「あ、遅れてしまってすみま…
あれ?生徒会の方はどうしたんですか?」
「いやなんか…
帰って欲しいって言われて…」
「え、ええ…?どうしたんでしょうか…」
「俺もいまいちわかんない…」
生徒会室を追い出された彼がばったりと鉢合わせたのは、彼の後輩である少女である。
村時雨ひさめだ。
「まあ、なんにせよひさめも生徒会室に行ってみたらどうだ?いくつかチョコを食べさせて貰えると思うぜ」
「あはは、またシドさんったらチョコの山に悩まされてるんですか。
去年もあれが一番辛そうな顔してましたよね」
「そうそう、いつも笑顔のあいつがあの時だけゲンナリしててな」
くすくすと談笑をしていると、ふと、ひさめがはっと、聞きにくそうに声を上げる。
そのう…と、控えめに質問をする。
「…その!その…そういえば、なんですけど!
勿論答えたくなかったらいいんですが…」
「……その、古賀さんがラブレターを渡されている所を見たって…言う人が…
…それ、本当ですか?」
「ああ!渡されたよ、確かに。
だけどあれは…」
そう答えた瞬間に、え、と小さい声を出す。
そうして、沈痛そうな顔をしていた。まるで親しい人が事故死でもしたかのような、絶望感が色濃く出た顔。
「はは、違う違う!あれは代理でシドに渡してくれって言われた物だったんだって。
俺に渡されたもんじゃないよ」
それに気付いてか気付かずにか、彼はそう言葉を続ける。そしてそこまで聞くと、ひさめは露骨にホッとしたような顔をする。顔色まで良くなったかのようだ。
「そ、そうですか!良かった。これも無駄になっちゃうかな、なんて思ってしまって」
「『これ』?」
「はい!受け取ってくだしゃ…さい!」
一大決心のような気合い(噛んでしまっていたが)と共に差し出されたのは、赤い包装。
真っ赤な包装は、確かめずとも中に何が入っているかという事がすぐにわかるような物だ。
「お、チョコか!
ありがとう。大事に食わせてもらうな」
「はい!その…手作りではないのですが…
そっちの方が美味しいかもと思って…」
「すごく考えてくれたんだな。
その事実が一番嬉しいよ」
申し訳なさげに縮こまる彼女の頭を、大きな手がゆっくりと撫で込める。くすぐったそうに身体をよじりながら、その手に抵抗はしなかった。
「…よかったです。僕、受け取ってもらえないんじゃないか、喜んで貰えないんじゃないかってすごく不安で」
「でも不安になってるままじゃずっと変わらないから、勇気を出してみたんです」
「そっか。勇気を出した甲斐はあったか?」
「はい。出して、良かったと思いました」
「ならよかった」
そう、静かに撫で続けられる時間が続く。廊下の往来ではあったが、幸いにして放課後の閑散とした時間帯。人が通りかかることは無かった。
そうした最中に、古賀青年の視線がひさめの鞄の方へと行く。お守りは付いてはいない。
あれは付けてもらえてないか。
ふと、そう思ってしまった。そんな風に思ってしまう、女々しい自分に喝を入れるようにもう片方の手で頬を軽く叩く。
すると、それに気づいたのか。
ひさめははっと慌てたように彼に話す。
「あ、もしかしてあのお守りですか?あれはその、今はここにはないというか…だから違うんです。気に食わなかったとかそういうわけじゃ」
「いや、気にすることはないんだ!
こっちこそごめん、急に押しつけた上にこんな恩着せがましいような視線向けて」
「だから違うんです!だから…!」
「その!大事に部屋に飾ってあるんです!
汚れちゃったら嫌だから!
