闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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紅の自警団⑫

 冷却された体で代謝が落ち、傷口を押さえる程度で意識が保てているのは奇跡に近い。姫に手を引かれて再び水の世界へ身を投じた藤花だったが、去る直前にようやく自分がどのような世界にいたのかを僅かながら視認できた。

 姫いわく地底湖に滞留した空気と、ぽっかり突き出た岩に乗っていたようだが、プラネタリウムめいてところどころに自身で光を放つ鉱石が点々と埋まっていた。おそらくほとんどの人間が知ることのない謎の鉱石だろう。西洋の書物に言う肺魚の体内でのみ生成される幻の宝石について想起させるに十分な光景といえたが、鉱物に関する知識を持ち合わせてここへ潜り込んだなら涙を流すような感動とは別物になっていたに違いない。

「岩に漱ぐ仙人……でもないか」

 大きく息を吸い、力の抜けかけた腕で必死に姫の小さな背中に命を託しながら、藤花は地底の隠れ家を脱した。

「すぐに上へ出ます。このあたりの水脈は、私にっとて散歩道みたいなものですから」

 

   *

 

 時折息継ぎを挟みながら、藤花は再び空気に満たされた世界へと帰還した。冷たい流水の中で体力は限界を通り越していたが、それでも手を離さず今でも呼吸を続けていられるのは、生への執着ただ一点に尽きる。

死線をかいくぐり、地下水脈を人魚の助けを借りて突破するなど本郷義昭でも体験したことはあるまい。藤花は小説を超越していた。

「ここ……どこ」

 意識があるとはいえ、既に彼女は周囲を観察し視覚情報を分析する能力すら発揮できない状態である。こんな彼女を、姫は水のある範囲のどこへ連れて行こうというのか。

 岸部へ近づく二つの頭に、向こうからぺたぺたと足音が近づいてきて、水際で止まる。

 姫が不安げに顔を上げた。

「ちょっと、ここは私有地ですよー。用も無しに、表じゃなくて地下水道から潜り込もうなんて事するのは大泥棒くらいってどんな教育受けたのさ……ってあれ、藤花!?」

 水中の顔を認識した途端、両手を腰だめにして睥睨している姿勢を崩し大慌てで飛び込んできたのは紅魔館門番、紅美鈴その人であった。

 

   *

 

「貴女なんてもの拾ってきたのよ」

「だって、怪我してるし……顔も知ってる人じゃないですか」

「それはそうだけども……」

 夜遅くに、身内のはずの美鈴が玄関で開けてくれと騒いでいたので怪訝な顔をして開けてみれば濡れ鼠でぐったりした煙草屋を担ぎ込んできたのだから、咲夜の機嫌は悪かった。

「ほっとけば空腹の人魚あたりが食べてくれたかもしれないのに」

「しれーっとひどい事言わないで下さいよ……その姫さんが連れてきたんですよ、何でも腹を刺されたとか。せめて応急処置と輸血だけでも」

「分かったわ……その代りお嬢様の説得は手伝いませんから」

「あら、美鈴たら新しい輸血袋でも手に入れたの?」

 扱いで意見がまさかの二分している紅魔館使用人二人の背後から、意地の悪い質問を投げかけてきたのは、主たるレミリアであった。

普段やかましい藤花が沈黙しているので、彼女の足音だけが夜半の玄関広間に霧散して一瞬で消える。

「彼女は多分O型ですね……汎用性の高い輸血袋です」

「美鈴、"ハイオク血液"って入れといて」

「お二人ともこないだ観た映画に影響されすぎです!」

 一刻を争う事態なのに世紀末アトモスフィアを堪能し始めた主と上司を目にし、美鈴が敢然と抗議した。レミリアは腕組みしたままからからと笑う。

「冗談よ。時間を無駄にした分は、夢抜き前の五袋使っていいとパチェに伝えて補いなさい。それで彼女との貸し借りもチャラよ」

「お嬢様……!」

 迅速かつ寛大な対応を許す主に、従者と門番が感動のまなざしを向ける。ちなみに貸し借りとはミサイルの一件だろう。

一度顔を合わせているからこそ助けを許すが、一方で深入りはさせないというお嬢様の意思を汲み、咲夜は早々に倒れ伏したままの藤花を玄関から遠ざけた。

運び込まれたのは、彼女が未だ目にした事のない紅魔館が誇る大図書館の一角であった。

 

   *

 

