その日、幻想郷を俯瞰する事が出来たら、人里の特異な盛況ぶりを目にすることが出来ただろう。実際、人妖問わず里の一角に形成された黒山の人だかりは朝から清く正しい新聞記者、射命丸文によって朝から監視されており、ついにはどこから持ってきたのか収録機材を携えた応援まで呼び寄せて取材と記録を開始し騒ぎをより一層盛り上げていた。
人の視点で見ても騒ぎの要因はそれとなく知る事が出来ただろう。中心となっている小ぢんまりとした商店を中心に、異変解決の英雄や竹林の案内人、紅魔館の使用人といった錚々たる面子が顔をそろえていたからだ。
更にその中には、煙草屋店主、藤花の姿もあった。
「皆さんおはようございます!清く正しえい幻想郷の良心、射命丸文が人里北区の質屋、新晃堂の前から緊急報道致します!サテ昨今人妖を騒がせている組織、警防団が遂にその全容を白日の下に表す事となりました!こちらで重大犯罪取り締まりの大演習を実施するに当たり、人間のみならず多くの妖怪も詰めかけ、辺りは祭りのような騒ぎとなっております」
事実、警防団関係者は人里内を担当する二個分団の構成員の他は周辺の分団から派遣された数名がいる程度で、あとは野次馬であった。
縁日でもないのに道路のあちこちには屋台が出ており、一種いい匂いが立ち込めて文字通りのお祭り騒ぎをかきたてていた。
「今回の演習は、警防団創設後初となる人里内の犯罪の取り締まりに特化したもので、日頃の任務を民衆に知らしめ、技量を高める事が目的と発表されています。……しかし!」
文がマイクを握る手により一層の力を込める。妖怪内のラジオか何かメディアを通じているようだ。
「あの、是非曲直庁が演習に協力すると共に、近年激務化が進行していると言われる閻魔の負担軽減の為、人間の犯罪防止を呼び掛ける事になっております!多分これ来るのあの人だよね……」
最後の不安げな一文は、マイクを伏せて傍らの天狗に囁いたものであった。
*
警防団本部。
「防犯演習本部」との看板も追加された本部では、行く末を見守る幹部達の席がズラリと並べられ、壁には顔写真付きで今回の演習で誰が何を演じているのかを一覧できる地図入りの図表が掲げられていた。
人里外での警察権行使を想定しない為、基本的に実働部隊となるのは本部と命蓮寺分団の警防員達だが、何事も経験と言う事で周辺の分団からも警事課員を数名ずつ派遣している。
「是非曲直庁の応援、来ました!」
「来たか……」
駆け込んできた警防員が声を張り上げ、待機している面子が色めき立つ中、新入りの藤花は今一つその意味をつかみかねていた。
「なあなあ、霊夢はん」
「あん?何」
「その是非……てのは、どちらさんなん?」
「閻魔様が来るのよ。すっっごい面倒くさいから、大人しくしてた方がいいわよ」
袖を引っ張る藤花の疑問に、霊夢は首をすくめて答えた。
やがて戸口に、迎えに出て行った警防員と、話題の閻魔様が現れ、幹部連中が揃って立ち上がった。先頭に、甲種制服を着こなした団長が出迎える。
「おぉ、これは、四季映姫様、お忙しいところわざわざお越し頂いて……」
「いいえ、咎人が存命中に行いを悔やみ、更生する事に何の面倒がありますか。人の中にこのような動きが出てきた事に、私は感動しています」
「では皆さん、既にご存知の方もおられると思いますが、この度の演習にご協力頂ける四季映姫様と、三途の渡し船頭、小野塚小町様です」
団長の言葉に合わせて頭を下げた二人が、件の「応援」らしい事は藤花にも理解できた。お辞儀の順番からして、さっき戸口で団長とやりとりがあったのが映姫様とやらで、もう一方の室内にもかかわらず巨大な罐を携えているのが船頭の小町様のようだ。
「これから一旦昼食を摂り、午後から各員に行動を開始してもらいます」
それから、副団長による簡単な演習内容のおさらいである。
この演習には、筋書きが無く犯人役も警防団役も市民役(予期せぬ怪我が無いよう、市民も警防員が演じる)も臨機応変に行動し、結果として生きた訓練になるというものであった。市民役、警防員役が本部を出発後、犯人役が密かに出発して犯行に及び、その対応を見る予定となっている。
「しかし……」
団長が微妙な笑みを浮かべて、傍らの映姫を振り返った。
「閻魔様自ら犯人役とは、いったい……」
