藤花の指の動きが止まったのを見て、ごましおが不思議そうに首を回して受話器を持ち硬直している彼女を見上げていた。
「もしもし?聞こえていますか?」
受話器から心配げな永琳の声が漏れる。
「……ああ、すんません。聞こえてます。雷鼓と話して、どちらか戻るようにします」
「お願いします。こちらでは、解剖の準備を進めておきますので」
緩慢な動作で、受話器を戻すと、小さく金属のかみ合う音と控えめな呼び出しベルが一度だけ叩かれる音がし、それっきり室内には沈黙が戻った。別に事件が恐ろしかったわけではない。自警団の身分になる前から、命のやり取りは経験がある。しかし何故か今の電話は、彼女の不意を打ったのだ。
「……ほなら、ごましおちゃん。皆のところ行こか。ウチ、ちょっと忙しくなりそうやわ」
*
恐る恐る岩場を降り、再び沢に沿って進むと、おそらく最初の目撃現場だと推測される場所で、罠を沈めているのが見え始めた。雷鼓の白い開襟が、群衆から一歩離れたところで妙に目立っている。
藤花は、ごましおが同僚の傍へ戻るのを見届けると、雷鼓の肩を叩いた。
「雷鼓はん、ちょっとええかな」
「えっ、もうバレたの。早いなあもう」
予想と違う反応に怪訝な顔をしていると、雷鼓はホラと言って懐から小さな紙の袋を取り出して藤花へと突き出す。見れば「ヤツメウナギ」と書いてある。肩がガクリと落ちた。指二本で、袋を差し出す雷鼓の手を元に戻す。
「そうやなくて……報告の電話入れたんやけど、永琳はんから、竹林で死体が見つかったて」
「死体?……それまた剣呑な」
自警団本部から支部長たる輝夜、そして自分たちへ流れてきた雑事にかまけていたせいか、彼女もまた驚いたように目を開いた。だがそこは肝が据わった付喪神、すぐに真剣な表情に戻ると上着の襟を治して、それでどうすればいい?と尋ねてきた。
「どっちか戻って来てほしいそうなんやけど、ウチが先に帰ってもええかな?」
銃殺体とあらば銃創か銃弾、もしくは両方が確認されているはずだ。いま現在、支部に誰が残っているのかは分からないが、凶器に関する知識が必要とされているのだろうと藤花は判断した。
雷鼓も、藤花が適任と考えたのか、即座に頷いてくれた。
「構わないさ。何か進展があれば支部へ連絡を入れておくよ」
「おおきに!ほな、よろしくね」
「レディの扱いは、お任せ」
雷鼓は目を細めて笑い、指を鳴らしてそのままの勢いで親指で自身を指示して見せた。
*
玄武の沢を辞し、ニトマート前を経由して人里外環へたどり着き、妹紅の付添いを受けて永遠亭へ戻る頃には、太陽は頂上を過ぎて藤花の空腹も限界に達していた。何しろ沢から人の往来のある場所まで送ってくれる車もなく、里へ着いたら致し方なく人力車を捕まえて無駄な抵抗を試みたりもしたのだが焼け石に水、着いた頃には解剖も終わっていたのだ。
そして今は、薬局として設置されているスペースの片隅で椅子に腰を下ろして領収書を名残惜しげに手にしている藤花を、永琳は苦笑しながら眺めていた。
「経費で落ちるかは後で聞いてみましょうね。……さて」
急に真剣な眼差しに戻り、刀圭界に身を置いていなければ「なんか臓器に似たあれ」としか形容しようがない金属の皿を静かに卓上へ乗せた。見れば綿が敷き詰められており、その中に一点、金属光沢を血と油でやや失った小さな固形物が混じっている。円筒形のそれは、片方がやや尖頭になるよう成形されており、素人目に見ても摘出された弾丸である事が分かった。
藤花も領収書に関しては後々覚悟を決める事にし、今は目の前の証拠物件に集中する。
「ん……小さいね。32口径かな」
藤花がより観察しやすいよう、永琳はピンセットを出してくれた。調査のために一度洗浄してあるだろうが、落としてしまわないよう藤花の手つきは繊細そのものである。
「直径は8ミリ弱、脇腹に撃ちこまれて肝臓に達していました。そこからの内出血とショックが死因のようですね」
永琳はこめかみを掻きつつ、複雑な表情で書類と記憶に齟齬がないか確認しつつ、慎重に結果を読み上げた。発見状況については伝聞の形であるが、それについては問題ない。第一発見者はそもそも妹紅であり、ここへ至るまでの道中、詳しく報告を聞かされたばかりだったからだ。
妹紅いわく、死体は竹林に分け入ってそう遠くない位置で倒れており、朝に竹炭を出そうとした彼女が点々と続く血痕に気付き、発見したのだそうだ。獣の類に荒された形跡もなく、死亡は昨晩(これは永琳の診断にも合致する)で別の場所で銃撃を受け、竹林まで逃げてきて力尽きたのだろうという推理だった。
