闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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紅の自警団①

 花弁を固く閉ざしているが、彩りこそ冬のそれと大いに異にする山の木々。遠まわしに「行進」を意味する月に入っているが、実際近づいて目にすると咲き誇るとはまだほど遠いのだと実感させられる。ともすれば時に僅かな粉雪を纏って朝日に輝く風が通り抜けていく様は「風光る……」と名句の一つでもものにできようが、あれもまた春の言葉である。しかも粉雪の事ではない。

「文ちゃんも山の偉い人と関わりあるんやろ、ウチと頻繁に会うとったら、立場悪なるんちゃう?」

「いーえー!」

 文は鼻を鳴らして、まるで高級な洋酒でも嗜むように目を瞑って尊大な雰囲気で否定した。

「ジャーナリストとして軸足を大きな組織に置いてしまうと、自由な報道なんて出来ないですからね。組織に属するって事は、半分以上自分の意識で考えられなくなるのも同義ですから!」

 文としては自社発行にこだわる理由を述べたつもりであったが、藤花には別の意味で聞こえたらしい。急に言葉少なになり、「まあ、胸に止めとくわ」とだけ小さく答えた。

 里の外環に近づき、遠目に田畑が整然と広がっているのが見え始めたあたりで、二人はともすれば見落としそうな細い脇道へと逸れた。かつて農具小屋でもあったのだろう、朽ちた小屋の陰で再び紫煙を燻らせながら密談が始まった。

太陽は既に高く昇り、長く凍り付いていた土を徐々に柔らかに薫る情景へと作り変えている。そんな場面の中にあっても、藤花は新たな紙巻きを懐から取り出していた。

「やっぱり、緑は満洲と日本じゃ全然違うね」

「そうなんですか?」

「北満も国境に近くなると、白い幹の木が増えてなぁ……あれはあれで広くて圧倒されたけど。ここ、よう使ってるん?」

 藤花は背後の崩れかけた板葺屋根を見やる。人が使わなくなってそれなりに経つのだろう。幻想郷にもこういう場所はいくつかあるに違いない。

「日中、人目を憚る取材には持って来いですからねェ。その石だって、歴代取材対象の腰かけた由緒ある石ですよ」

 藤花の尻の下を指差し、然したるありがたさを感じない逸話を聞かされた。彼女は小さく首を傾げて、話の続きしよか、と促す。

「過去三年の天狗の序列は?」

「確かに、里に公開されるものではないですから興味を引くのは当然、ですかね。一応持ってきていますが、名前の羅列で見ただけで理解できるかどうか」

 そう言って文が提示してみせた名簿は、確かに天狗の内部文書のようだった。ジャーナリストさまさまと言ったところだが、陸軍省軍務課の参謀でもなければ指揮官の名前を聞いただけで評価や戦力を推し図ることは出来まい。政争の有無や規模、天狗の中でも上位に君臨する烏天狗それぞれの思惑を知るには、更なる深入りが避けられなかった。

「ま、ええか。はい、自警団の武装計画と陣地構築計画」

 藤花は藤花で、しっかりと計画の進展を確認していた。狙撃教習隊の一角を占め、幾人かの部下も出来た。彼女の入手した文書には自警団になった軍歴のある団員、新設された検問や防御陣地構築の指標、また逆に廃止された組織や部署の情報が記されていた。

「ほぅ……」

 しばし文は無言で書類を目で追っていたが、やがて満面の笑みへと変わる。にこやかに天狗印の煙草まで差し出す気前の良さであった。

「いや、これは十分にネタになりますよ!もう、幹部じゃないとか言ってちゃんと仕事してるじゃないですか」

「褒めたって追加はあらへんで、もう……あんまり派手に書きたてて、人はともかく妖怪は怪しめへんの?」

藤花の疑問に、再度書類を流し読みしていた文は肩から大事そうにかかっている鞄に書類を詰め込むと空いた手をひらひらと振って苦笑した。

「まさかぁ、仮に記事になった事態が激化したとしても、それを決めるのは偉い妖怪(ひと)たちですから」

 文々。新聞は妖怪側支持の立場から、人の里武力拡大は幻想郷の均衡への挑戦として糾弾してきた。一方、いつか拾った別の妖怪(おそらく別の天狗)の手による新聞では、山の政情不安定という風説は一部現場天狗クラスの政争に過ぎず、誰かが失脚すれば沈静化するだろうという見方であった。いずれの新聞においてもコメントを誰かしら地位ある天狗ないしは妖怪に求めて掲載していたので、発行元に限らず山の意見はまだ定まっていないという判断は間違いではないだろう。

「里じゃあ、やっぱり心配ですか」

「うーん、心配っていうか。実態を掴めてないやろね。為政者がおらへんから戦争の準備段階で必ずあるやろうナシを通すって事が出来へんし、聾桟敷も同然やね。せめてウチの言うような天狗軍がどっち向くかが分かれば、自警団も腹を決めるやろうか」

