闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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第三部 紅魔館へ The red gate keeper②

 咲夜が静かに扉を開くと、空調が効いているのかひんやりとした空気が流れ出てきた。

「どうぞ」

 咲夜の声に促されるまま、大食堂と思しき部屋に足を踏み入れる。屋敷の外観に似つかわしい、長机と規則正しく並ぶ燭台の光景が彼女を出迎えた。

 そして、いた。

 統一感のある調度の中でひとつだけ、主の為だと一目で分かる大きな背もたれを備えた椅子があった。そこに鎮座しているのは、透き通るような肌の腕に頭を預け、驚くほどに真紅の双眸でこちらを見つめている少女だった。ナイトキャップで半ば隠されているが、僅かに癖の見受けられる月光髪の艶といい、年端もいかぬという形容がふさわしい。

「……ほんまに夜型のお嬢様やった」

「ようこそ、紅魔館へ」

 主の少女は、再び歓迎の文句を口にすると、藤花へ食器の用意がされた一席を指し示した。

「ど、どうも……」

 藤花が席の傍らへ歩くと、背後から音も無く咲夜が現れ、椅子を引いてくれた。

「あ、あは、あは。おかまいなく」

 藤花とて伊達にテーブルマナーから何まで仕込まれてはいない。上海英国領事館の夜会に何食わぬ顔で紛れ込んだこともあった。が、これほどまでに劇的な、夜想曲めいた状況下で妖しげな少女と会食する時の対処法など、七十六号の教範には記載されていない。

「うちの門番を迎えに遣らせたけれど、道中は如何だったかしら」

「あぁ、美鈴はんは優秀で、何事も無く」

「自己紹介が遅れたわね、レミリア・スカーレット、この館の主よ」

「ウチは、藤花て言います。……里で煙草屋をやってます」

「食事をお誘いしたのは、貴女そのものよりも、貴女が引っさげてきた案件の事が気になってね」

「警防団の事ですか」

「確かそんな名前だったかしら。人が自ら火消しを買って出てくれるのは、何かと飛び火の多い紅魔館としてはまんざらでもないけれど……」

 そこまで言いかけ、レミリアは真っ赤な液体で満たされた杯を傾けた。藤花の杯には色味の全く異なる液体が注がれてる。こちらはどうという事のない果実酒のようだが、あちらは一体何を飲んでいるのか。今更ながら対峙する少女の背に見える蝙蝠めいた黒い羽が椅子の意匠なぞではなく、背中から直接生えているものらしいと気づいてぞっとしていたところだ。羽が生えているのはもう慣れっこだが、蝙蝠の羽に赤い液体ってもしかして。勝手に想像をたくましくしているとレミリアが会話を再開した。

「妖怪や妖精の間では、人間が喉元に匕首を突き付けてきたと、そういう意見もあるようね」

「まさか、そんな非武装の消防組織に……」

 口では否定してみせたが、先日目を通した文々。新聞でも人里の軍備宣言であるというかのような報道ぶりであった。

「そんな中、貴女は人間が殆ど住んでいないこちらの分団へ志願したそうね。里で妖怪の排除をしながら、異端狩りでも始まるのかしら」

 嗜虐に満ちた口元とは裏腹に全く笑っていない目が藤花を狙っている。

 しばし沈黙。

「ウチが異端諮問官やったら、まずその美貌を罪に問う」

「えっ」

「いや……あの、ここ笑うところ…」

 答え次第ではこの場で血を抜かれて生きる屍にされかねない。面白いかはともかくとして、突然口説くという戦法はこの際正解だったようだ。但し笑いを取ったと言っても鼻で笑われたのだが。

「ふ、分かったわ。この件は咲夜が折衝役になるから、後の事はあちらを通じて下さるかしら」

「分かりました」

「応接室と客室をひとつ、今晩は空けておくわ。お煙草はそちらでお楽しみ頂いて、応接室のテレビ、特別に貴女にも触らせてあげるわ。マイクラ、ご存じ?」

「舞倉……?」

 藤花も辛うじてテレビジョンは知っている。が、突然まいくらという謎の人名を問われて答えに窮する。しかし、異例の厚遇と見せかけて力の差を見せつけてくるのは上海時代の白人連中を思い起こさせた。こっちだって一介のか弱い帝国軍人とはいえ、一時は国の命運を左右する作戦に従事した身である。何とか一つだけでも対抗しておきたい。

