彼の周りは少し愛が重い   作:澱粉麺

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清水の濁り(村時雨ひさめ)

 

 

 

往来に、銅像がある。それが何を記念して建てられたものかはきっと、その待ち合いに用いた人は誰も答えられないだろうが、待ち合わせにはもってこいの場所。ただそれだけが存在価値となり、像は未だに敬意を向けられている。

 

 

さて、そんな像が視界に入る程の距離になり、一人の少女が驚いたように身を弾ませ、小走りで像に向かう。

 

彼女が驚いたのは、待ち人が既にその銅像前に居たからであり、そしてまた、少し早めに来たはずなのにという後悔からだった。

 

 

「は、はっ…す、すみません!

待たせてしまいましたか!?」

 

 

 

村時雨ひさめは少しの息切れと共に、その少女がある人物に声をかける。そのおさげ髪に付いた控えめな髪飾りに小さなポシェット。それとふわりと浮くような白い服装は、見目麗しさを効果的にプラスしている。

 

 

「いやいや、全然。ちょうど来たところだ」

 

 

そして声をかけた対象はまた、一風変わった見た目をしている。それは服装というよりは、その背丈と、何より顔に大きくついた古傷。

古賀集は、のっそりと寄りかかっていた背中を離して立つ。

 

 

「も、もう少し早く来れば良かったです…」

 

 

「ちょっと以前が以前でな…

俺が早く来すぎたんだ」

 

 

「?以前?」

 

 

「いやなんでも。それじゃ行こうか。

あ、他に寄っておきたいとことかある?」

 

 

「あ、特には…で、では!」

 

 

出征のようにびしりと力を入れて、出発の声をあげる少女に、古賀が笑う。

どうにも彼女は面白いんだよなあ、と。

 

 

二人が向かう先は水族館だった。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

(土曜日、その…空いていませんか?

勿論、予定が入っていたらいいんですが)

 

 

 

一緒に帰ることを提案された、金曜の帰り道。またなと手を振る直前、制服の裾を遠慮がちに摘まれながら、そう言われたのだ。

 

 

(一緒に…一緒に、遊びに行きませんか?)

 

 

そう、顔を耳まで赤くされ頼まれれば、断る理由など無い。元より予定も無く、承諾しようとしていたのだから尚更だった。

 

 

 

 

受付の従業員に学生を疑われ、学生証を見せてから、学生値段で館内へ入る。いつもの事とは言え、学生用の値段のチケットと顔を二度見される事は、青年に心のダメージを与える。

 

 

「…あ!見てください!

こっちですよ、こっち!」

 

 

その空気を変えようとしたのか、少女は項垂れた古賀の手を取り、ととんと小走りで前へと進む。その小さな手は少し熱く、少しだけ湿気を帯びていた。

 

そうして引かれるままに、先に進む。

するとそこには、愛らしい姿があった。

 

 

 

「おお、ペンギンか!」

 

 

「はい、この子達が此処の目玉らしいですよ。色々とパンフレットに書いてあります」

 

 

ひさめは少し誇らしげにそうパンフを古賀にも渡す。古賀はさっき既に貰っていたパンフを、気付かれないようにバッグの奥に仕舞い込んだ。

 

 

 

「ううん、目玉になる理由がわかる気がしますねぇ…見ているだけで癒される感じが…」

 

 

「そうだな…やっぱり所作が可愛いよな。

動きの一々とか、こう歩き方とか」

 

 

「あ、わかります!なんていうかこう…頑張っている感じが可愛いというか!」

 

 

 

目を輝かせながらそう力説する姿を見て、にっこりと古賀は笑う。反射的に頭を撫でようとして、ギリギリ止める。

彼もようやく自制が効くようになった。正確には、しようとする瞬間彼の妹の咎める声をふと思い出すようになったのだが。

 

なんとか踏みとどまり、そして再びにっこりと微笑みながらあることを思う。

そう、一々の所作に癒され、努力をして、そしてその様子が愛くるして仕方がないのは…

 

(ひさめはこのペンギンに似てるなあ)

 

と、そう思った心は、女性に言うには流石に失礼すぎると口には出さず、ただ無言にひさめを見つめていた。

 

その視線にどこか気まずそうに、照れ臭そうに身体を縮こめる姿のその手を、今度は青年が引く。

 

 

 

「さあ、他にも見にいこうぜ。

折角だしコンプしたいからさ!」

 

 

「は、はいぃ…!」

 

 

 

さっきよりもその手には、熱が籠っているように感じた。手のみでなく、顔まで熱く熱を帯びているようだったが、青年はそれには気付かない。

 

というのも、彼自身もまた、水族館にワクワクを隠しきれなくなっていたのだ。

 

 

歩き回る内に青年が足を止めたのは、深海魚のコーナーだった。

 

 

 

「えっと、そこは…深海のおさかなさんがいるところですね。古賀さん、好きなんですか?」

 

 

「いや…好きってんじゃないし、全然知らないんだけどちょっと気になってさ」

 

 

 

そう語る様子とその目には好奇の様子が隠しきれていなかった。それを見て、ひさめがくすりと笑う。

 

彼は優しく、俯瞰しているように全てを見ているようでありながら、どこか、少しだけ子供っぽいのだ。少女はあばたもえくぼというか、そこをこそ、微笑ましく見えてしまっている。

 

 

 

「ではそこにいきましょうか!

