闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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紅の自警団⑩

 妹紅、赤蛮奇が先に出撃した以上、追加で正面切って高堂と撃ち合っても正邪や人質を移されてしまう危険が伴う。仲間割れとも見える状況だったが、ここは別働隊として正邪を最優先目標として妹紅たちと正反対の方角から攻め込めば逮捕はかなわずとも懸案の人質奪還は成る。

影狼の耳と鼻に期待しつつ、藤花も一路霧の湖へと陸王を走らせていた。

頬を撫でる不穏な湿気を帯びた空気が和らぎ、濃緑のお化けの影がうっすらとかかる白い霧に取って代わる頃、藤花は排気音をまき散らす単車をしばし休める事に決め、影狼と共に湖畔と伝って廃洋館を目指す。

 だがその進撃は、しばし歩いた先で不意に押しとどめられた。

 その理由は、岸部に立ち尽くす藤花たちの眼前、中空に浮かんで威圧する小柄な妖精にあった。

「えーと、そこんとこ何とかならへんかなあ」

「あたいとしてもね、縄張りとメンツってもんがあるんだから、単なる関所ごっこじゃないって肝に銘じてよね!」

 あくまでもチルノはほいほいと通行許可を出す事を良しとしたくないらしい。こうなるくらいなら妹紅達と一緒に出発して道中作戦を練ればよかったと悔やむが後の祭りである。きょろきょろと周囲を警戒している影狼の前で、藤花が目を見開いた。

「あッ、ああー!!」

「えっ、何よ」

 藤花がだだっぴろい湖の中空を指差し、驚愕の表情を浮かべる。二十一世紀あたりなら誰も引っかかりなさそうな悪戯の類にしか見えず、一般的に馬鹿にされるチルノも流石にこの時は腰だめにした手もそのままに二人を睥睨して動かない。

「ちょっと、馬鹿にするやつをほっとくのも考えもんだなー。あれ別に本気でやってたんじゃなくて、こっちが襲って相手は怪我せずに逃げるって構図を守るためにやってただけだからね」

「え、まじ?……じゃなかった、ちゃうよ!大の大人を見くびらんといてんか!あれや!」

 一瞬目を丸くした藤花だったが、すぐに真剣な表情を取り戻し、チルノにも注視を促す。

「あれ、もしかして霊夢はんの言ってた、そこいらの妖怪でも手におえないっていう……」

 突然霊夢の名前を出し、里で噂の凶暴な怪異か何かを発見したと主張し始めた。影狼に同意を求めたいらしく、しきりに振り返っては……ウインクした。

「……そ、そうね!意外と大きいんだ……」

「え、え、うそ」

 事態を察した影狼の発言を受け、チルノも思わず湖に目を凝らし始めた。

「あそこあそこ、あの鳥みたいな影!案外ユーモラスな顔つきしとるね」

「動いてるところ初めて見た……逆立ちして移動するのね」

「ちょっと、どこよ」

 二人が逃亡を図るでもなくその未確認生物に見とれている事を確認したチルノは、片手を双眸の上にかざして遠くを見透かそうと努力する。が、その発言通りの特徴を備えた生物が見えるはずもなく、ただ静かな水面が霧の奥に消えていくばかりである。

「あれの情報って、何だったかしらん」

「あれや……そう、氷に弱い!!!」

「えっ」

 決断的速度で傍らのチルノを振り返り、頼もしそうな眼を輝かせて暗に攻撃をかけさせようとする藤花。しかし未だその生物を視認できないチルノは首を動かして湖面の観察に夢中である。

「行けェチルノはん!写真撮って天狗に送れば、明日の一面はいただきやでぇ!」

「大丈夫!近づけばチルノちゃんにも、たぶん見える!」

「しょッ、しょうがないわね!あたいの勇姿かっこよく撮りなさいよ!」

 猛スピードで遠ざかっていくチルノ。やがて白いベールの向こうに包まれて影すらも見えなくなった。

「た、単純な子」

「言えたな」

 嗚呼、いつの間にか歩き慣れたはずの湖ですらこんな発見があるのかと思わぬところで力を消費し、やや肩を落とした藤花を筆頭に、遊撃隊は霧の奥へと身を翻した。

 

   *

 