「ホトケさん以外の証拠としてはこれしかなかったんよね。薬莢とか」
「周辺を調べてみたものの、薬莢は落ちていなかったそうです。一応旋条痕は紙に写し取ってあるので、あとで里へ送付して登録された銃がないか確認してみます。それは鈴仙にお願いしましょう」
藤花は大きく頷き、一息つく余裕が出来た。
「とりあえず、すぐに解剖できたんは重畳やね。あとは銃弾の判定を待とか……」
そこまで言いかけた時、藤花の腹が一際大きく鳴った。何しろ朝からほとんど何も食べていないのだ。死体の話のあとに聞く生を象徴する音は、何とも滑稽さを際立たせている。
永琳も控えめに笑い、何か作りましょうかと言ってくれた。このまま鈴仙に帯同して里へ出ても良いのだが、先に手を付けているワニの件について雷鼓からの報告がまだなのでしらばっくれようと判断した。
「今日はお客さんも少ないので、作ってきてしまいますよ。わざわざ戻ってきてもらったんですし」
「……お願いしてもええですか。朝から何っも食べてなくて」
すがるような目で見上げる藤花に笑顔で頷き返し、永琳はここじゃなんですから後で事務所へお持ちしますと言って奥へと消えて行った。
未だ現場にいるであろう雷鼓の事を思うと若干の申し訳なさもあるが、あちらはあちらで弁当か何かを摂りつつ成果を待っているかもしれない。
どちらにせよ、彼女は人気のない事務所へ戻り、煙草をくゆらせつつ資料のとりまとめにかかっていた。永琳から預かった解剖結果と、銃弾の資料を添付し、書式に法って事件の発生日時、場所、状況をまとめて通し番号を振った。先程の会話通り、初動で出来る事はこれくらいだろう。第一発見者:藤原妹紅という表記を見て輝夜がどんな顔をするか想像しつつ、記入者の印を押して書類は一応の完成を見た。同時に唇を焼かんばかりに短くなった煙草を、傍らの灰皿へ放り込む。
一気に事を終えてしまうと、急に押し寄せてくる静寂の中でこの世に自分一人になってしまったような錯覚に陥る。ともすれば恐ろしいこの妄想を、彼女は半ば楽しんでいた。幻想の世界へ転がり込んだ自分が、一瞬でも嘘のように感じられるこの瞬間が好きだったのだ。
だがそんな時間も本当に一瞬だった。何本あるともしれない竹林が立てるざわざわという音に耳を傾けていると、廊下をひたひたと歩む足音が接近してくるのが分かったのだ。振り返ったのと、永琳がお食事をお持ちしましたよと声をかけたのが、ほぼ同時だった。
「おおきに、いただきます………おぉ!」
藤花が思わず声を上げたのも無理はない。てっきり握り飯か何かを予想していたのだが、永琳が持ってきたのはハイカラなパン食。それもカツが添えられていたのだ。
「大したものじゃないですが……」
「いえいえ、カツなんて久しぶりやから、つい」
いい年をして声を上げて感嘆してしまった自分に赤面しつつ、藤花は盆ごと食事を受け取った。
薄手であるが、それはビーフカツレツである証拠である。あくまでも添え物は控えめ、だがそれは質素さとは無縁の、肉の出来栄えを十分に味わえることを意味している。藤花も、どっぷりとソースをかけられ、クレソンなど添えられた皿に興味は無い。ビーフカツレツとはシンプルに味わうものなのだ。その点、永琳はよく心得ていると言えた。
里の外来人の店のものだろうか。食パンは焼かずにそのまま、そこへ薄くバターが塗られていた。思えば藤花も煙草屋を開業するまでに酪農家のところで生産の手伝いに少しだけ顔を出した事を思い出した。パンの横、バターのそれよりも少し濃い黄色は辛子であろう。カツレツの味を楽しむなら、この程度で十分だ。これ以上はくどくなる。藤花は思わず頷かずにはいられなかった。
カツレツは既に切りそろえられており、ナイフで切り分けるあの感触を楽しめないのが残念でならないが、永琳の腕前は本物だろう。色と、細かく表面に立っている衣の質感を具に観察すれば一目瞭然だ。
十分すぎるまでに目で楽しませてもらった。あとは、カツに心持ち辛子を塗り、パンに挟んでいただくだけだ。
かぶりつこうとする藤花の視界の片隅、窓の外に何かが揺れた。
永遠亭の庭先と奥に見える竹林、緑に満ちた四角い自然に、白いものがふたつ対になって揺れながら移動していた。それは窓の中央まで移動すると、少し下へ消え、次の瞬間には持ち主の顔と共に再び現れていた。
「………てゐちゃん、何してんの」
