彼の周りは少し愛が重い   作:澱粉麺

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悪魔と人形、怪物と蛇

 

【サイド・A】

───────────────

 

 

 

 

 

ブー、ブー、と携帯が振動する。

私のそれを鳴らした相手は、私がいつも気になる貴方からのものだった。

しかし、着いたメッセージは甘い言葉などではなく、切羽詰まった、短い言葉。

 

 

[鈴をみかけてないか]

 

 

文面越しにも伝わる、彼の焦り。シュウになにがあったのか。少しだけ嫌な気配がしながらも知らない旨を伝える。そうか、とだけ返ってきた。

 

おかしい。

絶対に、なにかがおかしい。

何か理屈があるわけではないが、絶対に変だ。

 

迷惑だろうかと、思って一瞬止まり。

それでも意を決して電話を掛けた。

2コール目で、声が聞こえる。

 

 

「ああ、もしもしアオ?

えっと、すまん、今…」

 

 

「何があったんですか?

勘違いでないなら、力にならせてください」

 

 

それだけを口早に伝えると、ぐっと唇を噛む音。

そして次に短い言葉が返ってくる。

 

 

「鈴が帰ってきてないんだ」

 

 

「!………連絡は?」

 

 

「取れない」

 

 

ぐっと、目を瞑った。そして静かに電話を切る。急いで彼の家に向かう。このままでは居られない。

 

 

スズが心配だった。電話越しよりも、実際に会って情報の確認をしたかった。そして何より、もし居なくなったのならば。

それは私の『あの質問』が……

 

 

ぶんと頭を振り、歩く。いつも近い家の道乗りがいやに遠く感じたのは焦燥感からか、もしくは恐れからか。

 

 

 

「シュウ!」

 

 

それでも、彼の部屋に転がるように上がり込む。

すると、そこには…

 

 

「やあ!」

 

 

笑顔でその声を上げるのは、私がよく知る赤い眼の女だった。

同じ学校。同じクラス。そして同じ人を。

 

 

私はただ、その彼女を睥睨した。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

「いやあ。ボクも妹さんが居ないって相談されて気になってね。何かあったら困ると思って一度集まらせてもらったのさ」

 

「まあお互い考えることは同じだったってコト。気が合うね、菜種さん?」

 

 

 

いつも、ファーストネームで呼ばれる事が多い分、そう呼ばれる事は新鮮なようだった。そしてその呼び方は、心の距離感をそのまま表しているようにも感じた。

 

 

 

「…二人とも、ありがとう。

ごめん、急にこんな連絡をして」

 

 

「いえ。私もスズが心配ですから」

 

「なに、ボクが勝手に来ただけだから気に揉む必要はないよ」

 

 

 

殆ど同タイミングに声が挙がる。互いに目を見て、しわっと渋い面をした。それを見てシュウが少し気まずそうに首を掻く。

 

 

「まあ、その…なんだ。とりあえず覚えがある場所にはいくつか行ってみたんだ。それでも居なかったから…」

 

「……なんでもいい、思い当たる節があったりしないか?」

 

 

 

「…帰ってこないって言ったって、ただ誰かの家に遊びに行ってるだけじゃあないのかい?

キミが過保護すぎるだけかもしれない」

 

 

「そうかもしれない。そうかもしれないけど…!」

 

 

史桐サンの質問に答えるシュウは、沈痛な顔向きをしていた。『そうかもしれない』と答えながら、そう単純な事じゃないのだと直感しているのだ。スズが意味なくそう言ったことをするはずが無いと。

 

 

 

「…ごめんごめん、意地悪な事を言ったね。

でも…そうだな、あまり思いつかないんだ」

 

「…そっか…アオは、どうだ?」

 

 

「!わ、たしは…」

 

 

 

彼女の行った場所の見当は付かない。ただ一つ、彼女がこのように姿を消した事について思い当たる事がある。あってしまう。

その澱みが、言葉に迷いを生んだ。

 

 

 

「?どうし…」

 

 

 

プルルルル。

シンプルな電子音に、肩がびくつく。

それはどうもシュウの携帯の音だったようだ。

 

 

 

「悪い、電話だ。…一回席を離れるよ」

 

 

 

