闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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永遠の竹林支部⑩

 庭付きの料亭と言うと豪勢なように聞こえるが、実際のそれはさほど広くもなく、店側もあまり見せる気がないのかこちらに面した障子戸を閉ざしていた。不規則に並ぶ植込みと思い出したように生えている松の間に降り立った藤花は、表で雷鼓を待たせて単身同窓会場へ潜り込む作戦に出たのだ。

「でもどうやって入ろかな……」

 月影清かな夜空の下で、障子戸からの光が冷えた地面を照らしている。なんだか情報員の頃に戻ったかのようだ。

 そこへ、便所に立とうとしたのか夜風に当たろうとしたのか、突然障子戸の一つがガラリと開いて中から男が出てきた。しゃがみこみもせずに庭先に突っ立っている藤花は、真っ先に男の目に留まった。

「んん?誰だおまえ」

 だいぶと酔っているらしく、赤ら顔の男は藤花のことを顔をしかめて眺めている。そこへ気付いたのか、もう一人、今度は女性が出てきた。

「あーっ、吉本さん!吉本さんじゃない?」

 口調ははっきりしたものだが、藤花を吉本さんと見間違える程度には酔っているらしい。どちらにせよ、思いがけず室内に堂々と上がり込む口実が出来てしまった。

「……うん、そう、吉本です」

 とりあえず言われた通りの名前を名乗った。

「おお、吉本かお前!何してんだー、早く上がれよ」

「みんなーっ、吉本さんも来たよー」

 促されるまま、微妙な顔で藤花も後へ続いた。中を覗き込めば、長机に所狭しと料理と徳利を並べての宴会の最中であり、外で予想した通り、昔寺子屋で同じ講座を受けた仲で集っているのだろう。

「あ、あは、久しぶり……でも、すぐ行かなきゃ」

 吉本さんとやらは当時こんなアヴァンギャルドな髪色をしていたのだろうか。とにかく、頃合を見て便所か何かと席を外せばいいだけの事だ。

「何いってんの、さ、座ってすわって!」

「どんどん飲めのめ!遅かったなー、慧音先生は挨拶してすぐ帰っちゃったぞ」

 その方がいい。事情を知らない彼女がいたならば、藤花の正体は見破られてしまい作戦が振り出しに戻るところだ。

 半ば無理やりに座布団の列の隙間に座らされた藤花の眼前に新たな杯が滑って来たかと思うと、早速誰かの手が酒をなみなみと注いでしまう。変に断っても却って長居させられるかもしれない。いただきまァすと一飲みすると周囲から何故か歓声が上がった。

「いまどこで暮らしてンのぉ?しばらく会わなかったじゃん」

「あ、ああ……せや、そうね」

「そういえば、吉本よぉ」

 語尾を濁す彼女に、隣にいた丸々とした男が赤い顔を近づけてきた。

「な、なに」

「お前ミツオと付き合ってたって、ほんとか?」

「えぇ……」

 新たな人物が登場してしまった。ミツオって誰だ。

 だがすぐに答えがやって来た。

「なんだよ、オレの話かァ?」

 いかにも軽薄そうな男が間に割って入ってくる。藤花は無表情のまま、男の腕が肩に回る感覚をおぼえていた。拳銃は雷鼓に預けてきて正解だったと胸をなでおろすが、そう楽しい状況ではないので素直に喜べない。

「そ、そうだよ。お前、吉本と付き合ってたのか」

「あ?あー、付き合ってたぜ」

「そんな」

 丸々とした男(今後、マルオと呼ぶことにする)の顔からサッと血の気が引いた。

「だってお前、俺が吉本に惚れてるの、知ってただろうがぁ……」

「アッハハハ、だってこいつ、デブ嫌いって言ってたもんオレが応援したところで無理むり」

 マルオの目に涙が浮かんでいる。ミツオはおそらくお調子者なのだろうが、女子受けを優先して地味な男子を蹴落とすタイプの人間だろうか。言われたマルオはわなわなと震えていたが、やがて声を張り上げる。

「お、俺はデブじゃねェ!ちょっとふくよかなだけだァあ……!」

「ちょ、ちょっと……」

 入室して三十秒で修羅場に巻き込まれてしまった。マルオは頭を抱えて転がってしまい、ミツオの腕は隙あらば藤花の胸元をいじろうとしているのが丸わかりだ。いっそここで別人だと名乗ってしまった方が良いのではないか。

