入浴で元気を取り戻した藤花は、手ぬぐいを手に底冷えする脱衣所を早々に抜け出し、桜色の戻った躰を服で覆い隠した。
襦袢を羽織り、カフェへ置き忘れた上衣の代わりに羽織るものをと捜し歩いていると、中庭へふわりと降り立つ影ひとつ。
「文ちゃん……覗き見なんて趣味わるいで」
「お店が開いてなかったのでおかしいと思ったんですよぅ……何やら一回戦終えてきたみたいなカッコしてますね」
「やらしく例えんといて……体冷やしたから風呂入ってたんよ」
そう言って藤花は軽く頬を赤らめ、前の開いた襦袢を慌てて閉じ、部屋にかかったスカートを取る為に一度姿を消す。次いで文の前に出た時は、スカートと同色のネクタイも増えていた。
「ま、藤花さんがよければまたおつきあいしますけどね」
「え……て、まだその話かいな。ウチの布団に入って来てまで調べる事ももうあらへんやろ。んで、急ぎの話?」
「あぁ、そうでした。明日にも記事にしますが、天狗軍の演習ですよ。初夏にも大きいのを山でやるという事です」
手にした羽団扇を落語家よろしくひらひらと動かして来るべき天狗の一大デモンストレーションについて力説する文を尻目に、藤花は考え込む。
大演習の体裁を取るという事は、昨年鈴奈庵でチラと聞いた資料の蒐集や教練が一通り完了したという事だろう。演習の出来栄えによっては、もしくはそのものを以て外交交渉を開始する腹積もりだろう。天狗(妖怪)対妖精の交渉条件またどちらかがどれほど呑むかによって開戦、和平の決断が下されるに違いない。いずれにせよ、今年が正念場であると決まったわけだ。
「……おおきに、妖精の反応はどんななん」
「演習そのものについてはまだコメントを取っていませんが、良くは無いでしょうね。数で勝っていたのは妖精側ですから、和平交渉次第と言う事に。ま、夏の終わりには決まってるでしょう」
「演習の出来如何では参謀が発動を渋るかもしれへんよ……天狗の外交担当が引き延ばし工作を始めたら、開戦は冬と見て間違いない思うけど」
藤花の言葉に、団扇を手に腕組みしていた文の目が瞬いた。何やら脳裏の情報を組み合わせて思案していたようだが、なるほどと呟いて頷く。
「今度の特集では、意見を聞かせてもらいますよ。でも、お詳しいですね」
「……ウチの国はそうやっておっぱじめたからね」
*
去り際に文が興味深い事を教えてくれた。
「そういえば、里で藤花さんの事を探し回ってる人がいましたよ。何でも返したいものがあるとか…以前うちで広告を打ってたのを知って尋ねて来たんですけど」
飲み屋のツケ以外で貸し借りはほとんどない。あるとすれば、先日の上衣と拳銃の事だろう。文を経由して情報が来るとは思わなかったが、裏が無いかだけ確かめてみる必要があるだろう。文曰く「商店街の近くにある」とだけ店の情報を与えたという事なので、近々会うだろう。
件の来客は早速現れた。
店先で頬杖をついてぼんやりしていると、真横からズイと現れたのは、見まごう事なきカフェで会った青年。袋に入れた見覚えのある緑を携えている。
「あの、もしかしてこないだカフェで会った……」
「もしかしなくてもこれ見たら分かるやろ……そうやで、もしかして、忘れ物届けに来てくれたん?」
「ああ、良かったです。あの後すぐ追いかけたんですけど、すれ違いになってしまったみたいで、すみません」
そう言って頭を下げた青年は、袋に入った藤花の上衣を勘定台へ乗せた。拳銃も入れてあるらしく、似つかわしくない重量感のある音が出る。
藤花は御礼にと言って煙草を勧めてみたが、彼は嗜まないと言う。ならば重畳だ。藤花の目が情報員時代の光に満ちる。
「わざわざ来てもらったんやもん……今日はあのケンカしてたお嬢ちゃん一緒やないの?」
「け、ケンカじゃないですよ、今日はちょっと寄る所があって夕方まで別行動なだけで」
尚更好都合だった。藤花は、そうかそうかといってにんまり笑い。
「よかったらお茶でも飲んでく?」
「いえいえ、そこまで…悪いですよ」
「ええのええの、お礼もせんと帰すんも悪いし、ちょうどお客さんも来んと暇してたとこやねん」
そう言って藤花はさりげなくタイを緩め、青年の視線が一瞬移る隙をみて「ね?」と駄目押ししてみる。色仕掛けと言うか、行動中に一押しすると意外と相手も押されてくれるものだ。青年も特に急を要する用事もないという事なので、横の戸を開けて彼を招き入れる。
四畳間に上げて今お茶淹れるから、と言って湯を沸かす。基本的に冒険を好まない彼女なので人を家に招くことは滅多になかったが、もしもの機会の為にいかにもな茶の間を作り上げてある。といっても明らかに時代の違う彼からすると、時代がかったセットのように見えた事だろう。
「えーと、煙草はいらんのやったね」
「すいません」
「はは、吸う人がスイマセンやったらシャレになっとったんやけどね」
年恰好の割に緊張気味の彼を落ち着かせるため、しようもない駄洒落を飛ばしつつ気負いすぎない女性を演じ、湯呑みと急須を携えて部屋へと戻る。