画面を見てから、私たちの顔をチラリと見る。そうしてから離席を宣言して、部屋を出た。

 

彼の、シュウの部屋に残るのは私と…

 

 

 

「ねえ。どうしてさっき言い淀んでたの?」

 

 

 

この、目の前の女だ。

 

 

 

「…答える必要はありません」

 

 

「おや。鈴ちゃんの事なんてどうでもいい、ってことかい。薄情だねえ」

 

 

「貴女に都合の良い妄言を私が言ったことにしないでください。話になりません」

 

 

「言い淀んだのは理由があるんだろ?何か思い当たる節がある筈だ。

なのに答えなかったのは、彼女がいると都合が悪いから…じゃないのかい?」

 

 

ギリと奥歯を噛みしだく。侮辱が過ぎる。何が一番腹立だしいか。それは、恐らく彼女は既に、そうではないと言うことをわかっているという事だ。疚しい事があり、しかしそれでも、私はシュウもスズも好きだと、わかっている。全部。その上で。

 

 

ただ、それを否定する事もしない。

どうせその答えは既に待っているのだろうから。

 

 

 

「……私は、貴女の事が嫌いです」

 

「気が合うね?ボクもキミが大嫌いだよ」

 

 

 

彼女はふと。私に顔を、身体を近づける。そして私の頬に、首に。するすると撫でつけるように、手を這わせる。

しなだれかかるような、まるで恋人との距離感のようにも見えるそれは、ただ恐怖のみを私に与えてくる。

 

 

「鈴ちゃんはからかい甲斐があって楽しい。

ひさめちゃんも…まあ、まだ大好きだよ」

 

「でもキミは別だ。見てると吐き気がする」

 

 

 

私の首に、ひたりと少し大きく細い手が置かれ、そこで止まる。全く力などは篭っては居なかったが、このまま締め殺されるのではと思うほどに圧迫感を感じた。

 

 

 

「キミの、その愛玩されるべく模倣の姿がどうしようもなく苛ただしく、そして哀れだ」

 

「菜種さん。キミには何もない。人形のそのままだ。愛玩されるべくして愛玩され、愛される為の教えを乞う事しか出来ないし、その模倣しか出来ない。必死に周りを見渡しても、自分の中身は見渡せないだろう?はなから空っぽなんだから」

 

 

歯噛みする。

それは怒りと、恐れ。それらのブレンド。

何を知ったようなと思い、また、内側のコンプレックスをじわじわと当てられていく恐怖。

それらを、やっとの思いで呑み込む。

 

 

 

「……気は済みましたか。

余程お喋りが好きなんですね」

 

 

頬の内側を噛み、気つけをしてから答える。目を見るとその心をまで覗かれているようで、その赤い虹彩が怖かった。

 

 

 

「それで。…何が言いたいんです。話を切り出すにしては、つまらない話です。私よりも口下手なのではないですか」

 

 

「おっと、失礼。つい、ね」

 

 

くすくすと笑う姿は、それは嬉しそうで。ああ、わかった。私はこれを、この距離感を敵意の表れかと思っていた。だが違う。

彼女は単純に性格が悪いのだ。

 

 

「まあ、今の通りの理由でボクはキミが嫌い。そして、キミもそりゃあボクが嫌いだろう」

 

 

「…ただ個人の好き嫌いをさておいて。そこに同盟じみたものを組む事はできるはずだ」

 

 

「…?」

 

 

何を──

 

 

 

瞬間、扉がばたりと開いた。そこには安堵と脱力に顔を綻ばせたシュウの姿がある。

 

 

 

「…ごめん、よかった!

ひさめのとこにいるらしい!その…体調が悪くなったらしくって、介抱してもらってたって!」

 

 

 

本当に、大袈裟に騒ぎ立ててすまない。

大事にしすぎてしまった、迷惑をかけたと謝る彼に、そんな事はないと言う傍で私は心底ホッとしていた。

 

ああ、よかった。何事もなかった。

彼女はただ体調を崩していただけと。

 

 

 

「…ごめん、帰りは…ええと」

 

 

「ああ、菜種さんはボクが送っておくよ。だから古賀くんは鈴ちゃんの方に行っておやり」

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

人の顔色を伺う事は、得意だった。

人形らしく、被造物らしく、そうあれともとめられたように。

今思えばそれは、期待に過剰に応えようとしただけの自業自得であるのかもしれない。ただ、人の表情を見る事が得意な事は変わらない。

 

