地も然ることながら、もっぱらの原因はその威容というか異様であった。

 赤黒い。煉瓦造りと逆行と、霧によって立体感が損なわれた事による相乗効果かもしれないが、おおよそその全貌が掴めない。様式等は不明だが、容積の割に土地が広くないのか密集しているような印象を受けた。また一際高い塔を備えており、あれは時計台だろうか。屋敷に時計。それはそれで謎だが、領民みたいなものがいるのか、疑問は尽きない。

 気づけば美鈴が先に歩きはじめており、彼女とはぐれてしまうともう姿を現した屋敷だというのにあそこに辿り着けないような不安感にかられ、慌ててその背中を追った。

 

   *

 

 足元が石畳に変わっていると気づいたのは、その直後だった。群霧を抜けたおかげか、先程よりもおどろおどろしい印象は無い。距離も縮まり、逆に縮み上がっていた心臓がゆとりを取り戻し、館の様子をつぶさに観察することが出来た。

「……要塞のような」

 言いかけて、その感想が適切かという事について疑問が生じる。藤花が軍事拠点らしいと感じたのは、窓が少なく、また窓が小さく作られていたからだ。しかし一方で堀や石垣のような軍事拠点としての設備が見当たらず、霧によって見落としたかそもそも存在しないかのどちらかだろう。

「とりあえず、お邪魔します……」

 門をくぐると薄暗い中にもよく整備された庭園が彼女を出迎えた。日中改めて散策させてもらおう、と前向きな希望を抱きつつ、美鈴についていくままに大扉の開く音に振り返った。

「咲夜さん」

 どうやらメイド長が出迎えに来てくれているらしい。

「ただいま帰りました!警防団の藤花さんも一緒です」

「件の煙草屋さん、無事着いたのね。お嬢様がお待ちかねです」

「もうお目覚めになってるんですか?」

 少しだけ会話が漏れ聞こえてくるが、今は夕暮れではないだろうか。

「夜型の、おうちかな……?」

「藤花さん、こちらへ」

 立ち入りの許しを得て、玄関へ足を踏み入れた。

 扉の傍らで、咲夜がスカートを翻して一礼する。

「ようこそ、紅魔館へ」

「うお」

 電気ではあるまいと思っていたが、玄関の高い天井も床も、ぼんやりと暖色というか赤っぽい光で照らされている。反響する靴音だけが妙に大きく聞こえた。

だだっ広い空間を抜け、艶やかな意匠の階段をぐるりと昇り、また玄関の光景を眺めながら二階へと通される。

「藤花様が遠路はるばるお越し頂き、お嬢様も是非挨拶をと申しております。お食事を用意させておりますので、警防団の業務は私と美鈴がその後ということに」

「どうも……土産物も持ってきたし、そうしてもらえると助かります」

 ここへ来て藤花は、館の住人について見当違いをしていたのではと感じ始めていた。お嬢様と言うので主の一家がいてその娘と考えていたが、咲夜や美鈴の言葉を聞くにお嬢様自身が館の主なのではないか。とすると一体どんな。

 美鈴は門番に戻ると言ってどこかへ行ってしまった。咲夜に案内されるまま、ひとつの扉の前に立つ。

「お嬢様、藤花様がお見えです」

 中から小さな返事があった。

 


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