白いものは、てゐの耳であった。高堂の一件で鈴仙と会っていたので耳程度では藤花ももう驚かなくなっていた。
「藤花、鈴仙見なかった?」
「永琳はんに言われて本部に行ったんちゃう?ウチは今日まだ会うてへんよ」
てゐは窓の縁に腕をかけ、おそらく外で足をぶらつかせて聞いていたのだろう。だがそんな彼女も兎。どこで踏ん張ったのかよいしょの掛け声ひとつで縁を飛び越えて室内に転がり込んでくる。
「うわァっとと……あぶないなぁ」
「そういえば、お師匠様が書類出来たら見せてほしいって言ってたわよん。早く行ったげたほうがいいかも」
そう言うなり、てゐはそそくさと廊下へ駆け出して行ってしまった。戸があるのだからそこから入ればいいものを、と藤花が怪訝な顔で見送っていると、サンドイッチが手から消えていることに気付いた。落としたかと思い慌てて足元を探すが、パンくず一つ落ちていない。皿を見るが、そこにも無い。
「まさか」
畳を踏み鳴らして廊下へ飛び出すと、てゐが物凄い勢いで何かを口に押し込みつつ表へ通じる廊下を全力で遠ざかっていくところであった。
「てエエェェェゐ!貴様アァァ」
食い物の恨みは恐ろしく、追いかけっこは藤花が落とし穴に落ちるまで続いたという。
*
その後、雷鼓から電話が入ったのは太陽が色を変え始める直前の頃合であった。電話口の彼女は、やや興奮した様子で河童との協同作戦についてまくしたてた。
「やったよ!かかった!初めて見たよ、ワニってすごいんだな」
「お、捕まえたんやね。いやあよかったよかった。じゃあ河童の機械はうまいこと働いたわけや」
「なんか今のところワニも大人しくしててね。トラックがあるからそれで日が暮れるまでに本部前に持ってくよ」
一週間弱で成果を上げたのだ。これは、他の支部で抱えているヤマと比べると早い方と言えるのではないだろうか。海野警備局長もご満悦であろう。藤花は輝夜と警備局長の両方からお褒めの言葉とついでに金一封でも受け取る事が出来れば雷鼓と痛飲に繰り出すのもやぶさかではない。藤花は永琳に外出の旨を託けると、鈴仙を伴って里へと向かう事にした。
*
里外でも出来事とあって流石に盛大な式典が用意されているわけではなかったが、幻想郷ではまずお目にかかれない生物のお披露目とあって本部前には自警団員がちらほらと顔を出しており、騒ぎの匂いを嗅ぎつけた野次馬も集まり始めていた。
まだ命令を発した海野警備局長の姿は見えないが、発令者となれば藤花雷鼓コンビの報告を聞くべく出てくるはずだ。社会的注目の大きい事件には、そういった「らしい」締めくくりがついて回る事を藤花は心得ていた。こういう時にタイの着用率の高い竹林支部は助かる。
と、にわかに通りの向こうの人ごみがわっと分かれるのを見止めた。まだ真ん中を歩く人々も、何かに気付いて振り返り、慌てて脇へ退くのを見ると後ろから何か接近してきたのだろうと分かる。そしてそれは次第に大きくなる排気音と、群衆の向こうに屋根を見せ始めたトラックで結論が出る。
「道を開けてください、トラックを通します」
数名の自警団員が両手を広げ、あの大人数に迎えられるトラックは何であろうと首を伸ばす群衆を押しとどめている。やがてトラックが制動をかけて覆いをかけられた荷台を自警団本部前に向ける頃には、警備局長を含めた幹部連中も何人か姿を現していた。そろそろ自分も行かねばなるまい。顔見知りの自警団員に手を振って通してもらい、荷台から降りる雷鼓の横に辿り着くことが出来た。
覆いが取り払われると、群衆からどよめきが上がった。
ごましおとにとりが、拡声器でワニの紹介もそこそこに河童達が如何に腐心してこの檻を作り上げたか、そして獰猛な動物にもびくともしない強度を通販番組めいて語り合っている。野次馬だけでなく自警団員達も興味を隠しきれないと見えて、大半が檻に注目していた。警備局長は外来人だけあってそれほどの興奮を示していないようだったが、スピード重視の作戦で成果をあげた事に満足したのか、笑顔で拍手に加わっている。
ヤマの終わり方としては上出来だ、と満足げに雷鼓と顔を見合わせた藤花であった。その後、ワニをその辺の池や川へ放すわけにもいかず、里のもの好きの外来人が引き取って庭で飼育するよう落ち着く。
後日、藤花と雷鼓は社会的反響の大きさから表彰されたものの、金銭的な余禄にあずかる事は出来ず、朝まで痛飲も無くなってしまった。ただ悪い事ばかりではない。
その日ののパン屋巡回を終え、表へ出た藤花達を、呼び止める者がいた。
「うどんげちゃん?」