彼の周りは少し愛が重い   作:澱粉麺

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花紅柳緑(浮葉三夏)

 

 

 

「兄さん、お客様です」

 

 

「ん?ああ…俺に?

わかった、とりあえず中に入ってもらって…」

 

 

「いえ、外でいいと」

 

 

「そうか。…なんか怒ってる?」

 

 

「何も」

 

 

「…?」

 

 

 

明らかに機嫌を害した様子の鈴を怪訝に思いながらも、玄関に向かう。外はすっかりと日が暮れて、太陽の暖かさも消えて久しい寒さだ。

 

息も白くなるような暗がりにその人はいた。

街頭の明かりは彼女の少し明るい髪色と、疲れている顔を映し出している。

 

その、隈がかかった顔を見て思い出す。

そうだ、この人は…

 

 

 

「─覚えていませんよね。私は」

 

 

「ああ!あの時の!

あの後身体は大丈夫でしたか?」

 

 

 

この人は、あの時のパーティ会場で気分を悪くして倒れていた人だ。あの時、最後まで介抱することもできなくてずっと気になっていたんだ。あの後探しても見つからず、ずっと心に引っかかっていた彼女だ。

 

 

 

「……!」

 

「…はい、はい…!お陰様で、私…」

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

影が薄い人間というのは居る。誰かに嫉まれるでも無く、疎まれるでもなく、ただその場にいる人間からの認識が薄い人。

 

例えば宴会の時に、急にその場から去っても気付かれず、最後の会計の時に初めて「そういえばあいつはどこ行った?」と探されるような。そしてまた、まあいいかと流されるような人間。

 

 

 

そういった人種の一人が私だと思う。

 

自分で言うのも何だけれど、見た目はそう悪くない。体付きも、そう極端に悪いわけでもない。それでも、いや、だからこそ周囲に埋没する。没個性的になってしまっている。

 

 

それなりに何かをこなす事は得意だと思う。

人並みに頑張る事も、出来ると思う。それがまた地味であっても、それでもいいとも思う。

 

 

私は姉さんのようにはなれないから。

あの人みたいに、輝かしく動く人には。

私はきっと、輝く事は出来ない人間だ。

 

 

 

「ねえねえ、パーティに招待されてるんだけど、貴女これに出てみない?」

 

 

 

……そう、姉に言われたのは急な事だった。急に私の家に来たと思えば、お茶も出す暇もなくそう提案されたのだった。

 

 

 

「あ、ごめん。確認してなかったけれど。

貴女、好きな人とかは居ないのよね?」

 

 

「ええ、まあ…」

 

 

「ならよかった!

…お節介かもしれないけど貴女ほら。その、婚期を逃しがちな仕事でもあるじゃない。だから出逢いの機会は増やした方がいいわよ」

 

「幸いここにはお金持ちの人がいっぱい集まるらしいし。いっそ玉の輿をがっつり狙っちゃいなさいな」

 

 

「はあ…」

 

 

「貴女もう、今年で26でしょ?そろそろ誰かとくっついて私も親も安心させてあげなさい」

 

 

 

ウィンクをされながらびしりと便箋を渡さる。

ぼんやりと、考える暇もなく招待状を受け取った。それに書かれた場所を後から調べてみると、とっても豪勢な所で。気になる反面、既に気遅れもしてしまっていた。

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

「はあ、ふう…」

 

 

 

結局来たのは良いけれど、豪勢なホールや内装にただ呆けて頭がクラクラするばかりで。誰かに話しかけられたときもなんとか対応はできていたと思う。けれど、内心はいっぱいいっぱいで仕方が無かった。

 

締めたコルセットが圧迫感を与える。着慣れないドレスがぎゅうと私を絞め殺すようだった。その圧迫感は弱い私の心が作り出しただけの勝手なダメージだったかもしれない。

 

 

 

「…う…」

 

 

 

溺れた子鹿が藁でも掴むように、人気の少ない端の方へと寄る。頭がくらついて立っていられないようだった。最近、仕事の疲れか、立ちくらみが癖になってしまっている。

 

 

