彼の周りは少し愛が重い   作:澱粉麺

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稲妻が照らすは(古賀鈴)

 

 

 

その嵐は、急な災害であったりだとか、季節外れの暴風と天気予報士が言っていた。そんな他己評価に負けじと言わんばかりに、窓をガタガタと揺らして、びゅうびゅうと風が吹き荒れる。雨が降り、雷が猛る。

 

 

台風と見まごうようなほどのそれは、夜半になろうとも降り止む事は無い。

 

 

 

乱れた気圧の影響か、はたまた単純に雨風と雷の音がうるさく目が覚めたのか。

青年はむくりと寝床から身を起こし、一つ欠伸をすると立ち上がり、リビングに出る。

 

電気を付け、軽く伸びをして、妙に冴えている目をしぱしぱと瞬いた。

こう天気が悪いと古傷が少しだけ痒くなるんだよなとぼやきながら、むずむずする顔を大きな手の小指だけを使って軽く掻く。

 

 

青年…古賀集は、そうしていると、階段の方に気配を感じる。

 

気配と云うと大仰に聞こえるが、実際はとんとんと軽い足音が耳に入っただけである。

そっちに目を向けてみると、そこには。

 

 

 

「あれ、鈴?

どしたこんな夜中に」

 

 

「それはこっちの台詞です」

 

 

彼の妹、古賀鈴が呆れたような微笑むような複雑な顔で立っていた。

 

その姿は、寝る前である故に当然、しっかりとした着こなしではない。

 

サイズがあわずワンピース姿のようになっているTシャツを着、下にはそれと少し合わないような可愛らしいスウェット。

黒い髪をいつもの如く真っ直ぐに撫で付けるでなく、軽く横に分けている事も相まり、ひどくラフな様相を醸し出している。

 

彼女が寝間着にしている少し緩めのTシャツは、数年前にサイズが合わないから雑巾にでも使ってくれ、と渡された兄の物である。

彼女曰く、「利便性ゆえです」と。適度に着古された布は寝巻きにちょうどいいのだと。

 

 

「さすがにそろそろボロいと思うんだけどな」

 

 

「?ああ、これですか。

捨ててしまうには勿体無いでしょう」

 

 

ぼそりと呟いた声に、あくまでキリとした様子で返してくるその答えに苦笑する。

物持ちがいいということは良い事だからと、集もこれ以上言及する事は止める。

 

そして代わりに、話題を元に戻す。

 

 

 

「鈴も眠れないのか?」

 

 

「…ええ、まあ」

 

 

「まあ、そうだよなあ。ホットミルクでも作ろうと思ってたんだけど、鈴も飲むか?」

 

 

「なら、お願いします」

 

 

「応。それならハチミツとかも入れて甘くするか。折角なら美味しい方がいいしな」

 

 

「そうですね。

…後で歯を磨くのを忘れてはダメですよ」

 

 

「母ちゃんかお前は…」

 

 

 

再びの苦笑。彼女なりの冗談であったのだろう、くすりと少しだけ悪戯に微笑む。

 

瞬間、雷が鳴る。

その音にびくりと二人が肩を震わせる。

 

 

 

「…っと、近いなあ。

停電だとかならないといいけど」

 

 

「え、ええ…そうですね」

 

 

 

ばたばたと、激しい雨が窓硝子に当たる音が、ミルクを温めるガスの音と混じりリビングの中に響く。ソファーベッドに座り込む鈴は、所在なげに片方の手でもう片方の二の腕を掴む。

 

 

 

「変に目が冴えちまったなあ…

そうだ、なんか映画でも観るか。ちょっとだけ借りてきたんだよ、シドから」

 

 

「へえ?あの人、映画好きなんですか?」

 

 

「ああ、当人曰くそうでもないって言ってたけど…まあ少なくとも俺よりは詳しいぞ、ありゃあ。そもそも俺が詳しくないんだけどさ」

 

 

「…前話してたみたいに、つまらない映画ばかり渡してきたりしたんじゃないですか?」

 

 

「俺もそれ怖くなって聞いた!

そしたら、『苦しんでる顔を横で見れないなんて勿体無いししないよ』だってよ…!」

 

 

「うわあ。なんというか、とことん…」

 

 

「な。ねじ曲がってるっつーか」

 

 

「全くです。まあ、そうなるとそこにあるものは面白いものであるに間違いはなさそうですね。これなんかいいかもしれません」

 

 

「はは、そうな。あいつのセレクトはハズレが無さそうな感じがする」

 

 

「…なんだか悔しいですが、わかります」

 

 

 

再び、かっと雷光が窓をつんざく。さっきよりは、遠いところに落ちたようだ。しかしそれでもその光と音は、人を驚かせるに足るものだ。

 

 

「…止みそうにないな」

 

 

「……」

 

 

「ほい、とりあえず鈴の分。

たまに飲むと美味いよなあ、こういうの」

 

 

 

鈴同様、ソファーベッドに座る古賀青年。机に二つのマグカップと、中から揺らめく湯気は隣り合い支え合うように横に並んでいた。

 