「いやあの、実はウチ……」

「ちょっとミツオ!」

「あ、曽野……」

「あんたナツミとは真剣だって言ってたじゃないのよ!!どうしてくれんの!」

「えぇぇ……」

 ミツオが離れてくれたのは良かったが、ミツオは二股といわず四か五はしていたらしい。なるほど、キャラの男女比である。

「だいたい吉本も!ヒロシが好きだってつってたのに!」

「いっつもうまい事逃げるよね!あんたって!」

「いやあの、ウチ……」

「人の心を弄んで!」

「青春を返せ!」

「でぶじゃない!おれはでぶじゃないぞ!!!」

「まずい……」

 藤花の焦燥をよそに、周囲の興奮はいやが上にも高まっていた。どれか特定の話題ではない。誰もが口々に、かつて抱いた恨みつらみを述べているようだ。

「あたしをこんな体にしたのはアナタじゃない!」

「おんどりゃぁ、コネをいいことにヤミでモノを売りさばいとるそうやのォ!」

「あたし、知ってるの……行方不明になったカズコちゃんは、本当は西の雑木林に埋められてるの……埋めたのは……」

 何とかして事態を収拾しなければならない。とはいえ、一人ひとり話を聞いて解決を模索するなんて事は出来まい。そもそも藤花は吉本ではないのだ。

「ま、これも……」

 何を言い出すのかと、群衆が一段静かになった。藤花はできるだけいい笑顔で、皆を振り返った。

「過ぎてしまえばエエ思い出やねっ」

 焼け石に水だった。先程よりも二段階ほど怒号が増えたような気がする。おまけに後ろの襖が開いたかと思うと、料理を運んできた従業員が目を丸くしていたのだ。「さっきいなかったですよね!誰ですか!?」等と口走り始めた。

 ますますまずい。

 雷鼓に助けてもらいたいところだが、彼女が踏み込んでくるのは店を挙げての乱闘が始まってからだ。部屋の一つで喧嘩が始まったくらいでは来ないだろう。藤花は覚悟を決め、覚えたばかりのサインを決めてみた。

 顔の前で中指を立てる。

「ふん、がたがたヌかすなッ。騙される方がアホなんや!」

 全員が一斉に「ぶちころす」と唱和し、入り口の藤花と従業員の方へ突進してきた。料理を両手に持って動けない一人がもみくちゃにされている隙に、藤花は廊下を駆け出した。靴下ではどうにも滑る板張りを、最後の曲がり角をかっこよく滑り込んでやりすごすと、前で雷鼓も拳銃を抜いて入ってきたのが見えた。

「ほら!藤花の拳銃!」

「おおきに!雷鼓はんあっち頼むわ!」

「よしきたッって何だあいつら!?」

 藤花が来た方からは酔っ払いの集団が激怒して追ってきている。料亭で拳銃を抜いて立ち尽くす雷鼓の出で立ちもかなり場違いだが、それ以上に彼女も肝をつぶさんばかりに驚いていた。

「とりあえず渡り廊下に逃げて、賭場にあいつら突っ込ませたら貧乏神捕まえて逃げるで!」

「そ、それしかない!行き当たりばったりだけど………」

    *

 

 店の人間も出てきて廊下の騒動は押しとどめられそうになっているが、構っていられない。L字型の嘉行屋は広い庭に渡り廊下を挟んだ離れを一つ有しており、金払いのいい客や里の要人を相手にするときはそこを利用しているようだ。賭場の元締めが店主の弱みでも握ったのかは知れないが、今夜のボン(賭場)はそこで開かれている。藤花と雷鼓は時折振り返って挑発しながら怒り狂う泥酔者の群れを闘牛めいて逃げ回りつつ、誘導していた。

 酔っぱらい共が追跡を諦めないよう振り返って今時あっかんべぇをする雷鼓などは可愛げがあったが、徒競走ももう終わりだ。

二人は離れの警備役から見えにくくなるように身をかがめ、一気に渡り廊下を駆け抜けた。そして入り口の両脇につくと一気に開き、そのまま自身らは内側の壁にぴったりと張り付く。