 そう言って藤花は、すっかり長い灰になってしまった紙巻きを揉み消した。無論、自警団の意思がどうであろうと藤花は思索を巡らせ天狗による里への介入を招くつもりでいる。しかし、これまでの会話を総合すればそこへ至る道のりは遠いだろう。

ふと時計を見ればかなり時間が経っている。そろそろ戻って店を開けねばなるまい。

「しっかし、文ちゃんそんなにウチと話しちゃってほんまに大丈夫なん?話だけ聞いて頭から食べられたりしてな……ははは、ひと気の無いとこで気前のええ話をされると、不安になるタイプやねんウチ」

 直後、翼を器用に畳んで壁にもたれていた文が、一本足の一本下駄で器用にターンを決め、一瞬で藤花の眼前に彼女の赤っぽい双眸が接近する。

「なんなら、本当に噛みついてもいいんですよ?」

「……やめとき、映画やったらこの向き合い方は接吻する流れやで」

    *

 

 文との遣り取りはその後も続いたが、短期間で大量の書類や情報を動かす事が無用のリスクをはらんでいる事は彼女も心得ていた。話し合いの末に日中の会合を避け、薄暗くなる夕刻以後に里のカフェなどでひっそりと会う事で落ち着き、今に至る。

そんなわけで藤花も定期的な訓練に顔を出すと高黍屋へ戻り、また店を守る日々が戻ってきた。後は自警団がそれなりに仕事してくれればであったが、法律どころか戸籍も怪しい幻想郷にあって、例え里限定であっても決闘以外に"ルール"を定める事に対して内外の反発は根強く、通報を受けても容疑者がまた犯行に及んだ時に現行犯で捕縛する以外に道は無かった。贈収賄や談合に至ってはダメという認識すら普及していない為、自警団の取り締まりはもっぱら暴力を伴うような刑事事件に対して行われている。藤花としては将来的に里と言う機構を破壊する手段を選んだ際にあまり組織だった抵抗をされても困るという意味で、それは静観していた。

「藤花さん、ちょっといいですか」

「あらら、小鈴ちゃんどないしたん」

「自警団から電話なんですけど……」

 またか、と胸中で舌打ちする思いであった。鈴奈庵近くの河童公衆電話を以前緊急連絡先として便宜的に言ったことがあった。しかしその後、何かあるにつけそこへかけてくるので藤花も辟易していたのだ。そもそも現在の自分は嘱託めいた臨時の傭員であるはずで、それ以外の業務は引き受けた覚えがないばかりか給金も貰っていない。毎回走って教えに来てくれる小鈴にも申し訳ないというものだ。

「ちょっと待ってなー……」

 高黍屋に「店主不在」の札を出し、靴を履きかえて風の吹く表へ出ると小鈴がもう足踏みをして待っていた。

「よーい…どんっ!」

 小鈴の掛け声で並行して往来を突っ切る。取りもあえず上着を羽織らずに来たので脇腹辺りからどんどん冷えてくる。今度ちゃんとした外套を買わねばなるまい。最後の角を曲がり、小鈴が「じゃ、宜しくお願いします!」といって店へ戻るのを見届けてから、受話器を外しておいてある電話へ取り付く。番をしていたらしい子供がきゃっきゃと騒いで離れていくと、ようやく藤花は受話器を耳に押し付けた。

「……はい」

「ああ良かった。お疲れ様です」

 何が良いものか。ちっとも良くない。彼女は不平をこらえて用件を尋ねた。

「一応もう一回言うときますけど、ウチはもう捜査からは退いてるんですよ。もう教練以外は関係ないと……」

「それが無いとも言いきれないんですよ」

 何故か憮然とした口調になる相手に、藤花は受話器を離してため息をついた。物入れから煙草を取り出し、点火しながらこちらもとばかりにお返しする。

「そういうてこないだネコ探し手伝わせたでしょ。いくらウチが……」

「例の乱射魔ですよ」

「お稲荷さんが何て?」

「そっちじゃなくて、おたくでクビにした狙撃隊の希望者いたでしょ、彼が自前で銃を手に入れて方々で使用しているらしいんですよ」

 そう言われて、煙を吐き出しつつ額に指を当ててしばし考え込む。何人かの脱落者はあった。それぞれの都合で抜けた者もいたし、自警団の職務に当たるには不適とみなされた人間もいた。だとすると後者のどれかだが……。

「せやけど、ウチが言い渡したわけやないでしょ。何でまた幹部連中やなくてウチに電話して来るんかな」

「いや、それが、調べたら自警団を志望する以前、紅魔館の門番にしてくれといって乗り込んで行って事があるらしいんですよ。貴女警防団の時あそこに出入りしていたもんで、何か知ってるかと」

「いやあ、ウチがいた頃にはもうおらんかったなぁ……」

「月末には要注意人物名簿の更新があります。定期訓練の報告の後、ちょっとお話させてください」

「ちょ、ウチはやるなんて……切りよった」

 細長い灰と化した煙草を忌々しげに踏み消すと、小鈴へ礼を言ってその日は店へと戻った。

 


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