卓袱台の横で正座して座布団の上に畏まる彼に、粗茶やけどと言って一杯差し出した。
「おかまいなく」
「けど、その様子やとだいぶ歩き回ってくれたんとちがう?」
「いえいえ、射命丸さんに聞いたらお店の事、教えてくれたんですよ」
「しゃ……ああ、新聞屋さんか。ウチが前に一回だけ広告出した事あったなぁ。流石やね」
照れますね、と言って青年は所在なさげにしていたが、湯気の立つ湯呑みという大義名分を得てしきりに茶を口にしている。
御茶請けに乾燥納豆を出し、青年とは相対的に脚を崩して座り前かがみになってぽりぽりとやっていると、流石に青年も開いた襟首が気になるらしい。彼女の性的嗜好から、あまり色仕掛けと言うのは好まなかったがこういう時は早く動いた方が良い。
「そうや、名前をまだ聞いてへんかったね、ウチの事は藤花て呼んで?」
「…そうでしたね!自分は奨、佐々木奨て言います。近しい人は皆、奨で通ってますね」
目頭を押さえ、奨は苦笑して自己紹介した。
「ほんなら、ウチも奨くんて呼ばせてもらおかな」
「ええ、もう、歓迎ですよ」
「歓迎?」
「あー、何と言うか……構いません」
「あはは」
しばし身の上話をしてみたが、外来人である事、どこかのお屋敷に間借り(藤花にはそのように理解された)している事がとりあえずは理解できた。
時間にして半刻も経った頃だろうか。奨の受け答えが怪しくなってきたところで、藤花は動いた。
「どないしょ、このあと晩御飯でもどない?」
「あ、い、いいぇ………夕方にはもう待ち合わせが……」
「それまではゆっくりしてって?な、ええやろ……?」
藤花は男物であったシャツを前合わせを無理やり逆にして着ているものだから、釦を一つ外すたび、その布に圧迫されてきた沸き上がる紅い血潮を奥深くに巡らせたる豊満な肉が逆に残りの釦を引きちぎらんばかりに主張してくる。既に薬で奨の意識が朦朧となっているならば、もう一歩であろう。
「ちょちょちょっと……それはあまりにも急すぎるというか……」
「ええから……もうちょっとゆっくりしてってね」
そう言って穏やかな顔で暫くもがく彼をかき抱いていたが、やがて抵抗が寝息へと変わると藤花は相手の体を卓袱台の脇へと横たえ、釦をかけ直した。
「ま、こんなもんやね」
持ち物と体を探ってみたが、めぼしいものは特に見当たらなかった。唯一、黒光りする拳銃が彼女を緊張させたが、誰かの差し金で差し向けられたのなら茶などに手を付けないか、もう少し慎重に来たことだろう。今日のところは彼が無害な存在であることを確かめられた事を戦果として、銃の事はあとで銃砲店に自警団権限で販売記録をあたればいい。
彼が目覚める頃には藤花は地味な色気と無縁の支那服に着替え、夢か何かだったのだろうかと首を傾げる事だろう。
*
妹紅が日中の作業を終え、永遠亭にサキを迎えに行ったのはそれに前後する。
人も動物も家路へ急ぐ頃だ。護衛とはいえわざわざ獣と鉢合わせする用事を作る事も無い。サキもすぐに姿を現し、二人は無事竹林を抜けて里への田舎道を歩いていた。
「妹紅さんも里へ行かれるんですか」
「あー、自警団がらみでまだやり残しがあってね。それが終われば今日のお仕事もおしまい!」
「ふふ、お疲れ様です」
自警と言っても里のあんちゃんとは年季の違う妹紅を見る目は、やはり違っていた。サキの興味は妹紅の日頃の働きぶりから、昨今の自警団のあり方にまで至った。妹紅としても誰かに指図したりされたりする新規の組織にはまだ慣れていなかったが、そう悪い人たちばかりじゃないしそうでなければ成り立たないという彼女の言葉に、サキの自警団を見る目も多少は軟化したように思われる。
妹紅が怪訝な顔をしたのは、サキが「煙草屋を探している」と言いだしてからだった。何でも連れの奨が忘れ物を届けたいと。
「煙草屋……そういえば里に一人知り合いがいるけど、まさかね」
「そうなんですか?煙草屋さんもそうたくさんあるわけじゃないですから、もしかするかもですね」
反応の違うふたりが同じ顔で驚いたのは、高黍屋から藤花と奨が出て来たのを目にした時だ。
「あれ、妹紅はん」
「藤花ってば、お知り合いだったの」
「えっ」
目を丸くする自警二人組を尻目に、奨とサキも似たり寄ったりの顔で節操がないとか誤解だとか騒いでいた。
「ごめんな、サキちゃん、やっけ。お礼に彼氏に一杯おごってただけやねん」
「彼氏じゃないですよ……」
「そ、そうだよ、誤解だって……何事も、無かった……うん、無いですよね」
「なんでウチに聞くのん……それもっと誤解されるで」
「間!何その間は!」
今回は「玄関開けたら~」より、佐々木奬くんの登場です。
一服盛られて眠らせてしまいましたね(
なんで彼が武器を帯びていたのか……は、あくまでここでは掘り下げません。詳しくは彼の登場する本編を読んでいただきましょう!(コラボを忘れない二次書きの鑑