彼の周りは少し愛が重い   作:澱粉麺

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風のまにまに(古賀鈴)

 

 

 

朝起きて、体が妙に気だるいのを感じた。

ふらつく視界を歩かせて体温計を取りに行き、熱を測る。案の定の高熱だった。

 

その数字を見て私、古賀鈴は深いため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

「…で、連絡はもう全部済ませたと」

 

 

「はい。ですので兄さんは特に何かする必要はありません」

 

 

 

登校準備の兄に、自分が風邪をひいたことと、それについての連絡はもうしたから何かをする必要はない事などを伝える。

そしてこれもまた案の定、今日は俺も休んで看ようかと言われたので、それは丁重に断った。

 

 

 

「…しかし鈴が風邪か、めずらしいな。最近は全然そんなこともなかったのに」

 

 

「兄さんは時たま何処かから風邪をもらってきてますけどね」

 

 

「はは、その時に看病してもらった時の恩返しだな。今日はできるだけ早く帰ってくるよ。それまで安静に」

 

 

「ええ、寝込んでおきます」

 

 

がんがんと痛み始めてきた頭を反射的に抑える。特に目立った病状は無く、熱や頭痛、喉の腫れなどのオーソドックスな症状な為、何か変わった病気というわけではなさそうだ。

 

 

 

「…意外とちゃんと休むんだな。

てっきり、病を押してでもちゃんと学校行かないと!ってなるかと思った」

 

 

「む…まあ、そうですね。体調管理の不備は手落ちですし、やるべきことをやれないのは恥ずかしいですが…

失敗を隠そうとして周りに迷惑をかけることの方が情けないですから」

 

 

「うん。さすが鈴だな。確かにそうだ。

お兄ちゃんとしても、そうやってちゃんと休む時に休んでくれた方が安心するよ」

 

 

それじゃあゆっくりとな。

と、そう最後に私の頭をぽんぽんと叩いてから兄は家を後にした。

 

ぽつんと誰もいない家をどこか新鮮に、妙に寂しく感じながらも、まずは枕元に水とコップを用意する。抜け目なく、兄は粥を用意してくれていた。いつのまに。味はついていないけど、少し塩をかければいいだろうか。

 

解熱剤と痛み止めを一息で飲んで、後は汗をかいても良い格好で、ただ布団を被る。こういう時には、体力を温存しておくしかないのだ。

これで、どうにかなるはず。

これで大丈夫だと思った。

 

 

ところが残念ながら、それは私のまったくの見当違いだった。

私が思うよりもこの不調は辛く、もっともっと強いものであってしまったのだから…

 

 

 

 

……

 

 

 

 

はっ、はっ。

 

自分でもわかるくらいに寝息が荒い。汗が止まらない。それでいて寒くて、震えてくる。

そして何より辛いのが、胸のむかむかと、それに付随する吐き気だった。

消化のいいものを摂ったはずなのに、それでも込み上げてくるように。

 

風邪の頭痛や喉痛、高熱による寒気などは予想していたし対応もしていた。ただ、これには参る。吐き気止めも、今はない。

 

 

気持ち悪く胸焼けし、立ち上がれるほどに元気でもなく、ただ寝床に横たわったまま不快感に眠れないまま目を瞑っていた。

これでは、体力の温存も何も無い。

 

 

 

「ただいまー。鈴、無事かー」

 

 

扉が開く音と、兄の声。それはこの辛さを和らげてくれる福音のようにも思えたし、今のこの私を見て欲しくないようにも思えた。勿論、そんな事を言ってる場合でもないんだけれど。

 

 

 

「どうだ、元気出そうか?

一応いろいろ買ってきたけど食う?」

 

 

「……」

 

 

返事の力が出なくて、首を振うのも中途半端に答えないままになる。兄さんはそれを見て、答える力もないほど辛いのだとすぐにわかってくれた。

 

 

「とりあえず、氷枕用意してくる。

あと気持ち悪くても水は飲んどきな。リビング行くけど、ちょくちょく来るから」

 

 

ゆっくり語りかけてくるその姿を見て、みぞおちのあたりが妙に痙攣するような感覚に襲われる。

 

その立ち去ろうとする兄の服をなんとか掴んだ。それはいて欲しいとか、心細いから一緒にとかもほんのちょっとはあったけど。

でも、そういうのではなくって。

 

 

 

「お…立ち上がって大丈夫か?」

 

 

「…き……」

 

 

「ん?」

 

 

「せん、めんき…」

 

 

真っ青になった顔、抑える手、そしてその一言で理解し、全速力で洗面器を取りに行った兄のおかげで、なんとか布団や部屋を汚すことは免れた。まぬがれた、けど。

 

 

 

 

「おえ、えええっ…」

 

 

「…う、えほ、えほっ」

 

 

喉が塩辛く、胃酸と食物が混じった酸っぱい不快感を醸し出す。

風邪の時の心細さや、衰弱、吐くところを見られた恥ずかしさとか。そんなものが、熱でごちゃごちゃになった脳みそで茹ってこんがらがって。

 

 

「う…げほっ、ぐすっ…」

 

 

必死に我慢したけど、込み上げる涙がどうしても少し溢れて、少し、しゃくりあげてしまった。

 