 客は怪訝な顔をし、上役などはぎょっとしていた。恐らく三下は部外者を入れてしまったと肝をつぶしたに違いない。だがそれは数秒後、誰しも同じ感想を抱くことになる。

 怒れる酔っ払い一個分隊程が板張りを踏み鳴らす音も騒々しく、城攻めめいて廊下を突き進み、室内になだれ込んできたのだ。

「それッ、今や!」

 藤花達も逃げる他にする事があるというのは心得ていた。戸口から入って身を翻し、両脇に身を屈める一瞬で賭場の客、その中の怪しげな女性に狙いを絞っていたのだ。

「あッ」

 酔っ払いと任客、そして店の人間と入り乱れる場外乱闘の最中で、藤花はその白い腕を掴んだ。どうやら雷鼓と同時だったらしい。人並みの中で彼女と目が合った。

「よし……このまま走るで!」

「い、嫌ァ!はなしてーッ!」

 両脇から腕をがっしりと捕まえられた女苑は、為す術もなく嘉行屋から連れ去られてしまった。

 

   *

数分後、すっかり日も落ちて寒々とした里の通りを疾走するシトロエンDSの姿があった。

一見すると牡蠣の殻めいたシルエットを持つその車は、柔らかなサスペンションで里の路面を捉え、滑るように移動している。睨みつけるようなヘッドライトは街灯などという洒落たものの存在しない夜は良く目立った。

車内ではハンドルを握る雷鼓と、時折もがく女苑を押さえつける藤花が座していた。戦後すぐの設計ながらヒーターなどと粋な装備を持ったシトロエンはキリリと冷えた空気を解きほぐし、少しばかり窓を曇らせながら一気に車内を暖めてしまった。

「すぐに、すぐ降ろしてよ」

「悪いけどそうはいかないんだなァ」

 嘉行屋の薄暗い賭場では分かりづらかったが、変装していても髪や顔だちは聞きしに勝る派手な貧乏神そのものだった。よく今日までバレずに来られたものだ。雷鼓は彼女の要求を、一笑に付した。

「いつもこんな乱暴な事するの?」

 雷鼓では話にならないと思ったのか、女苑は傍らの藤花を睨みつけた。だがこちらも運転者とさして変わらない雰囲気で苦笑する。

「ま、十回に……十回くらいちゃうかな?」

「あんた達姉妹には、海野の汚職を暴く証人になってもらわなくちゃいけないんでね」

 だが女苑はあくまでも反抗的だった。

「こんな事してただで済むわけないじゃない……里の任客も黙ってないわ」

「まァ悪い奴には強いから、ウチら」

「自警団にも抗議するんだから」

「はい、自警団です」

「ウチも自警団やで」

 ハイ到着とばかりに胸を張る二人に、女苑はため息をつく他になかった。

 彼女へ目隠しをすると、シトロエンはしばらく里を迷走し、嘉行屋周辺が静かな事を確認すると船着き場の奥、寂れた一角へと滑り込んだ。

 この辺りは廃船が複数放置されており、また使用できる船の主もこの時期は川漁へは出ず、干物の生産や出荷に忙しく滅多な事ではやって来ない。雷鼓と藤花にとって絶好の私設取調室というわけだった。