 

そうして座ると。

鈴は、ほんの少しだけ身じろぎをして、兄の方へ少しだけ、座っている位置をずらした。

ちょっとだけ足を動かして兄に近寄る。

 

 

おやと、その様子を見て、集が意外そうな顔をする。それを横目に鈴がまだ熱いミルクをからがらに啜る。

 

 

 

「雷、怖いのか?」

 

 

「っ、けほっ、けほっ…」

 

 

 

発言に驚いたように、動揺したようにむせかえる。そしてまた、少しだけ恥ずかしそうに顔を俯けた。

 

 

 

「………はい」

 

 

「そりゃあまた…意外だな。

子どもの頃はへっちゃらって感じだったのに」

 

 

「…いつからか、怖くなってしまったんです。

というか、音や光が怖いなんて、生き物として当然でしょう」

 

 

口を尖らせて、愚痴を溢すようにそう言う。その姿は今の髪型も相まり、いつもよりも数段幼いようにも見えた。

否。きっとこれが、取り繕わない彼女の姿の一つでもあるのだろう。

 

 

 

「…ふん、見損ないましたか?

いいですよ、怖いものは怖いですし」

 

 

拗ねたように、どこか諦めるようにそう吐露をする。少しだけぬるくなったミルクを2口ほど啜り、青年はそれに答える。

 

 

 

「いや、実は俺も怖いんだよ。

だから俺だけじゃなくて安心したんだ」

 

 

「………嘘ばっかり」

 

 

「本当だよ」

 

 

 

ごろおん。再び、雷鳴。

鈴の肩がびくりと震える。

その肩に、ごつごつとした手が置かれる。

 

 

 

「…まったく震えてないじゃないですか」

 

 

「お前の前だからかっこつけてんの」

 

 

「私のせいで無茶をさせてるって事?」

 

 

「違う違う。妹の前でカッコつけたがるのは、なんていうかな、兄貴としての本能なんだよ」

 

 

「よくわからないです」

 

 

「だろうな」

 

 

 

片腕で肩を抱き寄せ、震えを静かに抱き止める。だんだんと、小さな震えが消えてくる。

それぞれ片手と、両手で持ちながらホットミルクを啜り飲む音が聞こえる。

 

 

 

ことりと、コップが置かれる音。

そのコップは鈴が置いた音だった。

 

彼女は、肩を抱かれる程の近い距離の元に、ふと思い立ったように彼と向き合う。

そして、兄の頬を撫でるようにその手を這わせた。そのまま、傷を少しだけ撫でる。

 

 

 

「疼きますか?」

 

 

「…まあ、ちょっとはな」

 

 

「痒み止めなどは」

 

 

「そこまでじゃないさ。

最近は全然調子もいいし」

 

 

「軟膏、塗りましょうか」

 

 

「それくらい自分で出来るよ。

心配してくれてあんがとな」

 

 

 

会話はそこで途切れる。代わりに、その古傷をただするすると撫でる音が、雨の音に混じる。

互いに、少しだけ目を逸らしながら。

 

 

 

「…もしこれがなかったら」

 

 

 

古火傷の跡を、撫でる。

 

 

 

「……」

 

 

「………ごめん。

そういうこと、いわないって約束だった」

 

 

「うん」

 

 

 

傷を撫でる手が、離れていく。

重なるように向き合っていた二人の身体がまた、ソファーベッドに横並びになる。

 

冷め始めたホットミルクを、二人が啜り飲む。温もりはいつか冷めるもの。だからこそ、冷めない内に嚥下してしまおう。

 

 

ぐい、と青年が呷り飲む。それに釣られるように鈴もくいとコップを傾ける。一度に呑みすぎ、少しだけまたむせる。

兄はその様子を、横から和やかに見ていた。

 

 

「…美味しかったです。それでは」

 

 

「あれ、映画は見ないのか」

 

 

「夜更かしは健康にも美容にも良くないので。それに、今から見始めたら尚更眠れなくなりそうですし」

 

 

「まあそれはそうだなあ。

なら俺も素直に寝…」

 

 

 

 

ぴしゃあん!

 

語末が、雷鳴に消えた。光と音が同時に発生する様な稲光。青白い光は、その場に居るものを金縛りの如く止める程のものだった。

 

青年、集はそれを前に立ち上がりかけてた足腰が抜けてまたソファーに座り込んでしまった。

 

比較的、雷への耐性がある彼ですらそうなのだ。一方の少女、鈴は…

 

 

 

 

「…おおい。大丈夫かー、鈴」

 

 

「……ダメかも…」

 

 

 

へたり込みこそしないが、その寸前といった所。居間から出ようとしたその場所に縮こまり、止まっていてしまっていた。

 

 

やれやれと思い、窓から外を見る。当然、うんざりする対象は外の天気だ。こうも激しい雷雨では、おちおちゆっくりすらしていられない。

 

しかしそれでも、睡眠を取らない訳には行かない。翌日は休日ではあるが、ある程度規則正しい就寝は取らねばならないのだ。

 

 

 

「はは…ほら、しっかりしろー、頑張れ」

 

 

手を伸ばし、恐怖に震えるその手を取る。

無理もない事だ。ただでさえ苦手なものが、こうも目の前に落ちれば誰でもこうなる。それがあの冷静で完璧な彼女であろうと。

 

 

ただ、彼にとっては、少しだけ弱みを見ることが出来た事が少しだけ嬉しく、微笑ましくて。

 

だからついつい、こんなことを口走った。

 

 

 

「雷が怖いなら、お兄ちゃんが一緒に寝てやろうか?