せめて、吐き気さえ無ければ、この姿を兄さんに見られてもよかった。看病をしてもらって、弱いところを見てもらいたかった。

 

でも、こんな吐くような姿を、兄さんには見られたくなかった。

情けないとか完璧とはほど遠いとか、そういう大それたものじゃなくて。

私の好きな人に、こんな姿を見て欲しくなかった。

もうきっと知っているとか、幼い頃から慣れっこだとか、そういうことじゃない。私の汚いところはあんまり見られたくなかったのに。

 

 

そう、泣き出してしまった姿を見て、兄はどう思ったろうか。

 

そっと学生服を脱いだと思うと、彼は私の頭を胸に寄せて、そのまま背中をとん、とんと赤子をあやすように、叩いてくれる。

 

 

「よしよし、大丈夫だぞ、鈴。

俺はここにいるからな」

 

 

まだ幼い頃の事を思い出す。

怪談を聞いて眠れなくなってしまったり、なんでか寝れなくなった時、彼はいつもこうしてくれた。ゆっくり抱きしめて、そっと身体を一定のリズムでとん、とんと。

 

しゃくりあげながら、その感覚に落ち着いていく。断続的に、同じリズムで感じる人肌の暖かさが、寒気のする身体にじんわりと熱を与えてくれるような気がした。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

気が付くと、すっかり外は暗く、夜中。

あのまま寝付いてしまっていたようだ。

 

そして熟睡が明けると、身体はその前よりもかなり軽い。まだ頭に熱を感じるが、症状の全てが軽くなっている。

 

 

「お、おはようさん鈴。

だいぶ顔色が良くなったな」

 

 

ちょうどのタイミングで、兄が扉を開けて部屋に来た。いや、ちょうどではなく、私が寝ている時もずっとこまめに私の様子を見にきてくれていたのかもしれない。

 

 

「ご飯食えるか?一応ゼリーとかも買ってきた。なんでもいいから腹には入れといたほうがいいから」

 

 

軽くなったとはいえ相変わらずまだ気だるく、食欲はあまり湧いてこない。でも何か栄養を摂らないとという発言には同意するので、なんとかゼリーを食べることにした。

 

 

 

「熱はどうだ?だいぶ下がったみたいだけど」

 

 

「今測ってま…あ、ちょうど終わりました。

……まだ、ありはするみたいです」

 

 

「まあそっかあ。

仕方ないとはいえ、明日も休みだな」

 

 

まだまだ残る熱をげんなりと思いながら、空の容器を横に置いてからぽすりと枕に頭を預けた。

 

 

「…さっきはごめんなさい」

 

 

「はは、なーに気にしてるんだよ。病人なんだから仕方ないだろ」

 

 

「それもだけど、その…」

 

 

「それも仕方ない。

風邪ひいたりして弱るとどうしても心細くなるもんだよ。特に一人でいたんだし、尚更な」

 

 

仕方ない。

そう、言ってくれる。

脳の一部が麻痺して痺れるような感触に陥るのはただ熱のせいだけじゃなく、そんな貴方の言葉のせいのようにも思えた。

 

 

「…そう。仕方ない、ですか」

 

 

「ああ、しゃあないさ。

そうだ!リンゴ擦ろうか」

 

 

 

汚いものを見ても、情けない姿を見ても、仕方ないことだと許してくれるのは私が風邪だからだろうか。

きっと、違う。

 

あなたは私のだめなところや、隠している汚いところも、仕方がないことだと赦してくれるのだと思う。困ったように笑いながら、心から赦してくれる。

 

 

私が隠しているこの気持ちにも。

仕方のない事だと、言ってくれればいいのに。

 

 

 

……すりおろした林檎は甘くて酸っぱく。喉に残った吐瀉物の風味が少しだけ混ざって、苦くて濁った味がした。

 

 

 

 

 

……

 

 

 

「おはよう。

まだ熱はあるみたいだけど、一人でも大丈夫かな」

 

 

「うん。昨日よりはだいぶ良いです。

少なくとも、昨日みたいなことにはならないと思いますよ」

 

 

「そっか。

…今日も出来るだけ早く戻ってくるよ」

 

 

「…わかりました。楽しみに待ってます」

 

 

 

また、ぽんぽんと兄の手が私の頭に置かれた。私はそれに擦り合わせるように、自身の頭を横に動かして撫でてもらった。

 

 

 

早めに、帰ってくる。

 

いつも遅く、誰かれ構わず人助けをしているその善性が、今は私のために使われていることを、卑しくも嬉しく思ってしまう。

彼が、彼の多忙が、今は全部私のためだけに使われているということが嬉しいなんて、賎しい事を。

 

汚い部分が、昨日の吐瀉と一緒に本音として吐露されてしまったように。奥底にあった汚いものが見えてしまったように。

 

こんな思いを兄が知ったら、どう反応するんだろう。これも、『仕方がないさ』と私を慰めて、赦してくれるのだろうか。

 

そう、あってくれたらいいなと思う。

 

 

 

昨日の残りの、冷めたお粥を温めて飲んだ。

ほっと落ち着きながら、熱を持った額がまだどこかぼーっと世界をぼやけさせて見えた。

 

 

 

(…兄さん、早く帰ってこないかな)

 

 

 

夢微睡の中、うつらうつらとそう思った。

 

 

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