「静かだな……」

 廃墟というものは通常、静かなものであったが、ここ幻想郷では外の常識は通用しない。住み着いているであろう妖精の類は総出でどこかへ行っているのか、話し声ひとつ響いてこなかった。

 崩れ落ち、苔むした塀の影から妹紅はしきりに内部の観察を試みたが、日没の迫る薄暗さでは人影を見止める事はできない。意を決した彼女は赤蛮奇に脱出するような人物があればすぐに知らせるよう願うと、奇怪なセンサーの類が仕掛けられていないか確認し、颯の如く中庭へと駆け込むと少ない時間の中で足音を立てない最短の経路を選び出し、ぽっかりと口をあけた窓にたどり着くとそのまま内部へと躍り込んだ。

 霧の中と違い、却って館内の方が音がよく響いた。火を灯そうかとも思ったが、高堂は赤外線スコープなども繰り出していたのを思い出し、自身のほかにむやみに熱源を作り出すのは得策ではないと心得た。

「…………」

 風だろうか。聞こえた気がした。

 一階の探索を続けるか、それとも二階か地下を探るべきかと選択に迷っていると、行く手の廊下の闇から、埃と黴で柔らかさを失った絨毯の上を転がるように、しかし音もなく何かが進んできた。

「――――ッ!!」

(ご、ごめん)

(吃驚するじゃないか。まぁいいや。人質見っかった?)

(それかどうかはわからないけど、二階に人の気配があるね)

(妖精じゃなくて)

(声がした……たぶん、正邪かも)

 妹紅は生唾を飲み込んだ。ビンゴ。しかし部屋の中でインペリシャブるのは人質に被害が出かねない。ルール外と敬遠してきたが、この時ばかりは肩から提がる重みに頼らざるを得ないだろう。

 妹紅は足音を忍ばせ、二階への経路を選択した。

 

   *

 

 正邪は、不機嫌であった。

 彼女の眼前には、高堂の仕留めた鹿らしき獣を解体した肉が散乱している。最近ようやく血抜きや関節の解体を覚えたという程度のサバイバル知識で山暮らしを提案してきたのだから、先を見通す能力は甚だ低いというほかない。

逃亡生活の大先輩として何かと説教、そして高慢な高堂の土性骨をへし折って彼が機嫌を損ねる様子を腹の底でせせら笑っていたが、食糧の問題が持ち上がってからはそうも言っていられなくなった。そこへ来て後ろで縛り水槽に放り込んでいる目撃者を出す事態に至り、ようやく正邪も高堂を身辺警護の代用から逃亡生活の一員として格上げし何かと教え込むという異例の対応を取る決断を下したのだ。

近頃入手した「おもしろいもの」を与えてみたところ、口数が減って以前ほど彼を玩具として扱えなくなったのは不満であったが、使い物になりはじめた出来栄えに一応の満足はしている。あとはこの目撃者をどう始末をつけるかだが。

「煙草が切れてるじゃんか……おぉい、とっちゃんぼうや、地下室行って予備を取ってきな」

 奇妙な仲間内での地位を改めたからと言って彼への口調は変わらない。命じられた高堂は、一息入れたとも鼻で笑ったとも取れない返事のようなものを一つつき、戸口へ向かった。はずだった。

 彼の不遜な態度のにじみ出る後姿を半笑いで見送った正邪だったが、彼が出て行ってすぐに後ずさって戻ってくるのを見ると、怪訝な表情を浮かべた。

「ご一統様、お迎えの時間だよ。……姫様、どこへやった」

 戸口で用心深く身を寄せつつ、妹紅がこちらへ銃口を向けていたのだ。

 妹紅が正邪とその周囲を確かめようとした一瞬、高堂が身を躍らせて物陰の小銃に飛びついた。妹紅の銃口が爆ぜる。

「……ッチィ!おい姫さん、こっち来な……来るんだよ!」

 猿ぐつわをかまされ、嫌がる姫を無理やりに袋へ押し込め、乱暴に引きずりながら鉄火場からの脱出を図った。

「正邪ッ!」

 裏口から森へ逃げ込もうとした彼女を出迎えたのは、包み隠してくれる夕闇のみではなく、春の暮れの空気を切り裂く発砲炎と彼女への一喝であった。

   *

 