端に居る私を、誰も気づかなかったのは幸いとは言っていいかもしれない。こんな姿を誰にも見られたくはなかった。せっかくのこの豪奢な場も台無しになってしまう。

 

 

(………私は……)

 

 

 

姉さんには、申し訳ない。申し訳ないけど、私きっとこの場に来るべきじゃなかったんだわ。

私にこんな場所は似合わない。似合わないし、私なんかにはそぐわない。相応しい場じゃない。

 

シンデレラのような絢爛に憧れる事はあった。

けれどもう、憧れるような歳でも、存在でもない事はわかってしまっているのだ。

 

 

ふと、黒曜石のようなドレスを着てダンスをする、赤い眼の令嬢が目についた。

 

ああ。きっとああいう人こそが相応しい。

私にはもっと、更に隅がお似合い。

 

 

 

壁に寄りかかって、ぎゅうと目を閉じる。

訳もなく涙がじわと浮かんでくる。

 

 

なんだかとても惨めだ。それは嫉みだとか羨みが全くないと言ったら嘘になる。

 

けれどそれよりも、こんな所で顔色を悪くして何もできない自分を仕方ない、相応しいと受け入れて、あまつさえ安心している自分が。

 

いつも通りに『誰からも見つけて貰えない』自分が、惨めで仕方がなかった。

 

 

 

(…う、う…)

 

 

頭痛と立ちくらみに耐え切れなくなって、床に蹲ってしまう。ああ、いけない。せめて周りに迷惑にならないようにゆっくりとこの場を去ろう。それが唯一私に出来ることでもありそう…

 

 

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 

心配の声音、しかし物怖じしない。

そんな声だった。

 

気付かれた。気付かれてしまった。

びくりと肩を震わせて振り返るとそこには…

 

…180後半、いやそれ以上はある。それほど背丈の大きいタキシードの人物が、そのごつごつとした手を私に差し出して来てくれていた。

その顔には、大きな火傷跡があった。

 

 

 

「えっ、いや、私は…」

 

 

「失礼します。

…おそらく酸欠ですね。立てますか?」

 

 

「…難しそうです」

 

 

「……ドレスに手をかけてもいいでしょうか」

 

 

「え…」

 

 

「多分、コルセットの締め過ぎです。

息がしにくくなるし、気持ち悪くもなる。ですので緩めるのがひとまずの処理として良さそうなんですが…

いや、すいません。女性の人を呼びましょう」

 

 

そう言うや否や、その男の人は周りを見渡す。そのまま何処かに歩いていきそうになった、その人の手を。

気付けば私はそっと握っていた。

 

 

 

「…大丈夫です」

 

 

「…!わかりました。出来るだけ目を逸らしますので、安心してください」

 

 

 

背のファスナーが開けられる感触。

そうしてぐっと圧迫感が少なくなる。それは物理的圧迫もある。そして、勝手に感じていた精神的圧迫が、ぐいと取り除かれた事もある。

 

そうだ。倒れている私を、見つけないで欲しいと思っていたのは確かだった。こんな醜い姿は見られたくないと。

 

であるのに、実際に誰かに見つけられて、助けを差し伸べて貰うことのなんと嬉しく、救われたものだろう。

 

この人は、私を私の自縛から救ってくれた。

 

 

 

「…よかった!

だいぶ顔色が良くなったみたいで!」

 

 

 

そして、その人は今や、てきぱきと的確に行動をしてくれた姿とはまたうってかわって、安心したような、からっとした笑顔になっていた。

 

その顔には子どものような可愛らしさがあるようで。さっきまでの精悍な顔との違いに、胸がドキリと揺れた。

 

 

 

「…すみません、色々とありがとうございます。本当に助かりました」

 

 

「いえ、本当に大した事もしていませんし!また体調が悪くなってしまった場合も考えてスタッフの方に伝えて来た方が…」

 

 

「その前に。…貴方の名前を教えてもらえませんか。私、本当に気付いて貰えて嬉しくて…」

 

 

 

手を握り、そう聞く。

本当はただ感謝を述べるだけのつもりだったのだけれど、気付けばそんな言葉が出ていた。

 

