昼下がり。仕事がひと段落したところで、藤花は「外出中」の札を店先へ出して根城を後にした。
秋も真っ盛りになると行き交う人々の装いもより艶やかに、厚みを増して山々に深く降り積もる紅葉を想起させる。人妖の他に動物も娯楽には事欠かないと見えて、カラスが一羽、町中にも秋の恵みは転がっているとばかりに低空飛行で品定めをしていった。
「さーて」
鈴奈庵を覗いてみたが、小鈴嬢曰く今日はまだ河童の身内を見かけていないらしい。となるとチラシの上で「お値段異常!」と叫んでいる顔だけ描かれた情報を手掛かりに探さないといけないわけだ。ある意味警防団の業務の鍛錬になって良いだろう。ついでに聞き込みのコネを作っておくのも悪くは無い。
問題は、代金の一部を背負った籠の胡瓜で支払うつもりである事だった。痛む前に見つけなければ大損である。
*
里の外環沿い、「ニトマート」と色とりどりの看板が掲げられた白い箱めいた建物の前に、藤花は佇んでいた。えらくモダンな造りだが、周囲の景観との不一致は紅魔館以上だ。むしろあっちの方がまだ荘厳さを纏っている。
チラシにも「河城にとり」という責任者名が載っていたので、屋号もおそらくそいつにまつわっているのだろう。意を決して入ってみる。
「いらしゃいませー」
間の抜けた店員の声がこだました。店内は万屋というか豆デパートメントといった様子で、様々な道具や加工食品のように見える固まりが数種類ずつ置かれている。見るからに便利そうな店舗だが、他に客が見当たらないのは立地のせいなのか、それとも人間お断りだからなのか。
「あのー……河城はん?」
「あぁ、店長なら今日別件で不在ッスけどォ」
可愛い声だが糞生意気だ。皿も甲羅も無いのに人間サマを馬鹿にしてるな!?と詰め寄ろうとしたが伝説通りなら腕力はこちらを上回るはずだ。
「そ、そうなんやー……この自販機契約のチラシ見て来たんやけど、売上十五パーセント持ってかれるってこれマはぐうううぅッ!!?」
突如、背後から突き上げられるような、否、彼女は実際突き上げられた。大の大人ならまず警戒していないであろう手段で、藤花の体が床から十センチは持ち上げられただろうか。
人間、突然の大怪我には痛覚ですら反応を忘れる事がある。その一瞬で、子供じみた「かんちょう」を食らったのだと理解した。
「うちらの取り分がなんだって……?」
藤花の背後、片膝をついて合わせた手から一撃を放った下手人が緑の作業帽の下から彼女を睨み上げる。
「ンな事よりもォ!カネの!話が!!先だろうが!!!」
「んひィ!?」
突然大声を出されたものだから、藤花の体が反射で跳ねた。瞬間、異物に反応して下半身から激痛とも衝撃ともつかぬ感覚が駆け上ってくる。
「こっちだってなァ、慈善でやってんじゃないンだよ!」
「店長ォ、裏連れて行きます?」
「あひゅ……う、ん…な、中で動かさないで……」
客がいない理由が分かった。こんなところ、まともかどうか関係なく人間はまず来ない。幻想郷ソドミー同好会でもあれば別だが、あったところで尻子玉を抜かれて大変なことになる奴が続出するのが関の山だろう。
「きゅー……きゅうり…そっち入ってます……ぅ」
「あん?……あ、店長。こいつ前金ちゃんと持ってきてますね」
「うお、やっべ」
突如藤花を突き上げていた異物感が消え、途端に開放的な気分が取って代わった。そしてガニマタで爪先立ちというあられもない姿を晒していた彼女は均衡を失って思わず倒れ込む。
「ぐぅ……ッ」
白目をむいて倒れている藤花を、にとりが不安げな顔で覗き込んだ。
「ご、ごめんね?こないだ、うちの後輩が強盗に入られたから……」
可愛い声出しても無駄だ、と言いたいところだが声が出ない。
「ぁ……ぁの、すみません。起こして下さい……」
にとりに助け起こされ、持って寄越した椅子へと座らされた。まだ、後ろの方が焼けるように痛い。藤花の座る眼前には勘定台が横たわっており、その奥でおそらくはこの企業の主、河城にとりが頭を下げている。
「お、お詫びってことで初月は割引きにするから、ね?」
「ぁい……はい、分かったから説明おねがいします……ぅ」