「流石、音に聞こえた天下の紅魔館……ウチの”ゆびタッチ”とは、やはりサイズが違う……」

「ゆ、ゆびタッチ……?」

 藤花の涙ぐましい抵抗は、レミリアの怪訝な表情である程度は達せられた。少なくとも、マイクラより遥か前の技術ではあるのだが。

 一しきり目に見えない敵意と好奇の遣り取りを終え、レミリアは空のグラスを残して立ち上がった。

「咲夜の腕は一級よ、料理をお楽しみに。では、ごきげんよう」

 そう言って彼女は藤花の背後を横切り、部屋を去って行った。入れ違いに咲夜がやって来て、青々とした菜葉に彩られた皿を藤花の眼前に置くと、前菜で御座いますと告げる。

「まさかのフルコース!?」

 

   *

 

藤花が久しく触れていなかった西洋料理に四苦八苦していた頃、暗い廊下の片隅で主たるレミリアと従者、咲夜の姿があった。

「よろしかったのですか、あのような人間と」

「いいのよ、まずこちらの品位を見せつけておかないと、後々面倒でしょ」

「いえ、私の方で適当に追い返す事は出来ました。今後は御手を煩わせぬように致します。それに……」

「何かしら」

「あの人間、武器を帯びております」

「武器ぃ?持参品に杭でも打ち込んでたの?」

「いえ、短銃です。河童が最近量産を始めたそうですが、それとの関係は分かりません」

「なんとか団は屋敷へ立ち入る権限はあったかしら」

「警防団です、お嬢様。……現時点では警察権は人里内とその他の人間集落に留まっております。妖怪への権力行使は今後も無いでしょう」

「山の騒々しさに比べれば、警防団が何してるかは新聞程度の情報でいいわ。あの人間も……里に帰さないと問題になるだろうから今日のとこはそっとしておくけど、怪しい動きがあれば手段を問わず調べ上げなさい」

「仰せの通りに」

 

   *

 

 あの後、咲夜にレミリアや彼女の飲んでいたものについて何を訊ねても「お嬢様は大変小食でいらっしゃいますので」としか答えてくれず、戦々恐々と食事をしなければならなかった。里では滅多に御目にかかれない肉も出た時など思わず変な汗が出たが、ただの牛肉だった。締めに甘味を出された頃には、謎の疲労感に苛まれていた。

 座りっぱなしの藤花が妙に疲れているので、咲夜が怪訝な顔で覗き込んでくる。

「お口に合いましたでしょうか?」

「あ、いや…見事な南仏風でした……おおきに」

「上階に応接室がございますので、警防団の件はそちらで御話しましょう。お嬢様の事は御気になさらないで下さい。このところ、山に次いで里がきな臭くなり、どこも緊張状態ですから」

 ちょっと気になる話題が出た。しかし藤花は目を瞬かせ、遠慮がちに応接室に灰皿はあるか、とだけ訊ねた。

 

   *

 

 紅魔館、応接室。

 先程とは打って変わり、来客をもてなす機会が多い、照度の高い部屋で調度の様式も少し異なって揃えられているようだった。

藤花は部屋の片隅、数少ない窓から黒々とした森が数多の妖魔たちを抱いて横たわっている様を紫煙を燻らせながら眺めている。珍しいマニラ煙草の香り。ここでは喫煙者が少なく、咲夜の掃除の手間を省くために灰皿は殆ど設置していないのだそうだ。

お嬢様とだけ聞いて手土産から煙草を省いたのは正解だった、と藤花は硬い灰を落としながらため息をついた。それにしても上質な葉巻を供せられるのだから紅魔館の力は恐ろしいものがある。

「えー…それでは咲夜はんもいらっしゃったところで、人里警防団の紅魔分団創設に関して…その……お手元の資料をご覧ください……」

 貰いものの葉巻片手とは言え、幻想郷新参の自分が紅魔館の、しかもなんか強そうな面々を前に説明を垂れるのは初めてであり、ぞっとしない体験である。思えば一団員として加盟したはずの藤花だったのに、いつのまにかジジイ連中によって里と館の連絡係に仕立て上げられてしまった。連中に煙草を納める時は料金上げてやろう。

 失礼を承知でタイを少し緩め、参加者を見回した。

 


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