息が少し荒いのは、まださっきの息苦しさが残っているから。頭がぼーっとしているのはまだ立ちくらんでいるから。そう思いながら。

 

 

「え?いや、俺は…」

 

 

 

「私の学友ですよ」

 

 

 

その声は、唐突に聴こえて来た。

冷たく、恐ろしい声だった。

 

それはさっき目に入った、黒いドレスを身に纏う、血のように赤い目の令嬢。

その眼が、私に向けられていた。

宝石のように冷たい眼だった。

 

 

「お具合が悪いのでしたら、人手を呼びましょう。そこで少し待っていただけますか?」

 

 

怖い、怖い。彼女の言葉こそ丁寧だったが、その中身は敵愾心のみで出来ていた。近寄るな、ここに居るな。早く立ち去れ。消えろ。

そんなような。

 

 

「…い、いえ。もう大丈夫です。

大丈夫ですので、それでは…」

 

 

私はその場から、すごすごと立ち去った。

まだくらくらと目の前が揺れるような私に、ただそれ以外の判断が出来はしなかった。

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

パーティが終わって半死半生のままに家に戻って、ベッドに倒れ込むようにして寝転ぶ。

まだどうしても頭痛がする。瞼も重く、思考が纏まらなかった。

 

 

ああ、ただそれでもあのパーティに出なければよかった、とは思えなかった。

 

 

 

(………)

 

 

あの人の顔が離れなかった。

 

頭に、あの火傷のついた純朴そうな笑みが。身体に触れられた、あの大きな手の感触が。どうしても思い出してしまって忘れられなかった。

 

 

参加者の名前を調べた。電話をして、感謝を述べたいからと聞いてみればあっけない程その人の情報は直ぐに知れた。

 

集さん。あの人はそういうらしい。

 

急に向かってしまっては迷惑だろうか。

かといって、手紙でも送ろうか。それこそ迷惑になってしまうんじゃないだろうか。

 

 

ただ、お礼を言いに行くだけだ。

そう自分に言う。

そうして、怖気付く自分を動かした。

 

家の前に着いた時でもその恐れは首をもたげた。急に来られても失礼じゃないか。アポイントメントを取ってもないのに。夕方に来られても。そもそもこのお土産は喜ばれるのかしら。

 

 

ええい、ままよと。止まっていても始まらないとインターホンを押した。

 

 

 

「…少々お待ちください」

 

 

少し機嫌の悪そうな少女が応対してくれて、その件の彼を呼びに行ってくれる。

 

待つ時間は、心臓の鼓動が鳴り切ってしまうのではと思うほどに長く感じた。

 

 

きっと、私の事は覚えてはいないだろう。私は影が薄いし、覚えられるような人じゃない。

ましてや、あの人は人助けに慣れているようだった。その中の一人など、すぐに忘れてしまう筈だ。

 

だからこそ丁寧に。私の事を覚えて貰いたい。

せめて、少しだけでも。

 

 

扉が開く。

そこには、シャツ姿の彼の姿があった。

意を決して口を開く。

 

 

「覚えていませんよね、私は…」

 

 

「ああ、あの時の!」

 

 

ああ。そう、食い気味に答えた。

それは私の不安やすら消し去ってしまうようだった。覚えてくれた。私を忘れないでいてくれた。

 

 

「……!」

 

 

くうと胸が熱くなる。

鼓動が止まらなくなるようだった。

 

 

 

「はい、お陰さまで、私…!」

 

 

 

言葉が詰まって出てこなかったけれど、少なくともお礼は言うことが出来た。あの時はありがとうございました。本当に助かりました。こちらはお礼の品ですもしよかったらと。

 

 

あまり長々と話をしてしまっても悪い。

もうすぐに立ち去ろうと、そうした。

そう思ったのに、最後に。

往生際が悪く。

 

 

 

「その。また逢えますか…」

 

 

そう聞いた。聞いた直後に、はっと正気に戻ったけれど遅かった。

 

 

 

「?ええ、またいつか」

 

 

 

ああ。笑顔をそう返す姿に、是非また逢いたいと思ってしまった。

もう、逢わない方が彼に取ってはいいだろうに。それでも。

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

新学期。

 