「こちらでは、過去数多の罪人を裁いてきた際の記録、統計があります。これを最大限に活かし、里の安寧を脅かす犯人像を作り上げました。町の青年で取り押さえられる程度の犯人では、生きた訓練になりません。警防団の言葉を素晴らしいと思ったからこそ、こちらも全力で悪人役を演じます。ですから、私と思って遠慮せず持てる力を出し切ってくださいね」
「は、はぁ…」
今の映姫のコメントが締めくくりのような扱いとなり、さりげない拍手の後に、一同は用意された弁当に群がった。
「藤花、ちょっと煙草でも吸いに行かない?」
「え」
霊夢に促され、藤花と美鈴は派遣要員向けの席を離れて本部建屋の中庭へと向かった。
中庭の片隅で石に腰かけ、弁当を開く藤花が疑問を口にした。
「霊夢はん、煙草吸ってたっけ」
「吸うわけないじゃない、あんなお金かかるもの……説教避けよ」
「説教?さっき面倒って言うてたけど、やっぱり閻魔様だけあって厳しい人なん?あのえーき様って」
次の問いに、福神漬けご飯をかきこんでいた霊夢がまた首肯する。
「馬鹿が付くほど真面目よ。なあなあで捕まえてめでたしって訓練じゃ済まない事は確かね」
「……美鈴はん、これ食べたらさっさと里内巡察に出かけよか」
「そ、そうですね」
「あっ、警防員の方々が出発します!いよいよ演習開始のようですね!なお新たに入った情報によりますと、四季映姫様は何と犯人役で参加されるという事です。あらゆる罪人の心理を知り尽くした彼女に、警防団がどのように対処するのか?我々報道陣はその行方を注意深く見守ると共に、最新情報を逐一皆様へお届け致します!清く正しい記者、射命丸文が警防団本部前よりお送りしております!」
*
高黍屋の前に停められた濃紺のレパード。その車内に紅美鈴と藤花の姿があった。
「こちら紅魔三号、現在里内以上なし、どーぞ」
「本部了解、紅魔三号、引き続き警戒して下さい」
「了解」
本部には現在、副団長、各分団長、無線隊と待機部隊がいるはずだ。数分前に犯人役が本部を出発したという連絡があったので、任意の時間に「新晃堂」という質屋を襲撃する予定だろう。筋書きのない訓練という割に襲撃先が指定されているのもあれだが、万が一住民が怪我をしたりしないよう、客も全て警防員が演じている質屋が指定されたのだ。
「藤花さぁん、世間じゃお休みの日ですよ。こんな日に仕事するもんじゃないですね……ふぁーあ……」
「なーに、あと一、二時間の辛抱やって。犯人が店襲うたら、包囲して検挙やろ」
乗車してから三本目の煙草に点火しつつ、藤花は時計を確認した。夕食時までに帰れれば良いが。
*
「四季様、あたしたち車使って良かったんですかね」
「逃走する時に盗難車を使うのは犯罪の常套手段です。今は犯人役に徹しなさい」
「はぁい……」
里の通りをゴロゴロと進むオオタ・フェートンの車内に、四季映姫と小野塚小町ふたりの姿があった。
小町は、里へ到着した時からそのままの恰好であったが(流石に鎌は本部に預けてある)、一方の映姫は犯人役になりきっており、丸い黒眼鏡に深緑色の外套を羽織り、手には革の指ぬき手袋をはめて明らかに怪しい出で立ちである。しかも、おそらくそうやって犯行前に気を落ち着かせた犯罪者がかつていたのであろう、胡桃を二つ手の中でカリカリ回しはじめた時は流石の小町も吹き出しそうになるのを二の腕をつねって我慢しなくてはならなかった。
「し、四季様……着きました」
「あぁ……」
明らかに点火できていない燻った煙草を一本、窓外へ投げ捨てると、自らも車を出て周囲をわざとらしく睨み付け、目標である新晃堂へと向き直る。ところどころ慣れない仕草が目につくとは言え、これが知る人ぞ知るあの裁判官であると誰が想像できるだろうか。
そして新晃堂の戸をゆっくりと押し開ける。警防団側は誰が客で誰が犯人かを知らされているが、店側は演習の事しか知らされておらず、誰が犯人か知る由も無い。
素朴な木造の店内は持ち込まれた大小さまざまな道具で満たされており、売り買いに訪れた客(という設定)が数名、店員と雑談に興じたり品定めをしていた。
「お待たせ致しました。お持込みでしょうか?」
やがて、室内でも黒眼鏡をかけたままの映姫の下へ店員が一人駆け寄ってきた。
勘定台の上に荒々しく鞄が置かれる。
「……?」
鞄の中から、小さなメモ帳が取り出された。一枚目をめくると、新聞を切り貼りした文章が現れる。
『銃を持ってる 大人シく 金を詰めロ』
「…………っ」