 正邪は、あくまでも冷静に拳銃を抜き放ち発砲してきた。構造が万全な建造物なら抑え込む算もあったが、崩れかけた邸宅の状態がそれを許さず、彼女は袋を乱暴に引きずったまま逃走を継続する。袋から漏れ聞こえる悲鳴が何とも痛ましく、藤花は発砲を控えつつ次の手を考えていた。

高堂への意趣返しも尤もだが、まずは人質を安全に救出する事を第一としたい。姫様の口から高堂と一緒にいるのは確かに正邪だと証言してもらえれば、単なるヒト間の逮捕劇ではなくなる。更なる妖怪や、霊夢をはじめとする手練れの連中を呼び寄せることもかなうはずだ。

 屋敷の上階からは、小銃の散発的な銃声が響いている。妹紅の拳銃では高堂を抑え込むのは難しいだろう。

移動しつつある銃声は、高堂が着実に屋敷から脱出するように動いていた。正邪を押さえる前に、妹紅の無事だけでも確認しておかなければならないだろう。

影狼に拳銃を渡して一旦屋敷へ戻ろうか、そう考えた矢先に窓の一つが轟音を立てて吹き飛んだ。思わず影狼を庇い、瓦礫の影に身を伏せる。

崩れかけの窓辺から吹き飛ばされた破片は大した量ではなかったが、結果的に正しい判断であった。顔でものぞかせていたら、直後飛び降りてきた高堂の発砲の方で怪我をしていただろう。

「高堂ッ!」

 正邪を追ってか飛び降りた後もなお逃走を続ける高堂が振り向きざまに発砲し、屋敷のほったらかしにされた庭園のそこここで弾着の土埃が上がる。

「あんたたち、大丈夫かい」

「妹紅はん!無事やったんやね」

「やられるわけないでしょ。運がいいんだから。……あいつらは」

 藤花は遠ざかる草をかき分ける音のする方角を指さす。正邪が連れを待つ性格とも思えないが、おそらく別の逃亡先を用意していたに違いない。

「………追おう!」

 

   *

 

 森の中は最早暗闇も同然だった。妹紅は高堂の尻尾を掴んだらしく、それに対して彼も発砲するので追いかけっこはまだ続くだろう。藤花が気がかりだったのは、巨大な袋を引きずる正邪がどうやって逃げたかだ。同じ道なら荷物のある分、追いつかれて銃撃戦に加わるのがおちだろう。だが人質を連れてそんなリスクを、藤花なら負わない。妹紅へ、すぐに追いつくからと言ってしゃがみこんだ彼女は、ほたる燈を取り出して地面を調べ始めた。

 痕跡はすぐに見つかった。乾いた落ち葉の中で何枚かが湿った面を上にして散らばっていた。調べれば、獣道とおぼしきひとつにぶち当たる。先ほど妹紅達が駆け馳せていった経路とは明らかに異なる。正邪がこちらを選んだとみて間違いないだろう。

 灯台下暗し、森の中に開けた場所があり、そこの岩陰に身を寄せる影を見止めたのだ。

巨大な岩は、元は一体なんであったのだろうか、朽ち果てた注連縄らしきものが頂にあしらわれており、古くは信仰の対象であったのだろうと想像させた。しかし詣る人もおらず、その縄だってもしかしたらかけていたのは外界の人間かもしれない。今はその傍らに腰を下ろしている二つの影が寄り添うばかりだ。人影を煌めかせて光っているのは霊的な何かかと一瞬身構えるも、すぐに背後にある池なのだと気付く。水源もあるなら、なるほど獣の問題を除けば身を寄せるのに十分だ。