 渦中の藤花の意識は湖で顔を出した前後から混濁状態にあり、レミリアのおふざけや美鈴の奮闘など知る由もなかった。したがって、見覚えのない寝台で燭台の暖色の灯りに包まれて目覚めた時も、「YES」と書かれた枕を片手に首を傾げるばかりで、あたかも記憶喪失の患者めいてその様子は生まれたての四足歩行動物めいていた。

「良かった、無事目覚めたのね」

 幽かな声にまたしても首を回してみるが、部屋のどこから話しかけているのか分からない。それも、寝台の際まで山積された雑多な古物によって、どこまでが部屋かすら分からないのだ。

丸まった羊皮紙、煤けて何が入っているのかわからない標本箱、真鍮製と思しき古びた計測器材、そして何よりも多くの本が、紙の、革の、木の表紙を無造作に寄せ合いながら積み上げられ視界をそこここで遮っている。

幸いにして地下水脈をたどりどこかへ運ばれるところだったまでは脳が記憶していた。てっきり永遠亭のような医療機関へ行くものとばかり思っていたが、見回せば見回すほど治療というよりも探求の為の部屋に思えてくる。もしかして解剖学者しか手すきがいなかったのだろうか。

「……………どこ?」

「ここが?それとも私が?」

 ひとつの疑問については答えが出てきた。視界で唯一、見覚えのある本棚という物体の前に残されたわずかな空間に、ゴロゴロと音を立ててライブラリーラダーが滑ってきた。声の主はその上によりかかっている。

「ここは紅魔館の大図書館よ。確かここまで入ってくるのは初めてだったかしら」

 

藤花の記憶にある、紅魔館の玄関や会食をした広間のような薄く引き伸ばされたような空気と違う、確固たる存在感を持った静かな空気、もとい静かにしていなければ埃が舞うと鼻が認識するような空気だった。同じ館なのに、空気や時間の流れがそれと違って感じられる。

「初めまして、パチュリー・ノーレッジよ。近しい人はパチェと呼ぶけど」

「……藤花です」

ラダーを降りてくるにつれ、パチュリーと名乗った少女の風体が徐々に蝋燭の灯りに近づき、浮かび上がってくる。ここではナイトキャップが流行中なのだろうか。豊かな髪と痩せた肢体は、まさに「知識(ノレッジ)」を体現するかのような組み合わせに感じられた。

「ウチは確か怪我をしてたはずやけど……図書館?そういえば傷は……」

 下腹部の痛みが消えていることに気づき、そこで藤花は初めて自分が一糸まとわぬ姿になっていることに気付いた。

「ひ、ひええ」

「濡れた上に切り裂かれていたもの。そのまま横たえたんじゃまるで違う儀式みたいになっちゃうでしょう」

 パチュリーのもっともな指摘に、藤花はただ赤面して頷くしかない。

「魔法を学びたいとか魔法の恩恵にあずかりたいといって訪ねてくる人は時々いるけど、寝ている間の貴女は一番面白かったわ。……日本人だけどロシヤの言葉を話したりして。熱河作戦の戦況について気にしていたけれど、軍人さんかしら」

 ラダーの一番下に腰掛け、傍らの本の塔に放置されていたカップを手に取ったパチュリーは、身振り手振りで藤花の寝相をまねて見せる。それとなく飛び出した、熱河作戦などの単語を理解されているという事は、若干ではあるが藤花を焦らせた。

「パチュリーはん……何者?軍神か何か」

「別に、それ専門とは言っていないわよ……トマトスープをすすっているからと言って菜食主義者とは限らないようにね。御所望とあれば、タティスカンナの対抗呪文詠唱体系でも、ティトシー・ハキックマーの薬草学についても話せるけれど、どう?それとも外来人の方はオスマントルコの税収政策の方がお好み?」

「…………遠慮しときます」

 成る程、事件現場に近く、必要な知識も持ち合わせた人材がいるという理由で紅魔館へ運び込まれたようだ。意外な再会ではあったが、知らない一面も見る事が出来た。

「ちょっとおしゃべりが過ぎたわ……貴女にしたのは手術ではなくて魔法の施術ね。傷は消えても、体は回復の最中だから、今夜は眠りなさい。館内に小悪魔の子がいるから、何かあれば呼んで頂戴」

「おおきに……」

「お礼なら、美鈴に」

 そう言ってパチュリーはいくつかある燭台のひとつを手に取り、静かに寝台のもとを離れていった。

 




パチュリーが口にする著者の名前は架空のものでして、皆さんがPCでこれを読んでいれば目の前に答えがあります。
と思ったら同じ発想でHNをつけている人がネット上にもいて、なかなか自分オンリーの発想というものはないなあと痛感しました。
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