彼の周りは少し愛が重い   作:澱粉麺

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失楽の先、林檎の園(古賀鈴)

 

 

 

 

少女は扉の横で、一人を待つ。

そわそわと、不安に、怖い気持ちになりながら。もう二度と戻ってこないのではないだろうかと、不安になりながら。

 

 

「…お待たせ、鈴」

 

 

「!兄さ…」

 

 

優しく微笑む彼の頬には、青紫のアザ。

男はその顔に、先程までにはなかった痛々しい傷跡を付けている。

 

 

「…それ…」

 

 

「親父に殴られた」

 

 

「ッ!」

 

 

「大丈夫、そんな大したもんじゃないよ。…ていうかこれくらいは当然だと思う。むしろ勘当されなかっただけ、びっくりしてる」

 

 

「……」

 

 

 

少女、鈴はただ押し黙る。それしか、出来ることがなかった。そうして俯く頭に、大きな手がのそりと置かれる。ゆっくりと撫でるその手に、否応無しに心が安らいでしまう。

 

 

 

「大丈夫だ。全部、俺が悪い」

 

「少なくとも、母さんと父さんにはそう思うように話をした。だから鈴は安心していい」

 

 

「…っ。そんなの、私が求めている言葉じゃありません」

 

 

「そうだな。うん、わかってる。それでも言わないわけにはいかないだろ。お前にはこの先もあるんだから」

 

 

「それはっ…!」

 

 

それは兄さんも同じでしょう、と言おうとしたその口を、一本の指で封じられる。

しーっと、静かにするように。

 

 

「大丈夫。

ぜったい、大丈夫だ」

 

 

男は、集はそう言って、また優しく微笑んだ。

その、自己犠牲的な笑みを見て、鈴は身を削がれるような悲しさと。

 

そして、ごうと焼けるような怒りを感じた。

 

 

(……)

 

 

(…させるものか)

 

 

(意地でも、この人だけに背負わせるものか。それがたとえ、本人が望んでいたとしても)

 

 

青く赤く、煌々と。

心の中で闘志が燃え始めていた。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

その日は、土曜日。

休日の前日に、ある男女は逢瀬をする。

そう、決めていた。

どちらかが口約束をしたわけでなく、暗黙に決め、その心地良さに、敢えて口にせず。

 

 

小さなマンションの一部屋の扉の横で、少女は一人を待つ。

その大きな大きな人影を、疲れ切った男の横顔を思って微笑みながら。

 

 

「…あれ、鈴?

なんで先に入ってないんだ?」

 

 

「あ、お疲れ様です。いつもより来るのが遅くなったので、せっかくだし待とうと思って」

 

 

「そっか。なら、一緒にメシ作ろう。ちょっと洗い物も溜まってるから、先にそれやっちまうよ」

 

 

「またですか、全く…

私が来る時いつもそうなんですから」

 

 

「はは、悪い悪い」

 

 

部屋の扉が、鍵の無骨な音と共に響く。小さな振動で、部屋の中にあった2個のマグカップがかたりと揺れた。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

ほんの小さな、そして少しボロけた一人用の食机に、無理矢理詰め込んだ二人分の食器。そのせせこましさに身を震わせるようにかちゃりとぶつけあう。

 

 

「「いただきます」」

 

 

ぴったりと会ったタイミングで二人が言う。

しばらく、箸を動かしている音と、静かに食べる音が響く。

 

 

 

家族に、報告をする。

それは彼にとってはしなければならない事だったし、その責任から逃げるということはそもそも彼の中の選択肢として存在しなかった。逃げたとしても、それらの苦痛は増すだけだから。

 

だからあの日、殴られたとしても、さめざめと涙を流されても、もう二度と鈴に会わないように言われようとも仕方がなかった。

それくらいの事はやったのだと彼自身思っていたし、その通りに、もう妹に顔を見せるつもりも無かった。

 

 

 

そう。無かった、のだ。

 

 

 

「もう会える事も無くなる…

なんて思ってたんだけどなあ」

 

 

…すっかりとこの空間に馴染んでいる鈴を目の前にしみじみと、夢見心地の様に古賀が言う。

 

最初に、何事もなかったかのように『そっちに行く』と連絡をされた時は目を疑い、そして当然のようにこの部屋に来た彼女を見た時は自身の正気を疑ったものだ。

 

 

 

「まだそんな事言うんですか?

まったく。させませんよ、そんな事」

 

 

ため息を吐きながら、呆れたようにそう言う鈴。集はむしろ呆れたいのは俺だ、と言う気にもなれず力のない笑みを代わりに浮かべる。

 

 

「…今更だけど、大丈夫なのか?