あ、この後これなんてどうでしょう?」

 

 

「お、いいな。じゃあさ、その後…」

 

 

「こっちも…」

 

 

 

 

…楽しき時間は、瞬く間に過ぎていく。

 

 

出る時になって、最後に見ようと二人で意見が一致したものは、意外にもクラゲであった。それはちょうど近くに水槽があったという事でもあり、その光彩が艶やかであったからでもあり。

 

 

 

「……綺麗ですね」

 

 

「ああ、ほんと」

 

 

透けるほどに透明な身体には警告の為なのかアピールの為なのか、白黄色の光を纏っている。その様子はいっそ人工的なもののようすら見えるほどに幻想的だった。

 

 

 

「……また、貴方と来れますか?」

 

 

出し抜けに、ぐっと手を握り、そう言う少女。

その顔は、海月の光の反射によって、少しだけ暗く影が映っているようだった。

 

 

 

「?ああ、また来よう。

また今度にでも」

 

 

 

そんな答えが返ってくる。

ああ、質問には十全に答えてはいるだろう。ただそれが答えであっても答えになってはいないことを、青年は気づくことは無い。

 

 

「そうですね」

 

 

少女は、少しだけ疲れたように笑った。

 

 

楽しい時間は、瞬く間に過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

「あ、あれえ…?」

 

 

 

しわっと、困ったように、おろおろとしてしまうひさめ。

 

というのも、彼女は水族館から出た後に、レストランへの道案内を始めたのだ。

得意げに、リサーチ済みであるのだと。

 

ところが着いてみるや、そこは予想以上に人気の場所であったらしく、満席。

予約なども行っておらず、ただ立ち尽くす事になってしまったのだ。

 

 

そうしていると、古賀が少しわざとらしく財布を取り出して中身を確認する。

そして、言う。

 

 

「ごめん。実は今さ、ピンチなんだ。

ここ、結構いい場所だろ。だからちょっと厳しくってさ…あっちとかはどうだ?」

 

 

指差す先は、チェーン店のファミリーレストラン。見るからに、明らかに、気を回した提案。

 

ただその場は、その提案に従うしかなかった。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

(ああ、まったくもう!)

 

 

…また、やってしまった!

電話でもなんなりでもして予約を取っておくべきだったのだ。なのにそんな事すらしないで、彼にも恥をかかせてしまった。

 

きっと、気にしてないと言ってくれるし、あの人は本当に気にしてなんかないんだろう。

でも、だからこそ、僕はつらい。

 

 

 

「ごめーー」

 

 

「本当はさ」

 

 

「!」

 

 

「…本当は俺がエスコートするべきだったんだ。男なんだし、何より先輩だし。なのに俺は任せっきりになっちゃってさ。情けないったらないよな」

 

 

「ごめんな」

 

 

 

違う。僕が急に誘って。直前までどうするかを言わなかっただけなのに。貴方がそんなことを思う必要なんて一つもないのに。

 

貴方が謝る必要なんて、ないのに!

僕こそが謝るべきなのに!

 

 

でも、古賀さんの言葉はそこで終わりじゃなかった。にかっと笑い、更に続ける。

 

 

「だから俺に、チャンスをくれ」

 

 

「…『チャンス』?」

 

 

「うん。

また来れるか、ってさっき聞かれたよな。

だから今度また、一緒に遊びに行こう」

 

 

「それでその時はさ。

今度は俺にエスコートさせてくれよ。な?」

 

 

 

彼はそう言って静かに手を差し伸べ、情けなさにうなだれていた僕の頭を、静かに撫でてくれた。すぐ後にびくりと震え、「やべ」と小さな声で言っていたけれど。

 

その手の感触に僕はただ、安らいでいた。

 

 

 

 

恋に落ちる、という言葉がある。

 

あれはきっと、1度きりのものではないんだ。

何度でも何度でも落ちる事が出来る。

どっぷりと肩まで浸かっている沼に、さらに足首を掴んで引きずり込まれるような、そんな風にして何度でも。

 

そうだ、それは、盲目になるだろう。

沼の、奥の奥に引きずり込まれて。

周りなんて見えるわけがないんだから。

 

 

自覚した感情が迸るように、胸が熱くなる。迸りをそのままに、感謝と、愛の言葉を口にしようとした。

 

 

その瞬間。

 