「……あ。」
墓穴を、鑿岩機のような勢いで掘った彼女はそのままフリーズ。そして、渡したチョコのラッピングよりも赤くなってそのまま動かなくなってしまった。
「失礼しますぅ…」
真っ赤な顔のまま、そのまま生徒会室へとからからと入っていく。その姿を見て、悪いことしたかもなと青年は頭を掻いた。
…
……
「あら、どうも集くん。
そろそろお帰り?」
仕方がないからと帰宅しようと準備をし、妹を待とうとしていた彼に声をかけたのは、またまた女性の声。ただそれは、学生の声ではない。
妙齢の、教師の声だ。
「あ、ども浮葉先生。
そうっすね、帰るとこです」
新任の女教師、浮葉三夏に、古賀は少しフランクに言葉を返す。
「ふふ、君は意味もなく教室に残っていたりはしなくていいの?私のクラスではそんな男の子がいっぱい居たけれど」
「ハハ、やめておきます」
くすくすと二人で笑いながら、ゆっくりと並んで歩き始める。昇降口の方に向かいながらのそろ歩きはゆっくりと、そして半歩ほどいつもより歩幅が小さい。
「なら…少しだけ、時間を貰っていいかしら」
「ん、用事ですか」
「いえ。用事って程では、ないのだけれど。
一瞬だけ職員室に寄って貰えると」
そうして、少しだけ寄り道をして職員室に着く。浮葉が軽く自分のデスクを漁ったと思うと、何かを持って古賀の方に戻ってきた。
そして彼女はまた、少し言いづらそうに、やりづらそうにそのウェーブかかった前髪をくるりと弄ってから、その包みを差し出した。
「その…
これ、受け取って貰えないかしら」
隈がかかった顔に、桜色が少し混じる。贈り物をする気恥ずかしさが彼女の中にあるむず痒さとを刺激してしまっている。
「その…結局あの後も、時たまお弁当を作ってもらっちゃってるし。なにより他にも散々教えて貰っちゃってるから、そのお礼も兼ねて私からも一つ、渡したいの」
何かに言い訳をするように捲し立てる浮葉を見ながら、古賀青年がにっこりと包みを受け取る。中身はなんだろうと眺める。
「ああ、チョコレートではないわよ。
そこに書いてあると思うわ」
「…っと、コーヒーですか?」
「ええ、コーヒー。
呑めるって言ってたよね?」
「…チョコはきっと私が渡さなくてもいっぱい貰うかなと思って。
うふふ、よかったじゃない」
「あー…からかわないでくださいって」
「あら、照れなくてもいいのよ。
例え友情でも義理でも、貴方が貰うほど感謝されてるのは確かなんだもの」
そう言われると何も言葉を返せなくなってしまう。それは痛いところを突かれた、などということではなく、言っていることが正しい、一理あると思ってしまうからだ。
いつもは、いつか倒れてしまいそうとすら見えるほどだ。支えたく思ってしまうほど。
であるのに、こうしたように教師として生徒を導いている姿を見ると。彼女の中にある経験だとか、知識だとか、『先生』であるのだなということを、古賀は実感する。
「まあ、だから。迷惑になっちゃわないように私からはチョコレートは贈らないけど…それが今回の代わりかな。
少しでも喜んで貰えたら嬉しいわ」
浮葉はそう言って、照れ臭そうに微笑む。少し疲れの残った笑顔は、しかし子どものように純粋なものであるようにも見えた。
「…は、はい。
こちらこそありがとうございます」
「うん、ちゃんと感謝が言えてよろしい。
…ごめんね、時間を取らせて。私はもう少し仕事があるから集くんは帰りなさい?」
「はい、そうします。
……そういえばさっき『お礼も兼ねて』って言ってましたけど、何を兼ねたんですか?」
「えっ!」
ふと疑問に思い、古賀が質問をする。何気ないその質問に、彼女はどきりとその肩を揺らした。
「それは、ですね…」
沈黙。
静寂。
音のない時間が経つ。
「……ごめん、先生の秘密ってコトで良いかな?」
「え、ええ?まあいいですけど…」
長考の末に出た答えはそんなもの。
結局、青年は疑問符を浮かべたまま、そのまま昇降口に再び向かっていく。その背を見送ったまま、浮葉は命拾いしたと言わんばかりにどっと脱力をした。
あの贈り物に込めた意味。
それは感謝は当然として、その次に。チョコではないとはいえ、『バレンタインデーの贈り物である』という事。それを鑑みれば、込められた意思は明白であるとも言える。