 

 

あの時、知っているならば教えてほしいと軽々しく、シュウの顔の傷に、過去に踏み込んだ瞬間。

 

「知らない…」

 

そう、一言絞る様に答え、それ以降は何も言おうとはしなかった。ああ、明らかにその顔は、追い詰められたものだった。

 

何故、そこまで追い詰められるの。

そこまで、気に病む事じゃない。

 

 

まるで、加害者本人のような…

 

……

 

……あれは、彼女がやった事なのか?

 

 

そう思うや、胸が鑿岩されるように痛んだ。

あの彼女の表情は、ただ可哀想にと、我が事のように思いやる心だけではならない顔に見えた。

 

 

違う。そんな筈はない。私の見間違いだ。

スズは、お兄さんがだいすきな子。

そんなこと、ずっとわかっている。

 

 

この思いを、この少しの嫌悪を、彼女に。

鈴に向けたくない。

 

私はシュウも好きだけど、あの子の事もそれくらいに大好きだから。

 

だから私はそれに蓋をした。

その見た光景に蓋をするつもりだった。

 

 

 

「だからねえ。

キミと契約をしたいのさ」

 

 

 

悪魔が、囁いてくるまでは。

 

 

私は、みんなのことが好きだ。

シュウも、スズも、ひさめも。

こんな私に仲良くしてくれようとするクラスのみんなも、全員。

 

 

ただ、この人だけは明確に嫌いだ。

 

 

 

「……」

 

 

「最近、少し後輩が怖くってねえ…

だから、協力を出来たらなあ、と思うんだよ」

 

「キミは情報をボクに渡してくれるだけでいいし、いわば停戦。互いに手を出さなければいいだけさ。契約なんて仰々しく言うものの、リスクはほぼ無い」

 

 

 

「…メリット、は」

 

 

「そうだなあ。例えば、だけど。

こんなのはどうだい」

 

 

 

──代わりにボクが、菜種さんが知りたがっている事をなんでも一つ教えてあげよう。

 

 

 

 

ああ。

彼女がそう言うのならば、きっとどのような手段を取っても、その答えを用意してくれるのだろう。その契約に嘘を吐かない為に。

 

生徒会長は、嘘をつかないと有名だから。

 

 

 

「……なんでも…」

 

 

 

知りたくない、知るべきではないと蓋をした筈だった。

 

 

だのに、目の前に知る手段があるとなると、また愚かな感情が首をもたげる。知りたいという、愚かな感情。知らずにはいられない、愚かしい欲望が。

 

 

 

「……」

 

 

 

 

…私は悪魔の操り人形になった。

 

ただ、そこには自らの意思と共に。

その糸を断ち切る強固な想いだけを懐刀として隠しながら。シュウたちへの想いだけは空っぽと言わせない。その、意思だけ。

 

 

いつかは裏切り、断ち切る操り糸。破棄する契約。

 

しかし私は甘んじて受け入れよう。少なくとも、今はまだ。今だけは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【サイド・B】

───────────────

 

 

 

(ああ…)

 

 

机に突っ伏すような不作法なんて、久しぶりにやってしまったものだ。私…古賀鈴は、それなりに優等生だから。

 

 

ただ、その日はどうしてもそうなった。具合が悪い。それは風邪や病気ではなく、その…どうしても、あるもの。

『あの』日だった。

 

今日は頭痛や腹痛など、いつもの症状は少なく。

代わりに憂鬱感、気持ち悪さが酷かった。そして身体の調子が悪いと、それに連動して精神もどんよりと沈んでいく。なんとか自己管理をとも思うが、どうしても難しい事だ。

 

 

頭がぐわぐわと、回るような浮いてるような感覚のままにチャイムが鳴る。帰りの時刻の音。気付けばもうそんな時間だった。

 

 

帰らないと。そう思っても足が何故だか動かない。動けないほど、歩けないほど体調が悪いだとか、そんな訳ではない。

 

でも、下校路にただ立ち尽くして何故か帰路に着く気にはなれなかった。沈み切った頭が、ただどこにも行くことも、何をする事も考えず。ただそのままに。

 