 灯りの無い真っ暗な船倉へ女苑を引き入れると、そこで初めて彼女の目隠しを外した。

「フン、素敵な部屋じゃない」

 皮肉たっぷりに強がってみせる女苑を、雷鼓は満足げに頷いて笑った。少しづつ目が慣れてくると、どこからか漏れてくる外の光でぼんやりと部屋の様子を掴む事が出来た。

「ウンウン、良かったなー、好みが一緒で」

 二人は小言をいなしつつ海野との関係を聞き出そうとしたが、女苑はあくまで頑なであった。だがしばらくして、彼女には焦りの色が見え始めたのだ。

「ちょっと、ただの客だったのに、朝まで帰さないつもりなの」

「ただの客が自警団の偉いさんや外部協力者とコッソリ会うたりせえへんやろ。何て言って海野に近づいたん?辰宮って男は知っとる?あんたの姉さんも一枚噛んでるん?」

 藤花の問いにも答えない。何か隠し事をしているように思えてならなかった。

「雷鼓はん、ちょっと試そっか」

「何を」

 藤花は、雷鼓を船倉の隅へ連れて行って耳打ちした。

「しっかり隠しとくより、チラつかせて辰宮とかいう男をあぶりだせないかなって」

「もしもの事がありそうな手段は止めときなって……」

 藤花の提案は、里を走り回って海野の手下と目される辰宮をおびき出し、その間にどちらかが姉の方の居所を女苑から聞き出すという作戦だった。

辰宮は他にもう一人殺し屋を引き連れているはずで、そいつらと決着をつけない事にはこちらが逃げに徹しなければならなくなると藤花は心得ていたのだ。

「ウーン、そうだなー。ま、上手くいけば一歩どころか十歩くらい前進ってわけだ」

「そゆこと」

「で、どっちが男でどっちが女を相手するの?」

 恐らく二人の希望は重複するだろう。それが証拠に、藤花がまたコインを取り出しても雷鼓は止めなかった。だが彼女はコイントスの実行役を、一銭硬貨をひったくる事で自分がやると主張した。

「藤花はすぐズルするからなー……よッと。……んー、裏」

 藤花が燐寸を灯し、雷鼓の保持された手の甲を照らし出した。出ているのは表だ。

「…これ両方表なんじゃないの」

 コイントスに絶望的に弱い雷鼓がとんでもない事を言い出したので、藤花はコインを彼女の手からつまみあげて燐寸の火で両面を示した。そしてその火を無駄にする事無く、懐から取り出した煙草へ点火するのに供する。

「ちぇー、変な事するんじゃないよ」

「ふふん、レディの扱いはお任せ、やで」

 藤花が得意げに紫煙を吐き出すのを、雷鼓はジトリと見やると指を鳴らして「頼んだぞ」と藤花の体部分を指さした。

「なんでウチの股にお願いすんのよ」

「決まってるでしょ」

 雷鼓は捨て台詞めいて振り返らずにこぼすと、腐りかけの木戸を押し開いて船倉を出て行った。

「サテ……おしゃべりの続きしよか。自警団のえらいさんの依頼やったら、ウチらから逃げる必要ないやろ。なんで逃げようとするん?」

 

   *

 

 一方の雷鼓はシトロエンへと舞い戻り、エンジンを回して船着き場を後にしていた。一旦嘉行屋付近を流した後、北部の市場の辺りへと出た。この時間は出歩く人間も少なく、稀に見かける人影も、よからぬ店に出入りする者か、里でひっそりと行きつけの店を作った妖怪か何かだろう。

 ただあてどなく走ったのでは囮だと吹聴して回るようなものだ。

雷鼓は意味深に急加速して角を曲がってみたり、戻ったら食べるつもりの蕎麦を買い求めたりして時間をつぶし、半刻ばかり走った後に戻る経路を選択する。

チラとバックミラーを確認すると。いるいる。ヘッドライトを消した見るからに怪しいフォードが一台、数ブロックの間隔を開けて尾けてきていた。幻想郷では自動車そのものが悪目立ちするシロモノであった。

やがて船着き場へシトロエンを滑り込ませると、急ぎ車を降り、藤花と女苑の待つ廃船へと駆け込む。

「ただいまー」

 即製の机と椅子だけという殺風景な船倉では、相変わらず女苑が不機嫌な様子で座っており、藤花は壁にもたれて煙草をふかしていた。

「ふふ、良かったー無事で」

「ウチがついてるねんから、当たり前やん」

「だから心配なの」

 買ってきた蕎麦と汁を机に並べつつ、雷鼓は藤花の軽口を空中で撃墜した。

「それで、お車の首尾は?」

「追っかけ以外の男に後を尾けられるってのは、気持ちいいもんじゃないね」

「大丈夫?辰宮がここに突っ込んで来たりせえへん?」

「私があいつなら、まず車を吹っ飛ばして逃げ足を断つね。それなしに突っ込んでくるようならトーシロ、私らの敵じゃないよ」

 確かに、密告しようとした男を消すのに消音拳銃を使うような男なのだから、手抜かりはないはずだ。

待てよ、消音拳銃。

単発の銃を使うのに、到着を知らせるファンファーレめいて車を吹き飛ばすような真似をするはずがない。消音拳銃の利点を最大限生かすなら、音もなく忍び寄って不意打ちという手段に出るのではないか。もしかしたら今この瞬間に辰宮は彼女らの車をパンクさせるなり障害物で行く手を遮るなりして、こちらへ向かってきているのではないか。

廃船の痛んだ木材がどこかで軋んだ。藤花と雷鼓が、椅子に座らせた女苑を引っ掴んで床に伏せた。

 

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