では、と言ってにとりの顔が元気良く跳ねて準備の整った契約書類が台上に広げられた。完全に営業スマイルだ、人のタマを何とも思っちゃいねえ。
もしかして里に顔を出している妖怪皆してこうだったらと、妖怪の人命観に戦々恐々としながら、にとりの定型文らしき説明は聞き漏らすまいと耳を傾けていた。
幸いにして自動販売機の機構や形態は藤花の知る、もしくは想像していたものとさほどかけ離れておらず、河童の手による防犯装置も効果は上々で既にご利用頂いているお客様からのお墨付きでもあるという。
自販機の型式や、一部河童製品も取り扱うようにする事で契約金額が変わるらしい。思いの外商売熱心で驚いた。技術屋だという噂ばかり訊いていたので、その辺りは疎いかと心配していたところである。
では、と北区に一台、開店前には仕事に出かける農夫が買えるよう別居住区に一台、高黍屋の品書きでも特に売れ行きの良い刻み煙草を中心として置くという事で契約した。
「河童製品は何を入れるの?」
「ウチもよく知らんねんけど……何があるん?」
「今のところ、命取り留め機と、陣笠っ娘かち割り機、バールのようなもの(絹ごし用)があるよ」
「……もう一回」
「命取り留め機と、陣笠っ娘かち割り機、バールのようなもの(絹ごし用)」
藤花は静かに頭を抱えた。このスカート職工河童は何を口走っているんだ。筋肉隆々の脳まで鍛えてそうな奴の単純な思考をしてゴリラ語などと揶揄する事があるが、河童語というものがあるのだろうか。今度小鈴に聞いてみよう。
また陣笠っ娘とは何なのか。里の周辺で傘のお化けが人を驚かすというのは耳に挟んだ事があるが、陣笠は「御用だぞ、御用なんだぞ」とか言いながら小娘が十手を突き付けてきたりするのか。ちょっと可愛いぞ。
しかし唐傘や洋傘は避けて陣笠だけかち割られるというのも可哀相だ。里で問題になったりしないのだろうか。バールのようなものについてはもう何も言うまい。
「……分らへん。河童の技術が理解できへん……じ、じゃあこの命取り留め機って…これはまだ用途が分かるけど、いくらなん?」
「同じ重さのウルトラ・ストロングバキューム・メルテッド・ニッケル・クロムモリブデン・バナジウムと交換だよ」
「グーテンベルグかいな……」
*
とりあえず自販機には煙草の他に「にとりのイースターエッグ」という無難すぎる品名の物があったのでそれを入れる事にした。おかげで徴収費用も若干下がった。
ただこのイースターエッグ、藤花の知るそれと異なり色や装飾は河童独自のもので、それぞれ意匠にかたどられた動物を懲らしめる機能があるという。なぜ動物を方々で懲らしめなければならないかはまた謎だったが、天敵の猿を駆逐する為に開発した技術が基だという。そう言われると確かな技術力は培っているらしい。
一通り契約を終わらせてふくれ面のにとりを残し、その日はニトマートを後にした。
*
店への道を急いでいると、久方ぶりに見る顔があった。
「あれ。あんた、いつだったかの煙草屋」
「霊夢はん、こっちで会うんは珍しいね」
仕事着(?)の藤花に対する霊夢は、片手に菓子屋の袋など携えていかにも休みを満喫しているといった風だが、連れなどがいないところを見ると彼女も同じく帰り道であろうか。
「ウチもさっき今日の用事が終わったとこやねんけど、よかったらお食事でもどない?」
にこやかに飲食店の並びを指さす藤花に、霊夢はというとため息ひとつ。
「あんたも、見知った人ばっかりじゃなくて色んなとこに顔売っておかないと今後の商売に差支えるわよ」
「せやから、チラシ刷って配ったり警防団の会議に灰皿差し入れたりして頑張ってるねん。……晩御飯、あかんかな?」
「あかんかなって、警防団の会合はいいの?あ、そっちのトップは咲夜だっけ」
一応紅魔分団の連絡係として定期的に本部に顔を出していたが、会議とは何事だろう。余計な仕事は増えなければいいが。
「何か”演習”とかやるらしいわね。面倒ったら……」
ぼやきながら、年恰好に似合わず首筋に手をやってボキボキ鳴らしながら霊夢は去って行ってしまった。
「演習って……こないだ火消しの練習は余所でやっとったし……捕り物の、練習かな……?」