闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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永遠の竹林支部⑤

 しばしの雑談もひと段落し、ごましおが風呂を沸かすというので退出したので、藤花は雷鼓と翌日以後の捜査方針について、輝夜に体裁よく報告できるよう情報をまとめる時間が出来た。

 特に、不明生物とやらが外界にも存在する動物であると判明したのが大きい。確かに獰猛な生き物ではあるが、科学の枠を超えた妖怪と違って知恵で対抗できないわけではない。少しの助言で河童が捕獲装置もしくは多少頑丈な罠を張れば沢から引きずり出す事は可能である。霊夢や他の分団も同様の雑事に追われているようであるが、一足先に戦果を効果的な「生け捕り」という形で里で展示なり出来れば自警団の株も上がって輝夜どころか警備局長からも褒賞の可能性があった。

「運がいいなあ、私ら」

 海野警備局長の生き方とスピーディな事件解決を重ね合わせてバラ色の生活でも思い描いているのか、雷鼓はわずかに残ったキューカンバーエールを惜しむように飲みながら満足げに頷いている。いつ終わるとも知れない地道な聞き込みが終われば、大層気が晴れる事は藤花も心得ていた。二人して顔を合わせ、運が良いからな、と繰り返してにんまりしていると、ごましおが休憩室へ戻ってきた。

「三人いるから盛大に沸かしちゃった!遠慮せずに入っちゃって。間欠泉センターほどじゃないけど、居心地の良さは保証するよ」

「ほんなら……」

「お言葉に甘えて……」

 藤花と雷鼓は今ひとたび互いを見合うと、タイを緩めてどこから出してきたのか手ぬぐいなど肩にかけて準備万端になっていた。

 

   *

 

 ごましおに連れられるまま廊下へ出た。もしかして工場内を突っ切って行くのかと思い、にとりの内部極秘という言いつけを思い出してギクリとしたが、そちらではなく一旦外へと歩み出る経路を辿った。

魔理沙の住まう方角に比べるとまだ風通しが良いのか、魔法の森特有の鼻につく湿気もなく夜だとむしろ肌寒い。風呂上りにまたここを通るなら、夕涼みなぞしていると風邪をひいてしまいそうだ。

工場の裏手に張り付くような小屋が作られており、換気用と思しき小さな窓から煌煌と明かりが漏れている。藤花も見覚えのある丁の字型の煙突が刺されたようににょっきり生えており、夜陰にまぎれて煙を風に棚引かせている様はなんとも素朴だ。水車小屋や粉挽き機の音も聞こえれば東北の童話めいた光景であっただろう。木戸を開いたごましおに続いて足早に入ると、これまた下町っぽく生活感のある、そこにできて幾星霜の風格を帯びた脱衣所だった。すのこや木棚は黒々と色を変え、やや頼りなさげに当たりを照らすちっぽけなランプには、種類の判別しかねる小さな虫が寄ったり離れたり。

「なんか……」

「どしたの」

「人里より、外界みたいな生活してるんやなって…」

 室内の調度を人文学者めいて観察する藤花を、ごましおは苦笑して眺めていた。里も蒸し風呂ばっかりじゃないでしょ、と言われて昭和期の建築に住まう藤花としては首肯せざるを得ないのだが、彼女には何とも言葉にしづらい感覚であった。

 ごましおは、河童共通のものらしい帽子だけ脱いだところで、もう一回火の様子を見てくると言って結んだ髪を揺らして出て行ってしまった。

残された二人はとりあえず脱いだ上着を畳んで棚へ押しやり、忘れ物を思い出そうとしているかのように緩慢な動作でタイを解いた。かつて藤花と組んだ少女達は基本的に普段着のまま行動を共にしていたので、特に妹紅などは先に着替え終えてしまいしゃっちょこばった服装の藤花はいつも待たせてしまっていたのだが、雷鼓は似たり寄ったりの出で立ちであるのでこういう時は気が楽だ。