 

ぐらぐらと頭が揺れる。心が鬱屈とする。この数日の光景や、出来事がフラッシュバックする。

 

 

 

 

「鈴、ちゃん…?」

 

 

 

は、とびくりと振り返る。

そこには、恐る恐るといった風に声をかけてきてくれる…

 

 

 

「ひさめ、さん…ああ、すみません。

邪魔ですよね…」

 

 

道を開けようとするけど、身体が金縛りのように動かない。どうしてだろう。今日に限って、どうしてこんなに。心配する彼女に、大丈夫ですと声をかけてなんとか歩こうとする。すると…

 

 

「だ、大丈夫じゃないよ!ひどい顔色してるよ!?」

 

 

そう、手を掴まれる。それに握り返す力も無いまま、ただぼうっとしてしまう。その様子を見て、ひさめさんはぎゅっと眉根を顰め。

そしてふと、そうだ!と少しだけ嬉しそうな顔をして私の手をぎゅっと握った。

 

 

 

「……うん、お姉さんに任せなさい!頼れないかもだけど、僕も一応、君たちの先輩なんだから!」

 

 

「…え?」

 

 

「よし、うん。歩けるかな?

流石にその…おぶれはしないから」

 

 

 

なんだかよくわからないままに、手を引っ張られる。それに何か抵抗をするでもなく、ただ引っ張られるままになってしまった。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

「おかえりなさ…

どうしたんだ、その子」

 

 

「えっと…僕の後輩…かな?

ともかくちょっと遊びに来てて…いい?」

 

 

「うん、いいけど…もう外も暗いしそんなに長居はさせられないよ?」

 

 

「う、うん。わかった!」

 

 

 

あれよあれよと、私はひさめさんの家に来ていた。父親らしき人物に許可を取る様子を後ろからゆっくりと見ていた。

どうにも、気弱そうな所は遺伝らしい。

 

 

 

「ご迷惑おかけして、申し訳ありません」

 

 

部屋に着き、ひと心地。そうなって、初めて礼儀を取り繕える程に体調が回復していた。

 

 

 

「いやいや、そんな事ないよ!

というか僕が勝手に世話を焼いただけだし…えへへ」

 

 

照れ臭そうにそう発言してくれるひさめさんが、ここに連れてきてくれた事は実際とても有り難くある。あのままではきっと、私はただ家に戻る事もなく、放課後にずっと、遅くなるまで立ち尽くしていただろう。

 

 

「しかし…なんで、こうまでしてくれたのですか?」

 

 

 

家に連れて、介抱をしてくれる。それは有難いが、しかし疑問でもあった。なぜ、こうまで優しくしてくれたのだろう。そこまで酷い顔だったろうか。そう思って彼女に問う。

 

するとひさめさんは言いにくそうに、言った。

 

 

 

「……何か、思い詰めてるんじゃないかな。と思って。そう思ったらいてもたってもいられなくなっちゃったんだ」

 

 

 

思い詰めてる。

思い詰めている。

ああ、そうだ。立ち尽くしていたのは、その、身体の不調からではない。心が、あの発言を。過去の過ちを。その全てを後悔してやまなかったから。愛する人にすら、合わせる顔が無いと自分を責め立てる声があったから。

 

 

 

「私…

私のせいなんです」

 

 

 

気づけば、声が出ていた。

震えた声は、自分の声で無いように思えた。

 

 

 

「最近は、もう考えることも少なかった。それをしても兄も悲しむだけだし、なにより、彼は助けてくれたのに。そんな兄さんに後悔させてしまわないようにって…」

 

 

 

あの傷は何が元だったか。

アオさんに聞かれて、知らないと答えた。知らんぷりをした。間接的に彼を傷つけたというトラウマなど、とうに脳では整理できていると思っていたのに。あれはただの事故だと、そうわかっているのに。

 

 

 

「でも…でも…また思い始めてしまって。

それを考えてしまったら止まらなくなって。

あの包帯を見てると思い出してしまって…」

 

 

 

それ以来、頭に巻いた白い包帯を見るたびに思い出す。思う。思わされる。私が、私の、私を。

あの倒れ伏した姿のおにいちゃんの姿を。

 