思いがけず演習の先陣を切らされた店員だったが、その行動はあくまで落ち着いていた。少々お待ちください、と静かに告げると、勘定台の方へ宣言する。
「買取査定、十五番お願いします」
その言葉に、奥にいた店長が顔を上げた。実はこの店の札は十番までしかなく、十五番という札は存在しない。これは演習の舞台に選ばれ、にわかに高まった防犯意識から生み出された符牒であった。意味するところは強盗の来訪の報告と、犯人を刺激せずに通報するよう求めるものだ。
店長の通報により、警防団本部の熱も高まった。
質屋・新晃堂にて強盗事件発生。
「こちら警防団本部前です!ただいま人里内に緊急配備が敷かれ、次々と待機していた警防員が出動しております!我々報道陣も現場へ急行したいと思います!」
*
最初に気が付いたのは、店外に待機していた小町だった。
通報によって続々集まってくる覆面車は、モータリゼーションの十分でない幻想郷においては嫌でも目立つ。バックミラーに次々と姿を現した自動車に、思わず車を急発進させた。
「あれです!あの車だ!」
裏口から表へ出てきた店主が、興奮を抑えきれない様子で走り去ったオオタ号を指さす。数台の覆面車はそのまま店の前を通り過ぎて、小町の車へと肉薄した。
*
一方、強盗の来訪を報告した店員は、次の行動を決めかねていた。知らせた後、どうやって犯人を刺激せずにやり過ごせばいい?その躊躇を感じ取ったのか、眼前の犯人(映姫)がメモをめくった。
『早く金を用意してこの鞄に詰めろ』
「…………」
『早くしろ!殺すぞ!!』
無言でメモを突き付ける映姫に、店員が肩を震わせたとき、店に新たな客が現れた。
「こんちわー」
「!」
ここへ来るまでにふかしていたらしい煙草の残りの煙を店外に吐きつつ、入ってきたのは藤原妹紅であった。彼女も竹林分団の応援の一人であり、通報時の駆けつけ要員として待機していたのだ。
「えっと、さっきここで……」
妹紅が何か言いかけながら物入れから何かを取り出そうとする仕草をした瞬間、沈黙を守っていた映姫が振り向きざまに外套の下から小銃を取り出し、哀れな標的の頭を吹き飛ばした。
「ばーん!」
*
小町の逃走は、複数台に包囲されあえなく潰えていた。動きを止めた車からよろよろと降り立った小町は駆け付けた警防員に取り押さえられ、手錠をかけられる。瞬間、周囲からシャッター音と拍手、そして歓声。
「おおーっ」
「お見事!」
「いやぁ参ったねえ」
警防員と小町が、かけられた手錠を報道陣にもよく見えるように掲げてみせると、拍手がより一層大きくなった。いかにも和気あいあいと訓練が無事終了したといった光景である。
「文々。新聞です!通報から三分で犯人の一人を検挙しましたが、出来栄えについて何か一言!」
「うん、住民の皆さんも良く御協力して下さり、申し分ない出来かと思いますね」
「いや、まだまだ短縮できるはずだ」
形式通りといったインタビューを交わす警防員と文の背後から、自信満々な表情の副団長がずいと歩み出た。怪訝な顔の部下を尻目に、意欲に燃える警防団としての姿勢をアピールしようというつもりなのだろう。
「今日は交通規制を敷いて、自動車も馬車も量が少ない。という環境にあって三分というのは、少しかかりすぎなような気もするね」
「はあ、そうですか」
演習をさっさと成功裏に終わらせ、住民からの信頼を勝ち取って終ろうという公式コメント達は、文のジャーナリスト精神を満足させる事は出来なかったようだ。対照的な表情の警防員達と文の下へ、別の団員が駆け寄ってきてただならぬ様子で報告した。
「た、大変です。四季えい……犯人が藤原団員を”射殺”しました」
「藤原って、竹林の妹紅さんか!?」
「現在、新晃堂は入口に障害物を置いて徹底抗戦の構えを見せています」
「急げ!店に戻るぞ!」
青ざめた顔で踵を返す団員達と対照的に、今度は文が俄然元気を見せた。
*
「……えー、大変な事になってきました!犯人である四季映姫様は駆け付けた警防員、藤原妹紅を射殺し籠城するという手段に出ました!これにより、二時間もあれば無事終了するだろうという警防団側の甘い見通しを、見事に裏切る形となりました。今後我々は警防団側のみならず、できれば犯人側にもインタビューを試み、更にこの演習について深く!鋭く報道して参ります!以上、大盛況の人里北区、質屋新晃堂まえから清く正しいジャーナリスト、射命丸文がお送りしました!」