 室内とはいえ、脱いでしまうと流石に足元からじわじわと寒気が締め上げてくる。こんな工場の一角の風呂であろうと一番を黙って戴くのもなんだか気が引けるところではあったが、内部構造を観察する名目でそっと浴室へ足を踏み入れた。

「ほう」

「こっちも綺麗なもんだね」

 日中も使用するのかは分からないが、三人で入るには十分な容積を有した木造の浴槽があった。

「ねー、工場にしちゃお洒落やね」

「あぁ、ちょっとジジくさいかと心配してたけど、この桶なんかロックだね」

 そう言って雷鼓が傍らのホーロー引きの桶を取り上げ、底をノックする。濛々と立ち上り放送コードをギリギリで回避する湯気を、軽快な音が震わせた。

「ちょっと、お湯見てもらえるかなー?」

 換気と日中の明かり取りを兼ねているであろう高い窓から、ごましおの声が飛び込んできた。先に脱いで浴室の品評などを行っていた事に若干の申し訳なさを覚えながら、藤花が湯に手を突っ込む。

「うん、ええで。熱さ江戸っ子級」

 藤花が端的に湯加減を報告すると、先に浴びちゃっていいよーと返事が返ってきた。二人は素直に礼を述べ、雷鼓などはきゃほほーいと叫んで飛び込み、藤花も控えめにかけ湯で冷えた体を桜色に染めると、湯に体を沈めて大きく一息ついた。

「じゃ、あたしもー!」

 入り口から突然大声を出されたので全身で湯を愉しみ始めたばかりの二人は慌てて振り返った。

 つなぎ姿で立っていたはずのごましおが、次の瞬間には着衣すべてをその場に残して人間砲弾めいた軌道を描き、二人のところへ飛び込んできたのだ。

   *

 

「ごましおちゃんさあ……天井から水落ちてきて冷たいんだけど…」

 大家族が入るにはやや狭く、三人程度ならやや広めに浸かれる程度の浴槽。その縁にもたれ、力を抜いて天井を仰ぎみていた雷鼓の額に、滴が落ちてきてぺちと音を立てた。大きな塊から離れ、天井で形成されたそれは温もりを喪って触れた者をびくりと震わせる。

 ごましおの飛び込みで大きな水柱が上がり、先客の二人は頭からお湯を被って髪がべったりとつぶれてしまった。長さがさほど変わらない髪型であった為、色味以外なんだか似通って見える。

「あはは、これくらいのお泊りの醍醐味だよねえ」

 肝心の飛び込み選手はというと、さほど悪びれてみせる様子もなく、無邪気に振り返って笑っていた。

「全くもう……」

「風呂に飛び込むとか、何年ぶりに見たやろ……砂糖入り麦茶より長らく見てへん気がする」

 両手で湯をすくって顔に浴びていた藤花が、疲れか酔いでむずむずしてきた目頭を押さえながら苦笑した。

「ところで、ごましおちゃんは先程から何してはるん」

 藤花の興味は、温かいとはいえ水中である湯船に鎮座する河童の行動に移っていた。ごましおの実年齢は例によって不明だが、ヒトの外観に照らし合わせてみるなら十代後半か二十代前半と言ったところだろう。

 そんな彼女は、控えめな胸元の隆起を僅かに彷彿とさせる曲線を水面にちらりとみせる程度まで浸かり、首筋へ汗の玉を浮かべていた。雷鼓の小言を受け流した後、ごましおは揺れる水面、否、その奥に透けて見える藤花の肢体を凝視していたのだ。

 

   *

 

「あーもう、相棒がそこまで見境ないとは思わなかったね」

「待って!雷鼓はん、なんか誤解しとるよ!?」

「うるさい!河童の胸わしづかみにされながら開口一番に"ちゃう、これは相手を人肌で温めようと…"なんて言い訳するか普通!?いま!風呂に!入ってンんだろが!!」

 工場の表で一服しようとくわえ煙草で肩を怒らせ、歩き回る雷鼓を藤花がおろおろと追いかけていた。

「でも、ごましおちゃんも幸せそうやったし……」

「あの姿勢でびっくりして胸で締め付けたらそらそんな顔にもなるわ!なんだ、自慢か、しあわせ二つぶらさげて頭の中はめでたいってどんだけさ!なんなら明日からてゐと組むか?幸せコンビで里も歓迎だろうさ!」