それこそ口を酸っぱくして逢いに行くななんて母さん達にも言われてるだろうに」

 

 

「大丈夫ですよ。アリバイは作ってあります。

私は生徒会に入っていることになってますし、それぞれ友人も買収してますから」

 

 

さらりと恐ろしい事を口にする自分の妹を、少し引き気味に眺める。その視線をどう思ったか、鈴は照れたように顔を赤くして少し俯く。

 

 

 

「買収って…ていうかそれ、母さんたちにはバレてるんじゃねえか?あの人もカン鋭いし」

 

 

「バレてもいいんですよ。ここで大事なことは、『可能性が少しでもある限り咎めるわけにはいかない』ということなんですから」

 

「私が本当に生徒会に所属しているという可能性がある限り、それを根掘り葉掘り聞くという訳にもいかなくなりますから。もしそれを聞くという事はそのまま『私を信頼していない』という態度の表れになってしまいますからね。ただでさえ多感な時期ですし、そんなに私が信用できないの、と、かこつけて怒る大義名分にさせられても母たちは困るでしょう?」

 

 

 

さら、さらとそう事もなげに言っていく鈴。その姿を見てほんの少しだけ高校時代の同級生の生徒会長を思い出したが、それを言ったらきっとまた怒るだろう。

だから代わりに一言。

 

 

 

「…なんか。

だんだん可愛げがなくなってくなあお前…」

 

 

「おや、そんなひどいことを言うのはどの口ですか。これですか、この口」

 

 

 

手に持つ箸で、つんつんと兄の口を突く。

たわむれでのそれはしかし、何回かやられてるうちに本気で痛くなるような力加減だった。

 

 

 

「いだ、やめろ。いだだだ」

 

 

「いいんですよ。私、悪いコですもん。兄さんが好きで好きでたまらなくって、周りにも止められてるのにそれでも逢いに行っちゃうような、不良少女なんですから」

 

「……だから、別にかわいげが無いとか言われても気にしませんよ。ふん」

 

 

 

どす、どすと頬を、首をつつく。

だんだんと力は強まっていく。

 

 

「はは、ごめんて、いたたた!わかった、降参するから。どうしたら機嫌直してくれる?」

 

 

「そうですね、取っておいてたアイス。

あれくださいな」

 

 

「え、ダメ」

 

 

「……」

 

 

「ぐあ痛い!マジで痛いから!」

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

いつかのこと。

何度目の逢瀬だろう。回数を数えてしまうと、いつか終わってしまいそうに思えて。それが怖くて、数える事が出来ない。

それは、どちらかが口にしたわけではない。

ただ、二人ともそう思っていた。

 

 

少女は扉の横で男を待つ。しかしいつもと違う事として、その日は彼が住む一室の横では無く、大学の門扉の横に居た。

 

絶対にあり得ないと言い聞かせる。

それなのに悪夢を見る。

その悪夢こそが、鈴がここに居る所以だった。

 

だから…

 

 

はっ、と首を上げる。ほんの少し、あの柔和な声が聞こえた気がして、そちらを見た。

果たしてそこに、兄がいる。

そしてその横に、知らない人物が居た。大学の同級生だろうか?少しガラが悪くも見えるが、無理矢理という訳でもなさそうに見えた。

 

 

 

「…んでさ、しかもいつも結構厚着してるっていうかさ。首までピッタリ隠した服ばかり着てるじゃん?」

 

 

「これは…あー…ちょっと色々あって」

 

 

「何?モンモンでも入ってんの?

そんな感じで噂になってるよ」

 

 

「はは、まさか!そんなの入ってないですよ」

 

 

 

人当たりの良い、本心を見せないような作り笑いを浮かべる古賀の姿を見て、鈴はそっとその身を隠した。

盗み聞きをしたかった訳ではない。が、それでも、自分が居ない所の彼を見たかった。

 

 

 

 

「ほら、キミいっつも忙しそうだしさ。

なんか裏的なバイトしてる的な?」

 

 

「だから違いますって。俺、実は親に半分勘当されてまして。学費自分で稼がなきゃなんですよ」

 

 

「え、マジ?すっげえ、やるじゃん。

なにやらかしたの」

 

 

「いや、そんな大した事じゃなくって…」

 

 

「ごめんごめん、あんま聞かない方がいいか。

んで話変わるんだけどさ。キミ今日の合コンこない?集くんみてえのが来たら多分盛り上がっと思うんだよね」

 

 

「いや…すみません」

 

 

「大丈夫大丈夫、その分俺が時給出すから!な?バイトサボっていーから!」

 

 