月明かりに浮かび上がる広場の情景は何とも言えず絵画的に見えたが、いるのは容疑者と人質である。

「やーい、うりこの姫子、遊んでーや」

「あァッ!?」

 明るい広場に出れば夜の森の中は見通せまい。藤花は少しずつ場所を変えながら、声色を変えて不可思議な呼びかけを繰り返した。

「どこだァ!出てこい!」

 二、三度繰り返したあたりで正邪が痺れを切らせて拳銃を抜いた。

「否定せえへん所を見ると、瓜子姫の話はほんまやったんかな、正邪」

「なに……」

 広場の周囲を回りつつ、藤花は出来るだけ自信たっぷりに聞こえるよう努める。

「今すぐ人質解放しぃや。さもないと、あんたの可愛らしい過去が小鈴嬢の絵入りで里のちびっ子たちに無償配布されるで」

「……なンの事を言ってるのかねぇ。私らがそんなので言うこと聞くと思ったら」

「小町はんにも聞いたで、瓜子姫、今じゃ獄卒でせっせと働いてるらしいやん。あんたが来るのを首を長くして待っとるらしいわ」

 正邪の声色から感情が消えた。怒っているのか、藤花はそう判断して自分の言に自分で笑って見せた。さぞ結末が楽しみだという子供のように。その間、肩からM586を抜き出し、シリンダーをそっと出して残弾を確かめる。万が一の為だ。

「絵本の結末はお子達向けにマイルドにしてあるねん。まぁ、その分あんたが逃げてくオチが可愛らしゅうなっとるけどね。もしかしたら、里の人気者になれるかもやで」

「う、うるさい!」

 正邪の反応が予想以上のものであったことに、藤花はいささか驚きを禁じ得なかった。正邪としても、子供に人気なんていうキャラクターは断じて承服しかねるのだろう。ちなみに瓜子姫が死後獄卒になってるというのはハッタリである。

「頭下げて差し出せなんて事は言わんといてあげるわ。立ち去って人魚姫が取り戻せたらウチはそれ以上は追わへんよ。どない?」

「……覚えてろ!」

 正邪が駆け出した。これ以上人質を抱え込んでリスクしか増えない状況に嫌気がさしたのかもしれない。藤花としては万々歳だったが、あまりに森の中をぐるぐる回って声を出していたので、藤花の位置を掴みかねた正邪がこちらに向かって走り始めた時は流石に驚いた。

 予想外の展開だったが、意を決し、木の後ろから回り込んで正邪を背後から抱きすくめた。

「てめェ!卑怯だぞ!」

「卑怯はあんたの専売特許やろ!こっち来る方が悪い!……捕まえたいわけやないから、話聞いてくれへんかな。これはここだけの話やけど、ウチはここ、幻想郷から逃げ出したいねん。あんたが下剋上とやらを真剣に考えて何かしら案があるんやったら、ウチは喜んで協力するで」

「あ、あん?」

 もがく正邪の動きが一瞬止まった。その隙に腰に差されたガバメントのグリップをしっかりと握りしめ、拘束が解かれても武装解除する用意は出来ている。

 とはいえ正邪はあまり信頼できる相手ではない以上、そこまでの期待は寄せていない。

「ま、考えといて。その証拠に、言うた通りこれ以上あんたの事は追わへんよ」

 幻想郷の住人として、自警団の一翼を担う人間としては信じられない対応だったが、藤花も同じ不穏分子なので表向きの刑事役として人質と高堂だけ対応出来るだけでも十分であった。

 正邪が藤花の戒めを振り払い、警戒に満ちた目で後ずさっていくのを彼女は無言で見送った。五メートルも離れると藤花も向き直り、袋詰めにされた姫様を解放する為の作業へと移行した。

「しっかりして!」

 袋をずらすと、ぐったりした姫様が現れた。幸い、外傷の類は見受けられない。

 人質を取り返したならあとはこっちのものだ。ハッタリが効いていれば正邪もこれ以上高堂とつるんだりすることもあるまい。拠点を失った子供など、火力があってもいつかは息切れする。

「…………」

「あ……ッ」

 迂闊だった。数メートル先に高堂が立っている。黒いBDUに身を包み、編上靴のビブラムソールで夜露に濡れた草を踏みしめ、立っている。小銃は弾切れか、森の中では不利と踏んだのか、今は藤花の知らない機関短銃へ持ち替えていた。

 その時だった。

「……ッッ今だァ!やれ!」

「ッ……正邪!!貴様……」

 敵はどこまでも卑怯で、拙速を尊び、そして往生際が悪かった。足音を忍ばせて正邪まで戻ってきていた。作戦の成就に浮かれていた藤花の完全な落ち度だ。

 慌てて姫様を池の際へ転がす時間が仇となった。

 正邪に羽交い絞めにされ、もがく藤花を、同士討ちを避けようとする高堂は革柄のナイフで一突きにした。

 

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