「ちょっと雷鼓はーん!」

 二人の叫びがぐるぐると夜の工場を回っていた。

 

   *

 

 翌朝、藤花達が目を覚ましたのは河童達が工場へやってくる少し前であった。生き物が常駐しない工場という建物の中にあって、休憩室といえども暖房の類がなければ朝夕の底冷えは厳しいものがある。そんな寒気が彼女達を真下から揺り起こしたのだ。

「んッ、くぅー……」

 被っていた毛布を跳ねのけて伸びをすると、凝り固まった筋肉がほぐされて思わず背骨を震わせる。表で顔も洗って完全に眠気が吹き飛んでしまった。ついでに永遠亭帰還前に体操なぞしていると、弱弱しい朝の寒風に混じって低い排気音がどろどろと木立の間をすり抜けてきた。どこから来ているのか分からなかったが、工場へ延びる道は一本しかない。じっと見つめているとやがて古ぼけたKA型トラックが荷台に大きな包みと複数の河童を積み込んで到着した。

「あれ、まだいたの」

 荷台から飛び降りてくる河童の中に、にとりがいた。顔を見るなりご挨拶である。

「あのあとしばらく聞き込みしとってね……」

「そうなんだ、まあ今日がリバーイーグルの最期だよ。前は釣り具に毛が生えたようなのしかなかったけど、今度はあれがあるからね」

 積荷は捕獲装置らしい。丁度目の前で覆いが外されたので見やれば、複雑な仕掛け戸を有する大きな檻である。確かにワニは釣るものではない。河童の一ひねりした知恵の入った檻ならまずは安心だ。

「時に、にとりさんさあ」

「ん、どしたの」

「工場に電話ってあるかな。永遠亭に一応連絡を入れておきたいんだけど」

 雷鼓が手帳に檻の情報でも書き加えているのだろうか、何やら書きつけていたペンの尻でこめかみを掻きながら、視線をにとりへと巡らせる。だが相手は首を振った。

「ここには無いよ。沢の手前に電話ボックスがあるからそこでかけてくれるかな。あれが捕まれば里のおじさん達も多分見たがるだろうから、後で持ってくって伝えてよ」

 藤花は目を瞬かせた。

「え、捕まえたやつ里に持ってくのん?」

「同じ水に住んでる河童が飼うもんじゃないでしょ…希少だから展示したらって話もあったんだけど、食べるものがかぶったりすると厄介じゃん」

 ワニがキュウリを食するのかは藤花も寡聞にして知らない。だが、にとりの次の発言で疑問は氷解する。

「中身は厄介払いに、檻は"害獣捕獲に!"っていって畑守ってる人間連中に売り込めるかなってね」

 新製品のデモンストレーションも兼ねていたわけだ。成程ワニを捕まえられるなら犬や狼程度の大きさの生き物も捕獲できるだろう。今回ばかりは、河童の仲間意識よりも人里との損得勘定が勝ったというわけだ。

 トラックはすぐに沢の近くへ向かうと言うので、雷鼓と共に藤花も荷台へと飛び乗り、ギェェェンことごましおザウルスことワニの最後を見届けるべく、河童達と共に道を急ぐ事となった。

 

   *

 

 里を離れて遠く、沢は自警団の権力の及ばない河童の縄張りである。二人は捕獲現場の観察は許されたものの、沢へ入る事は断られてしまった。どのみち河童と違って陸上生活特化型の二人であったので、たとえ船があったとしてもワニと格闘する羽目になるのは避けたい。

