闇の奥 ~昭和二十年の幻想入り~   作:くによし

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第二部 人里②

 中国服の女性の助けを借りて、すぐ近くで香ばしく、甘い匂いを立てる団子屋へ入った。やけくそで円札を突き出したところ、なんと会計が出来たのでこれ幸いとばかりに出来立ての団子を大量に注文、月見には時間も季節も早いが、山と重なる団子をお詫びに女性にも分けつつ一心にほおばり続けた。喉を突かん勢いで串をくわえこみ、引き抜けばもう団子は一個も残っていない。目といえばもう一方の手で確保された串団子を見据え、醤油だれの垂れ具合を粍単位で観測し、固まり過ぎず流れすぎずの一瞬に口元へ運ぶ。

 一連の作業を号外発行に勤しむ輪転機めいて完遂した藤花は、湯呑みから幸せそうな音を立てて茶を飲み干すのだった。

「す、すごい食べっぷりですね」

「……っと、いかんいかん。おおきに、付き合うてもろて。えーと」

 ここへ来て初めて相手の名前を聞いていなかった事に気付いた。相手もそれに気づき、片手を自分に当てて微笑んだ。

「美鈴です。紅美鈴」

「美鈴はんやね。ウチの事は、藤花って呼んでな。よろしゅー」

 先刻は済まなかった、と団子を勧めると、美鈴はどうも、といって受け取った。

「いえいえ、ただならぬご様子でしたし……あの家に住んでる人がいるとは思いませんでしたよ」

「あいや、あの…住んでるというか、居ついてるというか……」

藤花の目が泳ぐ。ごまかしついでに震える手で煙草を取り出そうとして、止めた。美姑娘とお近づきになったのは喜ばしいことだが、くつろぎすぎるのも考え物だ。

そして、ついに疑問を口にした。

「美鈴はん、ちょっと教えてほしいねんけど……ここって中国、戦地や無いの?」

「せんち……?あっ。もしかして、藤花さんは外から来た人ですか」

 その言葉に、藤花は再び肩を落とした。口へ運びかけていた湯呑みを降ろす。

「……人外魔境って気分やな」

「?」

これだけの規模を構築している日本風の空間で雑誌新青年も通じないとあっては、半ば諦観に似た形で藤花も現実を受け入れざるを得なくなってきた。小さく頷いて、美鈴の方へ向き直る。

「そうみたいで、ウチは日本で生まれ育って、色々あって大陸へ渡ったつもりやねん……けど、気付いたらここに」

「たまに、藤花さんみたいな人が来るんですよ、ここ。つまり、藤花さんが生きていた世界とは、時間も空間も隔絶した場所なんですよ」

「そ、そうなんや……」

 いつしかの霖之助とやらからも聞いた言葉だ。しかし、美鈴に心配させるのもなんだか気の毒に思い、まずは落ち着こうと改めて湯呑みを傾けた。

「ちなみに、藤花さんのいた時代は関ケ原からは何年ですか?将軍職はまだ徳川ですか?」

 団子屋の前に、茶の霧による虹が浮かび上がった。

 

   *

 

 美鈴は、買い出しを終えて屋敷へ戻る途中だったという。これ以上付き合わせるわけにもいかないので、里のはずれまで見送る事にした。その間、親切にも里で暮らすのに必要な事柄について、二、三教えてくれた。

団子屋では円が通じたので、一応貨幣経済は回っているらしい。森や山についても教わったが、藤花にしてみれば余計な詮索はせずに、生活基盤を固める事が先決のようだった。

「とりあえず、飯のタネになる事を始めんとなぁ……美鈴はんは何してはるのん?」

「私はですね、湖の方の屋敷で門番を…」

「たしかに」

 藤花は煙草に火を点けながら頷いた。出会ったときにも薄々気づいていたが、格闘技の覚えがあるらしく、それは動く時の体重移動や歩き方にも表れている。藤花もかつて何人かの師範から見よう見まねで習ったが、流石に専門家というまではいかず、用心棒の職を求めるのは諦める事にした。