 

 

 

なーんて。

という、冗談を表す言葉を継ぐ前に。

 

 

 

「本当?」

 

 

「え?」

 

 

 

有無を言わせないような返しが、その背を貫くように彼の目を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

「それじゃおやすみ」

 

 

「…はい」

 

 

 

一つの布団であると、兄さんの身体が大きいこともありあまりにも窮屈すぎるということで、あくまで布団を二つ並べるだけ。

 

ただ、それでもどこか懐かしかった。

本当に昔の事だけれど、怖いお話を聞いた夜なんかは、こうしてくれたものだった。そしてその時も言ったものだ。『俺も怖いから、鈴のおかげで助かるよ』と。

 

 

こちらに背を向けて眠る大きな背中。

私もそれに背中を向けて目を瞑る。

気恥ずかしいのと、彼の好意に甘える自分が、どこか汚らしいように思えて。

 

 

(……ッ)

 

 

 

また、雷が鳴る。

目が、覚めてしまう。

 

 

いつからか。兄の背丈がどんどんと伸びた時から、いつか避雷針みたいに、彼の頭に落ちてしまうんじゃないかなんて想像をして。

 

それ以来、すっかりと雷が苦手になってしまった。そんな考えがきっかけに、それそのものが恐怖のシンボルになってしまった。

 

 

兄はまだ起きているだろうか。

横のまま様子を伺うと、すうすうと寝息を立てて眠りについていた。きっと疲れていたのだろう、その眠りは深い。

 

 

ごろんと、寝返りをこちらにうつ。

 

すう、すう。人の良さそうな微笑みも、額に浮かんだ皺も、驚くように見開いた目も、今そこには無く、ただ全てゆっくりとその場にある。

 

そして手を投げ出すように横に開く。それはさっき、私の肩を抱いてくれた時みたいに。

それは、無意識の中でも、怖がり怯える私に手を差し伸べてくれているみたいで。

 

 

私の自意識過剰かもしれない。

ただの恥ずべき思い込みかもしれない。

でも私は、少しだけ身体を起こして、その腕の内に収まりに行ってしまった。

 

 

私以外の体温が伝わってくる感触。

胸元に、顔をそっと寄せる。

 

とくん、とくん。小さな鼓動が鳴っている事を感じた。この大きな身体に見合わないようにすら感じる、小さな音だった。

 

その小さな鼓動の音が、なによりも私を安らかにさせてくれるようだった。

するりと瞼が重くなり、頭が鈍麻していく。

 

 

 

(ずっと、このままでいいのに)

 

 

 

静かな体温を感じながら。

私はそっと、そんな事を思った。

 

このままでいい。

私が怖がって、貴方が手を差し伸べてくれる。

私は妹として、貴方が兄として、ずっと横にいる事が出来る。このままでいいのに。

 

 

どうして、何もかも変わっていくのだろう。

何も変わらなければいいのに。私は、お兄ちゃんの横に居られればそれでいいのに。

 

周りは変わっていく。

そんな事、わかっている。第二次性徴で身体が丸みを帯びると共に、それまでの距離感で居られなくなる事も当然わかってる。

 

関係も変わっていく。

ただ、周りに人がいるだけではない。彼を好む人が、どんどんと変化を伴っていくだろう。ただ仲のいい友人のままではないように。

 

 

変わらなくていいのに。

ずっとずっと、私とお兄ちゃんが、一緒に手を繋いで、眠れるようであればいいのに。

 

 

ぎゅっと、力強く兄の身体を抱いた。

どくんどくんと、さっきよりも鼓動が大きく聞こえるような気がした。

 

 

 

きっとこれは、罪なんだろう。人間が抱く、奈落へと落ちる原罪。抱かぬべき、しかし抱いてしまう、人間の七つの大罪の一つ。

 

怠慢。

それであると、ようやく気づいた。

 

完璧を名乗るなら。彼の為にと思うなら、それをすら治さねばならない。わかっている。

 

 

 

 

でも、完璧なんて、この温もりを手放してまで、手に入れなきゃいけないのかな。

 

 

 

 

ごろぉん。

よぎった邪念を咎めるように落雷が響く。

 

でも、目の前の温もりの前には、もうその光も音も怖くはなかった。

 

ただそれが、無くなってしまう事が怖かった。

 

 

 

 




稲妻が照らすは、古い傷と慕情。
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