 夏場に散歩でもすれば涼しいかと思ったが、実際に川面に近いところまで降りると、その希望ははかなくも打ち砕かれてしまった。辛うじて歩ける場所はあるものの、濡れた岩場は頑丈な靴を履いていても心細く、姿勢を崩せば全身を角ばった岩場へぶつける羽目になる。

「噂に勝る絶景やねぇ……」

 峻険な岩場が両岸にそびえる沢は、見る者に畏敬の念を抱かさせる。玄武の名を冠するにふさわしい流れの傍で、藤花達は岩越しに日光を仰ぎ見たり、岩を磨きながら流れゆく水の飛沫に足を濡らし、身震いしながら河童の行列へ連なって進んでいった。

 時折行列の行く先から何かが沢へ投げ込まれていたので、何事かと目を細めると、どうやら魚らしい。燻製なのか発酵させたものなのか、沢の緑の薫りに混じって鼻にツンとくる。餌の存在をワニに誇示する為だろうか。

このままどこまで続くともしれない岩場の隊伍を眺めていると、不意に肩を叩かれた。振り返ると、ごましおの人差し指が頬に刺さる。

「そこの道を上ると電話があるよ」

「……お、おおきに。いてぇ」

 ごましおの指さす方を見れば、階段状になっていると言えなくもない岩が、周囲よりわずかに苔を薄くして上へと続く道を浮かび上がらせていた。すぐ追いつくから、と雷鼓に伝え、ごましおを伴って半ばよじ登るようにして沢から上がると、森のどこかへと消えてゆく小路があり、途中まだ日が当たるところに電話が設置されていると思しき小屋がひっそりと建っていた。

「おじゃましまー……」

 勝手知ったるはずのごましおが、遠慮がちに中を覗き込む。倉庫兼電話口なのだろうか。中は薄暗く、常駐する者もいないようだ。

「あんまり詳しく言えないけど、沢のアジトと行き来する時に使うんだよね」

「へぇ……」

 詳しく語られないのなら、こちらから聞くこともあるまい。藤花は原材料と思しきずた袋や箱の山を避け、入り口横の見覚えのある電話機へ取りついた。まずは永遠亭につないでみる。

 かかった。

「はい、永遠亭でございます」

 この声は永琳だ。思えば迷いの竹林でどうやって電話線は繋がれているのだろう。妹紅か誰かが立ち会えば工事は出来たのかもしれないが、それを伝って外部の人間が迷わず行き来できるようになれば案内人は不要になってしまう。やはりというか、おそらくあの竹林にはまだ謎が多いのだろう。

「あ、藤花です。永琳はん?いま河童のとこから電話してるんですけど」

「そうでしたか、報告をお待ちしてましたよ」

「お待たせしてもうてすんません、でももう河童と捕獲しに沢へ向かってるとこで、昼には罠も設置してあとはかかるのを待つだけって感じやね」

 とりあえずの報告として、罠で捕獲する計画と、捕獲後は里へ輸送する予定だという話を伝え、一応自警団としてやれるだけの事はやったと報告することが出来た。河童のメンツも立つし、自警団らしく助言と人員の派遣を行えたのだから、今回はお褒めの言葉で仕事を終えることが出来るだろう。

「そういえば、輝夜はんいはらへんの?」

「ちょっと今、別件で皆出払ってしまって」

「忙しいんやなぁ……」

 電話口で藤花は苦笑した。片手が暇なのでつい癖で煙草を取り出そうとするが他人の土地ということもあってそうはいかず、とりあえず机の横にしゃがみ込んでこちらを見上げているごましおの頭を撫でる事くらいしか出来ない。

「ええ、ちょっと緊急事態で……。罠の設置が終わったら、お二人のうちどちらか戻ってこられますか?」

 思わず、眉が下がった。緊急とは何だろう。確かにどこも忙しそうにしていたが、輪をかけて仕事が増えたのだろうか。

「竹林で、銃殺体が発見されました」

 藤花の動きが止まった。

 

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