 聞いてみたところ、住んでいるのは大半が日本人で、元の世界で言うところの外国人は極僅からしい。

人の住む集合体が一つしかない以上、他の人間勢力との争いは起こるまい。となると、スパイは廃業するしかなさそうだ。外国人相手に通訳なら七十六号で学んだ語学と文化の知識が活かせるだろうが、里の外国人が皆して日本語に強くなってしまえば廃業だ。ひとまず、戻って手持ちの道具から使えそうなものを選び出すしかあるまい。

「おおきにな美鈴はん、何かあったらまた話してもええかな?」

「勿論ですよ!」

 美鈴は、屈託のない笑顔で頷く。めっちゃ良い娘や、惚れそう。

 と、どこからともなく郷愁を誘いそうな鐘の音が響いてきた。それに反応して美鈴が飛び上がる。

「でッ、では!今日はもう日も低いので、ごきげんよう!」

「はい、ごきげんよう」

 家路を急ぐ美鈴の背中を見送りながら、藤花は振る手に持った残り短い煙草を見つめ、首をかしげた。

「変わった挨拶やなぁ。……夜型の家族、なんかな」

 

   *

 

 日が落ちると、里の人通りは一気に少なくなった。勝手知らぬ土地で夜で歩く必要もあるまい。藤花はまっすぐ家(?)に戻ると、僅かな明かりで荷物を解き、調べ始めた。

 糧食の類は必要最低限しか持っておらず、明日明後日で尽きるだろう。薬品に関しても同様だが、この里にも医者くらいは居るだろう。日中、美鈴も藤花を卒倒したと思いこんだときはどこかへ運ぼうとしていた。

 となると残りは野戦で使用する装備だ。銃。これはあまり持ち出さない方がいい。里の文化、技術の程度から言って徳川幕府か明治の片田舎といった程度であるし、そんなところで自動小銃なぞが万が一他人の手に渡った時に怪我や争いの元になる。

 ひとまず押入れに油紙で包んで武器、弾薬の類は堅く封印した。気を取り直して背嚢をひっくり返すと、まだ包みが出てくる。よくもまあこんなに詰め込んだものだ。

「ほっ」

 出てきたものを見て、藤花の顔が綻んだ。恐らく宣撫工作用のものだが、煙草や塩だった。そこそこの量がある。ここで通用するかは不明だが、軍票の束と偽中国紙幣もある。

「公社みたいやなあ」

 とりあえず、煙草屋でも始めようかと頷く藤花。最後に取り出した包みを見て絶句する。

 生きて日本の土を踏んだらと託された遺書や遺髪、遺品をまとめた包みだった。今まで会った全員ではないが、度々そういったものを託されてきたのだ。

藤花は静かに泣いた。自存自衛の為、まずは生きなければならなかった。

   *

 

 翌日、藤花は目を覚ますと陸軍毛布を跳ね除けて中庭へ歩み出た。まだヒンヤリとした空気が風に乗って流れると、寝汗に湿気った首筋が心地良い。伸びをしてひとしきり天突きで体をほぐすと、手ぬぐい片手に散歩がてら繰り出し、目当ての井戸を見つけて水汲み中の婦人へ挨拶した。

「どーもー、おはようさんです」

 暮らしの安全は良好な近所づきあいから、そう思い努めてにこやかに会釈したのだが、相手の反応は予想と大いに異なった。

 まず、藤花同様に「どーも」と言いかけたのだがドーで固まり、チラチラとこちらを伺いながら水汲みに戻ったかと思いきや足早に帰って行った。一体何がいけなかったのだろう。もしかして新入りなのに蕎麦を持って来なかったからだろうか。勘弁してほしい。蕎麦屋が何処にあるかか以前に蕎麦があるかどうかすら知らないのだ。