 

 

「そういえばアオもさ。

どこか遊びに行きたいって言ってたんだよ」

 

 

 

ずぐん。

胸に、何かが刺さるような痛みが走った。

鈍痛にも近しい、そして、傷ではないもの。

どうして、彼女の名前が出てくるんだ。

 

 

 

「今度、あの子にオススメしてみようかな。

此処、すごく面白かったし」

 

 

 

『どうして』。

わかってる。彼の中では、僕もあの子も、同じなのだ。同じ、可愛い後輩。

 

でも、だからといって。

いや、だからこそ。

 

 

 

 

「…やめた方がいいと思いますよ」

 

 

「え?」

 

 

 

ぽつりと、口に出していた。

 

 

 

「い…いや、ほら!水族館とかよりも、遊園地とかの方がいいんじゃないでしょうか?身体を動かした方が楽しかったりするでしょうし!」

 

 

 

すぐに気付き、なんとか頭を回してそう言い繕う。少し変だとは思ったようだけど、ただそれでもすぐになるほどと考え込んでしまった。

 

 

 

「うーん、なるほどな…

さすが、同じ女の子だと参考になるな」

 

 

「そ、そんなこと…きっと、古賀さんが考えてきてくれたものならなんでも喜んでくれると思いますよ!」

 

 

「はは、そうかなあ。そうだったら良いが」

 

 

 

僕がそうだから。

なんて事は口に出せなかった。

 

 

ぐつぐつと、何かが煮えたぎるようだった。

ああ、わかりたくない。目を逸らしたい。

なのに目を逸らす事が出来ない。

汚い蛾が街灯に否応なしに飛び込むように。

 

 

「そう、ですね。僕も出来る限りのアドバイスとかはしますけれど、古賀さん自身が考えて出した答えが、一番喜ばしいものです。きっと、そういうものですよ」

 

 

「そうか?」

 

 

「はい、勿論。

…だから今度の時も、提案してみてください」

 

「どうですか。集、先生?…なんて」

 

 

 

「あれ、それ…」

 

 

「えへへ、アオちゃんの真似です」

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

「あ…」

 

(爪、切らなくっちゃ)

 

 

 

小学生の時分には治っていた癖が、また出てきてしまった。左手の親指の爪を噛む悪い癖。無意識に噛んで、爪がずたずたになってしまう、恥ずかしい癖だ。

 

 

帰り道で、誰も見ていなくて良かった。少なくとも、古賀さんが居たら、こんな姿見せたくなかった。こんな醜い姿を。

 

 

 

自分で言うのもなんだけど、昔から僕は物分かりがいい子だったと思う。言われた事はやるし、怒られたらやらない。こうして欲しいと言われれば、そうしていたし、諦めもよかった。

 

でも、どうしても諦めきれなかったり、どうしても納得できない時。この癖が出ていた。

もうずっと再発してないから、治ったものだと思っていたのに。

 

 

…他の人ならば、仕方ないと納得させられた。

才色兼備で、皆の人気者で、かっこいいシドさん。優等生で、しっかりしてて、年下なのに僕よりよっぽど強い鈴ちゃん。

 

本当はとても嫌だけれど、もし、彼が彼女たちに惹かれるならばそれは仕方ないと。

 

 

 

でも、アオちゃんだと納得いかない。

 

僕と似たような顔つきだろう。

後から逢ったんじゃないか。

僕と何が違うっていうんだろう。

 

考えたくもない、そんな感情が沸々と湧いてくる。彼女に、横を取られる事を考えると、どうしようもない感情が湧いてきて仕方がない。

 

教えられるのは僕だったじゃないか。後輩として可愛がっていたのは僕だけだったじゃないか。僕の、僕だけだったものを取らないで。

 

考えれば考えるほど心の中がいっぱいになって、何も考えられなくなる。一つの色で思考が染め上げられていってしまう。

 

ぐちゃぐちゃに、どろどろに、なっていく。

 

 

 

(ああ、嫌だなあ)

 

 

…これまでもほんの少し、抱くことはあったろう。誰かに抱き、それでも確かな形にはなる事はなく、それに心が囚われることも何一つなかった。小さなそれくらいならば、仕方がないことと流す事くらい出来た。

 

 

だからこれは、僕の初めての体験。

渦巻き、囚われ、動けなくなる最初の。

 

どうしようもない気持ち。

僕の、疑いようのない気持ち。

理解できなかった色々が理解できてしまうまでに、この想いを抱いてしまった。

 

沼の奥に沈み、もはや盲目になってしまった僕が心の内にわかる、グロテスクまでに明確な感情の罪だ。

 

 

(…シドさんの気持ち。

分かって来ちゃった)

 

 

 

 

ああ、そうだ。

 

 

これは、嫉妬だ。

 

 

 




汚れなき乙女は、貴方が穢してしまった。
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