そう、あっという間だ。

あっという間に学校が始まってしまった。

俺含め、大半の人はもっと休みたかったけれどこればかりは仕方がない。

 

 

新学期を迎えた学校は騒々しく、そして新鮮な気分になる。新しい風が吹くような感覚だ。

 

新しい生徒に、新しい先生。ひさめたちもいよいよもって先輩となるのだと思うとなんだか鼻が高いような不思議な気持ちになるものだ。

俺がなっても仕方がないだろうに。

 

 

そうして学校内を歩く。向かうは職員室。

それこそ、新任の教師の方を、助けてやってくれないかと頼まれてしまったんだ。別に元々そういったことをするつもりであったから構わないんだが。

 

 

そんな風に薄ぼんやりとしながら歩いていたからか。どん、誰かにぶつかってしまう。

ぶつかっただけならまだしも、その人が持っていたであろう教科書等の書類をぶち撒けさせてしまった。

 

 

 

「っと、すみません」

 

 

「いえ、こちらこ…そ…」

 

 

 

 

おや。ぴたりと止まっていく相手の謝罪の声は、どこか聞き覚えがあった。

 

まさか。いや、そんなまさか。

 

そんなことがあるはずが無い。

ただの他人の空似だろうと、顔を上げる。

 

 

 

「………集、さん…?」

 

 

 

…その、まさかだった。

 

 

 

嘘だろ、と心の中で呟く。

まさかそんな。そんなことがあり得るのか。どんな可能性なんだ、これは。いや、実際になってしまっているのだから、疑いようがないか。

 

 

 

「…えっと。

とりあえずこれ運ぶの手伝いますよ」

 

 

「ああ、どうも、ありがとうござ…」

 

 

「いやいや、敬語なんて。

先生に使われたらちょっと居心地悪いですよ」

 

 

「あ…確かにそうで…そうね」

 

 

 

 

そう、拾い上げた荷物を手に、二人で並んで教室に向かい始める。

 

 

 

「まさか、学生さんだったなんて」

 

 

「あー、この背丈とこの傷ですもんね」

 

 

「いえ、違くて!その…とてもしっかりしてて、大人びたように見えたから。

…でも、確かに。よく考えたら学友って言っていたものね…」

 

「……まさか、こんなすぐに逢えるなんて」

 

 

「いや、俺も驚きですよ。

まさかこんな形でまた会う事になるとは…

教師さんだったんですね。お仕事」

 

 

「ええ、まあ…

あまり仕事も、出来ないような教師だけど」

 

 

 

他愛の無い会話で廊下を歩いていく。

きっとおそらく、先生も俺と同じように、混乱する心をなんとかそんな当たり障りのない会話の中で整理しようとしていたんだと思う。俺は少なくともそうだった。

 

そうこうしている内に、目的の教室前に着く。ここにある教室が次の授業の場らしい。

 

 

 

「っと、俺それじゃあ…」

 

 

「ええ、ありがとうございます。

その…集、くん。その…」

 

 

 

そっ、と顔を赤らめ、目を少しだけ逸らしながら息を呑む。

その様子はとてもいじらしくあった。

 

 

 

「えっと…これから色々とわからない事があったら、先生、集くんに頼っていいかな?」

 

 

「!ええ、もちろん、是非!

えっと…

…すいません、そういえば名前…」

 

 

「あ、ごめんなさい。

確かに言ってなかったものね」

 

 

「…私…浮葉、三夏と言います。

気軽に、浮葉先生って呼んでね」

 

 

 

そう、にこりと笑った。

その笑顔は人目も付かないところに咲いた、手の触れられていない、綺麗な花のようだった。

 

 

 

 

花紅柳緑。

手を加えられていない自然のままの美しさ。また、そのさま。

 

 

 




浮葉三夏(ウキハ サンカ)
→26歳、国語教師。ウェーブかかった長めの髪の女性。少し影が薄く、それら由来で卑屈気味。自身をまっすぐ見てくれる人が少なかった為、そういった存在に依存体質気味。

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