 次にやって来た青年も同じような反応をした段階で、藤花は何かがおかしいと気づいた。もしかしたら自分が知らない文化があって、それに逸脱した行為や装いをしていたのかもしれない。昼にでも団子屋に行って聞いてみようか。

 そう思って水をすくおうと手桶を覗き込み、天を仰ぎ、次に凄い勢いで手桶を覗き込んだ。

「なんじゃこりゃああああああ」

 波が収まった水は止水、それ即ち明鏡に至る。古代より人物を写すとして鏡は特別な意味合いを持たされてきた、と、そんな事は今はどうでもいい。

 水面に映る藤花は、桃色とも藤色ともつかぬ髪色に染まっていた。

 

   *

 

「開けろぉぉぉッ!開けろおおおおぉぉッッ!開けろ開けろおおおおッッッ!」

 数十分後、藤花は先日来た道を駆け足で戻り、香霖堂の戸を乱打していた。

 一部の人物を除き、染めた髪のようなものは基本的に見かけなかった。地域の気候や太陽光によって髪色に個人差が生じる事はあっても、ここまで短期間に、しかも劇的に変わるなんて事は聞いたことが無い。何にしてもここへ来て何かされたのはここで解毒剤とやらを飲まされたのが初だった。

 しかし、それ以上に驚くべき事に、どこからともなく折りたたまれた新聞が飛来し、藤花の後頭部を直撃したのだ。紙とは思えぬ衝撃によって彼女はよろめき、障子を突き破らん勢いで顔を押しつけた。店を早くから開けるつもりだったのか、聞き覚えのある藤花の声に反応して出てきてくれたのかはわからないが、霖之助が出てくる途中だったらしい。中から「うわっ」なんて声が聞こえてくる。

「香霖堂の兄ちゃんいはる!?うわっ、やなくて、ウチも驚天動地の状態なんやけど!」

 戸を開けると霖之助が雑多な店内の物体をまたぎつつこちらへ来るところだった。

「うわっ、じゃないよ。それは新聞だよ」

「新聞くらい知ってます!飛んできた事に驚いてるんですわ!後、この髪の事も聞きとうて!」

 礼と詰問、入り乱れて敬語と語尾の荒くなった言葉もちゃんぽんになりつつ藤花は新聞を霖之助の傍らの小机の上に安置する。

「まあ、それもあるんやけど……礼も言わずに行ってしもうたから、まずはそれを言いたくて」

 頭を下げ、とっておきのフィリッピン葉巻を差し出した。藤花の昭和十年代の基準では、だいたいの成人男性は煙草を嗜んでいた。霖之助は、取りあえずそれを受け取ると良い葉だね、とつぶやいて葉巻の匂いを鼻先で楽しむと新聞の上へ置く。

「ご丁寧にどうも、全部の力になれるかはわからないけど、おそらくここの事はまだ全然知らないんじゃないかな」

 藤花は頷く。

「その節は、ほんまに済みません」

「急に別世界と言われて理解できる人もそうそういないし、仕方がない。何人かに一人は受け入れられなくて森に駆け込んだりするからね、その後は、一度も見かけていないけど……」

 藤花は身震いした。やはり、あの森は何かあるのだ。ならば森を抜ければまた満洲……という想像は抱かないに越した事はない。そうなると、一点の疑問が生じる。

「そこで……ここからそ、その、元居た世界に戻ったって人はいはるんでしょうか」

 藤花の問いに、霖之助は首肯した。その動きで彼女の気が晴れなかったのは、どこか重苦しい表情を察したからである。

 片手の掌を上に向け、人差し指と親指で輪を形作った。

「もしかして……これがかさむとか?」

「それは相手次第だけど……すぐにできるかは聞いてみないと分からないな」

「聞くって、どちらはんに行けばよろしいんでしょ」

「後で教えるけど、これまた何度も通ってきた道で、博麗の巫女に聞いてみない事には、だね」

「はくれい……」


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