「いや、そうじゃなくって。

今日は仕事は無いんですけど、その…」

 

 

「…心に決めた人が居るんです」

 

 

「…うわ、すっげ!俺もそんな事シラフで言ってみてー!」

 

 

 

そこまで聞き、鈴はぐっと身体中が熱くなるような気持ちになりながら、物陰から身を乗り出した。はしたなく会話を盗み聞きしていた自己嫌悪や羞恥だろうか。心に決めた人が居ると聞いた嬉しさだろうか。わからないが、ただその身体の熱は本物だった。

 

 

 

「もしもし、少しいいですか」

 

 

「ん…あれ、鈴!?なんでここに!」

 

 

「迎えに来たんですよ、今日は早く来れたので。こちらの方は学友ですか?」

 

 

「ん、まあ、そう…かな」

 

 

 

この子がさっき言っていたイイ人か、と野次馬のように一人で騒ぐ学友もどきを放っておいて、鈴は集の手を強く引いた。いっそ走り出すかのような、早歩きだった。

 

 

 

 

「行きましょう、『集さん』」

 

 

「…ああ、鈴」

 

 

外では、そう呼ぶと決めていた。万が一にも彼らの関係が露呈してしまわないように。彼らの間柄が、ほんの少しでも解ってしまわれないように。

 

歯噛みをするように、その場から去る。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

少女はふと、この幸福を怖く感じることがある。ただ貴方の優しさが、今の幸せが恐ろしい。何か理由がある訳でも無い、無根拠な、ただそう思うだけの感情。

 

 

 

マンションの扉をバタンと、乱雑に閉じる音。閉じてすぐに、鍵を後ろ手にかける。

 

そのままの動作で、鈴はがばりと男に抱き付く。顔をもうずめ、全身を擦り付けるように。

 

 

 

「…集さん」

 

 

「違う。『兄さん』、兄さん、兄さん…!」

 

 

確かめるように、忘れないように、そしてまた辛抱が効かなくなってしまったかのように、譫言じみて呟きながらずっと抱きつき続ける。

 

 

「ごめんなさい、ごめんなさい。堪え性がなくって。不安で、怖くて。私がこんなにも今幸せなのは、兄さんから幸せをぜんぶ吸い取ってるからなんじゃないかなんて、思って…」

 

 

 

 

「俺は、鈴よりもずっと幸せだよ」

 

 

そうだ。彼は、絶対にそう言ってくれる。

絶対にあり得ないと言い聞かせてくれる。

その優しさに幾度も救われた。

それは、本当に嬉しいこと。

 

でも、それなのに悪夢を見る。

言葉だけでは足りない。

声だけでは、その口だけでは。

 

だから…

 

 

 

「…足りません」

 

 

ぐい、と襟首を掴んで背首を下に下げる。

そしてそっと、唇を重ねた。どちらも抵抗などせず、すんなりと受け入れる。息が続かなくなるほど、息切れをするほどに長い口付け。

 

 

そうしてから、ふと距離を取る。

そして鈴はそのまま。

自分のスカートにふわり、と軽く手を触れた。

 

 

「…はあ、はっ……だから…ね……」

 

 

そっと、装身具を外していく。

前のように、壊れないように。

 

 

「…もっと私に。

貴方を信じさせて、お兄ちゃん」

 

 

靴下を脱ぐ。

ぱさりとそれを置いた途端に、目の前にいる男の雰囲気が変わった気がした。

それを、悦びと共に受け入れる。

 

 

 

「……後で、文句言うなよ」

 

 

 

しばらくの、後。

薄暗い部屋から、明かりが消えた。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

「…いつっ…お前、また噛んで…」

 

 

「ねえ、兄さん。同じ場所に傷をつけて」

 

 

「…お前な…これのせいで俺、いつも長袖とかしか着れないんだからな…」

 

 

「…フフ、でも、そんな文句を言いながらしてくれるんですよね。優しい人」

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

失楽園の先。禁断の果実を齧った者たちはそれでもその果実を貪り続ける。

その快楽に、その愛を裏切らない為に。

 

赤々と実る林檎を互いに喰らい続ける者たちのその先がどうであるかは、誰もわからない。

 

 

 

ただ、きっと。誰も知らない、誰も居ないような田舎や、辺鄙な所にひどく仲の良い夫婦が居ると噂が流れてくるかもしれない。

 

まるで血の繋がった兄妹のように、仲が良い夫婦が居る、と。

 

 

 

「ちょっと!忘れ物ですよ、集さん!」

 

 

そう、そんな声がする家があると。

 

 

 

 

 

 

蛇足2、おわり

 





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