そうして、幾度も思うのだ。

 

 

 

「私が、私さえ居なければあんな…

おにいちゃんにあんな傷はつかなかったのに…」

 

 

そう、じくじくと。何度も。

意味がないとわかっていながら。

 

 

ああ、私は卑怯だ。

こう言うことできっと、彼女に軽蔑してもらえると思っていたのだ。こうして彼女に蔑視してもらえれば。

もう彼女の優しさを、後ろめたく思わなくてもいいのだという、驕慢。智恵の実を齧ることを唆した蛇じみた、汚らしい浅知恵。

 

唖然としたような、あ、と口を開けてこっちを見ていた姿が一瞬目に入った。その表情は、そのまま私を蔑むものに変わってくれるだろうか。いっそ、そうであったら楽だった。

 

 

 

「…違う」

 

 

 

だけれど帰ってきたものは、予想外の返答。静かに微笑みながら、痛いほど彼女の手を握りしめていた私の手をそっと握り返してくれる。

 

 

 

 

「…違うよ。それは、鈴ちゃんのせいなんかじゃない。

ぜったいに違う」

 

「お兄さんは…古賀さんは、確かに鈴ちゃんを助けたんだ。それは、彼自身が悔やんでないなら、君だって悔やむ必要なんてなにもない。

それが、助けるって事なんだから」

 

 

 

寄り添うように、そう言われる。だんだんと、救われたような気持ちになっていく。体調に伴う不快感や憂鬱感は消えないが、しかし、心が少しだけ軽くなっていくのを感じた。

 

そうなって、ようやく気付く。

ああ、私はきっと。

それでも悪くない、と、肯定される事を求めていたのだ。

 

なんと現金だろう。それでも、泣きたくなるほど嬉しくなる気持ちは抑えられなかった。

 

だからそれに感謝を述べようとして。

ありがとう、と口を開けようとして…

 

 

…瞬間に、凍りついた。

 

 

 

 

「…それに」

 

「………感謝、したいな。」

 

 

「あの傷が無ければきっと。

僕とあの人は会える事も無かったんだから」

 

 

 

絶句。顔を見ることができなかった。

邪念だとか、恨みだとか、そういったものは全く無かった。その声はただ和やかに出力されていた。いつものように、日常会話のように。

 

 

 

「それは、どういう」

 

 

 

何かの間違いかと、聞く。

それに、するすると答えられる。

いつものような、焦りから来る、どもりすら無く。

 

 

 

「うん。きっと、あれが無かったら、もっと色んな女の子と仲良くなってて。僕なんか視野に入ることもなかっただろうし。だからきっと、あの日あの時に古賀さんに逢えたのは傷のおかげかなって。最近、少し思っていたんだ。だから、ありがとう」

 

 

 

涙が引っ込み、ただ呆然とした。

これが、これがあのひさめさんだろうかと。

 

 

逸らしていた目を、合わせる。

恐る恐る、顔を見た。

 

それは何か恐ろしげな顔をしているでもない、いつものようなにっこりとした笑顔だった。いつものような、可愛らしい。

それが尚、怖かった。

 

 

(……ああ……)

 

 

…あの弱々しく、優しく、少し鈍臭い彼女の柔らかな面影は、その瞬間はどこにも無かった。

 

 

そこには、ただ美しい怪物が居た。

 

 

 

 

「ほら、それならお兄さんに電話しよ?

ひとまず、彼を安心させなきゃ!」

 

 

 

は、と正気に戻る。爛漫な笑顔で私に語りかけるその姿は、今や恐ろしいものには全く見えなかった。

 

 

 

(…ああ、だからこそ)

 

 

だからこそ、兄は貴女には渡さない。

それは、この心を救ってくれた恩人を、これ以上恐ろしげに変貌させない為か。私の中の我欲でしかないのか。

 

一つの言葉には、出来ない。

それでも、硬く固く、そう思った。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

その日は、特筆すべき物ではない筈の日。

天気はよく。用事なども無い。

 

 

だけれど、その日は変わった日でもあった。

関係が変わった日。認識が変わった日。

それぞれの心と、心中の想い。

 

 

だからこそ、少女たちは歩を進める。

自覚できない程に、愛に身を窶しながら。

 

 

 

 

 

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