ただそれでも一応、それは隠そうと思った。
大っぴらには、絶対してはいけないと。
あくまで『友チョコ』などの体を取ろうと。
ただ、しかし。
「…うっかり口が滑っちゃった…
我ながら危なっかしいぞ、三夏…」
自らに戒めるように。
誰もいない廊下で彼女は呟いた。
…
……
昇降口には、一人中等部の制服を纏う少女が立っている。古賀集は、ずいぶん待たせてしまったかと、少し駆け足気味に彼女の元に行った。
「悪い、鈴。
だいぶ待たせちまったか?」
「あ、兄さん。
…いいえ、そこまで待っては」
古賀鈴は、朝にした約束のそのままに、兄と下校をすべく彼のことを待っていてくれたのだ。
「ねえ」
よし、それでは帰ろうと靴を出した時。
瞬間に、鈴は声をかけて来た。
有無を言わさぬ速攻だった。
「…ねえ。兄さんがラブレターを渡されたって聞いたんだけど…誰?」
その声は冷徹なようで、そして更に内側に熱を帯びているような、溶岩じみた雰囲気を感じた。少なくとも、彼はそう思った。
「ああいや、違うんだそれ。
それはだな……」
「言い訳の前に、まず誰?」
…有無を言わさぬ速攻だった。このままでは埒があかないと思った古賀青年は、さっき、シドにちゃんと渡せたぞと報告をするにあたって再び会ったあの女生徒の名前を教える。
そうしてからようやく、どういう顛末だったかを教えることが出来た。
「…成る程。
はー、心配して損しました…」
「…全く誤算ですよ、ほんと一瞬すぐ目を離したらこうなるんですから…」
「お、なんだ。ヤキモチ妬いちまったか」
「してません」
「はは、照れなくていいだろ?
大丈夫だって」
「してないったら、もう!」
下校路を行きながら、じゃれあいつつ歩いていく。二人の背姿を夕陽が写し出し、影法師が伸びる。夕暮れ時の空を見上げ、目を細めながらその橙色に心を奪われていた、そんな中。
「…嘘です」
「ん?」
古賀青年はぎゅっと、その指を絡めて手を結ぶ感覚を、手に感じた。小さく、細い指だ。
言うまでもない、鈴の手。
彼女の感触だ。
「嘘です。確かに妬いてました。
それに、さっきまで。私が待ってるのに、兄さんは来ないんじゃないかと思ってました」
「さすがに約束は破んないよ」
「そうですよね。
そう、わかっているんですが」
握った、結んだ指がきゅっとその力を少しだけ増す。その手に込められた力はそのまま、寂しさと、心の中にある想いの大きさのようだ。
「ねえ」
「うん?」
「小さいチョコケーキを作ってるんです。
帰ったら、二人で食べましょ?」
「ああ。母さんと父さんにも取っといてな」
「うん。でもまずは、二人で食べるの。
それでいい?」
「ああ。
鈴の作るケーキは美味いからなあ。
実はずっと楽しみにしてたんだ」
「兄さんたら、あれ好きですよね」
「ああ。ガキの頃からずっと好きだな。
だから毎年楽しみにしてるんだ」
「ええ。知ってます。
だから私も、ずっと楽しみにしてました。
今日、ずっと」
…
……
……2月15日。
戦の、決算日。
昨日の今朝方、その憤懣たるやる気を出していたその兵士達は、その背に纏うものを哀しみに変えてしまっている。
結局母ちゃんのしか貰えなかったーとげんなりしながら宣う友人の話を、古賀青年はうんうんと聞いていた。
「…はーあ、お前は良いよなあ。
なんてったってチョコは貰えるわ、しかもみーんな美女揃いだし」
「そういう言い方は相手にも悪いだろ。
それに、俺に渡されたものがそういうものな訳じゃない」
そう言った瞬間、ふと雰囲気が変わった。
「……お前、それ本気で言ってるのか?」
「その、つもりだけど」
「…俺がとやかく言うべきでもない気もするけどさー…それ絶対間違ってる。普通にめっちゃ失礼だと思うぞ」
「…え」
「……んでさー、昨日呼び止められたからまさか俺宛て!?と思ったら……」
…一瞬に話題が変わったように、一瞬に話題が戻り、そのまま話が進む。だがさっきまでと異なり古賀青年の頭には、ただ、さっきの発言が渦巻き、何も聞こえていなかった。脳に膜がかかったように、ぼんやりと。
(……俺に………?)
彼は人知れず、ほぞを噛んだ。
そんな事は。
だが、しかし。
まさか。
小さな、小さな芽生え。
疑念という芽。